Dendrodium 防衛省外局として「防衛装備庁」発足

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防衛省外局として「防衛装備庁」発足 

武器輸出へ防衛装備庁発足 米国以外とも軍事協力強化
2015年10月2日 朝刊

 武器の輸出や他国との共同開発などを一元的に担う防衛省の外局「防衛装備庁」が一日、発足した。安倍政権は武器輸出の促進が、防衛産業の基盤強化や経済成長に役立つと説明する。だが、防衛装備移転三原則(昨年四月に閣議決定)による武器輸出解禁に沿った新組織の発足は、安全保障関連法に盛り込んだ自衛隊の海外活動の大幅な拡大とも連動している。日米の同盟関係に加え、武器輸出などの相手国に想定するオーストラリアや欧州諸国などとの軍事協力の強化にもつながる。 (中根政人)


 日本は、昨年四月に武器輸出を原則禁じていた武器輸出三原則を撤廃した。それ以降、米国以外でもオーストラリアの次期潜水艦の共同開発の受注競争に参加。英国、フランスとも武器の共同開発などを推進する方針で合意し、輸出や共同開発の相手国を増やそうとしている。


 これらの国は、米国と共同の軍事作戦に参加する機会が多く、安保法に盛り込まれた他国軍への戦闘支援の対象国となる可能性がある。オーストラリアについては、中谷元・防衛相が国会審議で、米国以外で集団的自衛権行使の対象になりうるとして国名を具体的に挙げている。


 今後、米国を含めた各国への日本の武器輸出が加速したり、武器の開発段階からの技術協力が進めば、日本と各国間の武器の仕様や部品などが共通化し、武器を扱う現場の部隊の一体的な運用がしやすい体制をつくることが可能になる。


 自衛隊にとっては、集団的自衛権の行使や他国軍への弾薬提供などの戦闘支援を行う際の技術的な「壁」を低くすることができる。


 こうした安倍政権の武器輸出政策を強く後押ししているのが経済界だ。経団連は、安保法が可決・成立する直前に、防衛産業政策に関する提言を公表。「防衛装備品の海外移転を国家戦略として進めるべきだ」と政府に要求している。


 装備庁の渡辺秀明長官は一日の就任会見で「産業界の方々からも非常に強くご支援いただいた」と、経済界の後押しを歓迎した。


 中谷氏は同日の記者会見で、装備庁について「諸外国と比べると、体制を検討していかなければならない部分がある」と課題を強調。組織の拡充も視野に、武器の輸出や共同開発を加速させたい考えを示した。


昨年武器輸出3原則が撤廃されたと思ったら、もう防衛省の外局として「防衛装備庁」なるものが出来たのですね。

経団連は、安保法が可決・成立する直前に、防衛産業政策に関する提言を公表。「防衛装備品の海外移転を国家戦略として進めるべきだ」と政府に要求しているそうですが、安保法と武器輸出とどういう関係があると思っているのでしょう?
経団連は只単に儲かる商売がしたいだけなのではないでしょうか?

それが例え人殺しの道具であっても、製造業者としては、何かを作って売ることさえ出来たら良い、という感覚なのかも知れません。
そんな考えで武器作り等始めたら、
その内、「戦争が あればもっと売れるのに・・・・」となり、
やがて今のアメリカのように
「武器産業で働く者を飢え死にさせない為に、戦争を誘発させよう」という組織になって終うかも知れません。
恐ろしい話ですね。(恐竜を育ててしまったアメリカ

戦争という殺人行為が、日常的にどんなに酷い事を行っているかの例として、
ウクライナで起きた民間人殺戮の惨たらしい話を引用させていただきます。

安倍晋三を操る経団連戦争産業志望者たちは、
これを読んでも、戦争屋だけはなりたくない、とは思わないのでしょうか?

続きを読むに「芳ちゃんのブログ」の記事を引用させていただきます。

大型ミサイルで、大勢の人々が虐殺されるのも惨たらしいですが、
自分の家の中、目の前で、愛する夫と可愛い娘を、粉みじんになったり、二つに裂かれた状態で殺された主婦、その主婦も爆撃で片手を失っている、そんな惨たらしい目にあった一人の主婦の話は、
これも又インパクトがあります。
その主婦は殺されずに済んだ生まれたばかりの赤ちゃんと、2歳半の息子を、一人で育てていかなければならなくなっているのです。

戦争とはこんなにも酷たらしいものなのだと、身に沁みて感じさせられました。


アンナ・トウフの物語 - ウクライナ東部のゴルロフカで起こった戦争犯罪

彼女が住んでいるウクライナ東部のゴルロフカの街 [訳注: 2013年の人口は約25万7千人。炭鉱と化学産業の都市] は、不幸にも、ウクライナ政府軍がドネツク州の住民が居住する地域に対して無差別に行う砲撃の対象となった。軍事的な拠点ではない。まったくの居住地域である。彼女は左腕を失い、夫と11歳の娘を亡くした。二人の幼子は奇跡的にも助かった。

9月9日の国連人権高等弁務官事務所の発表によると、昨年4月に武力紛争が勃発してからの犠牲者の合計は8千人近くになっている。

早速、彼女の物語のページを開いてみよう。

<引用開始>
ゴルロフカの街に致命的な砲撃:

2015年5月26日、ウクライナ軍に対峙するドネツク州の分離派武力勢力(DPR)が支配していたゴルロフカの街のオーゼリアノフカ地区に砲弾が落下し、3人の市民が死亡した。夕方の6時頃、2発の砲弾が彼女の家を直撃した時、アンナ・トウフ は左腕をもぎ取られ、夫のユーリと11歳の娘、カーチャを失った。彼女の二人の幼子は軽傷を負った。近隣にも犠牲者が出た。

翌日、全欧安保協力機構(OSCE)のウクライナ特別監視団(SMM)がトウフ一家や他の被害を受けた場所へとやって来た。彼らはこの砲撃に関して下記のような記録をとった: 

…SMMは居住地域の3カ所で9個のクレーター状の着弾点を発見し(半径200メートル以内)、そのうちの1カ所でクレーターの解析を行った。この場所で、SMMは2か所のクレーター状の着弾点の近傍で死亡した女性の遺体を認めた。SMMの推測によると、これらのクレーターは北北西方向から撃ち込まれた砲弾によって形成されたものだ。SMMは、両方のクレーターで回収されたシュラップネルは122ミリ砲弾とよく一致することを確認した。SMMはプラネルナヤ通りで直撃弾を受けてその東側の側面をすっかり破壊された家屋を観察した。回収されたシュラップネルは122ミリ砲弾とよく一致する。この場所でSMMは血痕も確認した。DPR の「救急サービス」ならびに地域住民によると、この砲撃で38歳の男性と彼の11歳の娘は即死、彼の妻と二人の幼児は傷を負って入院した。市立第二中央病院でSMMは傷を負った母親と話をした。彼女と子供たちはシュラップネルのせいで傷を負った。その後、SMMは死体安置所で3人の遺体を確認した(一人の中年男性とひとりの女性、および、ひとりの子ども)。SMMの評価によると、これら3人は何れも砲撃の犠牲者である[2]。

病院でOSCE特別監視団員と話をした後、アンナはグラハム・フィリップとのインタビュウにも応じた。当然のことながらすっかり取り乱した様子ではあったが、彼女は前の日に起こったことを次のように話してくれた: 

家の中は恐ろしい状況でした。私は子供を、私の小さな息子を瓦礫の中から引っ張り出しました。息子は目を開けられないのです。私の可愛い娘の体はふたつに引き裂かれていました。私の夫は、拾い集めることが出来た分だけが死体安置所に保管されています。手足はもぎ取られたままです。息子は目を焼かれてしまいました。シュラップネルを取り除いた後、幾針も縫っています。私の娘はバラバラに引き裂かれてしまいました。明日の彼女の葬式のために皆さんが納棺しているところです。砲弾がふたつも着弾したんです。一発が家を直撃し、もう一発は庭へ落下しました。あの一発が私たちみんながいた居間を直撃したんです…

自分の意識が戻った時、私はこの5月12日に生まれたばかりの女の子の赤ちゃんを助け、2歳半になる息子を何とか助けることができました。でも、私の11歳の娘は、あの可愛い娘は明日埋葬することになっています。あの子はモデルにでもなりそうな可愛いらしい子でした。学校では一番可愛い子でした。その子が、よりによって、体をふたつに引き裂かれて… 

私の可愛い子。よく私の手伝いをしてくれました。何時でも私の手伝いをしてくれたわ。毎朝、私に花や絵葉書を持って来てくれました。小さい子供たちにはまるで自分が母親であるかのように振舞い、何時も面倒を見てくれていたわ。今は、私が付きっ切りです。私は31歳で二人の幼児を抱えながら身体障碍者の身になってしまいました。私の夫はバラバラになってしまいました。夫を亡くし、娘を亡くして、これからどうやって生きて行ったらいいのかしら。今は何も分からないわ。友達が来てくれました。私の息子はまだ両目を閉じたままだと言ってました。車の音を聞くと、「パパが来た!」と言うんです。あの子は何時もお父さんやお姉さんのことを呼んでいます。[5]

「砲弾はどこから来たんですか」とグラハムが質問すると、彼女はこう言った: 

もちろん、ジェルジンスクの方からよ。直ぐに分かることだわ。カーチャは5月21日が誕生日だったの。あの日、何個所かで爆発があったの。向こうから曳光弾が飛んで来たわ。高音の独特の音がしてた。私たちはガソリンスタンドの裏側に住んでいます。砲弾がチェックポイントへ着弾しました。今回もまったく同じ感じでした。あの時と違うのは、今回は私たちの家に着弾して… 

私たちの生活は何て幸せなんだろうとか、子供は何人もいるとか、私たちの将来は幸せそのものだとか、さらには、平穏な生活が待っているとか話をしていたばかりなんです。それが一瞬の間に、連中は私たちの家庭の何もかも破壊してしまったんです。私の娘は引きちぎられ、私の夫はもういない… 彼なしには私は生きては行けないわ。朝、目を覚まして彼がいない朝なんて想像もできないわ。彼がいなくては息をすることもできない。これからどうやって生きて行ったらいいのか分からない。あの二人が生きていけるなら、私は何でもあげるわ。何でもよ。夫と娘が生き残れるならば、私は自分の手足を失ったって構わないわ。私は自分の目ですべてを目撃した時、私には… 

退院したら私はどこへ行けばいいのかしら。私の両親はストイテレイに住んでいるの。あそこは毎日のように砲撃されているのよ。自分の家は壊されてしまったし… 残された子供たちを死なせないために何処へ避難したらいいのかしら。この幼い子供たち。子供たちに怪我をさせないためには、いったいどこへ避難したらいいのかしら。私は子供たちを奇跡的にも助けることができたの。まったく奇跡だったわ。

これを皆に見せてやって欲しいわ。ポロシェンコが私たちの子供や私たちの家庭に仕出かしたことを。私たちは軍人ではないのよ。兵隊ではないのに。あの連中は一般市民を相手にしているのよ。連中は平和を求めている市民を殺害しているのよ。彼は卑怯者だから、そうしているんだわ。彼は私たちを守ってくれている自警団と戦う勇気なんてこれっぽちもないのよ。戦おうとすると反撃されるからだわ。だから、私たちの子供らを殺しているんだわ。自分たちが無力だからよ。このビデオをポロシェンコに見せてやって下さい。私をどんな目に遭わせたかを。年が老いるまで一緒に幸せに暮らして行こうと思っていた私の娘や夫のことを… 

OSCEがやって来て、これらのすべてを記録した。いったい誰が彼らを取り戻してくれるのだろうか?[6]

先に引用したOSCEの報告書は誰が砲撃をしたのかについては何の評価も行ってはいない。単に「北北西の方向から…」と記録しているだけである。マヨルスクやジェルジンスクといった大雑把な方向に存在するウクライナ軍の拠点については何の記述もしてはいない。砲弾が何処からやってきたのかを主張した地域住民に関しても記述をしてはいない[7,8,9]。

その代わり、同報告書はアンナや他の人たちがこの砲撃の張本人だと言っているウクライナ軍の言い分を掲載している:

ウクライナ軍の少将で、政府軍側の管理下にあるソレダール(ドネツクの北北東77キロ)にある合同管理調整センター(JCCC)の本部に常駐するウクライナ側代表は、5月26日のゴルロフカに対する砲撃はDPRの支配下にある「炭鉱6-7」(ドネツクの北北東42キロ、ゴルロフカの北西7キロ)から行われたものだと主張した。同少将はこの砲撃はウクライナ政府軍の支配下にあるヴォルノヴァカー(ドネツクの南西35キロ)に位置するJCCCオフィスに駐在するウクライナ軍の代表職員が観測したものだと述べた[2]。

このウクライナ軍少将によると、彼の軍隊はゴルロフカから90キロも離れたヴォルノヴァカーから砲撃を観察した。彼は砲撃は「炭鉱6-7」に位置するDPR の拠点から行われたものだと述べているが、この場所は何も言及されてはいないマヨルスクに所在するウクライナ軍側の拠点と非常に近い。「炭鉱6-7」の一帯は何度も砲撃を受けている[10,11,12]。

DPRとルガンスク人民共和国(LPR)の武装勢力が自分たちの街を砲撃したのだと言って、ウクライナ政府は相手側を何回も非難してきた。たとえば、2014年6月2日にはルガンスク政府のビルが砲撃され、少なくとも7人が死亡したが、ウクライナ側はこれはLPR 側のせいだと主張した。その後判明したことではあるが(しかしながら、その報道は十分に流布されてはいない)、航空機による爆撃であって、30個以上ものロケット弾が街へ打ち込まれたのである[13]。つまり、それを実際に仕出かした当事者[14] が言い張って、さらには、米国がそのことを繰り返して主張していた地上発射型の携帯式ロケット弾ではなかったのである[15]。オバマ大統領は空爆の2日後にウクライナのポロシェンコ大統領と会い[16]、防衛省に対する支援として5百万ドルを提供した[17]。

米国務省: 

米国務省のジェフ・ラスキーは5月27日の定例記者会見でこの砲撃に関して質問を受けた[18]。「火曜日にはドネツク地域でゴルロフカの街に対してウクライナ軍による砲撃がありました。3人の一般市民が死亡しました。11歳の子供も含まれています。居住地域に対して重火器を使用することはミンスク合意の下では許されるんでしょうか?」と、Russia Todayの特派員、ガイアニー・シチャキアンが質問した。 

「少し遡って、ウクライナ東部の様子を見てみましょう。あなたが今質問したことについては私はまったく知識を持ってはいませんので、そのことを確認することはできませんが、それ以外にも数多くの状況があります」と言って、ラスキーはすでに報告されているシロキノ近辺やドネツク空港、および、アウディーイウカにおける攻撃に焦点を当てた。「停戦違反のほとんどの攻撃は戦線のウクライナ側にあるウクライナ軍の拠点を攻撃しようとするロシアと分離派の連合軍によって行われています。これはミンスク合意に違反するものです。」  

「あなたはウクライナ軍による砲撃は正当化されると言うんですか?」と、シチャキアンが訊ねた。

「いいですか、よく聞いて欲しいんだが。あなたが言及した報告に関しては私はまったく何も知らないので、それについてコメントはしません」と、ラスキーは応答した。 

「ウクライナ東部で何が起こっているのかについてどれほど詳しく観察しているんですか?」

APの記者、マット・リーがその後を受けて、こう付け加えた。「この件について調査を行って、内容を把握し、あるいは、彼女が言っている報告内容に関して誰かに調査をして貰って、この記者会見で再度話をしてはどうですか。報告内容が停戦違反であるのかどうか、あるいは、それらは停戦内容に完全に合致しているのかどうかを我々に話してください…」 

翌日の5月28日の定例記者会見でリー記者はラスキーにゴルロフカでの砲撃の件を調べたのかどうか質問をした[19]。ラスキーはまたもやアウディーイウカやシロキノ周辺での停戦違反、つまり、前日と同様、報告済みの件を持ち出して、ゴルロフカについてコメントすることは避けた。「昨日議論したことの他に新たに付け加えることはありません。大多数の停戦違反はロシアと分離派連合の側から来ています。」 

「あなたはOSCEの報告書から抜粋しているんですか、それとも、報告書のすべてを言及しているんですか?」と、リー記者は質問した。

停戦違反の大多数という文言についてコメントをする前に、「まあ、大きな全体像を見ることが重要だと私は思います」と、ラスキーは答えた。

「オーケー、文句はありません。でも、あれがあなたが読んだ報告のすべてだと言うんですか?」と、リー記者が差し挟んだ。

「報告書のすべてをここに持ち合わせているわけではありません…」 

ラスキーは以前ウクライナでの米軍による軍事訓練に関して他のリポーターから質問を受けていた。それはウクライナ紛争における対テロ作戦としてのウクライナの役割についてだった。

「これはあなた方が基本的にはどのようにウクライナでの出来事を見ているのかということですか?あなたの見解では、これは対テロ作戦のひとつであるということですか?」

「気が付いておられるとは思いますが、繰り返します」と、ラスキーは切り出した。「2014年6月に制定されたウクライナ法があります。この法律にしたがってウクライナ政府は対テロリスト作戦を遂行しました。つまり、これはウクライナの術語であって、彼らがロシアと分離派との連合勢力に対してどのように自分たちの防衛作戦を考えているのかを示すものです。それ以上に関しては資料を持ち合わせてはいません…」

「でも、連中は米国の軍人ですよ」と、リポーターが口を挟んだ。 

「軍事訓練要員がウクライナの同僚たちと一緒に仕事をするために彼の地にいるのはごく自然なことだと考えます」と、ラスキーは言った。「ウクライナ東部で何が起こっているのか、ならびに、ウクライナ政府に対する我々の支援についての我々の見解は彼らがこの状況に対して戦っているからです。ウクライナ東部で起こっていることは今後も変わりがないでしょう。」 

ウクライナ東部においてはウクライナ当局は人権を完璧に尊重することはできないというウクライナ議会の声明につても彼は質問を受けた。

「ウクライナ議会はウクライナが統治能力を失ったウクライナ領土における人権の保護は一時的にロシアに委任するとの決議をしたとの報告を受けています」と彼は答えた。「これにはクリミア、および、ドネツクとルガンスク両州の一部が含まれます。我々は依然として当該決議案の文言を調べているところです。これ以外には特にコメントはありません…」 

ユーリーとカーチャの葬式: 

父親のユーリーと娘のカーチャは5月28日に埋葬された。アンナは車椅子に乗って病院を出て、この葬式に参列した。そして、非常にたくさんの街の人たちが弔問に加わった。グラハム・フィリップはこの埋葬の様子をフィルムに収めた。何人かの市民はカメラに向かってこみあげて来る怒りや悲しみを吐露した。

「ポロシェンコに伝えて欲しいわ。彼は人間のクズ、嫌な奴だわ」と、一人が言った。「こん畜生!あんたの庭先に咲いている赤いユリに向けてロケット弾を叩きこんでやる!平和の大統領よ、あんたは平和の大統領なんかではない。あんたはファシスト、殺人者だわ。くそ、子供たちがいるのよ。平和そのものの子供たちよ!ろくでなし、畜生め!」[21]

「グラハム、世界中の人たちに伝えてちょうだい。彼らは私たちを殺そうとしているわ」と、別の市民が言った。「いったいあと何人殺す気なの?世界に向けて伝えてちょうだい。」[22]

葬式の6日後、アンナはドネツク人民病院でラッセル・“テキサス”・ベントリーと話をした。ベントリーはドネツク人民共和国のために米国から自発的にやってきた人物であって、当面はEssence of Timeのためにビデオ報告に携わっている。5日前、彼はアンナの破壊された自宅から報告をした[23]。病室では彼女の母親と二人の幼子たちが寄り添う中、アンナはこう喋ってくれた: 

「もしも私がぺトロ・ポロシェンコに引き合わされるとしたら、こう言いたいわ。私は決して腹黒い人間ではないわ。私は非常に敬虔な信者ですもの。でも、心の底から、永らくお元気で、と言うわ。そして、これからの人生の中で私が何時も味わっている苦痛と同じ苦痛を味わって欲しいと言いたいわ。肉体が受けた傷はやがて治るでしょう。しかし、私のハートにダガー・ナイフを刺し込み、私の子供を奪ったのはあなたよ。あなたはわたしが一緒に住み、一緒に呼吸していた私の夫を奪ってしまったのだわ。あなたには私の娘が体をバラバラにされる直前に感じた恐怖と同じものを味わって欲しいわ。あなたが依然として少しでも人間性を持っているなら、お願いだから、もう止めにして!」 

「全世界に向けてのお願い: ウクライナ政権を中断させてください。母親や子供たちを攻撃することは止めてください。皆さん、ウクライナ政府軍の皆さん、ウクライナ軍へ志願しようとしている皆さん、これはあなた方の戦争ではないわ!あなたたちを褒め称える人なんて誰もいないわよ。手や足を失ったとしても、社会から何の償いも得ることはないわよ。有難うなんて言ってくれる人はいないわよ。あなたたちは軍人を相手に戦うために配属されるわけではないわ。あなたたちは子供や女性や一般市民を殺すようにとけしかけられるのよ。あなたたちは食い物にされるカモだわ。上官たちの単なる道具に過ぎない。お願いだから、もう止めて!みんなにお願いしたいわ。私は、今、全世界に向けて言っているのよ。亡くなってしまった私の娘は世界中を愛していたわ。誰にも危害を与えるような存在ではなかったあの子のために…」 

「私の夫は私にとってはすべてだったわ。私は何でも彼に頼っていたわ。それこそ、何でもかんでも。最近、女の赤ちゃんを授かったわ。喜びに満ちた家庭だった。でも、私の人生は壊されてしまった。これはいったいどういうことなのか私にはまったく分かりません。私たちが何か悪いことをしたとでも?」 

「お父さんは娘が生まれて本当に幸せだったわ。私の可愛いカーチャの体はふたつに引き裂かれてしまったわ。彼女の体は変形し、ひどく損傷していたので、最後のお別れに彼女を一目見ることさえもできなかったのよ。何と多くの母親たちが今の私のように泣いているのでしょうか?」 

「この少女を見てください。何故かって?ねえ、あなた、私は腕を一本失っただけではないのよ。私は3本もの腕を失ってしまったわ。彼女は何でもしてくれたものよ。彼女はまるで天国から遣わされた子供みたいだったわ。なぜ彼女なの?私は救急車で運ばれて行きました。でも、彼女はバラバラになったままでした。下半身と両足。片方の耳がちぎられていました。彼女は嫌と言うほど損傷していました。私の夫はハンサムな人ですが、バラバラになっていました。私のカーチャはもういないわ。これが私が持っているもののすべてよ。彼女の写真はこの2枚だけ。ペトロ・ポロシェンコが彼女を奪ってしまったのよ。」[24]

ゴルロフカに対するさらなる砲撃: 

ホルマの郊外はすでに報じられているように5月31日に砲撃を受けた。その翌日、グラハム・フィリップスは住民にインタビュウをした[25]。「もちろん、恐ろしかったわ」と、アラという名の女性が言った。「始まったわ。一気に始まったの。高音の雑音が聞こえてきた。私は庭先で仕事をしていたのよ。雑草を抜いていたの。鍬を放り出して、家へ走って戻ったわ。その後、5分から10分間ぐらいは静かだったけど、また、始まったわ。40分かそこら続いたかしら、あの高音の雑音が。私たちは地下に隠れていました。」

グラハムはその砲撃は何処から来たのかと彼女に質問した。「クルディウモフカやコデマの方向だったわ」と、彼女は言った。「それよりも前に、ジエルジンスクの方からだわ。」 

「つまり、ウクライナ軍の拠点の方角ということ?」と、グラハムが質問した。 

「そうよ、ウクライナ軍だわ。しょっちゅう砲撃をしてくるわよ。でもテレビでは、我々に向けて砲撃をした直後、連中は、今の砲撃はDPRからのものだったと言うの。でも、連中がやったってことは直ぐに分かってしまう。私たちはめくらでも、つんぼでもないのよ。砲弾が何処から来るのか、連中の砲撃が何処から行われているのかは見ることも出来るし、聞くことも出来るのよ。ウクライナ側から砲撃して来るのよ」と、もうひとりの住人、イーラが言った。「ポロシェンコって、ど阿呆だわ。あんたは一般市民や子供たちを殺している。このろくでなし!もう1年も平和に暮らすことが出来なくなっているわ。これからどれ程長く苦しまなければならないと言うの?ここに住んでいるのは皆一般市民だけよ。それ以外の人はいないわよ。連中には恥も外聞もないのね。人間のくず!くたばってしまえ!このろくでなし!」

これを聞いていた他の何人かの住人達が苦笑した。イーラ自身も苦笑してから、こう続けた。「何ですって?冗談じゃないわよ。いったいどれだけ長くこんな苦労に遭わなければならないのよ?子供たちは何だってこんなに長く地下の避難所に隠れていなければならないのよ。昨日は、子供たちは皆が地下室でうずくまっていたわよ。地下室が学校になってしまったわ。誰もが地下室へ避難していたわ。子供たち、年配の女性、みんなが地下室へ避難していた… 私たちはずうっと前からこの地域に住んでいるのよ。誰もがこの地域の住人よ。」 

ゴルロフカでは、6月8日にクルガンカの西側郊外が砲撃を受けた[27]。「これはジェルジンスクからだ」と、翌日Newsfrontの報告のために撮影された住民は言っている[28]。「何も特に変わったことはないんだ。これは皆が知っていることだけど、あちらの方角からの砲撃はクルディウモフカからであり、こちらの方角から来る場合はジェルジンスクからの砲撃だ。」 

6月10日には、ゴルロフカの西側郊外はさらなる砲撃にさらされた。3人が死亡し[29]、16歳の少女が怪我をして、1週間後には病院で亡くなった[30]。

翌日、OSCEの特別監視団員がこの地を訪れた時、地域住民らは絶望的な様子だった[32]。「あなたたちは誰も砲撃をしてはいない時にここへやって来るのね」と、住民の一人が言った。「状況を調べるにはここへは夜になってからやって来るべきだわ。夜の11時。ここで何が起こったか。」 

「我々は夜ここへ来る権利は与えられてはいないんです」と、特別監視団員のひとりが言った。

「何故かと言うと、あんたたちが来ると皆は黙っている。ねえ、誰もが知っているわよ。」

「あるいは、多分、あなたたちは連中のために砲撃の事実を訂正しているのかもね」と、もう一人の住民が言った。

「クルディウモフカに住んでいる親戚があるんだけど…」と、ひとりの女性が言った。「彼女が電話をしてきて、私にこう言ったわ。昨日、連中はマグダリモフカから射撃をしてきたんですって。ここから300メートルしかない所から、ウクライナ軍が撃ってきたのよ。時刻はちょうど連中が私たちの家に向けて砲撃している時だったわ。」 

「我々は事実について話をするだけです」と、特別監視団員が言った。「それ以外のことはコメントできませんよ。」

「あなたたちは無人機を持っているんでしょ。それを使ってチェックできないの?」と、その女性が訊ねた。「あの時間帯にウクライナ軍の砲兵隊が砲撃していたことを…」 

「喚かないで!静かに話してください。」 

「もしあんたたちがあそこに居て、住民が殺された時にその隣の部屋にいたとしたら…」と、もう一人の女性が言った。 

「奥さん、喚かないでください」と、特別監視団員が言った。

「私はこういう状況にはもう飽き飽きしているから、喚くしかないのよ。お分かり?あり得ないことだわ。壁の向こう側で3人もの住民が殺されているのよ。非現実的だわ。あんたたち、OSCEは、今晩、ここで一晩過ごしてみたら?家屋番号は105よ。」 

「我々はもうファシズムの下で暮らしたくはないよね」と、ひとりの民間人がNewsfrontのカメラに向かって言った[33]。「子供たちに向かって砲撃なんてするなよ。子供たちはまだ自分たちの人生さえも知らないんだ。我々は単なる地域ではなく、ドネツクとルガンスクの人民共和国になったんだ。どんな願いを持っているにしても、これはもうそうなるしかないんだ。我々は独立する… 俺に棍棒を渡してくれ。俺に銃を渡してくれ。ポロシェンコのくそったれめ、今出かけて行って、お前を殺してやる。」 

「私はアパートの中で何処にいたらいいのかもう分からないわ」と、近くに座っていた女性が言った。「連中は私たちを皆殺しにしたいんだわ。」 

数多くの弾痕を調べ、撮影したにもかかわらず、6月12日に発行されたOSCEの報告書は次の内容を記述しているだけであった:

ゴルロフカ(DPRの勢力圏内にあって、ドネツクの北北東29キロ)において、SMMは約70人の地域住民に迫られた。彼らは明らかに気が立っていて、気が動転しており、SMMに向かって攻撃的な言葉を吐き、批判的であった。群衆の中の何人かは暴力的な脅迫さえした。OSCE の旗が車両からもぎ取られ、棄てられたことから、SMMはその場から立ち去った。この出来事が起こった時、ゴルロフカにある合同管理調整センター(JCCC)に駐在するロシア軍の代表もその場に居た[34]。

彼らは6月13日の報告書で自分たちが調査した内容を報告した[29]。ウクライナ軍の拠点は何処に位置しているかについては言及せず、報告書は「SMMは弾痕を調査し、北から南の方向へ飛来した砲弾による衝撃を評価した…」とだけ記述している。

テレビで放映されたアンナとザハールおよびミラーナ: 

アンナ・トウフはロシアのテレビ局、Channel Oneの7月1日の「ピーター・トルストイと政治」という番組で自分たちが遭遇した苦難について喋った。

白昼の出来事でした。あの日、私の娘は素晴らしい成績でこの一年間の学校生活を終えたところでした。5月21日には砲撃の下で彼女の誕生日を祝いました。

5月26日、子供たちと一緒に私たちは野菜に水をやっていました。小さなミラーナは家の中に一人でいました。私たちは特徴的な「ヒュー」という音を耳にしました。何かが近くに落下しました。私たちは急いで家に駆け込み、子供たちは廊下に隠れました。「ヒュー」という音を聞いた後で最後に家の中へ駆け込んだのは私でした。その瞬間、砲弾が私たちの家を直撃したのです。

爆発の直後、私は正気に戻りました。腕がなくなっているのに気が付きました。息子のザハールが土に埋まって泣いていたので、彼を掘り出しました。そして、私は娘の死体を目にしました。カーチャはふたつに引き裂かれていました。彼女は5月21日に11歳になったばかりです。寝室へ駆け込みました。傷を負ったミラーナがそこに横たわっていました。彼女は5月12日に生まれたばかりです。あの日の2週間前でした。

それから、ふたつ目の砲弾が落下しました。砲撃が続いていたので、救急車は長い間到着することは出来ませんでした。私たちの地区は長い間ウクライナ軍による砲撃に晒されています。こういった砲撃が何処から行われているのかを私たちは知ることが出来ます… 

(私の夫は)自分の体で私を守ろうとして私を押しのけました。これが何処から飛来してくるのかを確かめようとして、飛び出そうとしました。夫は玄関先の廊下でバラバラにされてしまいました。

…これは「停戦中」の5月26日のことです。私の娘は6月1日、「子供たちを保護する日」に開催されるファッションショウに参加することになっていました。あのショウでは彼女はモデルになっていた筈なんです。でも、私の目の前で死んでしまったわ。バラバラになって。ザハールとミラーナと私はこうして生き残りましたが… 

「あなたはこの機会にペトロ・ポロシェンコに向けて何か言いたいことがあるかと思います」と、ホスト役の一人が言った。「こちらのカメラに向かって、どうぞ。」  

ぺトロ・ポロシェンコ、私は個人的にあなたにお願いがあります。一人の人間として振舞って欲しいと思います。虐殺行為をしないでください。一般市民を強姦し殺害する部隊を送り込むことはもう止めてください。我々はテロリストによって占領されているわけではありません。ただ、あなたがたと一緒にいたくはないのです。一般市民を殺害せよといった悪魔的な命令を下すことは止めてください。この戦争を開始したのは私たちではありません。私たちには戦争と共通するものなどは何もありません。私たちは自分たちの生活を営んできただけです。あなたのせいで自分の息子や夫を失くしたすべての母親や妻たちを代表して、私はあなたに言いたいのです。一般市民を殺害することは止めてください。まともになって下さい。我々の子供たちを孤児にするこの血なまぐさい行為を止めてください[37]。

ヴィクトリア・シロヴァはウクライナの良く知られた「反戦」グループのメンバーである。このグループはアンナのために募金集めを開始していた。彼女もこのテレビ・スタジオに来ていた。

「私はキエフに住んでいます」と、彼女は反対側に座っているウクライナ政府の代表たちに向かって言った。「一般大衆の86パーセントは市民を殺戮することを嫌っています。あなた方はこの赤ちゃんに向けて何も言おうとはしないのね…」 

彼女はアンナとミラーナの方へ歩いた。「アネーチカ、お願いだから、赤ちゃんを貸してちょうだい」と言って、彼女は赤ちゃんを抱き上げて、政府を弁護する連中の方へと移動した。 

「この子を見てちょうだい。しっかり見て。あなたもよ。この子を見て!あなた方はこの子のような子供たちを殺したり、不具にしたりしているのよ。お分かり?見ましたか?気の毒に思いませんか?この子を見ましたか?この子のような子供たちが何百人もいるんです!この赤ちゃんが可哀そうではありませんか?この子の11歳のお姉さんは殺されたんです。ふたつに引き裂かれて!」 

4日後、ラッセル・ブラッドリーは再びアンナを訪ねた。彼女には花束を、ザハールには玩具を持ってやって来た。彼は彼女の名前の下で資金集めを行うことにしたと彼女に伝えた。「世界中の人たちが支援を申し込んでいますよ」と、彼は言った。彼女は支援者たちに礼を述べ、その後の彼女たちの状況について次にように喋った: 

今日は私の家族が亡くなった日から40日目になります。あの日、私の生活は天と地とが完全にひっくり返りました。事実、私は彼らの元から戻ってきたばかりです… 

心理学の専門家が息子のために3週間も作業を続けてくれていまして、彼の恐怖心はもう峠を越しました。彼は邪魔されることもなく睡眠をとり、泣き出すこともありません。強力な轟音を伴う砲撃があっても、彼は絶叫したり、床面に倒れ込むようなことはしません。ストレスは少しづつ消えようとしています。私の聴力も戻ってきています。鼓膜が破れて、片方が聞こえません。右側の耳が聞こえるようになってきました。打撲傷はもうすっかり治りました。骨折した肩甲骨はもうほとんどつながって、右腕を使って作業ができるほどになっています。左腕の包帯はもう外されています。傷は治りつつあります。砲弾のかけらも除去されました… 

私たちはウクライナへは復帰したくはありません。もう二度と。絶対に。私たちは決して許さないわ。市民たちは決して許さないでしょう。私たちはこれにじーっと我慢をするようなことはもうないだろうとペトロ・ポロシェンコも最終的には理解すると思います。いくら数多くの市民を殺害し、あるいは、不具者にしたとしても、私たちはもう後へは引かないわ。私たちは決して諦めないわ。わたしたちは自分たちの自由のために、世界的展望のために最後の最後まで戦うわ。現行の政権に我慢し続けることはないのよ… 

ご支援をいただいて、こうしてご一緒させていただいて私は本当に嬉しいわ。今はこれが呼吸をするのと同じように必要なんです。あなた方は私を一人ぼっちにしなかったわ。本当に有難うございます。感謝の念で一杯です。私の手がどれだけ動くようになれるかはこれ次第です。本当に大事なことなんです。私は義手を入手するために1銭でも多く貯めなければなりません。だって、ミラーナにはリボンを結んであげたいし、ザハールを両手で抱きしめてやりたいからです。彼は何時もこう聞いてくるんです。「何時になったら手が生えてくるの?」って[39]。

参考文献
[1] ”May 26, 2015 – Shelling Kills Civilians in Gorlovka,” Watchdog Media Institute, Aug 9 2015, https://www.youtube.com/watch?v=FVes1htZj_g
[2] ”Latest from OSCE Special Monitoring Mission (SMM) to Ukraine based on information received as of 19:30 (Kyiv time), 27 May 2015,” OSCE, 28 May 2015, http://www.osce.org/ukraine-smm/160611
[3] ”Ukraine: OSCE investigates deadly shelling in Gorlovka *GRAPHIC*,” Ruptly TV, May 27 2015, https://www.youtube.com/watch?v=KpvG-HOmocY
[4] ”Destroyed Houses of Gorlovka,” Airdonbass, June 2 2015, https://www.youtube.com/watch?v=zSe_AKEjQKc
[5] ”Gorlovka – Interview with Anna, part 1/2,” Graham Phillips, May 28 2015, https://www.youtube.com/watch?v=guZl45s_rkc
[6] ”Gorlovka – Interview with Anna, part 2/2,” Graham Phillips, May 28 2015, https://www.youtube.com/watch?v=Y_O6lv7OjzQ
[7] ”Gorlovka – 27.05.2015 – Witness,” Graham Phillips, May 28 2015, https://www.youtube.com/watch?v=Tp7EGIFRkAk”
[8] ”Gorlovka 27.05.15 – Witnesses,” Graham Phillips, May 28 2015, https://www.youtube.com/watch?v=WznKazuOfUw
[9] ”Gorlovka,” Anatoly Shariy, May 28 2015, https://www.youtube.com/watch?v=RBpDO5cw9JM
[10] ”Security forces launched an offensive: Storming of Gorlovka,” Riafan, May 13 2015, http://riafan.ru/273549-siloviki-nachali-nastuplenie-idet-shturm-gorlovki/
[11] ”Gorlovka June 8, 2015 The shelling of the area of the mine 6 7,” Marcus Macerinus, June 8 2015, https://www.youtube.com/watch?v=lnEvszi7dcM
[12] ”Gorlovka. Destroyed Mines Area 6-7,” Opasnie, June 16 2015, https://www.youtube.com/watch?v=YK7oOt2eSu0
[13] ”Airstrike in Lugansk City [June 2, 2014],” Watchdog Media Institute, June 1 2015, https://www.youtube.com/watch?v=tuS2UD1mbt0↩
[14] ”On Luhansk Bombing, Ukraine PR Denies Then Tells ICP of OSCE Web Site Blocked, Odessa Probes,” Innercity Press, June 4 2014,https://www.youtube.com/watch?v=hE0Qre4jRr8
[15] ”Daily Press Briefing,” U.S. Department of State, June 3 2014, http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2014/06/227073.htm
[16] ”Obama declares commitment to Kyiv, but is it enough?” Euronews, June 4 2014, http://www.euronews.com/2014/06/04/obama-declares-commitment-to-kyiv-but-is-it-enough
[17] ”Daily Press Briefing,” U.S. Department of State, June 4 2014, http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2014/06/227099.htm
[18] ”Daily Press Briefing,” U.S. Department of State, May 27 2015, http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2015/05/242942.htm
[19] ”Daily Press Briefing,” U.S. Department of State, May 28 2015, http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2015/05/242972.htm
[20] Andrew E. Kramer. “Battle Tested, Ukraine Troops Now Get U.S. Basic Training,” New York Times, May 9 2015,http://www.nytimes.com/2015/05/10/world/europe/ukraine-troops-receive-us-basic-training-after-battle.html?_r=0
[21] ”Tell Poroshenko that he is scum – Gorlovka funeral procession today,” Graham Phillips, May 28 2015,https://www.youtube.com/watch?v=yLpGdHPdXVA
[22] ”Graham – tell the world that they are killing us,” Graham Phillips, May 28 2015, https://www.youtube.com/watch?v=kZbQ4zJw-Gk
[23] ”Family suffered from the punishers shelling. Gorlovka. DNR. Episode 475,” Essence of Time, May 31 2015,https://www.youtube.com/watch?v=YgB2bhFfEtM
[24] ”Texas with Tuv family. English Subtitles, Donetsk. DPR. Issue 484,” Essence of Time, June 5 2015, https://www.youtube.com/watch?v=aDmNMH3iKsE
[25] ”Golymovskiy – Witness Shelling ‘Terrible’,” Graham Phillips, June 1 2015, https://www.youtube.com/watch?v=BmZoAUGvn5g
[26] ”Gorlovka Under Fire #1 – Special Report, June 2nd,” Graham Phillips, June 3 2015, https://www.youtube.com/watch?v=AzXlGfZeCj4
[27] ”The shelling of Gorlovka! Komsomolets! 06/08/15,” ИБ Пятнашка, June 8 2015, https://www.youtube.com/watch?v=SzXViUuOxNY
[28] ”DNI. Shelling Gorlovka June 8 – traces of crime and punitive comments civilians,” Newsfront, June 9 2015,https://www.youtube.com/watch?v=wHMoZE08LlU&feature=youtu.be
[29] ”Latest from OSCE Special Monitoring Mission (SMM) to Ukraine based on information received as of 19:30 (Kyiv time), 12 June 2015,” OSCE, June 13 2015, http://www.osce.org/ukraine-smm/164141
[30] ”Donbass News Today (#1) Funeral for 16-year-old Victim of Ukrainian Shelling,” Graham Phillips, June 1 2015,https://www.youtube.com/watch?v=2h8IXMwjGXU
[31] ”10 – 11 June 2015 Gorlovka. The consequences of the shelling of the city Armed Forces of Ukraine,” Gorlovka Infocentre, June 10 2015, https://www.youtube.com/watch?v=dKbgwnoqQhE
[32] ”News Release 11.06.15,” Gorlovka Channel 6, June 11 2015, https://www.youtube.com/watch?v=qWw7S-XaL8s
[33] ”Residents Gorlovka desperate curse Ukrainian punitive and Kiev authorities, bombing their homes,” Newsfront, June 1 2015,https://www.youtube.com/watch?v=NFXi53OatSM&feature=youtu.be
[34] ”Latest from OSCE Special Monitoring Mission (SMM) to Ukraine based on information received as of 19:30 (Kyiv time), 11 June 2015,” OSCE, June 12 2015, http://www.osce.org/ukraine-smm/164126
[35] ”Shelling Gorlovka 15.07.15,” ИБ Пятнашка, July 16 2015, https://www.youtube.com/watch?v=MWu7Fm1GX3w
[36] ”May 21, 2015 – Shelling in Gorlovka,” Watchdog Media Institute, August 9 2015, https://www.youtube.com/watch?v=O2HJmLZRXSA
[37] ”Politics with Peter Tolstoy. “War in the Donbass: the tragedy of the people” (01.07.2015) © Channel One,” Channel One, July 1 2015,https://www.youtube.com/watch?v=viI6LSAiln4&feature=youtu.be
[38] ”Facebook photo,” Russell Bentley, July 5 2015, https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10207114782650849&set=a.1078784572742.2013519.1320094225&type=1&permPage=1
[39] ”Anna Tuv (English Subtitles),” Essence of Time, July 7 2015, https://www.youtube.com/watch?v=OvR_dDHQ6uE

Copyright © Chris Nolan, Watchdog Media Institute, 2015
<引用終了>

全文の仮訳が終了しました。ちょっと長い記事ですが、溢れる涙があなたの目をかすませることがない限り、どんどんと先へ読み進めることができると思いますので、ご容赦ください。

会話の部分の殆んどはそれに関連するビデオも参照されていますので、ちょっと覗いてみてください。文面からは得にくいアンナの感情や市民たちのウクライナ政府に対する反感がビンビンと伝わって来ます。Photo-9やPhoto-18に対応するビデオは秀逸です。ビデオではロシア語が使用されていますが、英語の字幕を設定することが可能です。ただ、機械翻訳ですから、完全な訳ではありませんが…

OSCEの活動振りについては、ドンバス市民からの冷ややかな批判が感じ取られます。もっとも中心的な不満はOSCEの特別監視団員がウクライナ側の砲撃拠点の場所を曖昧にしている点です。個人的な見解ですが、ウクライナ軍側の軍事的行動に関して公式の記録として残すことを避けているかのように見えます。

また、米国務省のジェフ・ラスキーの記者会見の様子を見ると、米政府が自分たちに都合が悪いことは何が何でも隠し通そうとする魂胆が見え見えです。この部分は政府側の横暴さを余すところなく伝えていると言えましょう。その一方、記者会見で国務省の報道官に執拗に食い下がろうとする記者たちの努力には拍手を送りたいほどです。

何はともあれ、アンナには今や心のゆとりが出てきたように感じられます。子供たちのためにもしっかりとした生活を送って欲しいと思います。

「アンナ・トウフの物語」は氷山の一角でしかありません。21世紀はすでに15年を過ぎようとしていますが、そのページをめくるごとに世界は悪化するばかりであるかのような印象を受けています。これは小生だけでしょうか。ウクライナの内戦には一日でも早く終止符を打ち、誰もが平和裏に生きることができるような政治環境を整えたいものです。

参照:
注1: War Crimes in Gorlovka, East Ukraine: The Anna Tuv Story: By Chris Nolan, Global Research, Sep/06/2015

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