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2008.08/18 [Mon]
キャッチアンドリリースに対する嫌悪感を反省してみる
久し振りに、愚樵さんのブログを見て、こちらのエントリー「キャッチ&リリース」…ワンステップ上の余裕 を知りました。(そこで、 dr.stoneflyの戯れ言さんが、私に向けてこのエントリーを書いて下さっていた事を知りました。)
仰るようにキャッチアンドリリースの問題は、単純ではないですね。
昆虫採集だって、ザリガニ取りだって見方によれば、確かに残酷な遊びです。
これを原罪と呼ぶのかどうかは知りませんが・・・・・
只私が麻生(現)自民党幹事長が、数年前琵琶湖条令への協力を依頼された時、釣り同好会の会長として、キャッチアンドリリースという楽しみ方を止めるわけにはいかないと、琵琶湖条令に協力を断った事に対しての批判をしたかったのです。
釣りと言うのは魚にとっては、極めて残酷な事なのに、
釣っても又放してやる自分は、優しい人間であると自己欺瞞して好い気になっている釣り仲間たちの、機嫌をとっているところが、私には我慢ならいところだったのです。
浄土真宗で悪人正機と言うのは、
自分の悪の部分を認識し、これで自分は不幸になっても仕方ない者であるとか、死んだら地獄に行くより他無かろうと、自分自身に絶望している者を、救う為偉い人が考え出してくださった方便であると聞いています。
キリスト教の、原罪を神の一人子が身代わりになって償ってくださったと言うのも、同じような趣旨ではないでしょうか。
浄土真宗では、
善人尚もて救わる、いわんや悪人おや!
と言われていますが、自分の罪深さを恥じる人の方が、自分は正しく立派であると思い違いしている者よりは、マシである。
だから悪人正機(悪人が正客である)と殊更のように説かれているのだとか。
良し(葦)悪し(葦)の中を流るる阿弥陀川
なにわのことはとにもかくにも
という道歌もありますように、善悪は本来無いのだから、良いの悪いのと言う事が間違っているのだという事でしょう。
善悪というものは、本来は無いものであるから、
罪悪感に責められている者が、南無阿弥陀仏と唱えたら、それだけで極楽浄土に生まれ変わる事ができると聞かされた時、
それを素直に信じて、南無阿弥陀仏と唱え、これで阿弥陀様に救われると信じる(思う)ことが出来たときに、人間本来の自由を取り戻すことができる。
つまり救われると言う事になるのだという風に聞いています。
(ローレンツの、アンビバレンツというのも、全ての事象には両面性があるということで、正も邪も相対的なもので、本来的には善も悪も無いということではないかと、私は自分流に解釈しています。)
ですからキャッチアンドリリースには、本来善も悪も無いのかもしれません。
しかし、魚を苦しめている事実を無視して、自分は優しい、自分の善行の邪魔をするなというような立場で、物事を処理するという事は、褒められた事では無いと思います。
ましてや琵琶湖の生態系を守る為に、取った魚(主にブラックバス)は家に持ち帰ってくださいという協力依頼を、無碍に断ってまで、その偽りの善に固執するというのは人としてお粗末過ぎるし、国及び国土を良い方向に導くと言う決意で成っている筈の国会議員が、取るべき態度ではないと思ったのです。
仏教では、惻隠の情(可哀想なという思い)という言葉が有りますね。
正義かどうかではなく、そんな可哀想な事はしたくない、するな!という考え方に人々がなる時、
人は今よりずっと幸せになれるのではないかと思います。
仰るようにキャッチアンドリリースの問題は、単純ではないですね。
昆虫採集だって、ザリガニ取りだって見方によれば、確かに残酷な遊びです。
これを原罪と呼ぶのかどうかは知りませんが・・・・・
只私が麻生(現)自民党幹事長が、数年前琵琶湖条令への協力を依頼された時、釣り同好会の会長として、キャッチアンドリリースという楽しみ方を止めるわけにはいかないと、琵琶湖条令に協力を断った事に対しての批判をしたかったのです。
釣りと言うのは魚にとっては、極めて残酷な事なのに、
釣っても又放してやる自分は、優しい人間であると自己欺瞞して好い気になっている釣り仲間たちの、機嫌をとっているところが、私には我慢ならいところだったのです。
浄土真宗で悪人正機と言うのは、
自分の悪の部分を認識し、これで自分は不幸になっても仕方ない者であるとか、死んだら地獄に行くより他無かろうと、自分自身に絶望している者を、救う為偉い人が考え出してくださった方便であると聞いています。
キリスト教の、原罪を神の一人子が身代わりになって償ってくださったと言うのも、同じような趣旨ではないでしょうか。
浄土真宗では、
善人尚もて救わる、いわんや悪人おや!
と言われていますが、自分の罪深さを恥じる人の方が、自分は正しく立派であると思い違いしている者よりは、マシである。
だから悪人正機(悪人が正客である)と殊更のように説かれているのだとか。
良し(葦)悪し(葦)の中を流るる阿弥陀川
なにわのことはとにもかくにも
という道歌もありますように、善悪は本来無いのだから、良いの悪いのと言う事が間違っているのだという事でしょう。
善悪というものは、本来は無いものであるから、
罪悪感に責められている者が、南無阿弥陀仏と唱えたら、それだけで極楽浄土に生まれ変わる事ができると聞かされた時、
それを素直に信じて、南無阿弥陀仏と唱え、これで阿弥陀様に救われると信じる(思う)ことが出来たときに、人間本来の自由を取り戻すことができる。
つまり救われると言う事になるのだという風に聞いています。
(ローレンツの、アンビバレンツというのも、全ての事象には両面性があるということで、正も邪も相対的なもので、本来的には善も悪も無いということではないかと、私は自分流に解釈しています。)
ですからキャッチアンドリリースには、本来善も悪も無いのかもしれません。
しかし、魚を苦しめている事実を無視して、自分は優しい、自分の善行の邪魔をするなというような立場で、物事を処理するという事は、褒められた事では無いと思います。
ましてや琵琶湖の生態系を守る為に、取った魚(主にブラックバス)は家に持ち帰ってくださいという協力依頼を、無碍に断ってまで、その偽りの善に固執するというのは人としてお粗末過ぎるし、国及び国土を良い方向に導くと言う決意で成っている筈の国会議員が、取るべき態度ではないと思ったのです。
仏教では、惻隠の情(可哀想なという思い)という言葉が有りますね。
正義かどうかではなく、そんな可哀想な事はしたくない、するな!という考え方に人々がなる時、
人は今よりずっと幸せになれるのではないかと思います。
TB感謝です。
愚礁さんのとこでは思いがけず思索の種をいただき感謝です。
わこさんの想いはよく解ります。
政治家の欺瞞は簡単に見抜けますね。
バスフッィシャーの言い訳もまあ幼稚なものです。
浄土真宗とかローレンツとか善悪の両面とか難しいことを言われても、なかなか解りにくいのですが、ワタシの疑問は人間というのは「食べなく」ても「命を弄ぶ」ものなのだろうか? ということです。バサーは弄ぶために幼稚な言い訳をします。でも、実際にはバスフィッシングのみに限らず昆虫採集もペットを飼うのも「命を弄んで」いるのですが、何故人間はそうせずにはいられないのだろう? と考えてしまいました。「命を弄んでいる」のは人間だけですね。その人間が命を弄ぶ理由はともかくとして、
>そんな可哀想な事はしたくない、するな!という考え方に人々がなる時、人は今よりずっと幸せになれるのではないかと思います。
この結論はなかなかいいですね。好感がもてます。
FC2にもTBが通りませんので、コメント欄にて昔の関連エントリー貼ります。よろしくお願いします。
http://dr-stonefly.at.webry.info/200612/article_6.html