Dendrodium 続くギリシャの苦悩

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続くギリシャの苦悩 

私たちの国民投票どこへ? ギリシャで緊縮反対デモ

ギリシャ政府がEU側に提出した改革案が国会で審議された10日夜、アテネ中心部のシンタグマ広場周辺では、5日の国民投票で拒否された緊縮策の容認にかじを切ったチプラス政権に抗議するデモが相次いだ。主に左派政党を支持する参加者らは「EU離脱」「新提案反対」などとシュプレヒコールを上げ、横断幕を掲げて国会前まで行進した)


チプラス首相が国民の怒りを買ってまで、EUに(アメリカに)恭順の意を表したのに、
ドイツ蔵相からユーロ離脱を求められるなど、又もやギリシャは攻撃の的にされている。(こちら

桜井ジャーナルは、
今年3月、ヌランドはチプラス首相に対し、ロシアと戦っているNATOの結束を乱したり、ドイツやトロイカに対して債務不履行を宣言するなと警告、さらにクーデターや暗殺を示唆したとも言われている。
 この情報が正しいなら、自分の警告を無視して7月5日に国民投票を実施、その直前にはロシアのウラジミル・プーチン大統領と会って天然ガス輸送用のパイプライン、トルコ・ストリーム建設の話をしたチプラス首相にヌランドが激怒したことは間違いないだろう。

と書いておられる。
ギリシャ債務にはアメリカのゴールドマンサックスも一枚噛んでいるそうだから、
ギリシャ問題がアメリカにとって無関係なわけでないだけでなく、
このままギリシャがロシア圏に行く事を許したら、、
ギリシャと同様の状態にあるスペインやイタリアが、次々にEUを離脱し、
EUが崩壊しかねない。
アメリカはアメリカに従属しない国を敵視する国だそうだから(こちら
現在アメリカに従順なEUを崩壊させて、
非従順な国を続出させる事態を許すはずがない。
それではアメリカ覇権主義者にとっては、座して死を待つようなものと映る事なのだろう。

元々EUには絶対に譲歩せず、
どうしても駄目だったら、ロシアの提案を受け入れる積りだったチプラス首相を、
こんなに豹変させたのは、相当の脅しがあったと見て間違いないだろう。

チプラス首相はスペインのポデモスの党首パブロ・イグレシアスと意気投合していたそうである。
強力な同志もあり強気だったチプラス氏も、
アメリカの裏工作でギリシャにカラー革命の様なものを呼び込む事になったら、
国民をもっと苦しめる事になるかも知れないと、躊躇してしまったのではないだろうか?

チプラス首相が初志を貫徹すべきだったのかどうかは、
誰にも分からないのではないだろう。


「続きを読む」に
今スペインで新しい政治的潮流と言われているポデモスの党首パブロ・イグレシアスのインタビュー記事をコピーさせて頂く。

対談記事翻訳:いま世界が注目するポデモスの代表者

パブロ・イグレシアスが語る

《ギリシャからスペインへ》

 2015年7月5日は世界の歴史に永遠に残るだろう。欧州の弱小国ギリシャの国民が、恐竜のようなIMF・欧州中銀・EUの「トロイカ」による“ファイナンシャル・テロ”に対して、圧倒的な“OXI!(No!)”を叩きつけたのだ。感動的なまでの圧勝だった。これでギリシャはユーロ圏とEUから出ていくのだろうか。私はそうは思わないし、そうなってはならない。変わらなければならないのはギリシャではなく、欧州なのだ。

 いまスペインのラホイ国民党政府は声も出せないでいる。イベリア半島のノーテンキ男マリアノ・ラホイは6月30日に「(ギリシャに対するトロイカの融資案)賛成が勝てば、それはすばらしいことで、他の新しい政権と交渉できるだろう」と、ギリシャのシリザ政権が消えて無くなることを前提にするような軽率な発言でひんしゅくを買っていたのだ。そしてトロイカの勝利とギリシャ国民の敗北への確信(熱望)を高言してきた立場が丸つぶれにされたうえに、いままで目の前にありながら見ようともしなかった「地獄絵」に気づき、慌てふためいて閣僚と額を寄せ合っている。惨めな姿だ。時すでに遅し。

 その「地獄絵」とは、「支援」の名目で直接・間接にギリシャに出資してきた 総額260億ユーロ(約3兆5千億円)が戻ってくるのかどうかという問題もあるが、それ以上に、いや必然的にそれに伴って発生する「ギリシャの次はスペイン」という危機の連鎖である。この国には経済危機が間髪を置かず政治危機に転化するための舞台装置が、今までに十分に形作られているのだ。一つにはマドリッド政府に愛想を尽かすカタルーニャやバスク(ナバラ州を含む)の分離独立運動の激化があるのだが、何よりもスペイン政府が恐れているものは、ギリシャのシリザと同じ方向性を持つポデモスの存在だろう。

 巨人ゴリアテに立ち向かうダビデのようにギリシャの英雄となった青年チプラスは、早くからポデモスの党首パブロ・イグレシアスと意気投合している。国民投票の結果を見定めて後の交渉を有利にするためにさっさと辞任したギリシャの財務大臣ヤニス・ヴァロウファキスは投票前日の 7月4日に「ギリシャを取り扱っているものは“テロリズム”という名前を持っている」と述べ、またベネズエラのマドゥーロ大統領も国民投票の結果を知って「IMFのファイナンシャル・テロリズムに対する偉大な勝利」とギリシャ国民を称えた。一方でパブロ・イグレシアスはすでに6月27日に「トロイカはギリシャに対してファイナンシャル・テロリズムの作戦を立ちあげている」と警告していたのである。

【写真:イグレシアスは2015年1月22日にアテネを訪問しチプラスとともに演壇に立った。】

 そのイグレシアスはギリシャ国民投票での“OXI!(No!)”の勝利を確信してすぐに「今日、ギリシャで民主主義が勝利した」と語って、自らのツイッターの写真をチプラスと一緒に写したものに取り換えた。彼の胸の中ではすでに「ギリシャの次はスペイン」の計画が立てられている。それは決して「皮算用」でも「絵に描いた餅」でもない。ギリシャで起こり、スペインで進行中であり、いずれ欧州全土を揺り動かす巨大な「地下変動」、人々が、目の前の「利益・不利益」を振りかざした嘘と脅迫の正体を見抜いて巨大な権力に対して自ら立ち向かう、本物の民主主義の芽生えに対する確信である。(スペインの権力者どもはこれを「ポピュリズム」と呼んで非難しているが。)

 なお、外部サイトでギリシャ情勢に関して正当な見方をしている記事として、田中ニュース:「 ふんばるギリシャ」、マスコミに載らない海外記事:「 ギリシャはいかにして "エコノミック・ヒットマン"の犠牲となったか 」、「他のNATO加盟諸国を待ち受けるギリシャ危機」をお勧めする。また、スペインもその同じ“ファイナンシャル・テロ”によって国土と人々の生活と人心を悲惨なまでに破壊されてきたのだが、これは当サイトのシリーズ:「『スペイン経済危機』の正体」を参照のこと。さらにスペイン国内の“テロ実行犯”どもについては「スペイン:崩壊する主権国家」。


《パブロ・イグレシアスへのインタビュー記事の和訳》

 ところで、スペインのポデモスとその党首イグレシアスについては、日本でも少しずつ知られ始めただろうが、その生の声を知る人は少ないだろう。そこで、先日(2015年6月24日)にスペインの新聞(インターネット版)であるプブリコ(Público:スペイン語)およびクリティック(Crític:カタルーニャ語)に掲載されたインタビュー記事を和訳(仮訳)してお目にかけることにしたい。翻訳の原本はプブリコ紙の次のスペイン語記事を用いた。
http://www.publico.es/politica/pablo-iglesias-queden-bandera-roja.html
Pablo Iglesias: "Que se queden con la bandera roja y nos dejen en paz. Yo quiero ganar"(パブロ・イグレシアス:“赤旗を保持して我々のことは放っておいてくれればいい。私は勝利したいのだ。”)

 ポデモスとイグレシアスについての一般的な情報はこちらのWikipedia日本語版およびこちらのWikipedia日本語版で知ることができる。しかしその登場の背景については当サイト「幻想のパティオ(スペインの庭)」にある多数の記事の情報を参照してほしい。直接にポデモスについて書いているのは『ポデモスの台頭と新たな政治潮流』である。

 ただし、この翻訳記事に書かれている内容は、スペインの現代史と現在のスペイン社会と政治状況について詳しく知らない人にとっては全く理解できないことが多いだろう。段落ごとにできる限り詳しい訳注を施しておいたのだが、それでもスペインの社会に生きてその空気を吸っている人でなければ理解は非常に難しいかもしれない。しかしそれでも、この翻訳を通して、少しでもポデモスとイグレシアス、そして現在のスペインについて知る人が増えるなら、翻訳作業の意義があったのかもしれない。

 なお、この記事の中で数多く登場するIU(統一左翼党:Izquierda Unida)について最初に説明しておきたい。これは旧スペイン共産党を軸に作られた左翼政党で、フランコ独裁が終了した後、30年間以上も少数政党として一定程度の勢力を保ち続けてきたが、いま、ポデモスの台頭によってその存在意義が問われている。イグレシアスはIUに対して非常に厳しい態度を取っているのだが、その理由についてはこのインタビュー記事の中で十分に説明されているだろう。

 また、このインタビュー記事の後ろに訳者からの「翻訳後記 」を掲げ、和訳への補足としておきたいので、ぜひお読みいただきたい。


2015年7月8日 バルセロナにて 童子丸開

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プブリコ  2015年6月24日

パブロ・イグレシアス:“赤旗を保持して我々のことは放っておいてくれればいい。私は勝利したいのだ。”


 ポデモスの総書記パブロ・イグレシアス(マドリッド、1978年生)は本日、「変革の道程」と呼ばれる全国行脚のカタルーニャでの日程を開始する。その道程はカディス[1] で始まり、バルセロナがその第2の滞在地である。去る13日にその2都市でポデモスに支持される市長が就任した。ホセ・マリア・ゴンサレス[2]通称キチ、そしてアダ・クラウ[3]である。
[1] カディスはスペイン南部アンダルシア州にある港町(参照:Wikipedia日本語版)
[2] キチ(Kichi)の通称で親しまれるホセ・マリア・ゴンサレス(José María González )は、2015年5月24日に行われたスペイン統一地方選挙で、20年続いた国民党市長に代わって、ポデモスを中心に作られた会派の代表として市政を握った。39歳。
[3] アダ・クラウ(Ada Colau )は、やはり2015年の統一地方選挙の結果として、バルセロナの新市長となった。当サイトより こちらを参照せよ。

 そのポデモスの指導者は、マドリッドの本部にある事務所でプブリコおよびクリティックの記者の訪問を受ける。いくつかの「スパルタ式」[4]の場所 に装飾やシンボルが全く存在しないことが目を引く。ロゴも無いしポスターも無い。「ここは仕事の場所なんです。仕事は朝早くから始めて夜遅くに終わるんですよ」とイグレシアスは強調する。このインタビューは、カタルーニャ語とカスティージャ語(スペイン語)で同時に公表されるが、取り急ぎの質問よりも政治思想により重点を置くつもりである。
[4] この「スパルタ式」は、おそらく簡素で飾り気のない厳しい雰囲気を持った場所、とでもいうことなのだろう。


《問》その「変革の道程」とは何ですか? 何のためのものですか?

 それは総選挙に向けたプロセスの第一歩ですが、それが我々単独でできるものではないことは分かっています。ポデモスは総選挙で候補者を出すために作られた機関なのですが、しかし市民社会の代表者たちと出会う必要があり、非常に特別な人々とのある種の関係と接触の中で作業を続けなければなりません。我々は自分たちが大勢の人々の機関として振る舞うことを理解しなければならないし、私は単に一つの党の候補者ではなく大勢の人々の代表者とならねばならないのです。

 同時にまた機が熟すのに対応します。

 我々ポデモスの最も優れた点は入口を開くことです。入口を開き人々が入ります。

 我々は、攻撃を受け続けた1年を経て、多くのことを学んできました。メディアとの関係で、私はいつでもNBAの試合を例にとります。そこでは、新米の選手たちが顔に肘打ちを喰らい審判はそれを見ようとしません。我々はそのような多くのことに苦しんできたし、おまけに我々は新米でした。たくさんのまずいことや失敗をやらかしました。そしてこの変革の道程は、人々とのそして様々なメディアと何らかの形で関係を作っていくことを計画しています。それが、我々が心底何であるのかを表に出してくれればと思います。

 私は自治州と地方自治体の選挙[5] について十分なイメージを感じ取っています。州議会や市町村議会で我々の議員が持っている姿です。それは非常に力強いものに思えます。
[5] 2015年5月24日に行われたスペイン統一地方選挙については、当サイトのこちらとこちらを参照のこと。


《問》総選挙の前におそらくカタルーニャの選挙があるでしょうが[6]、それは、カタルーニャとスペインの関係に変化をもたらす住民投票実施の合法化が不可能であることを受けて[7]、9月27日に「国民投票」として告示されるものです。プデム[8]がそのような動きに参加するやり方について、ポデモスは疑惑の空気に包まれています。パブロ・イグレシアスさんとしては、ICV[9]、EUiA[10] や憲法制定プロセス[11]といっしょに「アオラ・カタルーニャ」あるいは「カタルーニャ・エン・コムー」を[12] 形作るための、交渉や対話のプロセスを、どのように見ていますか? 「すばらしい」とおっしゃるのですが、それらの諸党との連立の形の中であらゆる立候補の提案をはっきりと拒否していますね。それを、特に力を入れて強調を強めながら行っています。
[6] カタルーニャ州議会選挙は統一地方選とは別に今年の9月27日に予定されている。前回の選挙は3年前(2012年)11月に行われたが、今年は1年前倒しにして行われるものだ。
[7] 昨年、カタルーニャ独立の可否を問う住民投票に対する違憲判決が出た後(参照:当サイト)、11月9日に、カタルーニャ州政府の主催ではなく州民による自発的な投票という形で「住民投票」が実施された。その際に学校などの公的機関を用い公営の報道機関で広報したことで、マス州知事ら3人が起訴されている。なおその「住民投票」では投票者の圧倒的多数が「独立賛成」だったが、投票率は40%にも満たなかったため、いずれにせよ独立に向けての力にはなり得なかった。
[8] スペイン語のpodemosは「我々はできる」という意味だが、カタルーニャ語ではpodem(発音は「プデム」)という。
[9] ICV(Iniciativa per Catalunya Verds)はカタルーニャにある左翼系の環境政党で、ドイツなどの「緑の党」にあたるもの。
[10] EUiA(Esquerra Unida i Alternativa)は全国政党IU(統一左翼党:Izquierda Unida)の系統だが、カタルーニャではICVと統一会派を作っている。
[11] 憲法制定プロセス(Procés Constituent )はカタルーニャに新たに作られた政党。当サイトの こちらとこちらを参照のこと。
[12] 5月の 統一地方選挙で、マドリッドの国民党市政を終わらせた政治会派が「アオラ・マドリッド(Ahora Madrid)」、またバルセロナで市政を握ったのは「バルセロナ・エン・コムー(Barcelona en Comú)」であり、ともにポデモスとそれに近い市民組織によって作られている。詳しくは当サイトの こちらとこちらを参照のこと。ここでは、それらの名にちなんでこのように言っている。

 バルセロナ・エン・コムーは勝利ではありませんでした。そこにEUiA、ICVなどの諸党がいたからです。しかし勝利でした。アダ・クラウがいましたし、新しい事柄が何らかの形で反映されたからです。欧州議会選挙でのポデモスの登場には多くの見所がありました。バルセロナ・エン・コムーやアオラ・マドリッドの成功のカギはそこです。内部にどんな政党があるのかなど見るべきではありません。

 アオラ・マドリッドについて言えばIUはいませんでした。それは候補者を別に立てていました。我々は、我々が自分たちのロゴタイプと名前を重要視しているにもかかわらず、カタルーニャでは支持を積み上げているように思います。カタルーニャのプデムが多くの空白地域を持っている[13] ことは分かっています。でも、どんな事柄についても対話を成り立たせることは確かに意義があると思いますが、左翼政党の連合の形をとらないようにしなければなりません。それは私がそれに思想的な問題点を持っているからではありません。すばらしいと思えるのですが、それでは勝つことはできません。
[13] プデムは、バルセロナなどの大都市部ではかなりの支持を受けているが、地方の小都市や郡部ではほとんど力を持っていない。これは明らかにカタルーニャ独立に対する態度によるものだろう。

 左翼に対する明らかな盲目的信仰があります。お前が計画しているのは左翼のそれだろうと言われます。確かに、そう。確かに、我々が語ることの全ては左翼が歓迎することです。しかし、この国を変えるためには、我々の計画を左翼が好むだけでは十分ではありません。左翼的な言葉や左翼的な諸シンボルに彩られる自己証明では不十分です。その論点や提案で自らを明らかにする社会的多数派が不可欠です。その社会的多数派の中では発言する多くの部分があるでしょう。左翼であることは私にとって自己証明にはなりません。そしてそのことが、ある意味で今年になって我々が示してきたことなのです。我々は、左翼が非常に好んだような提案を示してきましたが、ある異なる論点と異なった形で、勝つことができ、また権力に挑むことができました。そしてそれには、過去に左翼がやってきたようなものとは逆の事柄が含まれています。

 最後に、あるジャーナリストについての例をあげます。左翼の男なのですが、ある記事で、スペインでは人々は変化ではなく取り替えを好むと書いていましたが、それは嘘です。人々はシウタダノス[14]を好む、と。ポデモスよ、お前たちは自分で自分に平手打ちを食わせるだろう、なぜならお前たちは自分たち自身に投票しようと考えているからだ、と。実際に彼が言いたかったことは、スペイン人たちはポデモスよりもシウタダノスを好んでいる、ということです。それは統一地方選挙の前に語られました。そして同時に彼は統一左翼党について語っていましたし、私もそう思います。もちろんですがそのことはある人々のことを明らかするものです。彼らはこの国を見下しています。
[14] シウタダノス( Ciudadanos)は急激に全国に勢力を伸ばしている右派政党だが、当サイトのこちらを参照のこと。


《問》そしてそんなふうに、イグレシアスさんは旧来の左翼を代表すると見なす人たちに直接に立ち向かうわけです。[15]
[15]ここからの2段落に書かれているイグレシアスの言葉は、インタビューアーに対するものではなく、「旧来の左翼」特にIU(統一左翼党)の幹部に対する批判の言葉を想定したものと思われる。

 あんたたちは自分たちの国と国民を恥ずかしく思っている。人々は愚かでありくだらぬテレビを見て、とか何とか、そして自分たちは教養がありそんなふうな敗北の文化に対して怒り狂うことを喜ぶ。典型的な左翼主義者は悲しげで退屈で苦々しさに包まれ…、根っからの悲観主義。何も変えることはできない、ここでは人々は愚かでありシウタダノスに投票するが、でも自分はむしろ支持率5%であることやら自分の赤旗やら、なんたらかんたらを、より好む…。ご立派なことだ。でも私のことは放っておいてくれ。我々はそんなふうにしたいとは思わない。我々は勝ちたいのだ。他のことに気を使ってくれ。

 我々がやることや提案することに対してそんなに気を使わないようにしてくれ。あんたの存在論的な悲観主義の中で生き続けてくれ。赤い星やら何やらでいっぱいのソースを煮詰めてくれ。でも近寄らないでほしい。あんた達は特にこの国の中で何も変わらないことの責任者だからだ。私は、25年間も何一つ為す能力を持たなかった政治的な燃えカスは望まない。統一左翼党の政治指導者たちを望まない。そして、私はかつて彼らのために働いたのだが、我々に近寄るにしても彼らはこの国の政治状況を読むことができない。あんた方の組織にとどまってくれ。選挙に出馬したらいい。でも我々のことは放っておいてくれ。もう何年もの間、何が起こってきたのかを理解しそれに適した指導をする能力が無かったのだから。あんた方の場所にとどまってくれればよい。インターナショナルを歌うことはできるし、あなた方の赤い星を持つこともできるし…、私はそれを邪魔しようとは思わない。もっと言えば、そうすることがあるかもしれない。私にとってそれはまた嬉しいことでも楽しいことでもあるからだ。でも、私はそれで政治をしたいとは思わない。我々が他の物事をするがままにさせてくれ。


《問》ただ、カタルーニャとプデムの推薦候補についての話に戻るのですが、候補者はアルバノ・ダンテ[16]でなければなりませんか?
[16] アルバノ・ダンテ(Albano Dante)はジャーナリストでプデム党員。9月27日のカタルーニャ州議会選挙でプデムの候補者名簿の筆頭。

 私はアルバノを推します。タレザ・フルカダス[17] は適切な候補者ではないと思います。しかしこれは私の意見であり、私はそれには介入しない方が良いと思います。どの候補者でなければならないのかを私がカタルーニャ人たちに言うでしょうか。彼らが選ぶほうがずっと良いでしょう。
[17] タレザ・フルカダス(Teresa Forcades)はカトリックの尼僧で、薬学博士、巨大製薬企業による薬害などを追及してきた市民活動家。注釈 [11]にある 憲法制定プロセスの代表者となっている。


《問》以前の時期のICV-EUiAの候補者たちもありえますか。ジュアン・アレラ[18]のような。
[18] ジュアン・アレラ( Joan Herrera)は注釈[9]にあるICVの代表者。

 あるいはジュアン・ジュゼップ・ヌエッ[19]か。彼は非常に経験豊富で多くのものをもたらすことができると思います。彼らとは知り合いで、その二人はとても知的でとても貴重です。経験を伴う計画を計算に入れることは根本的なことであり、それを過小評価することはできませんが、もし行政の責任を持つのならそれでは全く足りないと思います。バルセロナ・エン・コムーでは、私はイニシアティーバ(Iniciativa)の人たちが具体的に自分たちの経験に基づいて、非常に多くのものをもたらしていると確信しています。しかし本当のことを言えば、彼らも認めていたと思うのですが、彼らは、アレラもヌエッも、政治的には老いた狼であるがゆえに、きっとこのような時代に彼らの持っていた役割では、推薦候補のイメージを作り上げる顔としての中心的な人物になるようなものではありませんでした。もしあなたが、あるリストに載せる人々にパブロ・イグレシアスが拒否権を発動すると言うのなら…。ほとんどありえません。私は政治面で人々を当てにしますが、同時に、その人々がどこにいるのかを示さなければならないでしょう。もしヌエッが統一左翼党の命令に沿って働いているなら、合意の余地はありません。それを理解してもらわねばならないのです。もしEUiAがIUのカタルーニャ支部であり、ガルソン[20]の政治的計画に基づく連盟として行動しているならば、我々と合意することはありえません。それがイニシアティーバを通してカタルーニャの政治を推し進めるうちは合意できます。
[19] ジュアン・ジュゼップ・ヌエッ( Joan Josep Nuet)は注釈[10] にあるEUiAの代表者。ICVとの統一会派ではジュアン・アレラが筆頭候補。
[20] アルベルト・ガルソン(Alberto Garzón)は統一左翼党(IU)を代表する若手の論客で、パブロ・イグレシアスの論敵でもある。


《問》しかしそれらのカタルーニャの勢力は知性を保ってきました。アダ・クラウをその頂点に据えるべきだと知っていたのですね。

 私は何年も前からヌエッと語り合っています。もしIUの指導部にヌエッのような人々がいたのなら、IUの中で別の歴史が起こっていたことでしょう。彼は知的であり物事を理解する人物だと思います。まさにそうだからこそ、彼自身を頂点に据えることをせずに、むしろ補助としての役割を果たそうとしたのだと、私は確信しています。

 彼が言いたいのは自分が候補者リストに無いということではなく、イメージが違うのです。その経験豊富さから人々に取り囲まれることを好む人はそのように言いますが、作用することと効果的であることは別物だと思います。


《問》あなたは以前に、憲法制定へのプロセスが78年体制の唯一の代替物だと言いました。それは、憲法制定への単独のプロセスですか? あるいは複数のプロセスですか? カタルーニャでのプロセスはスペインでのそれに従属するものですか? あるいはバルセロナ・エン・コムーについてあなたが言いたいような一点集中のものですか?

 どれもいっしょです。その意は憲法制定のプロセスです。


《問》複数のプロセスで?

 ええ。問題は1人が考えるということではなく、政治的に行なうことができるかどうかです。

 もし誰かが私に、カタルーニャの一方的な独立の宣言はありえますか、と尋ねたなら…。

 答えは、いいえです。

 ダビッド・フェルナンデス[21]もキム・アルファット[22]もそれは信じていません。もし私がキム・アルファットに、人々が投票するという理由で一方的な宣言を通してのカタルーニャの独立が可能なのかどうか、と尋ねるなら…、ところで人々はどこで投票する?カタルーニャの中で?それともカタルーニャ語圏諸地域で? カタルーニャ語圏諸地域で投票するというのなら…。
[21] ダビッド・フェルナンデス(David Fernàndez)はカタルーニャ独立主義左翼政党CUPの代表者。
[22] キム・アルファット(Joaquim Arrufat)は同じくCUPの有力党員。


《問》仮定の話ですが、あなたが国家の首相でカタルーニャ州議会にやってくる、そして一方的な独立宣言が採択される。あなたは何を言いますか?

 法的に可能性が無いと言います。それは私が気に入らないからではなく、30年以上も前にカタルーニャ民族主義者たちがスペイン人たちと制定の交渉をした憲法がそれを許さないからで、だから私は彼らにこう言います。為すべきことは憲法制定へのプロセスだと。スペイン国家の憲法のことか? もちろんそうです。そうして彼らに提案します。カタルーニャ語圏の地域全体で同時に住民投票をやろうよ、と。彼らは言うでしょう。そんな、とんでもない、と。

 我々は市民社会の力を信じています。

 私は自己決定権を支持しますが、それは全国家的なレベルでの憲法制定へのプロセスの枠組みの中で特記できるのみだと思います。その中に領土的な問題が盛り込まれ、カタルーニャにスペインから離れてほしくないと言う人でも、それはカタルーニャ人たちが自ら決める権利を持っているのだと理解できます。他の道は可能ではありませんし、政府の首相の意思にかかるものでもありません。もし彼らが私に、もしあなたが政府の首相になれば我々の独立を考慮しますかと尋ねるなら…。将来可能なカタルーニャ国家に法制度があるのと同じく、この国家には法制度が存在します。


《問》その憲法制定へのプロセスは現憲法の改正と同じものですか?

 いいえ。憲法の改正は憲法制定へのプロセスではありません。

 憲法制定へのプロセスは、ある新しい憲法の草稿を決めることのできる社会的なレベルの幅広い議論を含みます。そういった枠組みの中で、そういったプロセスの中で、領土的な問題も、議論として取り上げうるあらゆる選択肢とともに、組み込まれなければなりません。

 あなたが言うようなコンベルジェンシア[23]の人たちが他の形でやりたがっていることはまた別なのです。
[23] コンベルジェンシア( Convergència)はカタルーニャの民族主義右派政党。現在の党首はアルトゥール・マスだが、長期間ジョルディ・プジョルに率いられてきた。 注釈[60]、また当サイトのこちらを参照のこと。


《問》ヘラルド・ピサレージョ [24]があるとき、カタルーニャでの主権主義プロセスの敗北は同時に国家全体の運動にとっての敗北だと説明したのですが、あなたはこれに同意しますか?
[24] ヘラルド・ピサレージョ(Gerardo Pisarello)はアルゼンチン生まれの法学者で左翼運動の活動家。現在はバルセロナ大学の法学教授。

 分かりません。それが何のことを言っているのか分からないのです。


《問》カタルーニャ民族が自己決定権を行使できないのならそれはスペインの民主主義にとって悪いことだ、という意味だと思いますが。

 私は、あらゆることについて投票できるのは良いことだと思います。さらに、カタルーニャ主権主義のプロセスが肯定的な政治討論の余地を開いてきたと思います。それは他のテーマに対する議論を開いたものにしており、スペインの中でカタルーニャの意見が知らされるようならすばらしいことです。

 同時にまた、その等式[25] の中に新しい要素を入れることができるなら良いのだがと思います。つまり、もし我々が総選挙に勝てばカタルーニャ人の大部分が出ていきたいとは思わなくなるだろうということです。
[25] この「等式」は先ほどの『カタルーニャでの主権主義プロセスの敗北 = スペイン国民の運動全体の敗北』のこと。


《問》あなたは、もしポデモスが勝つのなら主権主義プロセスは下火になると信じるのですか? 人々は家に戻り共和国旗は棄てられると…。

 主権主義のプロセスは分かれて別方向に行ってしまうことだけを意味するのではありません。自己決定権は留まる決定を下すためのものでもありえます。

 カタルーニャに独立主義者はいつでもいるでしょうが、先ほどの等式を混乱させてきたのが国民党だと思います。スペインの右翼は独立主義者たちが産み出してきたものだからです[26] 。我々は多元主義的な国家観を持っていますが、実際にはそうなっていません。私はそのことのために、カタルーニャ人の大多数が出て行きたいと思わなくなるようにするために、働きたいと思っています。
[26] スペインでは、右派(国民党、シウタダノスなど)による国民の囲い込みのために、カタルーニャ独立の動きに対する警戒と反発が利用されてきた。実際に国民党の中では、首相のラホイが今年11月29日に予定している総選挙の日程を、9月27日に行われるカタルーニャ州議会選挙と同じ日にぶつけようとする動きがある。そのねらいは、分離独立主義者への反感を利用して国民の意識を右派の方に囲い込み、それによって同時に、ポデモスなどの左派の攻勢を食い止めようということである。


《問》以前にスペインの政権を執る候補者として立ちあがったパブロ・イグレシアスのイメージは、バジェカス[27]の青年でした。労働者街の、高く掲げる拳と左翼の大学教師の言論と…。あなたが政治に目覚めたのはその場でだったのですか?
[27] バジェカス(Vallecas)はマドリッド市の東南部にある典型的な労働者街。

 私は家庭で政治を学びました。政治に目覚めたこととその結果について語るのは簡単ではありません。私の祖父や曾祖父などと同時に見なければなりません。私の母方の祖父は内戦[28] での敗者たちの父親で、彼らの一部は非常に将来有望な者たちでした。私の父方の祖父は内戦中はインダレシオ・プリエト[29]の部下でした。死刑判決を受けたのですが、最終的に30年の懲役に減刑されました。
[28] スペイン内戦のこと(参照:Wikipedia日本語版)。また、当サイトにあるこちらの記事も参照のこと。
[29] インダレシオ・プリエト( Indalecio Prieto:1883-1962)はスペインの社会主義者で内戦前の第二次共和政で閣僚も務めた。(参照:Wikipedia日本語版)

 5年を過ごした後にですが、非常に困難な情勢のために出獄できた多くの共和主義者の一人となりました。私の母方も同様でした。私はいつも祖母や伯母から、内戦後にバレンシアで銃殺された兄弟についての話を聞きました。そして両親は地下組織のメンバーでした。父はJCML[30]、母はPCM[31] に所属していました。父は19歳のときに反フランコ宣伝を配布した罪で約2ヵ月間刑務所にいました。私は小さな子供だったのですが、1986年にソリア[32]で行われた反NATOデモに行ったことをはっきりと覚えています。私の両親はその町に住んでいたのですが、演劇界のグループを組織しており、反NATOの闘い[33]に参加しました。その後に統一左翼党を創設しました。私の父はその86年の地方選挙でソリア市議会の候補者であり、私はなんだかんだで家の外に出ていました。
[30] JCMLについての資料が見つからないのだが、おそらくマドリッドの共産主義者青年部の地下組織と思われる。
[31] PCMはマドリッド共産党のこと。
[32] ソリア( Soria)はカスティーリャ・イ・レオン州東部にある小都市。
[33] スペインはフランコ独裁政権終了後の1982年5月にNATOに加入したが、スペイン国内で、右派と左派ではそれぞれ理由が異なってはいたものの、反対は強かった。1982年12月に政権を握った社会労働党のフェリペ・ゴンサレスは、以前からNATO反対の急先鋒だったが、政権を取って以降はその態度を急変させ、ECC(現在のEU)加盟と引き換えに容認の姿勢に傾いた。そして1986年3月に行われた国民投票で(投票率59.4%)賛成多数(52.5%)を得てNATO加盟を継続することが決定された。なお、このときに反対派が多数を占めた地域はカタルーニャとバスク、ナバラ(バスク人居住地域)、およびカナリア諸島の、少数民族・周辺地域だった。

 12歳のときに私は、バクーニン[34]やドゥルッティ[35]の肖像画とかそんなもので表を飾った紙入れを持って学校に通い、大学進学過程の2年目で、括弧つきですが「共産主義」に親近感を覚えて、学校の友人の何人かと連れだって共産主義青年同盟に所属しました。そこに7~8年いたのですが、学生運動に参加し、学校や教育メディアと同時に法学部の中でも活動しました。イタリアとの交換留学のコースのためにイタリアに行ったのですが、そのことが私を大きく変えました。
[34] ミハイル・バクーニン(Mikhail Bakunin)はロシアの無政府主義思想家で、欧州の左翼運動に大きな影響を与えた。(参照: Wikipedia日本語版)
[35] ブエナベントゥーラ・ドゥルッティ(Buenaventura Durruti)はスペインの革命的アナーキストで、内戦開始直後に死亡した。


《問》ボローニャ大学で一緒にいたのが、まさしく、カタルーニャのプデムの指導者ジェンマ・ウバサール[36]だった…。
[36] ジェンマ・ウバサール(Gemma Ubasart)はジロナ大学の教授でカタルーニャのプデム(ポデモス)書記長。

 そう。赤い都市ボローニャで…。我々が来たときに、かつてのPCI[37]は、いまはPDS[38]になっていますが、市政を失っていました。そして我々はイタリアの自治制度に興味を持つスペイン人学生のグループでした。そこの自主管理社会センター[39] での経験は印象深いものでした。私がボローニャから戻ったときに、マドリッドで世界抵抗運動[40]の創設に参加しました。ジェンマもバルセロナとカタルーニャで全く同じようにしました。我々はプラハでの活動でも一緒で、ツッティ・ビアンキ[41]にも参加しましたが、そこで我々二人は白い服で写真に写っています。そして、ジェンマ・ウバサールはあるインタビューに登場しました。何年も昔のことですが白いつなぎ服にくるまれた姿はとても美人でした。いや今でもそうですけどね…。その時期にマドリッドのある社会センター…、研究所ですが、共産主義青年同盟が出て行った後、そこでアダ・クラウやジャウマ・アセンス[42]と知り合ったことを思いだします。またそこで出会った者達の一部はいま市会議員となっているのですが、かつていろんな場所を訪れたときの仲間だった者たちもその中にいて、驚くことがあります。またその時期に、ロックグループのエチョス・コントラ・エル・デロコで歌っていたナチョ・ムルギ[43]に出会い、統一地方選挙の前にもまた合ったのですが、やはりいまは市会議員です。またその何年か後になって、ギジェ・サパタ[44]もその社会センターの研究所に行っていました。彼は後にパティオ・マラビージャス[45]に行き着くのですが、たまたまそこで出会い、後にそちらでも合って、今に至っています。
[37] PCIはイタリア共産党(1921~1991年)。
[38] イタリア共産党は1921年に解散して社会民主主義政党になるが、1998年以後はPDS(左翼民主主義党)となった。
[39] 自主管理社会センター(los Centros Sociales Ocupados、英:Self-managed social centers)は、主にイタリアで1980年代に既成の権威に反感を持つ若い世代によって作られた、使用されていない施設や建物などを占領して様々な活動を行う半合法的な運動。スペインでもマドリッドやバルセロナなどの大都市を中心に多く見られる。
[40] 世界抵抗運動(el Movimiento de Resistencia Global:MRG)は欧州各国に存在する反グローバリゼーション運動のネットワーク。2000年9月にチェコのプラハで行われたIMFと世界銀行の会議に対する反対運動をきっかけに作られた。パブロ・イグレシアス、ジェンマ・ウバサールや現バルセロナ市長のアダ・クラウなどが参加している。当然だが、欧州版TTPであるTTIPや、日本ではあまり知られていないTISA(Trade in Services Agreement)などの反対運動の中心にもなっている。
[41] ツッティ・ビアンキ(los Tutti Bianchi)は、欧米で盛んな、こちらやこちらの写真のように白いつなぎ服を着て行う社会的な抵抗運動。
[42] ジャウマ・アセンス(Jaume Asens)はバルセロナ市政を担うバルセロナ・アン・コムーの広報官、弁護士。
[43] ナチョ・ムルギ(Nacho Murgui)はマドリッド市議員で、市政を担うアオラ・マドリッドで第2副市長を務める。
[44] ギジェ・サパタ(Guille Zapata)はマドリッド市議員。アオラ・マドリッドのカルミナ市政が作られた当初、文化担当委員長に着任したが、3年前のツイッターでの友人との対話で、ホロコーストやETAのテロについて冗談めかしとも受け取れる表現を使っていたことを指摘されて、新市制に反感を持つ勢力やマスコミからの激しい攻撃を受けた。文化担当委員長は辞任したが議員は続けている。またETAのテロ犠牲者団体から告訴されたが、マドリッド検察庁は起訴に至らないとして告訴を棄却した。
[45] パティオ・マラビージャス(Patio Maravillas)はマドリッドにある廃校になった学校を占領して作られた自主管理社会センター。そこに集まる人々の中から、現マドリッド市政を担うアオラ・マドリッドの中核となる集団ガネモス(Ganemos:我々は勝利するの意味)が現れた。


《問》そして後にあなたは、カヨ・ララ[46]が主導者となる時期を含めてですが、統一左翼党に入っています。そこでどんな役を果たすのですか?
[46] カヨ・ララ( Cayo Lara)はスペインの国会議員。スペイン共産党を経て現在はIU(統一左翼党)のコーディネーター(事実上の党首)を務めている。

 私が統一左翼党の中で活動したことは一度もありません。ごく若いときにUJC(共産主義青年同盟)で活動しました。私は2000年に青年同盟での活動を止め、そして2011年の夏に、マノロ・モネレオ[47]のようなIUの一部の人たちと親交を結びました。その人々に対しては私は知性面での父親たちの一人として認識しています。また、マルガ・フェレー[48]については、我々の一部がラテンアメリカでの顧問として働いたことがあるのを知っていました。彼らは我々に一緒に働くように提案しました。IUの選挙対策コーディネーターのラモン・ルケは私に、一つのグループを作るように提案したのですが、私にとって、グループを作るにあたって信頼できその中で有能な唯一の人物がイニゴ・エレホン[49]だったのです。2011年の総選挙の際に、選挙戦のために2ヵ月の間我々は契約をしました。そしてカヨ・ララのために通信連絡の役割を担いました。
[47] マノロ・モネレオ( Manolo Monereo)は統一左翼党のイデオローグの一人で、ポデモスとも良好な関係を結んでいる。
[48] マルガ・フェレー(Marga Ferré)は統一左翼党の代表的な党員の一人で、やはりIUの中でポデモスのシンパとなっている。
[49] イニゴ・エレホン(Íñigo Errejón)はポデモスのNo.2で、31歳の若さだがパブロ・イグレシアスの右腕となっている人物。昨年から今年にかけて、社会労働党から、務めていたマラガ大学の仕事を行わずに給与を受け取っていたという激しい非難を受けて、マラガ大学との契約を打ち切られた。


《問》彼のために論説を書いていたのですか?

 いいえ。カヨはそんな働きはしていませんでしたし、彼は論説を読んでいませんでした。サインと書類とを扱う仕事をしていたのです。彼のために論説を作る作業と物事について誰かに連絡することとは別です。そのうえに彼は何かのメモを使っていました。我々に対してはわずかのことしかしませんでした。彼は感じ取っていたのでしょう。IUとの関係は、私としては親近感を持っていたにもかかわらず、賃仕事としてのものでした。私が常に投票し親近感を持ち共産主義青年同盟の中で活動してきたほどに熱意を傾けた政治組織ではあるのですが、私が活動したいと思うような場所ではなかったのです。


《問》あなたは自分の過去に満足していますか?

 もちろんです。


《問》不安をかきたてられませんか? というのは、いくつかの情報メディアがこぶしを突き上げるかつての共産主義者のイメージを探し求めているからです。

 それは決して私が隠そうと試みたようなことではなく、むしろ非常に一貫した軌跡なのです。大きな違いなどありません。分析するなら、我々をポデモスにするものは政治的な経験の結果であり、それには先ほどのようなものも含まれますが、単に不安を感じさせないだけではなく、我々の歩み、ここまで来たこと、我々が推し進めているものの伝統に、誇りを感じます。理論面で私の発言は何なのか、文化面や情緒面での発言を含めて、明らかに理解するためには、私が書いているものを読むだけで十分です。はっきりしています。


《問》たとえば?

 ええ、理論的な言葉でいえば、ちょっと気取ったように聞こえるかもしれませんが、私はマルクス主義者を自認しています。つまり、ポデモスの理論的な想定の背後とコミュニケーションの上には、グラムシ[50] の極めて独自の解釈があります。文化的なそして情緒面での言葉の中で、私は、左翼主義者、左翼出身者が持つ古典的な形態に対して返答しています。
[50] アントニオ・グラムシ(参照:Wikipedia日本語版、他の資料)。第二次大戦前のイタリアの共産主義者。イグレシアスが「極めて独自の解釈」とはヘゲモニー論の解釈についてのもの。既成左翼政党関係者からは「グラムシ理論の曲解」「イグレシアスはレーニンでもグラムシでもなく、単なるチャベス(元ベネズエラ大統領)だ」という批判を受けている。

《問》何年も前にあなたは、典型的な紋切り型の大学教授を笑いものにするためにある逸話を語りましたね。それは、彼がシルビオ・ロドリゲスやイスマエル・セラノ[51]の歌を聴き、ネルダやガレアノやベネッティらの若い女の子と関係を結ぼうと試みるといった…。
[51] シルビオ・ロドリゲスとイスマエル・セラノはともにスペインのシンガー・ソングライターで、左翼的(反体制的)な人々に人気がある。

 反省したいと思います。我々は自分自身を笑う能力を持たねばなりません。左翼を笑い物にするのは非常に難しいことで、我々は左翼から来るのではない言い方で、左翼を散々笑い物にしているように思います。左翼でなければ理解できない種類の冗談[52] があります。我慢ならない左翼の教授とは何か? 格子縞のシャツを着て、あごひげを生やしているタイプだが、その若い女性を関係を持ちたいと願って、彼女をシルビオ・ロドリゲスに押し付けておいてその胸を触ろうとする…。この冗談が持つ意味を知るためには左翼にいなければなりません。はっきり言えば、我々ポデモスではときどき、核になる創始者と後にやってきた人々との間で問題が起こります。我々がたどり着いている場について彼らがあまりにも多くのことを知らなければならないためこういう冗談が理解されないことがあるからです。
[52] ここで彼が取り上げる「冗談」は、「左翼でなければ」というより、長期間スペインの左翼活動の内部にいた者でないと全く理解できない。


《問》ポデモスとは何ですか? ハコボ・リベロ[53]がある本の中で編集したインタビューの中で、あなたはポデモスが政党ではないと繰り返しました。プブリコ紙のディレクターとのインタビューで、あなたは、ポデモスは法的な正当性に基づいた政党であると言いました。モネデロ[54]は1年前に我々にこう言いました。ポデモスの本質は理論化に基づくものだと語りました。では、ポデモスとは何でしょうか?
[53] ハコボ・リベロ( Jacobo Rivero)は スペインの作家でジャーナリスト。ポデモスとパブロ・イグレシアスに関連する著作をいくつか作っている。
[54] フアン・カルロス・モネデロ(Juan Carlos Monedero)。2015年4月までポデモスのNo.3だったが、中南米、特にベネズエラとの関係がポデモスに対するネガティブ・キャンペーンに利用され、4月30日に党を離れることになった。

 ポデモスはビスタ・アレグレ[55]集会の後で政党になりました。それまでは我々は政党ではなく、政党としての機構も構造も持っていませんでした。ビスタ・アレグレで、間違いなく我々は政党に、非常に特殊な政党になりました。他の政党とは異なる特徴を持っていますが、市民社会の他の部分に開かれている小学校の課程のような明らかな特徴や、指導的組織の選挙といったあらゆることがあります。決定的に重要な特徴は、我々が勝利するためのものだということです。それは、我々が普通の政党に変質してしまわないための、また、有効に働く頑強な組織化された仕組みに見るべき効率性と、組織化され効率良いと同時に市民が主人公となることや大衆的な単位を保証するために役立つようや仕組みを持つ手段とを、両立させるための特徴です。
[55] ビスタ・アレグレ(Vista Alegre)はマドリッドにある公会堂。2014年10月にポデモスはここで市民集会の形で党大会を開いた。


《問》ポデモスはすでに、公的な物事を運営するために十分なスタッフの組織を持っていると思いますか?

 我々がその点について全く不十分であると知ることは非常に重要です。私は、ポデモスの政府が単独政権になることを望みません。市民社会について考えれば、もっとよく準備のできている諸党の政府を望みます。法務大臣がポデモス指導部の者であるようなことは、たぶん考えられないと思います。法務大臣は判事がなるべきでしょう。きっと、住宅担当大臣ならPAHの活動家でしょうし、厚生大臣はおそらく医療切り捨て反対運動の活動家がなるべきです。より政治性を持った人物が務めるべき他の大臣の席があるでしょう。しかし我々としては、市民社会が中心的役割を持たねばならないと言うときに、我々が市民社会の代表だと信じるでしょう。我々が計画する非常に開かれた候補者リストを作る方法論を用いての闘いは、自分たちを手段と見なすことで首尾一貫していなければなりません。変革の道程における作業は、ひょっとするとポデモスの一員であることを望まないが非常に熟練した集団に加わってもらうことを視野に入れておかねばならないのです。


《問》選挙戦の間にあなたが語ったことの中で、国民党と社会労働党について話す際に、しばしばあなたはコカコーラとペプシコーラの間にある違いという比喩を使っていました。シウタダノス(Ciudadanos)がそこに割り込んできて後に、その論調に頼ることは少し難しくなったように感じられます。いま我々がいる政治的な時期で、ポデモスはシウタダノスと一緒の政府に同意することは不可能で、また、当然ですが、国民党とはどんな意味ででも協定を結ばないでしょう。もちろん社会労働党とはすでに合意を結んでいますね[56]。
[56] 統一地方選の後に、スペイン各地の自治体で国民党による政権を倒すために、ポデモス(および親ポデモスの政治集団)は社会労働者党と協定を結んだ。多くの場合に社会労働党の筆頭候補が自治体の長になっている。(参照:当サイト)

 そのとおりです。実際には我々が彼らに譲歩してもらっています。あなたたちは憲法改正の取り決めの合意で頭が一杯になっていると我々が言ったのですが、その時期に我々は国民党と社会労働党が非常に似ていると警告し続けていました。さらに、譲歩したこと、つまりポデモスと合意を結んだことを非常に気にするペドロ・サンチェス[57]は、スペイン国旗で身をくるみ[58]、あたかもパットン将軍ででもあるかのように現われて、おいおい!俺は実際にはシウタダノスや国民党とたいして違わないのだぞ、と言うのです。彼が日曜日に語ったのは、我々との合意を結んだことが決して同じ席に着くことを意味しない、ということです。それは、どうすれば代替の住宅政策無しに住宅の強制撤去を終わらせるのかということとか、明白に政治腐敗反対の方向で再生できる方法[59]とか、そして、市民を救済する計画について話さねばならないなどの話をすること意味しています。社会労働党が譲歩しなければならないときには、ある形で我々の主張や政策についての提案を取り入れなければなりません。その政策は我々のものですから、実際にコカコーラとペプシコーラの議論が生きているということは、協定の締結に引き続いて「私がシウタダノスや国民党とはあまりにも異なっていることを分かっているのかい?」と問うことによってはっきりします。自制していると言うために巨大な旗を作り、国民党やシウタダノスが奪い合う穏健な有権者の票が入ったその同じ袋を巡る争いをしたいということです。政治は権力と関連付けて理解するべきものだと我々は思っています。以前にあるインタビューでこんな質問がありました。スペインは、協定を結ぶという文化が無いのに、協定のための準備ができているだろうか、と。協定というものは文化とは何の関係もありません。協定は必要性との関連で見るべきものです。カタルーニャでみなさんたちは、自分らがすぐに協定を作りたがる性格を持っていると主張し続けていますが、協定の問題点は性格と関係づけられるべきものではありません。必要性との関連を見るべきです。集中と統一[60]はカタルーニャのブルジョアが持つ協定好きな性格のために手を結んできたのではありません。一緒に進むことがより有利だからであり、いま分かれて進もうとしているのですが、結果は予測できないものになるでしょう。
[57] ペドロ・サンチェス( Pedro Sánchez)は スペイン社会労働党書記長(党首)。(参照:Wikipedia日本語版)
[58] 6月21日に、ペドロ・サンチェスは総選挙に向けての社会労働党の集会で、背後の壁いっぱいに広がるスペイン国旗の映像の前で演説した。これは「極左過激派と手を組んでいる」という右派からの非難に対する返答であった。仮に、日本の昭和の時代に日本社会党の党首が演説会場の背景の壁いっぱいに広がる日章旗を背負って演説したならどうか…、というようなもので、右も左も、スペイン中が奇妙な違和感に包まれた。
[59] アンダルシアの社会労働党は数多くの政治腐敗(参照:当サイト)に包まれており、2015年の統一地方選で過半数を満たさなかった社会労働党は右派政党シウタダノスと連合して州政権を維持したが、その際に「政治腐敗で告訴された幹部を取り除くこと」を約束させられた。
[60] 集中と統一(Convergència i Unió)は、 30年以上にわたってカタルーニャで大きな勢力を持っていた「集中と統一(Convergència i Unió)」は、独立問題をめぐって対立し、2015年7月に「カタルーニャ民主集中」と「カタルーニャ民主統一(キリスト教民主主義)」に分裂した。

 だから私は、取り上げられた議論は…。私にとって左翼や右翼の役割の違いなど、それらが憲法を改正しているときや緊縮財政の手段を適用しているとき、欧州で我々が反対しているものに対して一緒になって投票しているときには、重要ではありません。もしあなた方が合意を取り付けるのなら、それが我々とならもうどうなるのかお分かりです。そして我々と合意を取り付けるたびに、コカコーラとペプシたちは言うことでしょう。おいおい!お前たちは過激派と協定を結んでいるのだ[61] 、と。我々には何の矛盾もありません。
[61] 2015年の統一地方選挙後に、スペインの多くの主要自治体で、社会労働党がポデモスやその系統の政治党派と協定を結んで国民党から政権を奪ったが、その際に国民党などの右派勢力は「極左過激派と手をつないでいる」と社会労働党を激しく非難した。「極左過激派」を忌み嫌うアンダルシアの社会労働党はシウタダノスと協定を結んで州政権を維持した。


《問》統一左翼党についてですが、スペイン総選挙に向けてある協定を結ぶ余地はありますか?

 ありえません。ゼロです。最後まで。別の党名を添えるなどできません。

 こういうことです。その理由を説明しましょう。善意を持つ人々、左翼系の人々は言います。あなた方は左翼の中でいつもケンカをする、どうして一緒になれないのか、そうすれば右翼に勝つことはもっと簡単だろうに、と。そのように言う人たちはみな最高の善意でそう言っているのです。心からそう言います。考えてくれ、私が…、ガルソンと一緒に進んでくれ、と。しかし、そのことは総選挙で勝利するためには何の役にもたちません。左翼戦線、人民戦線は、多くの人々に一夜の夢を見させてくれるかもしれません。つまり、ああ、1936年2月[62]のように、もう一度いっしょに…、と。これは左翼の一部の人々が持つある種の夢想にとってすばらしいものでしょうが、しかし選挙にとっては何の役も果たしません。無意味でしょう…。それは右翼が、国民党が、そして社会労働党が、望んでいるようなことでしょう。社会労働党は大喜びで、自分の敵はポデモスと統一左翼党の合体したものだと言うでしょう…。すばらしい。マスコミは、その見地に立って、そのようなことへの疑問を止めようとしないでしょう。エル・パイスとエル・ムンド[63]は、我々が統一左翼党と一体化して人民連合[64]を形作ることを非常に心配しています。それは実にセンセーショナルなことです。
[62] 1936年の2月に行われたスペイン(第2共和政)総選挙の結果、左翼政党が糾合して人民戦線内閣が作られた。
[63] エル・パイス(El País)とエル・ムンド(El Mundo)はスペインを代表する日刊紙。一般的には、エル・パイスが中道左派系、エルムンドが中道右派系と見なされている。
[64] 人民連合( la Unidad Popular)はいくつかの国で作られているが、最も有名なのはかつてチリでアジェンデ政権を支えたもの。

 昔からの左翼主義者たちや左翼の友人たちは、いつも我々にこう言って注意してくれます。君たちの統一左翼党に対する態度は間違っている、なぜ彼らと一緒にならないのか…。しかし、あらゆる点から見て、機能することが明らかになっていると思えるのは、人々の連合です。党の連合ではないのです。上からやってくる合意ではありません。エリートの中の合意ではありません。政党間の同盟は、選挙にとって役に立たないと我々は考えています。その逆にあるのが、多くの場からやってくる全ての人々に我々が手を差し伸ばすことです。私は、統一左翼党からやってくる人たちが我々の計画に協力して働くことを歓迎します。ポデモスの幹部の一部は過去に統一左翼党の中で活動した経験を持っています。しかし、我々に対して提案されていることは、振り返ってみるならば…、我々がすべてを下手にやったと言いながら1年間を過ごした後でのものです。アルベルト・ガルソンがこの1年間で言ってきたのは、ポデモスは間違いをしでかしたということです。どうしてあなた方は何もかも間違ってきたような者達と一緒に選挙戦を望んでいるのか? 統一地方選でまずい結果になったから…。ということはつまり、あなたたちが抱えている問題を我々に投影してない、というわけだ。

 我々がやってきたことの全ては、左翼たちの全員の側から激しい非難を受けています。左翼系のすべての新聞を含みます。チラシの面も議論も、全て悪かった…、と。その結果、新しい場所を勝ち取ることになりました。我々は総選挙に顔を向けた道程表をデザインしています。そしてその道程表に沿って進みます。他のことをデザインした人たちは、首尾一貫してくれればいい。その人らに言わせれば、たいして意味を持っていないのは提案することで、いまや選挙で我々が為さねばならないことは私にとって非常に悪い…、と。そして我々に対して次のように提案する…、君たちは君たちの名前を諦め、我々は我々の名前を諦めて、左翼の共同戦線を持つのだ…、と。我々が、左や右の軸はこの国にある物事を変えるための鍵にはならないと、能動的にも受動的にも語ってきたというのに、そういうふうに提案をします。我々が異なる政治的な計画を持つ以上は、異なる政治的選択肢を我々は公表することでしょう。


《問》他の分析について。後から振り返ってみてですが、いま勢いづいている政党と協定を結ぶ可能性についてどう思いますか? より伝統的な左翼の政党でもなく、ERC[65] やアノバ[66]やコンプロミス[67]やビルドゥ[68]といった、その周辺部にある政党とです。それらの政党はすべて、良い結果を手にすることができる、また国民党を破滅させるための助けとなりうると予想されているものですが…。
[65] ERC(Esquerra Republicana de Catalunya)はカタルーニャの民族主義左派政党。
[66] アノバ(Anova)はスペイン北西部ガリシア州の民族主義左派政党。
[67] コンプロミス(Compromís)はバレンシアで統一左翼を中心に左翼系の団体によって作られた政治会派。2015年の統一地方選の結果、バレンシア州とバレンシア市の政権から国民党を追い出す中心的な力となった。
[68] ビルドゥ(Bildu)は、スペイン北東部にあるバスク人地域で勢力を伸ばしている民族左派政党。テロ組織ETAとは非暴力の点で一線を画しているが、親和性は強い。バスク州の各都市でで第2~第3の勢力となっているが、2015年の統一地方選ではナバラ州で第1党となった。

 選挙のシナリオについて語るなら、基本的に二つの可能性があると思います。我々が社会労働党を上回って第1党または第2党になる場合があります。我々が社会労働党を超えない場合もあります。それらは重要なシナリオです。より主権主義的で左翼的なポデモスは決して過半数を得ることはありません。その選挙のシナリオは政権のシナリオではないのです。政権のシナリオは、首班指名で我々が社会労働党に投票しなければならなくなるかどうか、ということです。それは我々にとって非常に苦しいものになり、選挙後のシナリオは私にとっていま抱えているのと同様に政治的責任を伴うつらいものになるでしょう。社会労働党が政権を国民党に引き渡すようなことになるのか、それとも首班指名で我々に投票することになるか。そういったことが根本的なシナリオだと思います。

 私はあなた方が出している具体的な疑問を尊重しますが、私としてはそれらの要素のある部分で一致点を見つけたいと思います。我々は全国的な政治勢力です。そこで、ポデモスのロゴと名称をスペイン中の投票所で投票用紙に掲げるという我々にとって譲れない地点から出発していますが、総選挙でカタルーニャの中では「プデム」の名称で筋を作りその筋道の後に別のものが現われるかもしれないという可能性を確かに認めます。それは他の政治勢力と同時に市民社会中の集団とも共同できるものです。それは悪いことだと思いません。同じことはバレンシア州で、コンプロミスと行うことができます。ガリシアでもマレア勢力[69]やAGE[70]などの部分とできるでしょう。もし彼らが興味を持てばですが、もし彼らに関心が無く、自分独自の選挙対策を発表するとか独立した全国的な集団の創設の望むのなら、それは全く正当なことです。ビルドゥとはあり得ません。彼らの異なった動機のためです。ビルドゥはポジティブな道を、正常化し暴力を拒否する道を歩んでいますが、それは我々が他の勢力に対するのと等しいレベルの共感を与えるためのものであり、それには非常に時間がかかると思います。そのために条件が与えられることはありません。
[69] マレア勢力( las mareas)とは ガリシア州でポデモスが軸となって生まれたいくつかの政党で、2015年の統一地方選挙でいくつかの主要都市の市政を握る勢力になった。
[70] Alternativa Galega de Esquerda:ガリシアの左翼政党。統一左翼党と共闘している。

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《翻訳後記》

 1939年のフランシスコ・フランコによる軍事独裁の開始から1976年のフランコの死を経て78年の親憲法制定まで、40年間続いた苛酷な独裁政治は、スペインの大地と人間の心を殺すことができなかった。奪われ破壊されたカタルーニャやバスク、ガリシアの言語と文化は、中央政府に押し付けられた表面的な様々の舗装と装飾とは裏腹に、その地下で延々と生き続けた。同時に、スペイン共産党と社会労働党による左翼活動もまた「地下水脈」を形作って常に新鮮な水を流し続けた。

 78年以降、スペイン社会労働党執行部は米欧支配層による帝国主義政策の下僕と化し、長期間にわたって自分たちを下から支えてきた大地と人間を見失ってしまった。かつてのフランコ独裁主義の舗装と装飾が欧米化したマスコミと「中道(左・右)」の支配的な論調によるそれに取って代わられただけであり、その新しい舗装と装飾がスペイン社会の表面を上から覆い尽くした。しかし、騙され搾り取られながらも、大地と人間は生き続け、「地下水脈」は流れ続けている。

 大地とそこに生きる人間は国と社会にとって生命の源である。ポデモスという変革を求める新しい党派は決して「新しいもの」ではない。親から子へ、子から孫へと、延々と受け継がれる自由と変革を求める命とエネルギーの一端が表面化しただけである。このパブロ・イグレシアスとの対談記事から最も強く感じるのはこの点だ。しかも、その「地下水脈」はスペインだけではなく、イタリア、フランス、ドイツ、そしてギリシャと、欧州中にそのネットワークを作っている。その点を理解できない人にとっては、パブロ・イグレシアスとアレックス・チプラスの握手がたまたま現われた「似た者同士」、ポピュリストのご都合主義に映るのかもしれない。

 また2011年の「15M(キンセ・デ・エメ)運動(参照:当サイトより)」とポデモスの関係にしても多くの人々が様々に言う。ポデモスは15Mから現われたものなのか、それとも無関係に作られたのか…。しかし、《国と社会にとっての生命の源である大地と人間》という視点から眺めるなら、はっきり言ってそんなことはどうでもよい議論である。生命の最後の一滴まで搾り取ろうとするIMFとその手先ども、“ファイナンシャル・テロリズム”と国内の“テロ実行犯”どもの正体を見切り、それに「No!」を叩きつける膨大な人間の塊が、様々な形を取って、社会を上から覆い隠す虚構の舗装や装飾を突き破って現われてくる。その一つが15Mでありポデモスなのだ。

 このパブロ・イグレシアスの対談記事で、伝統的な左翼政党、特にイグレシアスが最も近い立場を取ってきた統一左翼党(旧スペイン共産党)に対する異常なまでの厳しい態度に驚く人がいるかもしれない。しかし彼は、国と社会にとって最も大切な、自由と変革を求める命とエネルギーの源から遠ざかり、国と社会に変革をもたらすことのない「残りかす」として組織の維持に汲々とする党派に、断固として三行半を叩きつける。そして、旧来の左翼主義者たちが夢にまで見る「左翼連合戦線」を打ち棄てる。次のイグレシアスの言葉が、最も的確にその考えを示しているだろう。彼にとって大切なものは「右」でも「左」でもない。「下」である。

 「しかし、あらゆる点から見て、機能することが明らかになっていると思えるのは、人々の連合です。党の連合ではないのです。上からやってくる合意ではありません。エリートの中の合意ではありません。政党間の同盟は、選挙にとって役に立たないと我々は考えています。」

 しかし彼はカタルーニャの左翼政党ICVやEUiAとは共闘できると考えており、実際にこの「変革の道程」で立ち寄ったバルセロナで、6月26日に、ICVのジュアン・アレラ党首や幹部と語り合い、9月27日のカタルーニャ州議会選挙での統一会派結成で合意を結んだ。またポデモスNo.2のイニゴ・エレホンは7月3日にバルセロナで、ICV‐EUiAとともに、「憲法制定プロセス」の代表タレザ・フルカダスと会い、同様に一つにまとまる道を付けた。この合意が遅れたのは、フルカダスが「パレスチナ支援船団」に参加していたために、パブロ・イグレシアスと会うことができなかったためだ。しかしこうして、カタルーニャの中で、民族独立派、独立反対派、そしてプデム(カタルーニャのポデモス)を中心とする全面改革派の3種類の勢力が争うことになるだろう。

 対談の中でもイグレシアスは、カタルーニャだけではなく、ガリシアやバレンシアにある左翼系の政党との協力を固めていく予定を持っているのだが、こういった異民族地域で左翼政党は常に、大地とそこに住む人間からわき上がる自由と変革を求めるエネルギーに直面し、マドリッドの党中央とはまた違った要素を持たざるを得ないのだろう。ただ、彼も言うように、テロ集団ETAの影を引きずるバスクではこれは難しいかもしれない。もう少し時間が必要だろう。

 2015年の総選挙は、注釈[26]で書いたとおり、9月26日に前倒しされるかもしれない。何とかしてポデモスの攻勢をしのぎ「スペインのギリシャ化」を防ぎたい与党国民党の中にその意見が強く、そうなれば社会労働党もそれに同調するだろう。今のところラホイ首相は、「選挙に向けた大盤振る舞い」を盛り込んだ来年度予算案を示してから、11月28日に行いたい意向を持っているが、ギリシャ情勢のいかんによって、どうなるか予想はつかない。

 しかしいずれにせよ、スペインと欧州はこれから数年間、大きな嵐の中に放り込まれるだろう。また折を見てはその様子を私のサイトを使ってご報告する予定である。

【以上】

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