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終戦記念日に思うこと 

今日は65回目の終戦記念日である。
と言うことは日本が65年間、戦争にならずに済んで来たという事である。
私達日本人が65年間、平和を享受し続ける事が出来たのは、何のお陰だろう?
憲法9条が無かったら、日本は65年間平和を保つ事が出来ただろうか?
平和である事がどんなに幸せな事であるかは、
ベトナム、イラク、アフガニスタン、東ヨーロッパ、アフリカの戦場になっている国々の情報を聞くにつけて、痛感させられることである。

先日来NHKで終戦の日にちなんだ特集をしていた。
その中で参謀本部が、占領した太平洋諸島の守備隊を、どのように見捨てて行ったかを伝えるものがあった。
現地の将軍からは、食料や援軍の要請があったにもかかわらず、それを無下に断り玉砕せよと命じておいて、
国民に向けたラジオの報道では、あたかも現地司令官が自分の意志で、潔く玉砕を選んだかのごとく、
「現地からは何の補給要請も有りませんでした。彼等は皇国のために一身をなげうって、玉砕する事を決心していたものと思われます・・・・・」というような嘘を、
太平洋の島々で、玉砕が余儀なくされるたびに、放送していたのだった。

名前は記憶していないが、元参謀本部員の映像が映されていた。
国民が慢性的な食糧不足で痩せさらぼうている時に、
戦争遂行者の参謀本部の者達は、たらふく食べていたという噂が、
嘘ではなかったと言うことを、その人物のぶくぶく太った首周りの肉付きが示していた。

彼等は国民に滅私奉公を強要し、前線の兵士には地獄のような悲惨な戦死を強いていながら、
自分達は毎日たらふく食べて肥え太り、前線の兵士の犠牲の下、敗戦を一日延ばしに延ばしていたのだった。

何年か前硫黄島の玉砕の詳細をテレビで見て、記事を書いたことがあるが、
島では2万人の兵士達が、暑い最中に食料だけでなく水も不足するような環境下、
無意味に島に足止めされた上に、玉砕と言う美名の下惨殺されるままに放置されたのだった。
故郷に帰ったら、かけがえのない夫であり、父であったはずの兵士達が、何万人も無意味に殺されて行くのを、ただ手を拱いて放置しながら、
現地の兵士達は皇国を守るために英雄的精神で、玉と散って行ったと言う作り話を、国民に吹聴していた参謀達の無責任さ!

最後は結局敗戦を受け入れたのだから、もっと早くに戦争を終わらせる努力をしても良かったはずである。
まともな政府であるなら、戦況が決定的に不利であると分かった時点で、
どこかの国を介して和平条約を結ぶのが、政府の当然とるべき道であるはずなのに、
当時の戦争責任者の政府要人や参謀達は、
自分達の責任が問われる日を一日でも先に延ばしたいばかりに、
前線の同僚(職業軍人)や徴兵で無理やり現地に送り込まれた兵士達何万人もを、
見殺しにしてその死を悼みもしないで、平然と自分達の栄華を守ろうとしていたのだった。
まともな者が政府の責任者であったなら、国民を本土空襲や原子爆弾の投下と言う悲惨な目にあわせることはなかったであろうと思う、
他人には生きて虜囚の辱めを受けるなと自刃を強要しながら、東条英機は死刑になるまで自刃もせず、自らの不運を嘆くのみだった。
彼の卑怯さが、あの戦争の悲惨さを象徴しているように感じられる。

何時の時代も悪貨は良貨を駆逐すると言うことわざどおり、長く続いた政権でトップにのさばるのは、
悪知恵に長けた利己的な卑怯者と相場が決っている事を思うと、
もし今の日本で戦争が起こされたとしても、
その参謀達のとる態度は、似たような事になるのではないかと想像される。
その点日清戦争や日露戦争の時代は、明治維新と言う名の革命の後の、新しい政権下で起きた戦争であったから、まだ悪貨(強欲な卑怯者)に政府が占領される前であったお陰か、適当なところで戦争を終結させている。

敗戦という革命的な出来事の後暫くは、官僚たちも悪貨が幅を利かせる前だったから、
官僚たちも日本国復興のために、誠実に尽力していたのだと思うが、
現在の官僚たちを見ていると、自分達の地位と利権さえ守られたら、日本国がどうなろうと知ったことではないと言わんばかりの輩が、トップの座を占めているのではないかと想像される。

こんな状況の日本で、戦争に巻き込まれるようなことが起きたら、
太平洋戦争時の政府と同様、
現在の政府要人も一方的に国民に犠牲を強いる、無慈悲で無責任な行動に終始する、卑怯未練な戦争遂行者になるに違いないと想像される。

太平洋戦争時の悲惨な話を聞くにつけ、
今戦争から私達を守ってくれている憲法9条の、非戦条項だけはなんとしても守り抜かねばならないと、私は確信を新たにしたのだった。

Comments

敗戦記念日

第二次世界大戦の終わった日は、
世界では日本政府が公式に降伏文書に調印した1945年9月2日を指し、
「対日勝戦記念日」という。「終戦記念日」
日本から見れば「敗戦記念日」または「敗北記念日」。


テレビ東京、テレビ大阪系列で、
テレビ東京|池上彰の戦争を考えるSP ~戦争はなぜ始まり どう終わるのか~
http://www.tv-tokyo.co.jp/ikegami_wars10/
があるので放送が映るのであれば見てください。


右翼は自分達の都合でしか物事を言わないバカな輩が多いですし、
靖国を英雄にしたがるバカな輩が多いのも困りますよね。

みちのく様

コメント有難うございます。
公式には9月2日が終戦(敗戦)の日だったのですか!
日本人の殆どは今日が終戦の日と思って来たと思いますが・・・・・
私達は知らないことだらけなのですね。

パロディ&虐政

左翼は現在の基準でしか物事を言わない非常識な
輩が多いですし、靖国を犯罪者の巣窟にしたがる
思考停止な輩が多いのも困りますよね。

今戦争から私達を守ってくれている核の傘
日米安保条約だけはなんとしても
守り抜かねばならないと、私は確信を新たにしました。

現在の政権も一方的に国民に犠牲を強いる、
無慈悲で無責任な行動に終始する、卑怯未練
責任感皆無な売国奴の巣窟ですが何か?
下記をみりゃ如何に民主政権が宗主国様に
こびへつらう売国奴の集団だか判ります。

中国の土石流報道の翌日声明発表。
中国土石流:127人死亡、1294人不明…第1報(8/8)
http://mainichi.jp/select/world/news/20100809k0000e030005000c.html
翌日、既に支援の用意です。
時事甘粛省土石流、支援の用意=菅(8/9)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010080900350

ちなみに、日本の激甚災害指定の閣議決定は、
来週ぐらいの予定(笑
農業被害を激甚災害指定へ
http://www.nhk.or.jp/news/html/20100811/t10013287221000.html
6月中旬ぐらいから、農業被害の復旧を国で負担して
欲しいという要望が出てて、それから2か月後。
ちなみに、麻生政権を含めた歴代自民党政権は、
支援策のまとめを数日で行ってきている。
今回の菅の中国への土石流被害の
支援声明ぐらいのスピーディーさは常にありました。

民主党にとっては日本と日本人がどうなろうが
どうでもいいんですね、本当に!!

PHYSALIS 様

コメント有難うございます。
現在の民主党政権が、対米従属で自民党政権がやっていたのと、同じようなものであると言う点について、異論を挟むつもりは有りませんよ。
只現在の平和が、アメリカの核の傘のお陰だなどと、本気で思っておられる方があるとは、驚きですね。

右翼の指導者連は、日本のお金がほんの僅かでも、アメリカの要望によらない使われ方をするのが許せないようですね。

アメリカの要請でパキスタンに自衛隊を派遣しようかと言う方針には全然異議を唱えられていないのでしょう?

だから今の右翼は、日本の右翼ではなくアメリカの傀儡で、アメリカ命と思っている人だらけだと言うのです。

学習能力の無い大本営

玉砕なんて体裁よくいってますが、はっきり言えばその部隊の全滅ですね。
山崎保代陸軍大佐の指揮する日本軍のアッツ島守備隊は送り込まれた時から生きて帰る事の出来ない捨て駒でした。
大馬鹿野郎の大本営はこのようなしょうもない作戦を何の反省もないまま皆さんご存知のように終戦まで繰り返してしまう。
誰か止めろよという感じですね。
本当の保守ならこんな愚かな事を許してはいけない。

匿名様

コメント有難うございます。
本当に仰るとおりですね。
こんな事が2度と起きる事のないように、憲法9条は変えさせてはならないと思います。
私達国民にとって、貴重な砦 憲法9条 を守り通したいものですね。

NoTitle

私は現在の民主党政権が、対米中韓朝隷属の
全方位土下座外交で、自民党がやっていたのを
上回る亡国政権だといってるんですが未だに
お分かりにならないのですか?

こんな八方美人外交やっても諸外国の軽侮を
買うだけで日本の対外的信用を低下させるだけだと
毎回書かせて頂きます。

搾取するのがアメリカ一国ならまだ額が少ないのは
小学生でも判ると思いますがね、それが鳩山、管と
相手の言うがままに金さえ貢げば良いという安易な
外交をしたせいで増税する羽目になったんですがね。

相手が「謙譲の美徳」なぞ皆無、「水に落ちた犬は
たたき殺して喰え」
が常識の外道国家相手にこんな媚びへつらい外交
やったら、ますます際限無く要求をエスカレート
させるだけだと実際のビジネス経験の無い
左翼活動家崩れの管どもには判らないんでしょう。
現に際限無き要求が始まってますし…

>只現在の平和が、アメリカの核の傘のお陰だなどと、
>本気で思っておられる方があるとは、驚きですね。

ほう、アメリカ起源のPCでアメリカ製OSの搭載された
アメリカ人考案のインターネットワークを享受されて
いるからこそ、こうして空想的平和思想を書き連ねて
いられるのは無視ですか?

核の傘による抑止力があるからこそ、平和が
保たれている。故にこうして私ごとき一介の
庶民が駄文をネット上に吐露できるのですよ。

悔しいですがその事を認められては如何ですか?

何の長期的戦略、戦術も無く只、「日米安保廃棄」
「憲法九条護持」という魔法の呪文を唱えても、
何の効力もありません。

PHYSALIS 様

貴方はベトナムがアメリカに近づいた事を賞賛しておられたではありませんか。
外交とは色々な国と仲良くして、何かの時には味方として、悪い国を牽制してもらえる状態にしていないでどうするのですか!
只一つの国に依存していたら、独立が脅かされるのは、当然尾帰結で、
全方位外交を八方美人だ等と、アホカ!と言いたくなりますね。
その他の事も、総て貴方の感想と真反対です。

作戦が成功しても帰ってくるな玉砕しろと命令

今年4月88歳のお婆さんが娘さんが住んでいる大分で一緒に暮らす事になり、
引っ越して行きました。
10年以上前から一緒に暮らそうと言われていましたが、
この街が好きだからと言って断っていましたが、
家の中でつまずいて腰を痛めて娘さんを呼んで頼っていました。


度々大分から来るのも大変だしそろそろ一緒に暮らそうと言われ、
今回の件で観念をし娘さんと暮らすことになりました。
「娘さん現在66歳か67歳」


お婆さんが戦時中に結婚しその後ご主人は戦地に行き、
その後妊娠が判明し娘さんが生まれました。
ご主人には手紙で生まれたことは知らせて、
娘さんが生まれたことは知りましたが、
ご主人は戦死し我が子を見ずに亡くなり、
靖国に名前は刻まれているそうです。
「当たり前ですが娘さんもお父さんをしらない」


内の叔父さんは生きて帰ってきましたから、
叔母さんと同じお墓に入りましたが、
靖国に眠る人達は「この国の犠牲者」
奥さんと「奥さんも」一緒にお墓に入れないことは本当に不幸だな思います。


本来ならこういう話を本にまとめて天皇家の人達に読んで知ってもらいい、
国民の犠牲があり夏は熱中症もならず冬は凍死もしないで、
生きていられるのは日本国民のおかげだと、
天皇家は語り継ぎ孫たちも知らないといけません。


日本国民「左翼の家族の命」>天皇家の命とA級戦犯と右翼の命。


天皇の長女が国民の税金5000万円を持って民間に嫁いだことも、
世の中の冷たさや厳しさを知らないことも許せませんし、
骨の髄まで厳しさを教えてあげたいです。


犯罪者が幸せになる権利があるのか?
東條達にはひ孫もいる事も許せませんし、
天皇家やA級戦犯の家族の孫達やひ孫は、
心に重荷を背負って生きていかなければいけません。


先週テレビで放送してましたがサイパンで暮らす、
沖縄出身の民間人が崖から玉砕する姿を、
アメリカ軍がカラービデオで取っていたのを放送してました。


NHKでは「15歳の志願兵」っとおう番組では、
教師は名門一中の生徒として進んで戦場に行くべきだと語る。
「俺は、すべての夢を捨てます あらゆる人生設計を捨てます」を、
放送してました。
「この国と天皇家の犠牲者です」


日本が戦争に巻き込まれたときは右翼が積極的に戦争に行き、
左翼の大事な命を守れ!と言いたい。


SMAP  Love & Peace Inside?


みんなが平和をこんなにも
望んでるというのに
どうして争いは続くのと
話していたそのすぐ後で
些細な事でけんかを始めて
口も利かないでいるなんて
平和を望んでいる様には
とても見えないだろう

僕らの心とこの世界は
まるで同じだと気付いた
争い耐えない心がそのまま
争い耐えない世界として映るのなら

自分の心が変わればきっと
同じように世界も変わるはず
思いも寄らない方法で
世界は変えられるんだ
些細なことで争い合ったりしない
自分に変わるために
問いかけ続けよう
”Love & Peace Inside?”


お互いに大事に思うものを
ちゃんと認め合えた時
君と一緒に見た夕焼け空は
本当に美しく見えたんだ
自分を通すその為なら
君の笑顔さえ奪えるような
僕だと気付いた帰り道は
月が凍り付いて見えた

床に脱ぎ捨てたT-Shirtに
Love & Peace の文字
どんな時でも愛と平和は
気分で脱いだり着たりしちゃダメだなんだ

自分の心が変わればきっと
同じように世界も変わるはず
思いも寄らない方法で
世界は変えられるんだ
些細なことで争い合ったりしない
自分に変わるために
問いかけ続けよう
”Love & Peace Inside?”


自分の心が変わればきっと
同じように世界も変わるはず
思いも寄らない方法で
世界は変えられるんだ
些細なことで争い合ったりしない
自分に変わるために
問いかけ続けよう
”Love & Peace Inside?”


スマップ  Love & Peace Inside?
http://www.youtube.com/watch?v=rHavbV3ZSJ4


スマップ  Triangle
http://www.youtube.com/watch?v=915nyOfQ170&feature=related

みちのく様

コメント有難うございます。
予め申し上げておきますが、私は現憲法の象徴天皇制を支持しているものです。

あの大戦の時、戦争の旗印に利用されて、多くの国民の命を失うことに天皇が加担させられたことは、戦死された人のご家族にしたら、許せない感じかもしれませんが、
アメリカの様に天皇がなくても、戦争は起こし続けていることを見たら、
天皇は軍部に利用されなすったと言うのが、
本当のところなのではないかと、私は思っているのです。

それよりも天皇の下に従うという国民性が、
あの敗戦処理を滞りなく行わせることに力を発揮したから、
敗戦の日本がその後の経済成長へと邁進出来たのではないかと私は思っているのです。

明治維新のときの「勝てば官軍」ではありませんが、国民が天皇に従うという習性は、
日本人同士が無益な内乱で、混乱することを最小限に抑える働きがあるので、
日本人にとってこの習性は、貴重な習性ではないかと私は思うのです。

勿論戦国時代の様に、天皇を無視して内乱が100年も続いたことがありますから、
絶対に内乱が起きないと言う保障はないかもしれませんが、
歴史上度々、天皇の存在が力を発揮したことは事実だと思います。

今上陛下は平和主義者で、憲法に従って・・・・・と言う事を慣わしのようにして守ってくださっています。
私はこの天皇制を日本の宝として、大切に守っていくべきだと思っています。
皇室費用は、国の予算からしたら、それ程大きなものではないと思いますし・・・・・

総員玉砕せよ by水木しげる

俺の父親の父親「おじいちゃん」は神戸で3月に頃栄養失調で亡くなり、
「遺骨なし」
神戸から母親「おばあちゃん」の実家の栃木県に帰り、
戦争に負けた年の9月に亡くなりました。
「半年以内に両親亡くす」


当時9歳の父親が毎日横になって寝ている母親に、
周りが亡くなった気ずくまで団扇で仰いでいたそうです。
「9歳の子供には何時亡くなったかなんて解りませんよね」


おばあちゃんの弟が戦争から日本に帰って来て、
栄養失調で軍の病院でしばらく入院をし、
実家に帰ってきた時に姉が亡くなった事をしり、
入院をしていて何も出来なかった自分に腹がたったそうです。


おじさんはフィリピンにいて日本から無線は入ってきていて、
広島や長崎に原爆が落とされた事は知っていたそうです。


敗戦したら気が狂った他の部隊の長が罪の無い現地の人々を
殺害する命令を出しそれにしたがった部隊が、
罪の無い現地の人々を殺害するのを見た時には、
やな気持ちになったそうです。


敗戦してからはアメリカ軍に日本の兵士達はフィリピン、香港、パラオなどに、
船で振り分けられておじさんはフィリピンからパラオ本土に、
移されたそうです。


その時アメリカ軍は日本兵の名簿を持っていて、
下手な日本語で(例)山田太郎と呼ばれイエスと答え、
乗る船に振り分けられて闇雲に振り分けをしてはいなかったそうです。


「名前を呼ばれて驚いたし、
アメリカが日本兵の名簿を持っている時点で負けだった」と、
話を聞いた娘さんが言っていました。


娘さんが防衛省に調べに行った時に、
担当してくれた定年した元国家公務員の人が言っていたのは、
フィリピン、香港、パラオの小島に行った人達は、
帰ってはこれずにパラオ本土の人達だけが帰ってこれて、
宝くじに当たったぐらいに奇跡的なことですなんですよと、
教えてくれたそうです。


その担当者は日本には資源がないし食料もない国が、
海を越えて飛行機も飛んでいない時代に格アジアを日本の領土に、
しようとした事は当時の天皇や軍はバカだったんですよと、
言っていたそうです。


1年後に日本に帰ってきたのか2年後に帰ってきたのか、
それと同じ病院に入院していた遺族の人達の話を聞きたいから、
連絡先を教えて欲しいと防衛省で聞いたら、
それは厚生省でないと分からないのでそちらで聞いてくださいと、
言われたそうです。
「こういう事まで縦割り行政」


戦地に戦争中に4年間居てその後アメリカ軍に1年か2年か、
拘束され日本に帰ってきて栄養失調で軍の病院に入院してましたが、
恩給の出る対象は戦地に戦争で行っていた4年間だけで、
あとは保障がないし最初の頃に出た恩給はタバコ銭にもならない金額だったそうです。


「当時戦後の物価価値」


おじさんも23年前に病気で亡くなり、
一昨年おばさんも亡くなりました。


> それよりも天皇の下に従うという国民性が、
あの敗戦処理を滞りなく行わせることに力を発揮したから、
敗戦の日本がその後の経済成長へと邁進出来たのではないかと私は思っているのです


そうかも知れませんね。
でも戦争で兵士が無くなる時に右翼の輩が「天皇万歳」と言って亡くなるいう説は嘘だと思いますし、
お母さん、お父さんや子供の名前を叫んで死んでいくという方が正しいと思います。

みちのく様

あの戦争で、みちのくさんのお父様も酷い目に合われたのですね。
その他にもあの戦争では、言語に絶する悲惨なことが、数知れず有ったそうですね。
あの戦争に限らず、どんな戦争でも戦争と言うものは、悲惨極まりないものなのでしょうが・・・・・

今上天皇は、感受性の強い少年の頃、国が悲惨な負け戦をしていたのを、つぶさに見て育たれた所為か、並みの平和主義者以上に平和主義者でいらっしゃるように感じられます。
今後天皇になられる方が、又軍部に祭り上げられて、戦争の旗頭にされないで済むと言う保障は有りませんが、
それでも、国論が分裂して、内乱に発展する恐れが出たとき、天皇が居られる方が正統な政府であると考える日本人の習性は、内乱を未然に防ぐことに役立つのではないかと期待している次第です。

そんな事は二度と起きて欲しくは有りませんが・・・・・

少年戦記

散った戦友に 今も夢に

「パチパチ毎日殴られた」

昨年11月、千代田区の帝国ホテルで、
水木しげる88歳の「画業60周年を祝い、皆様に感謝する会」が開かれ、
ファンの作家や評論家が300人が集まった。
舞台に立った水木は、
これまでの漫画家人生を振り返っての感想を求められると、
やや唐突に言った。
「一番こたえたのは戦争ですわ。生きるか死ぬかの経験をしましたから」

戦時の思い出をひとしきり語ると、
「つい、戦争の話になってしまった」とつぶやき、笑いを誘った。
水木を3年にわたって密着取材し、
評伝を出版したことのあるノンフィクション作家足立倫行62歳は、
不思議な気持ちで眺めていた。

「ガキ大将だった少年時代も、
戦後の貧困生活も十分ドラマチックなはずなのに全然触れず、
戦争体験だけを語った。
まるで戦争だけが肥大した記憶として残ったかのよに」

「ゲゲゲの鬼太郎」などで人気妖怪漫画家は、
1942年(昭和17年)に徴兵検査を受け、
翌1943年、南方の激戦地
ニューブリンテン島・ラバウル行きを命じられた。
当時21歳。階級が1番下の二等兵だった。

戦後、数々の著作で戦争体験を期した。
1994年に刊行された「水木しげるのラバウル戦記」は、
絵と文字で日々の出来事を詳細に記録した1冊だ。
「(頼りない兵隊)だったな。あるいは”バカ”だったかもしれない」
マイペースな水木はほぼ毎日上官から殴られ、
理不尽な扱いを受けた。
ニヤニヤしやとか、歩くのが遅いとか、
殴られる理由はいくらでもあった。

最前線で約10人の部隊。
露営から数十メートル離れた海岸で歩哨に立ち、
海を見張っていた。
パラパラと小銃の音がしたかと思うと、
海面に水煙が上がった。
狙われてると知り、
「陛下にいただいた銃」を捨てて逃げた。
海で泳いだり、陸地に上がったりして軍靴はボロボロ。
数日後、海軍の基地にたどり着いた。
1人だけ助かったのだが、
水木は中隊長から思わぬ叱責を受ける。
「何でお前だけ死なずに生き帰ったんだ」
「ラバウル戦記」で次のように回想する。

「体は疲れてフラフラだったが、
一日の休養もくれない。
中隊長も軍隊も理解できなくなり、
同時に激しい怒りがこみ上げてきた」

嘘無感ばかりの毎日。
ある日、マラリアによる高熱で動けなくなっている時に爆撃を受け、
左腕をうしなってしまう。
血はバケツ一杯ほどでたという。
軍医が麻酔なしで腕の肉と骨を切り、
出血多量で気を失った。
「マラリアが再発したらおしまい」と言われたが、
奇跡的に一命ををとりとめた。
そして、負傷兵を収容作戦によって多くの若者が散った場所。
英雄的な死ばかりではない。
自決したり、ワニに食われたり、
魚がのどに詰まって窒息死する者もいた。
「ラバウル戦記」にはこうある。

「人の生き死にほど不平等なものはない。
特に、戦死したものとそうでないものの差、
これほど大きいものはない」

帝国ホテルで「感謝する会」から
約1週間が過ぎた昨年12月、
足立と再会した水木は語った、と言う。

「若くして死んでいった連中の夢を、毎日のように見るんです」
どんな夢なのか。
今、戦争を知らない世代に伝えたいことはー。
それを知りたくて、
「戦後世代にメッセージを」と求めて尋ねたが、
会話があちこちに脱線する。
時折、水木は目を閉じるようになった。
眠っているのかもしれない。
そろそろ記者が席を立ちかけた時、ぽつりと言った。

「無理に戦争を体験する必要もないですよ。
戦争というのは、パチッと殴られたようなもんですからな」


読売新聞から。


戦争体験した人間の重い言葉ですよね。


右翼の輩は旧日本軍が何1つ悪いことをしていないと嘘をつき、
戦争を美化しよとするとんでもない奴らが数多く存在します。

みちのく様

コメント有難うございます。
戦争とは理不尽なものですね。
私も、命がけで戦って奇跡的に助かった兵隊を、死に損ない扱いしていたと聞いて、驚き呆れ信じられない思いをしたことがあります。
特攻隊員として飛び立つ少年は、祖国の為にという事で、一度は命をなげうつ覚悟で戦った英雄的精神の人です。
それが予定外の理由で、死なずにすんで帰還した時、
その特攻隊員は死に損ない扱いにされて、心身ともに痛めつけられ、再び死地に追いやられたという話です。
「良くまあ無事で」と手を取り合って喜び迎えるのが、当たり前であるはずなのに・・・・・

人間を人非人にしてしまう戦争は、もう絶対にしたくありませんね。

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とりとめもなく、民主党・松原仁に関するよもやま噺の一席を、、、

終戦記念日。菅直人は先日の「談話」つながりでやはりアジア周辺国への配慮をにじませ、期せずして当日の韓国・李大統領のコメントと呼応した。その発端となった先日の「首相談話」にいち早く噛み付き、反菅勢力をあつめ、民主党の不協和音を演出した男が例の「ZIN、ジ...
  • [2010/08/15 17:04]
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