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長崎原爆祈念日 

今日は長崎の原爆忌です。
今朝早朝のNHKのドキュメンタリーで、被爆した木製十字架が、
戦後間もなくから預かっていたアメリカ人から返還される事になった件について放送していました。

長崎の爆心地にあったカトリック教会・浦上天主堂の、
祭壇の上部に飾られていた木製の十字架で、壁から落下はしたものの、
奇跡的に壊れずにいたものがあったのだそうです。
その木製の被爆十字架を、戦後間もなく訪れたクリスチャンの米国軍人に、
当時の司祭さんが託した(贈与した?)のだそうです。

その十字架がその元軍人さんによって、
この度教会に返還される事になったということです。

キリスト教国によって教会が狙い撃ち的に原爆を落とされたのですから、
当時の司祭さんがどんなお気持ちで「被爆十字架」を米国軍人に託されたのかは分かりません。
そして、その軍人さんは、預かった十字架をアメリカに持ち帰ってからずっと、
自宅の壁に飾っておられたそうですが、
その十字架を目にする度に、どんな気持ちになられたのでしょう?

当時の司祭さんはもうこの世の人では無くなっておられたようですが、
十字架を託されていた軍人さんは、今もご健在でこの度の返還は、
ご本人の申し出によるものだったそうです。
長崎の原爆忌だというのに、テレビ放送はその早朝(6時台?)のもののみで、
NHKの原爆祈念式典の放送以外は、放送していないようでしたが・・・・・

昨年11月の記事ですが爆心地が教会だった件について書いた記事を、
再掲させていただきます。

被爆し再生した楠の歌 浦上天主堂のパイプオルガンの伴奏でby福山雅治

今朝のNHK「残響の街長崎」で福山雅治さんが長崎の色々な所を紹介していました。
私は小学校4年生から高校1年生まで長崎に住んでいましたので、長崎はとても懐かしい町です。
小学校に通う道筋に大浦天主堂が有りましたので、
ステンドグラスに惹かれて、大浦天主堂にはしばしば寄せていただいていました。(当時は拝観料不要)
大浦天主堂は今も変わらず素晴らしい佇まいでした。

長崎のキリスト教徒が江戸時代あれだけの迫害を受けながら、
信仰を守り続けることが出来たのは、
当時の神父さんの「必ず黒船があなた達を救いにやって来ます。」
との言葉を信じ続けたからだったのだそうです。

それで幕末の開国後長崎の隠れキリシタンだった人々が、
本当に黒船で助けに来たくれたと喜んで、フランス人の神父さんの下にやって来たそうです。
それを知った西洋人たちは吃驚して、当時東洋の奇跡として大騒ぎになったそうです。
それもあって、1865年(元治2年)に、
あんな立派な大浦天主堂が長崎に建てられたのだそうです。

番組ではその他長崎の色々な所も紹介していたのですが、それは省かせていただきまして・・・・・

昭和20年8月9日長崎の浦上天主堂の直ぐそばを爆心地にした原爆が、
キリスト教国アメリカの軍によって投下されました。

黒船来航では日本はそれ程攻撃を受けなかったのかもしれませんが、
黒船の主である人々によって、
事もあろうにキリスト教会が原爆で爆撃されたのです。

浦上天主堂は広島の原爆ドームのように保存される事なく、
昭和34年には再建されたそうです。
キリスト教国としては、
キリスト教会の原爆ドームなど絶対に残させたくなかったという事なのでしょうが・・・・・

再建された浦上天主堂には信者達によって保管されていた
原爆で壊されたマリア像の頭部が祭られていましたが・・・・・

爆心地から800mほどの場所に位置して被爆した山王神社の2本の巨大な楠が、
被爆2ヵ月後には奇跡的に新芽が芽吹き、樹盛を回復したそうです。
この楠は今も元気に茂っています。

福山雅治さんが2014年にこの楠を題材にして創られた歌「クスノキ」を、
被爆後再建された浦上天主堂の拝殿の前で、
重厚なパイプオルガンの伴奏の下、歌っておられました。

その素晴らしかったこと!

*************
クスノキ

我が魂は この土に根ざし
決して朽ちずに 決して倒れずに

我はこの丘 この丘で生きる
幾百年越え 時代の風に吹かれて

片足鳥居と共に
人々の営みを
歓びを かなしみを
ただ見届けて

涼風も 爆風も
五月雨も 黒い雨も
ただ浴びて ただ受けて
ただ空を目指し

我が魂は この土に根ざし
葉音で歌う 生命の叫びを


Comments

浦上天主堂が取り壊しになった経緯を知ると、憤りを覚えます。
二度と核兵器が使われる事がないよう願います。

名無し様

コメント有難うございます。
核兵器だけでなく、ミサイルでもじゅうたん爆撃でも、被弾した者にとっては同じくらい大変な災難なのではないかと思います。

だから私は原爆忌だけを言うのは、東京や大阪神戸etcの空襲で酷い目にあった方々に対し不公平ではないかと思ったことがありました。

でも、2度と戦争をさせない戒めに、
原爆忌を続けることは大いに意味があるのだと、今更ながら気付き、
日本は戦争に反対する為の貴重な体験談として原爆のむごさを語り継いでいくべきことだと、再び思うようになっています。

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