西南戦争の悲劇に思う
明治維新の頃を題材とした、司馬遼太郎の小説『翔ぶが如く』の中に、西南戦争のことが詳しく書かれていた。
西南戦争は西郷隆盛の存在に脅威を感じていた中央政府の陰謀で、西郷隆盛の生徒が、暴発したのがきっかけであったことは良く知られている。
鹿児島に引きこもったとは言え、西郷隆盛は中央政府に何か有った時に、役に立つようにと、学校を作って軍人の教育をしていたのだけれど、彼の信奉者達は、西郷を冷遇すると言って中央政府に対していきどうりを募らせていた。だから中央政府の役人のちょっとした嫌がらせに怒りを爆発させて、暴動を起こしてしまったのだった。
西郷隆盛には、西南戦争など起こす積もりは全然なかったけれど、自分を思って決起してしまった部下達を見殺しにする事の出来ない人だったので、彼らの行軍に体だけ付き合ったのだった。
だから西郷は味方がどんなに下手な戦法をとっても何一つ意見を言わなかったと言う。只反乱軍の看板として最後まで付き合う覚悟で、同行したのだった。
西南戦争の最中の鹿児島県は、県を挙げてこの戦争に参加していて、その状況は、 挙国一致 という感じで太平洋戦争中の日本のような感じあったようである。
その旗印の西郷に全然勝つ意欲がなかったとは、何という事だろう。
鹿児島を出て、九州を一回りして、鹿児島に戻って亡くなるのだけれど、繰り返されたそれぞれの土地での戦闘を見るに、西郷が指揮していたらこんな事は絶対にしないだろうというような事を、あちこちでやっているらしい。
西郷にとっても薩摩の人たちにとっても、なんと悲惨な戦争だったことだろう。
西郷は青春をかけて明治維新を成し遂げた人である。
日本の将来を誰よりも案じておられた人に違いない。
その人に、日本国と戦わせるとは!
西郷隆盛は自分のことを思って命をかけてくれる支持者の気持ちを、踏みにじる事のできない人であったから、せめて彼らと運命をともにしようと思われたのだろう。
首謀者の面々は兎も角として、当時の薩摩藩にいた人々は、とんだ災難であったことだろう。
戦争とは動き出してしまうと、どうしようもなくなるもののようである。
首謀者はなんとしても勝たなければ為らないので、厳しい要求を、味方や後方に求め、いつの間にか加害者にさえなってくる。
国民の為に起った筈なのが、国民を最も苦しめる存在になるのが、戦時の軍隊である。
それで負けてしまったら悲惨極まりないし、勝ったとしても将軍は自分ひとりで勝ったような顔をして庶民に君臨する。
というのが勝利者の常であるのではなかろうか。
どんな理由があっても絶対に戦争を解決の手段にしてはならない。
戦争より悲惨な事態は有りはしない。
何故なら戦争は、たとえ"自分達"と複数を呼称しても、自分の幸せの為になら、相手を殺す事も辞さないという思想にもとずいているのだから、幸せが来るわけがないと思うのである。
(勿論正当防衛まで否定するつもりは全然無いので念の為)
そんなナイーブな事をと言われるかもしれないけれど・・・・・
- [2007/11/02 17:12]
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