Dendrodium 竹島問題を考える(松竹伸幸氏 連載のもの)
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竹島問題を考える(松竹伸幸氏 連載のもの) 

松竹伸幸さん(編集者が見た日本と世界)が書かれた、竹島問題のシリーズを、写させていただきました。(2008年7月15日~7月26日)

竹島問題を考える・1  昨日、日本政府は、中学校の新学習指導要領の解説書に、竹島問題を記述することをきめた。直接に関係する全文は以下の通り。

 「また、我が国と韓国の間に竹島問題をめぐって主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である」

 「解説書」とは、法的な拘束力はないが、教科書会社などが指針としており、現場での指導にも一定の影響力があるとされる。このもつ意味は少なくない。

 今回の措置をめぐって、賛否が入り乱れている。争いのある問題で日本側が一方的な措置をとるべきでないとする議論もある。ところが、すでに韓国側は一昨年の学習指導要領の解説書で、韓国領土なのに日本側が異議を示していることを明記しているという。韓国側の措置の際には問題にしないで、日本側の措置だけを批判するのは、あまり公正だとはいえないだろう。

 私としては、あれこれの措置に賛成するかどうかというよりも、竹島問題が複雑な性格を有することを、広く知らせ、議論していくことが大切だという立場だ。複雑だからといって腫れ物に触るようにあつかうのでなく、逆に、複雑だからこそ、徹底的に問題を解明する必要性を感じる。

 だから、解説書に書かれたように、「(日韓で)主張に相違があること」、なぜそういう相違が生まれるのかを明らかにすることは大切だと感じる。議論しないのも問題外、日本に領有権があるということだけを一方的にまくしたてるのも問題外で、冷静に、お互いの主張を紹介し、議論すべきなのである。

 ということで、きょうから、竹島問題の連載を開始する。とはいっても、私の目の前には竹島問題のたくさんの資料があるけれども、まだ目を通していないものもある。いつか読んだ上で書こうと思っていたのである。そのうえ、このブログで連載をふたつかかえていて、そのうちのひとつは、ブログには一部しか載せず、全文は本にしようというもので、はっきりいって忙しい。もちろん仕事の方がもっと忙しい。

 でも、竹島問題も、こうやって世論が盛り上がっている時期に書くことが大切だ。よって、勉強をしながら、少しずつ書いていこうというのが、今回の連載である。10回では終らないだろう。
 
 ところで、竹島問題を論じる前提なのだが、ある土地がある国の領土かどうかというのは、何を基準にしてきめるのだろうか。

 ひとつは、その土地が、実際にある国によって継続的に使用されてきたかどうかである。法律用語では実効支配という。

 幼稚な例で申し訳ないが、たとえば、四国が日本の領土であることは、誰も疑わない。それは、四国に日本人がずっと住みつづけ、逆に、他国の支配はまったく及んでこなかったという事実が、誰の目にも明白だからである。けれど、世界の土地のなかには、そう単純ではない土地が少なくない。

 しかも、そういう基準だけでは明白でない場合がある。誰も住んでいない土地の場合である。そういう場合、国際法では、「先占」という考え方で処理してきた。主のいない土地は、自国の領土であると先に宣言し、支配した国のものになるという考え方である。連載のなかでふれるように、これは植民地支配をひろげようとした帝国主義諸国が生み出した考え方であり、問題はあるのだが、主流の考え方でもある。

 竹島問題を考える場合にも、以上のふたつの基準にてらし、事実関係を吟味する必要がある。

 しかし、竹島問題は、それだけでは解明できない。第2次大戦後、サンフランシスコ条約で、日本の支配がおよぶ地域をどこまでにするかが議論されたが、竹島問題もそのなかにふくまれていたからだ。

 竹島問題を考えることは、国際法を知ることでもある。同時に、植民地支配をめぐる問題を知ることでもある。法をゆがめる政治の存在を知ることでもある。

竹島問題を考える2
 竹島問題をめぐる日韓の応酬がはじまったのは1952年にまでさかのぼる。この年は、日本の独立をきめたサンフランシスコ平和条約が発効した年である。


 サンフランシスコ条約が発効するまでは、竹島は、日本の行政権から分離されていた。アメリカによる日本占領が開始された直後、占領軍は、「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」という指令を発していた(1946年1月)。その分離地域に竹島が含まれていたのである。

 サンフランシスコ条約が発効すると、アメリカの日本占領も終了し、覚書の効力もなくなる。それを見越した韓国政府が、竹島を含む朝鮮半島周辺に自国の主権のおよぶ海域を宣言したのである。これがいわゆる李承晩ラインである。


 それに日本が抗議し、両国政府が何回か書簡をやりとりしたが決着がつかない。そこで、日本側は国際司法裁判所に提訴することを提案したが、韓国側が拒否した。その後は、韓国が竹島に軍事要員を常駐させることになり、そのままの状態が現在までつづいている。

 韓国側の見解のなかには、占領軍の覚書をもって、竹島は日本領からはずされ、韓国領であることが明確になったとするものもある。しかし、この覚書は、竹島だけでなく、伊豆諸島とか歯舞・色丹(千島列島ではなく北海道の一部であった)までをも日本の行政権からはずしており、領土を確定するものとしては問題の多いものであった。


 実際、領土を確定するのは平和条約によってであって、占領軍にはそのような権限はない。当該覚書も、「この指令中の条項はいずれも、……諸小島の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない」と明記している。

 だから、竹島問題を明確にするためには、連載1回目でのべたように、領土の決定に関する基本的な考え方にそって、両国の見解を精査する必要がある。そのなかには、サンフランシスコ条約の解釈も含まれる。


 両国の見解は、前出の書簡のやりとりによって明確にされている。したがって、その書簡にもられた見解を検討することが、もっとも重要な作業となる。

 同時に、このやりとりは50年代のものである。その後、日本側と異なり、韓国側は、官民総出で竹島問題の資料をあつめてきた。独島(韓国による竹島の呼称)学会という研究組織もつくり、見解を明らかにしてきた。よって、韓国側の見解には、それらも含まなければならないだろう。政府の見解かどうかはわからないのだけれど。


 ということで、次回は、20世紀以前の時期、両国のどちらかが竹島を実効支配していたとまで言えるのか。その検討からはじめよう。結論からいえば、どちらも実効支配していたと主張するのだが、どちらも決定的なものではないのであるが……。

 ところで、きのう、息子が通う高校であった話。1学期の終了式で、校長先生の話があった。ものごとを一面的に見てはならないという崇高な話をして、その直後、竹島問題に移り、サンフランシスコ条約で日本の固有の領土になったことは明白だと言ったという。息子の周りでは、「ウヨクだ」とか「一面的に見てはならないという話と違うじゃねえか」と、大いに話題になったそうだ。高校生は健全だ。


 学習指導要領の解説に載ったということで、上昇志向の校長先生方は、すごく張り切っているんですね。でも、学習指導要領解説では韓国側の異論も説明しないとだめだということになっているのだから、校長先生の話は学習指導要領違反なんですよ。竹島問題を説明した上で、そのことを息子に言ったら、大受けだった。でも、困ったものですね。


竹島問題を考える 3
竹島問題というと、いま日本の新聞で領有の根拠として出てくるのは、1905年に島根県が編入したというのが主流である。韓国の側も、その5年前に、似たような措置をとったのであるが、それは日本ではあまり紹介されない。


 ただ、その議論はもっと後にする。20世紀になって、日本や韓国がそうい措置をとったとしても、それだけが領土を決定する基準になるわけではない。そういう措置は、連載第1回目にのべたように、だれのものでもない土地についてだけ有効なのである。もし、それ以前から、竹島が日本か韓国かの領土であることが明白であれば、いくら宣言をしても、それは無効である。

 ということで、日本も韓国も、19世紀以前から竹島が自国のものだったということを、いろんな資料で論証しようとしている。それを紹介しよう。


 まず日本側である。

 日本は、江戸時代から、現在の竹島の存在について認識し、ある程度の経営をおこなっていた。じつは、朝鮮半島の近くに韓国領である鬱陵島があり、ずっと韓国領であったのだが、韓国はこの島を無人にする政策をとっていたこともあり、米子に住む人びとが、17世紀前半から数十年にわたって利用していたのだ。幕府の渡航許可を受け、鬱陵島に渡航して、竹などの伐採、アシカ漁、アワビの採取などをおこなっていたのである(いちばん古い幕府の渡航許可は1618年)。


 竹島は、鬱陵島に行く途中にあったため、当初は航路の目標となり、後には漁場としても利用されていた。それらの記録は、渡航した藩の文書としても残されている。たとえば、1695年の鳥取藩池田家から幕府にだした返答書などである。


 ただし、元禄年間に、日本人が鬱陵島で朝鮮人と出会い、それをきっかけにして日本と韓国の間で交渉がおこなわれた。その結果、日本は鬱陵島が韓国領であることを認め、渡航を禁止する(1696年)。

 その交渉の主題となったのは鬱陵島だけであり、竹島は対象外であった。伯耆の池田家の文書(1724年)のなかには、竹島のきわめて正確な地図ものこされている。竹島をただながめていただけでなく、実際に利用していたことが、それらでわかるのである。1801年の『長生竹島記』などにも記述がみられる。


 ただ、その時期、ほとんど竹島に渡航はしなかったようである。主要な漁場は鬱陵島だったのであり、ただ竹島だけに行くのでは、十分な収入が得られなかったのである。
 こうして竹島に対する知識が曖昧になるなかで、明治10年(1877年)、政府は、鬱陵島だけでなく竹島についても、「本邦とは無関係」と指示したこともある(『太政類典』2編96巻19)。

 つまり、実態的には、竹島を日本領だと主張できるだけの歴史的な根拠をもってはいたのだ。だが、明治政府は、法的にその領有権を返上するようなことをしてしまったこともあるということ。


 では、韓国側はどうか。それが次回のテーマである。

竹島問題を考える 4
では韓国側の歴史的な領有権主張はどんなものだろうか。


 時期をみると、日本側より、かなり昔から韓国の領土であったとする。その例証として、往復書簡で韓国政府があげたのは、『世宗実録地理誌』(1454年)、『新増東国輿地勝覧』(1531年)などである。往復書簡の後、韓国内では、1145年の『三国史記』を根拠に、西暦512年から韓国領になったとする主張もある。

 その後の時代でも、いろんな論拠が示される。代表的なのは安龍福の記録である。前回、元禄年間に、鬱陵島で朝鮮人とであったことをきっかけに、鬱陵島への渡航を禁止したと書いた。その朝鮮人は民間人である安龍福というのだが、1693年に日本に連れてこられ、すぐに送還されたが、96年に隠岐にふたたびあらわれた。その経緯が、韓国側の正史である『粛宗実録』に書かれている。


 それによると、安龍福は、まず鬱陵島に来た日本人に対し、ここが韓国の領土であると宣言したという。その後、竹島に行って日本人に抗議し、隠岐にまであらわれたという。

 このように、韓国側の主張は、日本とくらべ、時期も古い。具体性もあるように思われる。


 ただ、まず古い記録についていうと、韓国側が示す書物に載っている当該の島が、本当に現在の竹島なのかということが十分には証明されていない。韓国は、現在、竹島を「独島」と呼んでいるが、古い記録ではそのような名前ではない。「于山島」とか「三峰山」というのだ。

 だから名称は違っても、それが「独島」であると証明されなければならない。そこで、記録には「晴れた日には鬱陵島から見える」と書かれているなどの記述をもちだし、それらで証明しようとするわけである。そして、たしかに「独島」は、その必要条件を満たしている。しかし、十分ではない。なぜなら、晴れた日に見える島は「独島」だけではないし、それらの島ではなくて「独島」だということは、まだ証明されていないのである。


 安龍福の記録も大事である。だが、安龍福にかかわる日本側の記録では、竹島の帰属をめぐって日本側と争ったという形跡はない。そもそも安龍福は民間人であるから、日本側と交渉するために来たわけではないし、日本側もそうみなしていなかった。だから、韓国側の記録に残っているといっても、その価値はあまり高くないという面もあるのである。

 ということで、過去のいろんな記録をもってきても、決着はつかない。日本側も韓国側もそれなりの証拠を出してはいるが、決定的なものはない。


 そもそも、決定的な証拠があるなら、その後、島根県に編入しただとか、皇帝の勅令があるだとか、そんなものをもちだす必要はないのである。別の証拠が必要になったということ自体、過去の記録では、竹島の帰属についての結論は出ないのだということを証明している訳である。

 こうして、どちらの帰属か明確でないまま、1900年前後の話になる。世界の帝国主義が植民地を獲得しようと競い合っていた時代である。アジアでもそのような時代が訪れようとしていた。次回以降、その話になる。

竹島問題を考える 5 さて、1900年以降の争いである。まず日本側。

 1904年、島根県在住の企業家が、政府に対し、竹島を領土に編入するよう願い出た。その頃、アシカ漁がさかんになり、竹島がそのための絶好の場所であることを知った企業家が、竹島を貸し下げてもらうために、日本領であることを明確にしてもらおうと思ったわけだ。


 それを受けて、1905年、明治政府が、竹島の領土編入を閣議決定した。閣議決定を受けて、政府が島根県知事に告示を訓令し、県知事が竹島が島根県の所管であることを告示したわけである。

 その後、この告示にもとづいて、実際に日本人がアシカ漁をはじめ、竹島を実効的に支配してきた。日本政府は、これらの事実をもって、国際法上の「先占」の要件を満たしていると主張している(「先占」については、連載の第1回を参照)。


 これらの日本の主張に対し、50年代の往復書簡によって、韓国側の反論がなされた。日本側も再反論する。それをいくつかに整理する。

 ひとつ。「先占」とは、主のいない土地(無主地)についてだけ適用されるが、竹島は以前から韓国領であったので、無効であるとするもの。これは、前回までの連載で書いてきたが、私としては、韓国領であったとまでは言えないという立場である。より厳密にいえば、安龍福にいたるまで、竹島に行ったとか、漁をしたとか、そういう具体的な記録は、韓国側にはない。日本領であったとも言えないが、日本側の主張の方が、少しは分がある。


 ふたつ。島根県という一地方自治体の告示では効力がないし、また、韓国側はそれを知らされなかったので、問題にしようがなかったというもの。ここには複雑な問題があるが、日本は、それまでも自治体の告示で編入を実施してきた実績があるし(南鳥島)、編入を海外に告知する必要がないことについても、過去に先例がある(1928年のパルマス島事件や1931年のクリッパートン島事件にかんする仲裁裁判の判決)。

 なお、韓国側は、反論の過程で、竹島を編入したと聞いた鬱陵島の官吏が、知事に対し、「韓国の領土である独島が日本に編入された」との報告をあげている(1906年)と指摘した。これは、一方では、韓国が独島を領土だと考えていたという点で、韓国側にとって有利な材料である。他方、ただの報告のとどまり、その後、韓国側から抗議などなかったことは、韓国側の弱点になる。


 みっつ。いまのべた抗議がなかったということとの関わりである。いちばん根本的なものであるが、当時の韓国は、日本によって植民地支配される過程にあり、抗議しようにもできなかったというものだ。

 もし、韓国側が抗議し、竹島が紛争地であることが明白になっていれば、その後の事態の進展は異なっていたと思われる。紛争地であるならば、実効支配のためにいろいろな措置がとられたとしても、そういう措置は、裁判で争った場合、無効な措置だとみなされるのである。1905年の告示以降、いくらアシカ漁で竹島に日本人が渡航しても、領土の決定の上では何も役立たなかったということになる。


 しかし、竹島の編入が告示された1905年の直前(1904年)には、第1次日韓協約で、韓国の外交権を剥奪していたから、韓国にとっては、外交上の措置をとることが難しかった。それは明白な事実である。

 だが同時に、そういう状態にあったから絶対に抗議できなかったというと、そういうことはない。実際、1907年に、韓国皇帝は、ハーグで開かれていた万国平和会議に密使を送り、日本の支配に抗議し、韓国の独立を訴えている。そこまでしながら、竹島のことは、抗議の内容に含まれていない。おそらく、自国の領土だと認識していても、それほどまでする重要性は認識していなかったのだと思われる。


 以上は、50年代に明白になっていたことだが、その後、韓国側の主張を裏付ける新たな資料が発掘された。明日は、それをめぐる問題だ。

竹島問題を考える 6韓国政府は1900年、勅令第41号を公布した。そのなかで、鬱陵島、石島、竹島をひとつの郡にするということが定められた。韓国の学者は、ここでいう竹島は鬱陵島のすぐとなりにある別の島なのだが、「石島」が「独島」、すなわち日本でいう竹島だという説を唱えている。


 この勅令は、50年代の往復書簡のなかで、韓国政府はもちださなかった。価値がないと思って持ち出さなかったのか、当時は韓国政府が知らなかっただけなのか、それはわからない。

 ただ、日本が編入したとする1905年よりも早く、しかも島根県の告示どころか、皇帝の勅令というのだから、大騒ぎになった。決定打のように思われた。


 「石島」がなぜ「独島」だと断言できるのか。それまでの文献に出てきた「于山島」とか「三峰島」という名前の島は、はっきりいって「独島」だとする根拠が薄かったが、「石島」はどうなのだろう。

 「石島」が「独島」だとする明白な証拠は、まだ出されていない。唯一の「証拠」は、「独島」が石でできているという事実である。「晴れた日に見える」という島は、「独島」以外にもあったが、石だけでできている島は「独島」以外にはない。また当時、韓国の新聞などでは、鬱陵島のはるか向こうに、石でできている島があるという記述もある。そういう歌もあるという。


 このような証拠が積み重なり、「石島」が「独島」であることが証明されれば決定的なことになりそうだ。日本より前なのだから、「先占」を重視する現代国際法のなかで、重要な意味をもつのである。

 ただ、問題もある。


 「先占」という行為は、ただ「先」に自分の領土だと宣言すればよい、というものではない。そんなことになれば、どこか遠くにあって、自分では到達できないような土地があったときでも、「それは自国のものだ」と宣言すれば、それだけで早く宣言した国のものになってしまうことになる。

 それは理不尽だということで、「先占」というのは、ただその土地が自分のものだと宣言すればよいということにはなっていない。宣言したうえで、実効的に支配することが大事なのである。


 そういう角度で見ると、韓国は、1900年に「独島」を自国領土だと宣言はした。しかし、その後、「独島」を自国領土として支配するための行為は、何らおこなっていない。1905年以降、日本がおこなったようなアシカ漁を許可するとか、そんな行為のことである。

 だが、それをいうと、やはり「日本が植民地支配を拡大する過程のことだったのだ」、「軍事的に圧迫され、独島まで支配が及ぼせなかっただけだ」というのが、反論として出てくる。それはそうであろう。


 だから、この問題を考えるうえで、植民地支配という問題をどう考えるかが、決定的な要素になる。

 ということで、植民地支配にかかわることに論をすすめたいのだが、その前に、日本の占領からサンフランシスコ条約にいたる問題に言及しておく。その問題も、植民地支配ということにかかわるのだ。だから、植民地支配の問題は、最後にまとめて論じたい。

竹島問題を考える 7
1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し、戦争が終了した。アメリカを中心とする連合国軍対が日本を占領した。


 戦争が終了した後、交戦国同士では、平和条約が結ばれるのが通例である。平和条約によって、戦争終了を法的に確定し、そのための条件を定めるわけだ。賠償はどうするとか、敗戦国の軍隊をどうするのかとか、そんな条件である。その条件の一つに、領土の確定がある。

 だから、日本との平和条約(サンフランシスコ条約)がどういうものになるかで、竹島の帰属も明白になる。日本も韓国も、竹島をめぐって、はげしい争いを演じることになる。日本の左翼はサンフランシスコ条約がきらいだから、この条約にまつわることをことさら無視しようとするが、そういう立場は間違いである。それ以前にどういう経緯があろうとも、法的には、平和条約で領土が確定する。


 では、この条約では、竹島問題はどうなったのだろうか。関係する条文は以下の通りである。

 「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限及び利益を放棄する」


 竹島の帰属について、何もふれていないわけだ。それは何を意味するのか。

 韓国は、日本が占領されていた時期に、占領軍が竹島を韓国のものだと認めたから、わざわざ平和条約に規定しなくてもよかったのだという立場である。


 その根拠になっているのが、一つは、連載の第一回目にふれた占領軍の指令(677号)である。もう一つは、その5カ月後に出された指令(1033号)だ。これは、日本が漁業に使ってよい海域を定めたものであり、「日本の船舶は竹島から12海里以内に近づいてはならない」とされていた。

 さらに韓国は、第二次世界大戦における連合国の基本文書も、繰り返し持ち出している。たとえば、1943年のカイロ宣言は、日本が第一次大戦以降に奪取した領土を剥奪することを呼びかけていること、「日本国はまた、暴力及び強力によって奪取したその他の全ての地域から駆逐される」としていることなどである。それらの規定をもって、竹島を「暴力と強力で奪取した領土」に該当するというのが、韓国の立場である。


 一方、日本は、それに対して全面的に反論している。

 連載の第1回目でも紹介したが、指令677号は、領土の確定には影響しないとされていた。それは、指令1033号も同じである。また、カイロ宣言で「暴力と強力で奪取した領土」と規定されているのは確かだが、竹島は暴力で奪取したものではないというのが、日本政府の反論である。


 竹島が暴力で奪取したかどうかというのは、竹島が韓国領だったかどうかにかかわる。韓国領だったのであれば、実際に戦争という手段がとられていなくても、外交権を剥奪するような実力を背景に日本が領有したわけだから、韓国側の主張にも理があることになる。ただ、何回もいったように、竹島がそれ以前に韓国領だったとまではいえないというのが、私の立場である。

 ところで、サンフランシスコ条約に竹島のことが規定されていないからといって、その問題の決定が回避されたわけではない。そこで次回は、どういう議論をへてこの規定ができあがったのか、その経緯をみてみよう。

竹島問題を考える 8はっきりいって、竹島の領有権について、連合国はあまり関心がなかった。だって、1900年までは日本と韓国でさえ、領有のための積極的な措置をとっていなかったほどだ。だから、条約をつくる過程では、いろいろな「ゆれ」がある。


 アメリカがつくった条約草案(51年3月)は、以下のようなものだった。

 「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限及び利益を放棄する」


 つまり、確定した条約と同じだ。アメリカがつくった草案が、そのまま承認されたのだ。

 韓国は、条約ができた後では、前回紹介したように、この条文自体が竹島の韓国領有を認めたものだという立場をとっている。だが、条約ができる過程では、あせったのだ。このままでは竹島を日本が放棄することが明確にならない、と。


 そこで韓国は、アメリカに対し、この条項の修正を要請した。次のような文面を提示したのである(51年7月)。

 「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島、及び波浪島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権限及び請求権を、1945年8月9日に放棄したことを確認する」


 この条文をもって、韓国政府は、サンフランシスコ条約に責任をもっていたアメリカのダレスを訪れる。その場でダレスは、竹島(独島)が韓国併合前から韓国のものだったのかと問い、韓国側がそうだと答え、それなら条約に竹島を明記するのは問題ないとのべた。

 以上は、公開されているアメリカの外交文書によるものである。


 ところが、最終的にアメリカは、韓国に対して、修正に賛同できないという回答をおこなう(51年8月)。竹島が韓国の領土として扱われたことが一度もなく、1905年から島根県の管轄下にあったというのが、その理由であった。

 こうして現行のサンフランシスコ条約ができあがる。


 だから、この経過だけを表面的にみれば、サンフランシスコ条約では竹島が日本領だということが確認されたということは、ほぼ明白である。それ以外の解釈は無理である。

 ただ、韓国側の事情にも目を配る必要がある。


 韓国は、ずっと日本の植民地だったので、ようやく独立したといっても、自前で行政機構をつくるのはたいへんだった。しかも、サンフランシスコ条約の議論と平行して、朝鮮戦争が開始される(51年6月から53年7月)。

 51年当時、韓国外務省は、20人程度の人員だったという話もある。ダレスと交渉した韓国代表は、当時、アメリカ在住のお医者さんで、英語ができるというだけで選ばれたという。竹島の場所について問われても正確に答えられなかった。


 アメリカが竹島を日本領だと判断したのも、その背景には、日本をアメリカ陣営にとどめておかねばならないという判断があったはずである。だから日本の言い分を優先した。

 さらに、韓国は、自国の領土を決めるはずのサンフランシスコ会議に参加できなかった。希望したけれどアメリカなどが拒否した。なぜかというと、こういう平和条約の締結会議に参加できるのは、日本と戦争していた国だけだという「正論」があるからだ。韓国は、日本と戦争していたのではなく、植民地として日本の一部だったから、会議に参加する資格がないというわけだ。


 ということで、この問題を判断するためには、やはり「植民地」という問題の検討を抜きにするわけにはいかない。次回から(しばらく時間をおいて)、植民地問題を考慮して、竹島問題をどう判断すべきかという、この連載の結論部分に入っていく。

 さて、ここまでの連載で、おおよその事実関係は提示してきたつもりです。それらを読んできて(読んでないか!)、みなさんは、どう判断しますか。竹島はどちらのものと思いますか。みなさんの見解をきかせていただければうれしいです。

Comments

個人のレベルで判断できない

個人のレベルで資料を持ち出して判断しても、解決出来ない難しい問題だと思います。私は、両国民があれこれ論争するより、本当に解決する気持ちがあるなら、両国政府が司法の場で議論を尽くし、司法の判断に沿うべきだと思っています。それがお互いに不満なら、日韓ワールドカップの様に、共有は出来ないものでしょうか?

scotti様

コメント有難うございます。
本当にそうですね。
これで、戦争だ何だと言わせる指導者なんて、最低だと思います。

そうですねえ。領土問題は世界中何処でもヤヤコシイですね。歴史を見ても隣り合っている国の国境領土は長い時間の中で両国の間を行ったり来たりしている様です。国の支配者政治家によっても国民の意見は変わるので長い目で見ると竹島の様な小さな問題には固執しない方が健全ではないかと思います。確かに資源問題もあると思いますがドイツ、アイスランドのような論理的、積極的政策を採れば竹島に関する資源を失ったとしても簡単に帳消しに出来ると思います。此れは政治家の面子の問題で、其れを国家の一大事にしている両国の政治家の言う事は信用しないで、市民我々の日常生活にどれだけ竹島が影響するのか真剣に考えるべきだと思います。私の生活には竹島が日本の領土でも韓国の領土でも全然何ら影響を与えません。私の日本に住む家族も全然影響が無いと思います。若し殆どの日本人に殆ど影響が無いのなら、韓国との将来の友好に良い影響を与える様な外交手段で韓国の領有権を認めるとか、2国間統治をする(国連総会等で発表する等)様な方法を取る方がスマートな紳士的外交ではないのかと思います。其れともう一つ、朝鮮(韓国)系日本人の方々や韓国人で日本語を話される方を私達のブログコミュニケーションにお誘いして、両国民の市民レベルの会話が出来るともっと理解が出来る様にも思いますが、一寸難しいでしょうか?

ejnews様

コメント有難うございます。
仰るようにこの問題で実害をこうむる人は、あまり想像出来ないのですが、
一部の人たちには、天下の一大事のように、思えるようですね。

韓国人でも、日本人でも、話し合いに応じるような人は、元々騒ぎたてたりしない人でしょうから、効果はあまり期待できないかもしれませんね。

問題はこれを政治的に利用しようとしている政治家にあると思うのですが・・・・・

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