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ミャンマーで日本人カメラマン 軍に射殺される 

日本人カメラマンが死亡 右胸撃たれる ミャンマー 
2007年09月28日01時12分

 在ミャンマー(ビルマ)日本大使館から外務省へ入った連絡によると、軍事政権に対する抗議デモが続くミャンマーの最大都市ヤンゴンで27日、カメラマンの長井健司さん(50)が死亡した。スーレー・パゴダ(仏塔)付近で取材していたとみられ、流れ弾に当たった可能性がある。治安当局は同日午後、前日に続いてデモ参加者らに向かって発砲。国営メディアは、同日だけで死者は長井さんを含め9人に達したと伝えた。

ヤンゴン中心部で27日、デモに集まろうとする市民たちを追い払う治安部隊=ロイター

 外務省は27日夜、映像プロダクション「APF通信社」(東京都港区赤坂7丁目)の契約カメラマン、長井健司さん(50)=東京都在住=について、ミャンマーで死亡を確認した、と発表した。右胸を撃たれ、弾は貫通しており、即死とみられるという。デモを取材中に流れ弾に当たったとの未確認の情報もあり、地元警察は死亡した状況などを詳しく調べている。

 同省の説明では、同日午後4時45分(日本時間午後7時15分)ごろ、ミャンマー外務省から日本大使館に「日本旅券の所有者とみられる男性が死亡した」との連絡を受けた。同大使館員がヤンゴン市内の病院に向かい、午後6時(日本時間同8時半)ごろ、遺体を確認した。日本の家族らに画像を送り、長井さんと確認した。

 町村官房長官は27日夜、長井さんの死亡が確認されたことを受け、「弾圧的な実力行使をしないように求めてきたにもかかわらず、実力行使が続き、邦人が巻き込まれて犠牲になったことは極めて遺憾だ」と語った。ミャンマー政府に対しては「真相解明を求め、本件事態に至ったことに強く抗議する。在留邦人の安全確保のため、適切な対処を求める。国民との対話を通じて事態を解決することを改めて求める」と述べた。


事もあろうに、日本人カメラマンが、至近距離から射殺されてしまった。恐らく「写真を撮るな、止めなかったら撃つぞ」と言って、止めなかったから撃ったと言うのだろうけれど、何も心臓を狙わなくてもよさそうなものなのにと、ミャンマー軍関係者の乱暴な体質を見せられたような気がした。
きっと一事が万事で、やたらと威張っているのかも知れない。
国民の不満も相当溜まっているのだろう。

此れで英米は念願の親米英政権の樹立も間近になったと、喜んでいるのかも知れないけれど・・・・

昔読んだ石橋湛山の伝記で、「自分も若い頃に恩師の事で、良いだ悪いだと騒いだ事があったけれど、どんな揉め事でも、大抵が勢力争いに過ぎないと気が付いた」という意味のことを言っておられたというのを読んだ事がある。

只、ミャンマーの軍事政権、首都移転でも国民の反感を買っていたらしいし、やっぱり民主主義になるほうが良いのかな~
そしたら又タイやフィリッピンのような目に合わされることになるかもしれないけれど・・・・

やっぱりビルマの事はビルマ人の判断にゆだねるしかなく、私は何も言える立場でないと、改めて気付いたのでした。

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