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京都御所の変遷記 

旧聞になるのですが、先週土曜日NHKの「ブラタモリ」で京都御所の流転の歴史を始めて知りましたので、
その件について書いてみようとインターネット検索しましたら、下記サイトが見つかりました。
ブラタモリ京都御所編「天皇の住まいは何故この場所だったか?」

ブラタモリでは後白河天皇が大内裏は広すぎると言われて、
有力貴族の屋敷に仮住まいされたのが始まりで、
合わせて16回ほど屋敷を変えて仮住まいしておられたと言っていましたが、
これは大内裏が広すぎて住み難いからという理由からではなく、
大内裏の度重なる火災が原因での仮住まいだったようです。
大内裏は天徳4年(960年)から嘉永3年(1227年)迄の間に16回も焼失したのだそうです。
大内裏の火災は天徳4年が平安遷都以来、始めての火災だったのだそうです。(こちら
これ以降、天皇が貴族の屋敷(里内裏)に仮住まいし、政治が行なわれるようになって、
摂関が天皇を後見して実権を握るようになって行ったのだそうです。

16回目の焼失後御所は再建されず、光厳天皇は仮御所だった東洞院土御門御門殿で元弘元年(1331年)即位されたので、
それ以降ここが正式の皇居という事になったのだそうです。
名実共に正式の御所(皇居)となったのは明徳3年(1392年)南北朝問題が解決してからの事だそうですが・・・・・
天皇は東洞院のこの御所にそれ以降500年間住み続けられたそうです。
桃山時代豊臣政権によって市中に散らばっていた貴族の屋敷を、御所の近くに集めて管理し易くしたそうですが、
その以前から御所は現在の位置にあったのですね。

私は京都御所を見学に行かせていただいた事はあるのですが、
東洞院のこの古御所が平安時代から続く、本当の古御所なのだとばかり思っていましたので、
ブラタモリを見て驚いたのでした。
現在京都御所と言われているところは、明治までの500年間だけの御所だったのですね。
この御所でも火事はあったのでしょうが、御所用水として鴨川から水が引かれていましたので、
ずっと早くに消火できたのではないでしょうか?
現在の古御所は嘉永7年(1854年)焼失した御所を安政2年(1855年)再建したもので、
安政度内裏とも呼ばれているのだそうですね。

平安中期以降の天皇家は藤原氏の傀儡のようなものにされてしまわれた様ですが、
大内裏の広大さと度重なる火災が、天皇家を象徴という存在に変えたとも言えるのかもしれませんね。
大内裏の広さは秀吉の聚楽第のたしか12倍の広さがあったそうですから、
火災後の再建も大変だった事でしょう。

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