Dendrodium 立憲主義を否定する西修参考人の危険な主張に思う

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立憲主義を否定する西修参考人の危険な主張に思う 

澤藤統一郎の憲法日記「西修参考人「強弁」の無力によると、
西修(駒澤大学名誉教授)参考人は立憲主義を否定する発言をしていたようである。
   (引用)
西の主張では、自衛権に個別的だの集団的だのという区別はない。どちらも国家の自然権として行使が可能というのだ。時の政権の判断次第で、我が国の存立のためなら何でもできる。憲法よりも国家が大切なのだから当然のこと、というわけだ。

西修参考人は10項目に分けて、政府提出の法案が違憲ではないと言っていたようであるが、
その主張の根幹をなしているものは、
時の政権の判断次第で、我が国の存立のためなら何でもできる。憲法よりも国家が大切なのだから当然のことという事と見られる。

つまり、時の内閣が判断してそれが必要だと看做したら、
憲法よりも国家が大事なのだから、憲法の文言に拘泥する必要はないという主張のようである。

憲法よりも国家が大事であると言ったら、それもそうかなと思いがちであるが、
国家とは何ぞやと考えたら、憲法を蹂躙して何所の国を守るのだろう?との疑問が起きるだろう。
本来憲法とは、自分たちの国とはどういう国であろうとしている国である、という事(国体)を決めたものであると私は思う。

日本は日本国憲法の前文にも謳い、憲法9条にも謳っているように、
「平和主義」の国である。
未来永劫平和主義を目指している国であると、憲法で決めている国である。
そして日本はそれをこの70年近く、曲がりなりにも守り続けて来た国なのである。

憲法より国が大事と言う言葉は、理屈に適っているようで、
理屈に適うどころか国体を無視する無茶苦茶な意見である。

戦前は国体を守ると言ったら天皇制を守る事であったが、
戦後作られた日本国憲法下では、
日本国の国体とは、平和主義と民主主義である筈である。
だから国を守るという事は、
民主主義と平和主義を守るという事でなければ可笑しいだろう。

憲法で決められた事は、政治家は何を置いても守らねばならない事である筈である。
そうでなければ国体は守れない。
政治家が政治家になる時まず求められる事は、
憲法を守って、国民の為に全力を尽くして働くという事だった筈である。

憲法よりも国の方が大事だから、時の政権の判断次第で何でもできるなど、
とんでもない言い分である。
憲法に反する政治を、時の政権が自由に行う事が許されるとしたら、
最悪の場合。
外国の軍事産業の利益追求に乗せられて、
大金(税金)をはたいて軍備を買い入れる為に、
仮想敵国を創って国際紛争を起こし、
平和主義を放棄するような政権を、国民は取り締まる事も出来なくなってしまう。

民主主義制度の下、国民の代表である代議士が国会で決めた、
公害対策や有害な食品添加物の禁止等の、こまごまとした諸法が、
外国の業者にとって、商売の邪魔になると言って、
日本政府にTPPの様な協定に参加する様圧力を掛けてきた時、
圧力や賂に屈した時の政権が、
民主主義で決められていた法律を、無視する事を許すような貿易協定に入る事を、禁止する事が出来なかったら、
日本の国体である民主主義はどうやって守られるだろう?

国民の共通の目標を規定した法典である憲法が、
時の政権と言っても、ある政治集団に過ぎない輩によって、踏み躙られる事を許すとしたら、
日本は立憲主義の国である事を放棄した事になるだろう。

憲法とは国民共通の理想を掲げると同時に
諸外国に対しての、自国の自己紹介でもあると思う。
これ迄日本は立憲主義の国であると認められていたのに、
安倍政権の憲法蹂躪を許していたら、
日本は一気に無法者国家という事になってしまうだろう。

時代が変わって、どうしても憲法を変える必要がある時には、
国民に諮って後、正式に改正したら良いのである。
少なくとも時の政権の意見のみで、憲法蹂躙が許される事にしたら、
日本は立憲国家とはみなされない事になってしまう。
日本は法律無視の無法者国家という事を、世界に表明する事になってしまうだろう。

日本国憲法を守って70年近く、
日本国の先人達が、法治国家として築いて来た世界的信用を、
安倍政権によって打ち砕かれるのを許していたら、
日本は無法者国家と諸外国から看做される事になる。

「九仞の功を一簣に虧く」ではないが、
安倍政権の憲法無視をこのまま許していたら、
信用という面から見ただけでも、
日本国の被る被害は、計り知れないものになるのではないだろうか?

Comments

国家の概念を誤解している

日本は幸運にも一民族一国家(細かい事例を抜きにして)で同じ系譜で二千年生活し続けて来た世界でも希有な国です。その間政体は種々変わって、戦後新しい憲法の下で社会生活が営まれて来ました。だから憲法や政体が変わっても国は連綿として存在し続けるような錯覚(多分日本に限って言えば真実)を我々全員が持っていると思います。その観点からこの西大先生は国家の存在が憲法より上と言っているのでしょう。

しかしアフリカの国々やイスラムの諸国のように国境線が直線であるような国においては、日常生活における社会と国家が別物であって、国家のありようは憲法が定めていると言えます。

日本国は対外的には現行憲法の下に存在することを諸外国から認められて国際社会に復帰し、現在も存在を認められているのですから、法律学者がその辺のおじさんのような床屋談義レベルの認識で憲法を語っているようでは話になりません。

正しい認識では日本は戦後連合国によって5分割された(台湾、沖縄、朝鮮、日本本土、北方領土)上で本土については独立を新たに認められたのであって、他のアジア諸国と国家としての公的な歴史はあまり変わらないという謙虚な認識を持っていた方が良いのではないかと思います。現在の日本人は明治以前の日本の領土が5分割後の日本国と同じだから気がつかないだけです。勿論大和民族の歴史は「日本史」としての連続性があり、誇りを持って受け継いで行かねばなりませんが。

台湾に旅行した時、本屋で歴史本を眺めると中国三千年の歴史を自国の歴史として著していました。地図には中国本土を含めてモンゴルやチベットも自国領として境界線が書かれています。歴史認識と実社会における国家の扱いとは違うのであって、そういった認識ができていない人の話を有識者扱いしてしまっては駄目だな、と私は思います。

rakitarou様

コメント有難うございます。
>歴史認識と実社会における国家の扱いとは違うのであって、そういった認識ができていない人の話を有識者扱いしてしまっては駄目だな、と私は思います。

やっぱりそういう事なのですよね。
私のようなずぶの素人が偉そうな事をと、ちょっと気恥ずかしく思いながらこの記事を書いたのですが・・・・・

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