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竹島問題を考える(後編)

編集者が見た日本と世界の松竹伸幸さんが、竹島問題を考えるを完結されましたので、此処に収録しました。

竹島問題を考える・9  竹島は、日本、韓国、どちらのものか。これまで提示してきた材料から、どう判断できるのか。


 「難しいよね」というのが、たいていの方の考えだろう。だが、難しいなら難しいなりに、何らかの判断をしなければならない。難しいからといって、何の主張もせずに曖昧にしておくことは、はっきりいって最悪である。

 たとえば、複雑な問題だから、とりあえず、日韓どちらも一方的な措置をとるべきではない、という立場がある。道理があるように思える。


 だけど、どちらも一方的な措置をとらないままでいると、現状がこのままつづくことになる。そして、その現状とは、韓国が竹島を支配しているということだ。だから、一方的な措置をとらないということは、そういう現状を容認するということに等しい。

 もし現状がおかしいというなら、せめて抗議程度のことはつづけなければならない。現状に抗議し続ければ、紛争問題があるということを国際的にしらしめることになり、現状容認にはならない。だが、黙っていれば、現状容認なのだ。


 では、どう判断するか。

 現代の国際法法秩序のもとでは、「竹島は日本領」である。その要件は、ほぼ満たされているといえる。


 「先占」の法理からすればどうだろう。

 竹島は「無主地」だった。韓国はそうではないというが、竹島で漁をしたとか、実効支配したという記録はない。よって、先に宣言を発し、実効支配した方の勝ちである。韓国の方が先に宣言したという要素があるから、100%日本のもので、一点の曇りもないとまではいえない。だが、実効支配したのは日本だけだから、韓国は日本に勝つことができない。


 それは植民地主義の論理だろうという批判はあると思う。その通りである。植民地主義のことを考慮に入れるべきだと言ったではないかと批判されるかもしれない。

 だけど、現代国際法は、植民地をひろげてきた帝国主義国が、みずからの支配を正当化するためにつくってきたものなのである。道義的にそれがよいか悪いかという議論はあるだろうが、法的にどちらの勝ちかということになると、日本の勝ちということにならざるをえない。


 そのうえにサンフランシスコ条約である。平和条約で領土を確定するというのは、誰もが否定できない国際法の原則である。その平和条約によって、連載で明らかにしたように、竹島を自国領にしてほしいという韓国の願いは否定された。

 この条約も大国の論理だったことはいうまでもない。アメリカが、戦後のアジアで君臨するために、強力で反共の立場にたつ日本を必要とし、そのために日本支配層の希望をいれて条約をつくったのである。だが、くり返すが、それが国際法である。


 韓国は、サンフランシスコ条約に署名したわけでないから、もし不満だったら、それに抗議するという意思を表明するなり、なんらかの行動をとることができたのである。そうすれば、サンフランシスコ条約に重大な不備があることが天下の事実となり、竹島は日本領だということの法的な正統性にも疑問符がついただろう。

 ところが、韓国は、そういう表明は一度もしていない。条約で竹島は韓国領になったという態度をとってしまったから、条約がおかしいという表明をしようがなかったのだけど。


 これが現代の国際法秩序である。もしかりに、竹島問題が国際司法裁判所で審理に付されることになれば、韓国には勝ち目がない。

 だが、しかし、である。そんな主張を、どんなに声高に叫んでも、竹島問題を動かす上では、何の意味もない。竹島は韓国が実効支配していて、それがおかしいと主張しているのは日本だけで、どうがんばっても事態が動きそうな気配はない。


 韓国の領有権主張にも、根拠がないわけではなく、韓国を支持する声もある。とりわけ、植民地主義の被害にあったたくさんの国々は、韓国に同情的である。帝国主義がつくった国際法を根拠にしても、国際世論の多数を味方につけることはできないわけだ。サンフランシスコ条約をつくったアメリカでも、いまでは、韓国を支持する意見が強い。

 打開する道はふたつしかない。軍事力で奪い返すか、韓国の心をつかむか。どちらかだ。



竹島問題を考える・10
 日本にとっての法的道理をいくら主張しても、現実に韓国が竹島を占有しているのだから、事態は動かない。韓国を批判することが目的で、日本の世論を沸騰させることでよしとするなら、それでもいいだろう。だが、目的が竹島問題の解決にあるのなら、別のアプローチを考えねばならない。


 そもそも、領土問題というのは、複雑な要素が絡み合っているから、ただ法律をそのまま適用するだけでは解決しない。いろんな政治的アプローチがないとだめな分野である。別の事例で考えてみよう。

 たとえば、竹島は日本のものだと強固に主張している人の多くは、北方領土(千島)も日本のものだと考えているだろう。だが、厳密に法的な道理でいうと、日本が北方領土の領有権を主張できる法的根拠はうすい。なんといっても、竹島の日本領有を明確にしたサンフランシスコ条約で、日本は千島を放棄しているのだから(しかも明示的に)。


 竹島問題ではサンフランシスコ条約を使い、千島問題ではこの条約を無視するのでは、あまりにも道理がない。けれど、条約には根拠がないとしても、政治的に意味のある主張なら、領土交渉を進めるうえで、十分に根拠は生まれてくる。外交交渉とはそういうものである。

 たとえば、日本政府は、国後、択捉は一度もロシア領になったことはなく、一貫して日本が領有していたという歴史的事実を重視する立場だ。サンフランシスコ条約で放棄した千島の中には国後、択捉は含まれないという政府の主張は、あまりにも道理はないが、歴史的事実を強調することは大事である。


 第二次大戦に際し、連合国が「領土不拡大」の政治原則を打ち出したということを根拠にして、その原則に反した条約は認められないのだという立場を主張する人々もいる。これも、法よりも政治の原則を優先させる立場である。

 「領土不拡大」の政治原則は、戦後、法的原則にまで高められていく。いまや、戦争で勝利したからといって、領土を獲得するなどということは、どこからも支持を得られない。大事な主張だったのである。


 いずれにせよ、以上のことを考えると、韓国側の領有権主張に対し、法的に竹島は日本のものだと主張するだけではだめなのだということがわかる。植民地時代の法であっても法は法だというだけでは、かみ合ってこない。相手の心を動かせない。

 では、どうするか。韓国側の主張である植民地主義の問題について、つっこんだ検討が求められる。


 まず、植民地主義の合法性というものが、少しずつ揺らいでいることを直視しなければならない。もちろん、植民地をもつこと自体の合法性は、1960年に国連総会が発した植民地独立宣言などにより、すでに崩れ落ちているが、植民地支配をしてきた大国は、かつて植民地支配していたことまでは無法ではなかったという立場である。以前は合法的だったけれど、いまでは不法になったので、こんごはやらないということだ。かつての行動を反省したわけではない。しかし、その主張が、だんだん通用しなくなっている。

 2001年、南アフリカで開かれたダーバン会議で、各国政府、NGOが議論した。その結果として採択された政府間宣言では、植民地主義などがもたらした犠牲について、「それらが非難されなければならない」ことが確認された。さらに、「進んで謝罪してきた国家や、適切な場合には、補償を支払った国家があることに留意する」ということも盛り込まれた。


 この会議のNGO宣言では、植民地主義が人道に対する罪であること、犠牲者に賠償を行うことが触れられた。政府間宣言は、そこまでは到達していないが、これから、次第にそういう流れが定着していくことは確実である。

 領有権を規定する国際法も、歴史の産物である。帝国主義の初期、スペインなどが先行していたときには、「発見」が領土獲得の法であった。ところが、スペインに実力でまさるイギリスなどが台頭してくると、スペインが「発見」した土地を自分のものにできないというのは不合理だということで、宣言した上で実効支配するという「先占」が国際法の原則になったのだ。実力が法をつくってきた。


 そして、そういう考え方は、もはや現代では通用しない。そうなると、かつて、その考え方で獲得した領土のありようについても、現代の価値観にはふさわしくないという反省がわき起こり、新たな考え方が生まれることだって、十分にあり得る。

 日本が、そういう立場にたつとするならば、国際法の形成、発展の上で、大きな意味を持つ。領有権の主張において、植民地支配された国の主張に耳を傾け、譲り合うことが、国際法と国際政治の前に進める場合もあるということである。


 同時に、私は、日本の韓国支配というものが、欧米列強による植民地支配というものとは、かなり異質だという考え方を持ってきた。そして、そこにこそ、韓国による日本批判がやまない原因があると思っている。次回はそのことである。

竹島問題を考える・11  「無主の地」は、先に領有を宣言し、実効支配したものとなるという「先占」の論理。国際法の考え方。


 これは、本当にその「地」が「無主」であるなら、まだしも正当化できないわけではない。実際に誰のものでもない場所なのだから、分け合うにしても、何らかの基準は求められていた。

 実効支配という考え方がなかった列強以外の国にとっては、「あの島は航海の際にいつも目印にしていたから、自分たちのものだ」という考え方もできる。だから、自分たちの知らない間に勝手に基準が決められたことは、はなはだおかしいことではある。でもやはり、「先占」は、ひとつの論理ではあった。


 しかし、重大なことは、この「先占」の考え方は、「無主」ではない地にも、野放図に拡大されたいったことだ。アフリカ、ラテンアメリカ、そしてアジア。西欧列強は、これらを「無主の地」だとして、先を争って進出し、実力を行使して実効支配してきた。

 「無主」という言葉は便利なもので、人は住んでいてもかまわないのだ。「主」がいないなら植民地にしてもかまわない。


 インドなどには、明確に「主」はいたはずだ。それなのに、なぜ、列強は植民地の対象とみなしたのか。それは、自分たちの基準からみた「主」ではなかったからだ。列強にとっては、自分たちと同じ国家体制をもつ国だけが、国際法の主体となれるのであり、よくわけのわからない場所に住み、異なった政治体制をもつ国は、ただの「野蛮」でしかなかった。

 こうして、瞬く間に、植民地は拡大していった。そして、 さらに進んで、中国とか、韓国を対象にする時代がやってきた。


 そのとき、日本も、欧米列強の仲間入りをねらう。自分も植民地をもとうとした。そして、韓国を手に入れるのである。

 しかし、よく考えてほしい。


 西欧列強にとっては、アジアやアフリカの広大な地域は、たしかに自分たちが踏み入れたことのない地域であった。そこの政治や宗教、民族も、まったくなじみのないものであった。植民地として支配することに、何の躊躇もなかったであろう。彼らにとっては、韓国も中国も、その他の植民地と同じ位置づけであったはずだ。

 ところが、日本にとっての韓国は、それとはまったく違っていたはずだ。何千年にもわたり、隣国として、共存してきた。もちろん、戦争することもあったが、文明という点でもお互いに交流し、吸収しあってきた。


 要するに、日本と韓国の関係は、ヨーロッパ内の国と国の関係のようなものだった。ヨーロッパのなかでは、ある国が別の国を「無主の地」だとして植民地にすることはない。当たり前だ。そういうことができる関係ではないのだ。

 しかし、日本は、そういうことができる関係ではない韓国を、ヨーロッパの立場にたって、植民地として支配した。当時の国際関係にあっても、そういう関係にある国を植民地にしてよいのかと言うことは、疑問が寄せられていい問題だったと思う。


 韓国にとっても、日本に支配されたことは、格別の問題だった。アフリカなどの人々にとっては、見ず知らずの白人がやってきて、見たことのない強大な武器で追い立てられ、自分たちにはかなわない相手に支配されたことだ(その不法性が、きのう見たように、いまようやく問題になっているが)。けれども、韓国の人にとっては、ずっと隣国で、喧嘩もしながら共存してきた知り合いが、突然、支配者としてやってきたのだ。その驚き、屈辱は、並大抵のものではなかった。

 日本政府は、韓国に対する植民地支配について、当時は合法だったとか、ヨーロッパも同じことをやったと、口癖のようにいう。ヨーロッパが反省していないのに、なぜ日本だけが反省を迫られるのかわからないと、本当に困惑している様子だ。


 だが、違うのだ。ヨーロッパがやってきてアジアを支配したというのとは、まったく違うのだ。そこを自覚できないから、根本的、本質的な総括ができず、いつまでたってもまともな関係が築けないのである。

 竹島については、本当に「無主の地」だったと思うから、日本領であることは、植民地主義の法体系で説明がつく。しかし、それとは別に、韓国に対する植民地支配の問題には、根源をえぐるような総括が必要だ。それだけの総括ができれば、心を開いた議論が可能になり、竹島問題でも冷静な議論が可能になると、私は考える。

竹島問題を考える・完  これまで、原理、原則のようなことを書いてきたが、最後はべつの話である。韓国とのあいだで竹島問題の交渉をすすめるにあたって、何を優先させるのかということだ。

 竹島の領有権を法的にどうとらえるかとか、植民地支配をどう考えるかとか、それらは大事なことではある。だからこそ、これまで11回も連載してきた。


 だが、私は、原則を貫いたが、国民の利益は損なったというのでは、政治の役割は果たせないと思う。具体的にいえば、この問題で優先的に考えるべきなのは、竹島周辺で漁業をしたいと願っている漁民の利益だと考える。

 いまに連なる竹島問題の発端は、2005年の島根県議会による決議である。98年に締結された日韓漁業協定では、竹島周辺で漁業できることになっているのに、それが保障されず漁民は困惑していた。


 それを何とかしてほしいという漁民の陳情を受けた島根県議会は、漁業問題それ自体には手を付けなかった。そうではなく、領有権の問題にしてしまったわけだ。

 領有権を脇に置いて漁業協定をつくったのに、領有権が問題だと言われたのだから、韓国が反発したのはいうまでもない。そのまま事態がこじれ、現在に至っている。


 その経過を指摘すれば、思い出してくれる人もいると思うのだが、98年の協定はそれなりに意義のあるもので、それが守られていれば、いまのような状況にはならなかったのだ。この協定は、竹島の領有権の問題は脇に置いている。そして、隠岐と鬱陵島との中間線を引き(竹島はないものとして)、周辺海域を両国が漁業できることとした。竹島を軍事占領し、実効支配している韓国にとって見れば、最大限の譲歩だったといえる。

 それまで、韓国は、軍事政権である李承晩が引いたライン(竹島を囲い込んだ)に固執していた。だが、韓国では、民主化が進むにつれて、過去の軍事政権による所業への批判もすすむ。


 だって、日本が軍事力にものを言わせて竹島を占有したことを批判してきたのに、その日本と同じような手段で竹島を実効支配したのだから、韓国にだってあまり道理はなかったのである。そういうなかで、金大中大統領は、この日韓漁業協定の考え方に賛成したのだ。現実味のある解決策だった。

 ところが、その後の日本は、韓国や中国を批判して人気を得ようとする小泉首相の時代になる。日本の世論も、とにかく行け行けである。竹島問題でも、日本が正しいの一点張り。相手の考え方に耳を傾けるという姿勢はなくなる。


 韓国側も反発し、竹島周辺での海軍の活動を強める。だから日本の漁船は不安を感じる。操業が難しくなる。そうして、島根県に働きかけたら、漁業問題として対策をとるのでなく、小泉さんに呼応して、ここぞとばかり領有権の話にする。

 漁民は、自分たちが安心して操業したいのである。ところが、小泉さんも、島根県議会も、漁民の願いに応えることはなく、韓国バッシングで溜飲を下げる。



 これはもう政治ではない。原理原則をふりまわして、国民の利益をおざなりにするのだ。


 この時期に失ったものは大きい。回復に何年かかるのかわからない。

 だが、回復するしか、漁民の利益を確保する手段はない。領有権問題の日本の主張をするなというのではない。この連載でも明らかにしてきたように、主張すればいいのである。


 だが、いちばんの問題は、漁民の利益にあるということを、外交交渉の当事者は頭に置いておく必要がある。領有権を主張するにしても、落としどころは漁民の利益にあることを忘れず、この主張でいいのかとか、どういう態度をとるべきかを考え、行動するべきなのだ。

 竹島問題の全経過を知りつつ、そういう戦略をもっている政治家は、いったいどれだけいるのだろうか。皆無に近い。悲しいよね。


 竹島問題の全貌が正確にわかる本もない。一方的な主張だけが本になっている。誰かに書いてもらいたいと思っているのだが、なかなかわかっている人がいないし、わかっている人でも、ことを荒立てず黙っておくべきだという人も多い。私は、韓国語がわからず、原資料にあたれないから、ブログ程度なら書けるが(ブロガーに怒られるかな?)、本は書けない。

 なかなか先の見えてこない問題である。





*Comment

 

松竹伸幸氏の竹島問題を考えるシリーズを興味深く読ませてもらいました。こちらでも紹介させていただきます。
  • posted by やっしゃん 
  • URL 
  • 2008.08/05 18:54分 
  • [Edit]

やっしゃん様 

有難うございます。
私は只写しただけなのですけれど・・・・・
  • posted by わこ 
  • URL 
  • 2008.08/05 19:27分 
  • [Edit]

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  • Author:わこ     
  • 和の国 日本に
    生を受け
    馬齢を重ねて
    六十余年の
    瀬田川の畔に
    住まう
    名も無き
    嫗でございます。


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