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神仏習合 本地垂迹説を血肉とした日本人 

昨夜のNHK歴史秘話ヒストリアでは、「神仏習合」を扱っていた。
私は先日、昔書いた「神仏習合」を「 」という記事に引用したばかりだったので、
この番組に興味を感じて見たのだった。

以前私が読んだ「神仏習合」(義江彰夫著)では、

我は多度の神なり。吾れ久劫(長い時間)を経て、重き罪業をなし、神道の報いをうく。いまこいねがわくば長く神の身を離れんがために、三宝(仏教)に帰依せんと欲す763年(天平宝字7年)
というご託宣を見たのがきっかけで調べていった著者義江彰夫さんが、
多度神社にご託宣があった数年前、
常陸の国鹿島神宮でも鹿島大神が同じような願いが起こされていたという記録があり、
8世紀の末ごろ、山城国加茂社の加茂大神も[神部百姓]に仏道帰依を訴えている。
更に9世紀始めには、若狭国若狭彦大神が彼を祭る豪族に[神の身を受けているゆえ苦悩は深い。よって仏法から免れたい旨の告白を行っているという事を知られて、
色々と推理して行かれた。
義江彰夫さんの説では、神社が仏教に転向した理由として、
長年中央でお祓いをした種籾をもらって、土地の農民に種籾を分け与え、収穫した時にはお初穂として、
その何%かを中央に納める役割を担って来た神社が、
色々な事情でお初穂を届ける役を下りたくなったから、
神社のままで仏教を信奉する様になったのだろうとの説だったかと思う。

昨夜のNHKの番組での意見は可也違っていた。
神仏習合とは当時の神道よりずっと優れている外来の宗教・仏教を、
日本に取り入れるために、神社を廃止したりせず、
両方が人々の中で融和的に受け入れられる様、
当時の偉い人が考えて始められた制度なのだろうという解釈であった。

しかし、神仏習合に素直に従う気になったのには、お初穂云々も関係あったのかも知れないが・・・・・

神仏習合は本地垂迹(本地垂迹(ほんじすいじゃく)を根拠に於いている。
本地垂迹説は仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な菩薩天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。)として理論化されるようになり、
日本人は神仏と、神と仏を一つのものとして感じる様になった。

これが世界的に観て日本人が宗教に関しておおらかで、
外国の宗教と争わず、しかも外国の宗教に取り込まれない、
日本人の宗教観が形づくられた経緯と言えるのだろう。

本地という思想はインドで出来、垂迹という思想は中国で出来た思想だそうだけれど、
本地垂迹説を日本人の血肉として今に持ち続けているということは、
日本人の大部分は無宗教者なのではなく、
宗教の本質を理解している者なのかも知れないと思った。

昨夜のNHK当該番組を扱ったブログ記事の一部を引用させて頂く。(神仏習合

神と仏という異なる信仰が反発し合うことなく、うまく混ざり合って一体化していった過程を見ていると、いかにも日本らしい、いい意味でおおらかな気質を感じました。他方を退けずに取り込んでしまうという、世界的にも斬新な「宗教ミックス」をやってのけた神仏習合ですが、単純に伝統を軽んじたわけではなく、「誰一人として取りこぼさない」という大きな慈悲だったのかもしれない、と私は思いました。この「寛容さ」「懐の深さ」が、日本人の宗教観を形作ったとも考えられますよね。

 

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神と仏の関係を物語る曼荼羅(まんだら)

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