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74回目の原爆記念日に思ったこと 

74回目となる広島の原爆記念式典を、NHKテレビで見ました。
8時15分を前に「皆様ご起立ください。」というアナウンスの声が聞えてきたので、
テレビの前で起立し、黙祷も合図のままにしましたら、
「何と言う事でしょう。私の目から涙が滲み出していました。」

去年の原爆記念日には、
「仏教では普通50年で法事を終わりにする事になっているのに、福島では現在進行形で放射能被害に苦しむ人が大勢あるのに、70年以上も前の犠牲者の慰霊祭を続けるなんて、広島の人は同じ放射能被害を蒙った福島の放射能被害者に対して同情しないのだろうか?」などど思って、
そんな自分の事しか考えないような人々の式典等、本気で見る気がしないと、
去年の私は原爆慰霊式典そのものに対して、反発を感じる様になっていたのでした。

今年も安倍総理は例によって苦虫を噛み潰したような顔をして出席しておられました。
広島の代表者に続いて献花もしていましたが、
花輪を供えるのも不承不承だからなのでしょうか向きまで気が廻らなかったからなのでしょうか?
他の人々の花輪は供えた者の名前の部分がちゃんと真直ぐに整えて供えてありましたのに、
安倍総理の供えた花輪だけ、名前の部分が斜めに傾いているのが印象的でしたが・・・・・

黙祷の後広島市長の挨拶(平和宣言)を聞いたとき、
74年経っても広島の原爆記念行事を続けるのは、戦争をしたら如何なるかを思い出すためであって、
ただの慰霊の為ではなかったのかと、今更のように納得させられる感じがしたのでした。

原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)の
「安らかに眠ってください。 過ちは繰り返しませんから」というのはどういう意思の表明かと、
しばしば批判的に言われているようでしたが、
今日の広島市長の平和宣言を聞いたとき、
やっぱり「過ちは繰り返しませんから」でよかったのかも知れないと思ったのでした。

話は一寸それますが、昨夜偶然つけたテレビで戦争論について解説していました。
大昔の戦争から(この部分の解説は終っていましたが)、
貴族階級が自分達の権益(縄張り?)を守る為の戦争をしていた時代の事、
その時代には庶民が戦争参加に強制される事はなかったそうですが・・・・・

庶民が徴兵制等敷かれて強制的に戦争に参加させられる様になったのは、
フランス革命後のことで、革命政権が周辺国の王達に攻められ、
自分達の勝ち取った革命政権を守りたい一心で、
庶民が本気で命がけで戦ったのが始まりだそうです。

フランス人は折角勝ち得た革命を守る為に、自発的に戦争に参加し命がけで戦った、
ナポレオン軍があんなに強かったのも、兵士である国民が革命を守る為に、一生懸命働いたからだとの解説でしたが、
この自分達の勝ち取った権利を守る為に戦うという新しい思想によって、
戦争が庶民の物にされてしまったのが、
後の世代(私達の世代を含む)が、悪辣な為政者に騙されたり乗せられたりして、
戦争に駆り出される仕組みの出来る切っ掛けだったのだと知りました。

余程の事がない限り、庶民が自分から戦争を始ようとする事は考えられませんが、
邪まな為政者に邪まな目的を隠して「愛国心のある国民だったら、命がけで国のために戦え」と発破を掛けられ、
国論を戦争一色に統一されてしまったら、騙された国民は一心不乱に戦意高揚に邁進するでしょうし、
為政者の邪まな目的に気づいた国民も、
湧き上がる戦争賛美の雰囲気に反対する事が出来なくなるでしょう。
そして、正当防衛でない限り、戦争を始めようとする為政者の目的は、
大抵が邪まな動機から始まっているのですよね。

太平洋戦争中の日本人にも命がけで戦争に反対した人があった様ですが、
そんな人々は殺されてしまうか、終戦まで牢獄に閉じ込められ酷い目に合わされただけで、
動き出した戦争を止める事など、不可能だったようですね。
それが戦争に放り込まれた国の国民の、共通して辿らされた道だったのではないでしょうか?

そんな戦意高揚に邁進した過ちを振り返って、今後は為政者が邪まな戦争を始めるべく、どんな策略を使おうと乗せられず騙されず、
二度と絶対に戦争等させないという決意の言葉として、
「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから。」と書いた広島の人の思いは、
時の権力(戦勝国アメリカ)へ迎合する為の言葉ではなかったのかも知れないと思ったのです。

それでは広島市長の挨拶前文を複写させて頂きます。

平和宣言

今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。二度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちは今一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。
特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこのことを訴えたい。そして、そのためにも1945年8月6日を体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。

当時5歳だった女性は、こんな歌を詠んでいます。
「おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱(いだ)きて母は阿修羅(あしゅら)に」
また、「男女の区別さえ出来ない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人。」という惨状を18歳で体験した男性は、「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私たちのこの苦痛は、もう私たちだけでよい。」と訴えています。
生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか。
「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています。」という当時15歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせてよいのでしょうか。

世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。
「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです。」
現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、私たち一人一人が立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力するという「寛容」の心を持たなければなりません。
そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、また、被爆者や平和な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして、たゆむことなく前進していくことが重要となります。

そして、世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて、共に前進しなければなりません。そのためにも被爆地を訪れ、被爆者の声を聴き、平和記念資料館、追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい。
また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話によって、核軍縮に舵(かじ)を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい。
今、広島市は、約7,800の平和首長会議の加盟都市と一緒に、広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有してもらうことにより、核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。世界中の為政者には、核不拡散条約第6条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。

こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

本日、被爆74周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。



令和元年(2019年)8月6日

広島市長 松井 一實

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