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加計学園問題で証言された前文科事務次官・前川喜平氏の講演記録 

4月17日に東京・杉並区「セシオン杉並」で行われた前文部事務次官前川喜平氏の講演会の、
講演内容を抜粋した記事を見かけましたので複写させて頂きます。

教えられたり同感だったりで、とても読み応えのある記事だと思いました。

尚、日本会議は害虫の巣という項が、複写すると何故か青い文字になるのですが、
元記事では皆同じ色で記載されていましたので念のため申し添えます。


講演会は大盛況!前川喜平・前文科省事務次官曰く「日本会議は害虫の巣」だって

憲法とわたし

 公務員になる時には宣誓をするわけです。誓いの言葉には、憲法を遵守するということを必ず言います。(中略)これは憲法99条に、〈天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ〉ということになっていますから、それに基づいて「憲法を守ります」と誓わなければいけないわけです。(中略)私が見ますところ、天皇陛下は一所懸命に守っていると思われますが、国務大臣、国会議員となると怪しいですね。(中略)

 さらに公務員については、憲法15条がございます。〈公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である〉とあります。その2項では〈すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない〉ともあります。〈全体の奉仕者である〉とだけ書いておけばいいと思うんですが、わざわざ〈一部の奉仕者ではない〉と書いてある。これはやはり、「しっかり見張っていないと、すぐに一部の奉仕者になるぞ」と。その危険があるから、〈一部の奉仕者ではない〉とわざわざ書いた。わざわざ書いたにもかかわらず、そういうことがいま起こっているというわけです。

――話はうまいし、わかりやすい。「なるほど」とも思わせるわけである。それだけに、文科省OBという一部の者たちの天下りに関与した前川氏が、停職相当の処分発表前に辞任したことは残念でならない。

 公務員であっても一人の人間ですから、憲法13条〈すべて国民は、個人として尊重される〉わけです。(中略)したがって、精神的自由、思想良心の自由、表現の自由という大事な自由を持っているわけですが、公務員の場合は厳しく制約されています。政治活動に関しては非常に厳しく制限されていて(中略)、日本の公務員は制限がきつすぎると思っていました。

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SEALDsの国会デモに参加

 自分の本来の政治的意思と言いますか、本音を発表、公に言えないというのは、非常にフラストレーションが溜まるものでして、それで私も2015年9月18日、安保法制が通ってしまうという夜に――その時、私はまだ次官にはなっていなくて、文部科学審議官という事務方ナンバー2という、ひょっとすると次官になれるかもしれないというポストでした――、やっぱり自分個人として国民としての意見を表面するのは当然の権利なんだから、権利を行使してこようと思って、仕事が終わった後、雨が降ってましたんで傘を差して、国会正門前までトコトコと歩いて行きましてね、SEALDsの若者の近くまで寄って行って、「憲法守れ!」「安倍は辞めろ!」とかやってたんです。

「集団的自衛権はいらない!」とか、この極めて散文的な文章を、ラップのリズムに乗せるという才能に、私は敬服しました。「♪集団的自衛権はいらない」(場内拍手)。どうも、これはなかなか、ノッていくなという感じがしましたね。(中略)なんか私が、毎晩毎晩、行っていたかの様に思われているかもしれませんが、あれ1回きりです。毎晩行っていたら、きっと見つかっていたと思います。それで見つかりもせず、翌年にはめでたく事務次官になっちゃった。

――めでたく文科相官僚トップの次官となって、話は学校教育へと移る。

 学校というのは元々、非常に画一性を持っていて、これは明治期に確立されています。明治18年に内閣制度ができて、森有礼(もり・ありのり)という人が初代文部大臣になり、そこで小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令といった、いろいろな学校令を出しました。

 森有礼が導入したものの中に、兵式体操というものがあります。兵隊がやる体操を学校でもやるということです。学校の制度というのは軍隊の制度と似ているわけです。学級編成は部隊編成みたいなもので、ランドセルは歩兵が背負っている背嚢(中略)、詰め襟のガクランは陸軍の軍服ですし、セーラー服は水平ですから海軍の兵隊の服装、運動会は野戦演習、遠足は行軍ですからね。そうやって軍隊に行ってもやっていける身体に鍛えるというわけです。

 運動会に行くと一糸乱れぬ入場行進なんかあるわけですが、あれは明らかに軍列行進ですね。(中略)「全隊止まれ!」と言って止まるわけですが、“隊”は“体”でなく隊列の“隊”です。明らかに軍事訓練を学校にそのまま持ってきているわけです。学校というのは、一人一人を違う存在として見ずにマスで見る。塊で見る、集団で見る、集団の一部なんだ、という見方をする部分が非常に色濃く残っているわけです。これが憲法13条でいうところの〈個人として尊重される〉ということと相矛盾するものが、学校風土の中にまだ残っていると言えると私は思います。

――なんだか、こういう話、かつて聞いたことがあるような……。ああそうだ、日教組に染まった教師から受けた、赤い赤い社会科の授業ではないか。

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日本会議は害虫の巣

 戦前は教育勅語というものがあって、1890年、明治23年に、明治天皇の侍講だった元田永孚(もとだ・ながざね)という人が中心になって、天皇を中心とする日本人の精神の統合のための教えが必要だということで作ったものです。教育勅語が戦前の日本人の精神を支配していた。

 これは一人一人の自由な精神の開発というものを押さえ込む、ひとつの型にはめてしまう強力な武器になったわけであります。人間の自由を殺す武器です。人間の命は殺さないかもしれないけれど、命と同じくらい大事な自由、人間の主体性というものを殺してしまう武器としてフル活用されたのが、教育勅語だと思います。(中略)

 それがいま「教育勅語はいいことが書いてある」とか「学校で使ってもいい」というようなことを言い出す人が出てきて非常に危ないと思っています。

――ついに出るかと思いきや、森友問題は不発。どころか、前川氏、教育勅語を諳んじてみせるのである。

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト……一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。勉強していると、覚えてしまうんですよ(笑い)。批判するためには勉強しなければなりませんから。(中略)

 文部省が1937年に発行した『国体の本義』の中に、我が国は一大家族国家であるということが出て来ます。国民はすべて天皇の子供である、と。日本という国は大きな血の繋がった家族で、大きな家族のお父様が天皇陛下であり、その1単位1単位が小さい家族の中の天皇がお父さん。(中略)大きな家族のなかに小さな家族がある、家族というのは国家の単位であるとは、まさに自民党の改憲案の中に出てきます。教育勅語が示す国体思想が反映していると私は見ております。

 この国体思想的なもの、「血が繋がった共同体こそがわが日本民族である」という考え方は、根強く残っています。中曽根(康弘)さん(編集部註:前川氏の妹の義父に当たる)なんかはハッキリとそう言っています。「日本という国は契約国家ではない、自然国家である」と。

 これは立憲主義を否定するような言い方です。個人がいて社会ができて、憲法があって国家ができるという順番ではなく、日本という国ははじめから国家があるんだと。

 こういう国家観を持っている人は、実はいまもたくさんいます。私はこれは、戦争に負けた時に、過去の間違った考え方を100%、キチンと清算しなかったからだと思うんです。徹底的な害虫駆除をしなかった。残っちゃった害虫は、しばらくは見えないところに潜んでいたと思うんです。それがちょっとずつゾロゾロッと出てくると、その度に叩いてたんでしょうけれど、叩ききれないほど出てきちゃった。

 どうもそれが、あるところで増殖している。巣があってですね、日本会議とか(会場内から拍手)、最近だと日本青年会議所ですよ。青年会議所って昔はもっとマトモな団体だったんだけど、池田佳隆さん(衆議院議員)って、私が名古屋の中学校での授業を問題にして、文部科学省に圧力かけた政治家で、この人は青年会議所の会頭だった人。あの人あたりからおかしくなってきていますね。

 そういう日本会議とか青年会議所が、害虫が増殖する巣になっている。しかも害虫の数が多いだけでなく、図体が肥大化してきて、大きな害虫があっちこっちから出てきているというのがいまの状況じゃないかと思うんです。これは明日あたり、産経新聞に相当言われそうな気がする(笑い)。「日本会議をゴキブリ扱いしたぞ」なんて相当言われそうですけど、構いませんよ私は。

――日本会議や青年会議所の人が聞いたら怒るでしょうな。

 天皇を中心とする国家というものに忠誠を尽くす美しさを強調する倫理は、戦後否定されたわけです。何よりも大事なのは個人であって、個人の尊厳を上回るような国家の価値などはないと。国家とは一人一人の人間を守るためにあるのであって、国家のために身を捨てることを要求される理屈などはないんだ、という価値の逆転があったはずなんですけれど、そんな高村光太郎のような内なる精神の倫理の崩壊を経験しなかった人がいるわけですね。

 その中に岸信介なんて人もいたんですね。戦後、教育勅語、修身、道徳を行う教科を復活させようという動きは何度もあった。実際に週1回の「道徳の時間」を始めたのは1958年、岸内閣の時です。それを「教科」にしたのが安倍内閣です。お祖父さんの始めたことを完成させたと言ってもいい。

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22世紀に日本はない?

 歴史を学ぶことは重要だと思います。平和を維持するために必要な学びの中でも、過去の歴史を学ぶことは非常に大事だと思います。歴史は繰り返すという言葉もあります。私はいまの状況は、1920年代から30年代にさしかかる境目みたいなところにあるような気がしてならない。下手をすると、このままなにもしないでいると、もう一度1930年代の経験をすることになりかねないと思うんです。(中略)

 日本国憲法の手本となったのはワイマール憲法です。最も先進的、最も民主的と言われた
憲法を持っていたドイツ国民が、民主政治の中からヒトラーという独裁者を生んでしまった。民主的な憲法が、全権委任法という反憲法的な法律を許してしまったということは、ドイツ国民だけの歴史ではないんです。人類が経験した歴史であって、この教訓は全ての国の国民が学ばなければならないし、特に日本人は学ぶ必要があると思います。実際、「ヒトラーの手口に学べ」と言う人もいるわけですから。

――まるで安倍首相はヒトラーになると言わんばかりである。

 そういう意味で、憲法改正に関しましては、まずは、いまの憲法を学ぶということをしないと憲法改正の議論をすべきではない。じゃあいまの若者たちが憲法を学んでいるかといったら、それが覚束ないわけです。まず憲法改正を言う前に、いまの憲法を学ぶことが大事だと思います。学ばない人たちを相手にして、「いいんじゃない」って感じで改憲をしてしまうのは無責任だと思います。それこそナチスの手口に学んだような改憲は、許すべきではない。9条に関しましては、2014年の閣議決定そのものが無効と思っていますし、いまの憲法の下で集団的自衛権を認めるなんてやってはいけないことだと思っています。(中略)

 さらに自民党の改憲草案はもっと恐ろしい。これは人権規定を公益とか公の秩序という名目でいくらでも制限できるようになっています、自営のための実力組織という自衛隊の性格を根本から変えて、アメリカと同じような軍隊を持とうということにもなっています。これは非常に危ない。いましっかりと改憲を阻む努力をしないと、22世紀、23世紀に向けてこの社会を我々の子孫に残して置くことができないのではないかと、そんな気がしている次第でございます。

――前川氏の講演はここまでだが、壇上の主催者からは前川氏にデモ参加への感謝の言葉が添えられた。国家公務員を離れ、憲法で禁じられていた政治活動を晴れてスタートさせた前川サンなのであった。

Comments

>「集団的自衛権はいらない!」
あまり見ることは無いと思うが日本国憲法の前文にはこんな文言がある。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「集団的自衛権はいらない!」という彼らの主張はその根底に
「平和を愛する諸国民の公正と信義」というものを信頼していないから発せられるモノだろうか?
もし、信頼していないのであれば「集団的自衛権はいらない!」という彼らの主張は「違憲」だ。
それ以前に「平和を愛する諸国民の公正と信義」などという、
誰も存在を証明できない不確かなものに対し、日本国民の安全・生存権を依存する。
国家の第一義務である「国民の生命と財産の保護」を国家に放棄させるのが日本国憲法だ。
この憲法前文の抜粋個所及び抜粋部分を根拠とする憲法の条文すべてが
日本国憲法が民主国家としての憲法として改憲すべき部分だと思う。
>何よりも大事なのは個人であって、個人の尊厳を上回るような国家の価値などはないと。
個人の尊厳は「公共の福祉」に制限される。
国家とは「個人が集合して出来た公共の社会」
実際のところ、以下の理由で国家の価値は個人の尊厳を上回る。
国家が国民すべての共有資産であること。
国家(社会)が個人が生存するために不可欠な道具であること。
複数の個人が共有する命綱の価値が一個人の尊厳を上回るのか?考えれば自明。
国家を成熟させるのにどれだけの時間を費やすのか?
軽々しく代替を求められない大事な共有物であるのだから
もっと丁寧に扱えということだ。

簡単に様
憲法解釈に付いては色々とあるでしょうが、
私は憲法学者ではないので議論する気はありません。
それに議論というのは、高校にリベートという科目がある事で分かるように、
どんな風にでも言い包める事が出来るという性質のものなのです。
何故集団的自衛権容認に反対なのかというと、アメリカが信じられないからです。
と言うより、アメリカの侵略戦争のために、徒兵として刈り出されるに決まっているのに、
まだ独立してもいない日本が、集団的自衛権など結ぶ意図は見え見えだからです。
日本は今も世界一の軍事力を誇るアメリカに占領されているのですから
日本は誰に守ってもらう必要等もないのです。
何もしていないのに日本を侵略しようとしてくる軍隊があるなら、
アメリカは自分の戦利品である日本を横取りされないために、
その侵略軍を撃破するでしょう。
(これは決して日本の為ではないのです。アメリカはアメリカのために戦利品である日本を守ろうとするだけです。)
そういう事情は何所の国でも知っている事ですから、
アメリカが居座っている日本に、日本が何も悪い事をしないのに、攻め込んでくる国など有り得ないのです。
アメリカに占領され続けることに何の疑問も持たず、
地位協定も改革する気のない政府が、遣ろうとしている憲法改正など、
アメリカが日本を利用し易いためのものであるに決まっています。
本当に自主憲法に変えたいのだったら、すべての法整備において日本を独立国にし、
米軍に帰ってもらってからでしょう。

最近は高校でディベートの授業があるのか・・・知らなかった
>何故集団的自衛権容認に反対なのかというと、アメリカが信じられないからです。
私も信じていません。
外交において他国を信じるとかありえないことですから。
>日本は今も世界一の軍事力を誇るアメリカに占領されているのですから
>日本は誰に守ってもらう必要等もないのです。
随分とアメリカを信用しているのですね。
外交は信頼関係ではなく利害関係で動きます。
安保があってもアメリカが日本を守る保証はありません。
利害が合わなければアメリカは日本を見捨てますよ。
>アメリカが居座っている日本に、日本が何も悪い事をしないのに、攻め込んでくる国など有り得ないのです。
何が「悪い事」なのかは当事者の主観で決まります。
まず、世界地図を見て欲しい。
中国の立場からすると、外洋に出るのに日本の領海を通らなくてはいけない。
日本列島は存在自体が邪魔。
中国の外洋進出を日本列島の存在を持って阻んでいる日本は、
中国にとって存在自体が「悪い事」でしかない。
だから米軍が居座っている現在においても、中国は尖閣諸島で日本に牽制をかけている。
>本当に自主憲法に変えたいのだったら、すべての法整備において日本を独立国にし、
>米軍に帰ってもらってからでしょう。
軍事的空白地帯を作ることの危険性がある。
フィリピンで米軍が撤退した途端、中国が進出した二の轍を踏むわけにはいかない。
米軍が撤退するとしても、法整備、自衛隊の増強の後。

簡単に様
アメリカを信用しているのではなく日本はそういう状況にあるという事です。
アメリカから買わされている武器は、アメリカを攻撃出来ないようシステム化されているそうですから、日本はアメリカに歯向かうことは出来ないのです。
貴方たちは尖閣諸島問題を大げさに中国の悪の象徴の様に言っていますが、
アメリカが中国と日本が仲良く出来ないよう、
尖閣問題を前原誠司が国交省大臣の時に、彼に紛争の種を仕込ませたのです。
それまで話し合いで共同管理とか、色々約束していた事を、日本が一方的に破っておいて、
中国が~と言って中国を非難し、
尖閣諸島を日本領土に変更する手続きまでしてしまったのです。
そして外務省に文書を改竄までさせて、
日本は中国とそんな約束をした記録はないと言っているのですから、
中国が強行になるのも当然の帰結でしょう。
こんな事を書いたら貴方がたは中国の回し者と言うのでしょうが、
私は周恩来と田中角栄が日中国交回復した時にはもう成人していましたから、その辺の事はアップデートで見聞きしているのです。
隣国とは仲良くしている方が日本人の為であるのに、殊更喧嘩させようとしているアメリカの意向の通りに動こうとしている者達が、国粋主義者を名乗っているのですから呆れて物も言えないと言いたい所ですね。
>フィリピンで米軍が撤退した途端、中国が進出した二の轍を踏むわけにはいかない。
フィリピンのドテルテがアメリカにどんな制裁をされるか心配して、
中国に助勢を頼んだのでしょう。
日本が極悪非道と貴方も認めているアメリカの支配下にいるままで、
憲法改正したって日本人の為の改憲をアメリカが許す訳がありません。
続きます

続きです
南米ホンジュラスのセラヤ大統領が自国民の為の憲法改正をしようとしていた時、
突然軍部にクーデターを起こされた事件がありましたが・・・・・
(ホンジュラス:米国企業二社がたくらんだ軍事クーデター?)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-1854.html

>それまで話し合いで共同管理とか、色々約束していた事を、日本が一方的に破っておいて、
こんなことするのならアメリカに10兆円でも20兆ドルでもあげたほうがマシ。
元々、尖閣諸島は日本固有の権利であり共同管理する必然性が無い。
共同管理とすることで所有権があいまいになり、将来に渡り禍根の種になる。
>隣国とは仲良くしている方が日本人の為であるのに
中国の外交戦術は、中国に不利な時は友好、有利な時は侵攻が基本。
かの国に対し「一時の友好」の為に「永続的な禍根の種」を残す尖閣の共同管理など
「将来に渡る日本の権益」を売り渡す愚策以外の何物でもない。
「隣国とは仲良くしている方が日本人の為」と言えるのが実に不思議でならない。
隣国との外交は以下が基本なのではないですか?
孫子、兵法三十六計の第二十三計
「遠交近攻」
マキャベリ 「君主論」より
「隣国を援助する国は滅びる。」
「次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。」
キッシンジャー
「国家に真の友人はいない」
チャーチル
「我が国以外は全て仮想敵国である」

>フィリピンのドテルテがアメリカにどんな制裁をされるか心配して、中国に助勢を頼んだのでしょう。
それでフィリピンは中国に領土を奪われましたよね。
領土は国民の財産でもあります。結果としてそれを損なった。
隣国に助成を頼むなど大きな間違いであることを身を持って証明したわけです。
台湾人が「犬が去って豚が来た」と語ったことが、ここでも証明されたことになります。
>日本が極悪非道と貴方も認めているアメリカの支配下にいるままで、
>憲法改正したって日本人の為の改憲をアメリカが許す訳がありません。
日本人の為の改憲をアメリカが妨害することはあり得ません。
改憲がアメリカの害になるようなら妨害の可能性は十分です。
日本人なら「薩長同盟」は歴史で習いましたよね。
反目し合っていても利害関係が一致すれば協力できます。
例えば自衛隊が安保を前提としない単独での国土防衛に方針を転換するだけで、
米軍は在日駐留部隊のみならず、第七艦隊全体の戦略的自由度を増すことができるようになる。
利害調整次第ではアメリカが改憲を妨害することはなく、歓迎に回ることも考えられます。
直接に領土領海を接する隣国とは領土問題の関係で利害関係が一致させることは不可能ですが、
隣国ではあるが領土領海を接していない米国は日本との領土問題が無い。
「遠交(米英印)近攻(中露朝韓)」
この辺りが外交の基本。

簡単に様
>「遠交(米英印)近攻(中露朝韓)」
貴方の尊敬する人がそう言ったからと言って、それが正しいとは言えません。
近隣国同士戦わせよと言うのは、西欧植民地主義者達の戦略ではありませんか。
(現在はあからさまな植民地という形態は取っていませんが、実質は同じだと思います。)
徳川幕府は近隣諸国とも何所とも戦争等していなかったけれど、
250年の平和を保ちました。
全部に反論するのは面倒ですから、
あなたの決定的間違いを指摘する事に止めました。

>近隣国同士戦わせよと言うのは、西欧植民地主義者達の戦略ではありませんか。
違います。その戦略いわゆる「離間の計」は既に孫子の兵法にあります。
三国志などでもよく見る中国でもとってもメジャーな戦略です。
対抗策もありますが、少なくとも隣国と友好関係を結ぶことは対抗策にはなりません。
中国の外交の基礎に孫子の兵法があると聞きますが状況的に事実でしょうね。
日本がコレに抗するには最低限日本も孫子に倣う必要があります。
>徳川幕府は近隣諸国とも何所とも戦争等していなかったけれど、
徳川幕府は外交はほとんどしていないから、外交の一形態である戦争が無い。
これは当時の日本経済が国内のみで完結していたから可能なことです。
一人ぼっちで部屋に閉じこもっていれば、誰とも会話することも喧嘩することも無い。
それと同じことを現代の国家政府単位でできると思いますか?
>あなたの決定的間違いを指摘する事に止めました。
ハッキリ言ってアナタやワタシ程度の素人が間違いを指摘できるようなら、
孫子はココまで支持はされていません。

現在中国は隣国のロシアと仲良くしているではありませんか。
アメリカとカナダは仲良くしているではありませんか。
フランスとドイツは仲良くしているではありませんか。
悪魔のような西欧の毒牙にかからないための方策を考えねばならないときに、
孫子の兵法に書いてあるから中国と戦えだなんて馬鹿みたい。

>現在中国は隣国のロシアと仲良くしているではありませんか。
『仲良くしているわけではありません』
これは「敵の敵と結ぶ」という孫子に準ずるもの。
「遠交近攻」というのも「敵の敵と結ぶ」という戦略が元になっています。
>中国と戦えだなんて馬鹿みたい。
孫子のもっとも有名な最上の兵法は「戦わずして勝つ」ですからね。
実際に戦うのは愚策ですよ。
「遠交近攻」という考え方の利点は、
敵国Aが攻めてくる場合、遠方の友好国Bは集団的自衛権を発動し
敵国Aは自国と友好国Bの二正面作戦という戦略上の愚策をとることを予想しなくてはいけない。
敵国Aがよほど愚かでなければ、このような愚策をとることは無く
結果として敵国Aからの進攻の可能性を下げることができる。
また「戦わずして勝つ」場合
「相手と友好を結ぶこと」は間違いで
「相手に友好以外の選択肢を選ばせない状況に追い込むこと」が正しい
友好を結ぶ最終決断件は常に自分のほうに持つことが肝要です。
マキャベリが君主論で示したように、忍耐や寛容・報酬や援助で友好を結ぶのは下策。
忍耐や寛容・報酬や援助で結んだ友好関係は、相手にとって関係を破棄するリスクが小さい。
友好破棄のリスクが無ければ、離間工作によって敵対する可能性も高くなる。
利害調整や「遠交近攻」等の軍事バランスの均衡を保つために結んだ友好関係は破棄するリスクが大きい。
友好破棄のリスクが大きければ、離間工作によって敵対する可能性もちいさくなる。
尖閣の共同管理(報酬や援助)で友好関係を結ぼうとするのは下策であるのはこのためです。
兵法とはまた別の視点で指摘すると、
「お金(報酬や援助)をあげるから友達になろう」という人と
あなたは友好を結びたいですか?

簡単に様
貴方と議論しても、日本の現状に付いての認識が全然違いますので無駄に思えます。
もし議論したいとお思いなのでしたら、
白井聡著「国体論 菊と星条旗」をお読みになってからにして下さい。

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