Dendrodium 阪神大震災から20年の日に思う

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阪神大震災から20年の日に思う 

阪神大震災20年:午前5時46分、祈り希望の炎に
毎日新聞 2015年01月17日 12時14分
 神戸市中央区の東遊園地では、市などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」が開かれた。「1995 1・17」の形に並べられた竹灯籠(たけどうろう)約1万本に明かりがともされ、遺族や市民らが午前5時46分の時報に合わせて黙とう。午前7時現在で過去最多の約1万4000人が訪れ、犠牲者を悼んだ。


 母柴野ハツさん(当時90歳)を亡くした同市兵庫区の無職、前中キセノさん(82)は、今年も東遊園地で手を合わせた。「母は『100歳まで生きる』と何でも自分でする人だった。大勢の人と逝ったことだけが、唯一の救いかもしれない」と語る。震災以来、枕元に非常持ち出し袋や靴を置き、「何があっても大丈夫」と自分に言い聞かせて寝るのが日課になった。「母が亡くなった年齢まで元気でいよう」と誓っている。

 犠牲者の名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」前では、遺族代表として母を亡くした銘田(めいだ)奈津紀さん(26)=同市東灘区=と、震災前後に生まれた新成人を代表して小川和昭さん(20)=同市灘区=が「ことば」を読み上げた。

 正午前からは、兵庫県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」による追悼式典が同市中央区の県公館で開かれ、天皇、皇后両陛下が出席された。井戸敏三知事が、安全、安心な社会の実現に取り組む決意を述べた。


阪神大震災から20年が経った。
震災当時は日本にこんな災害が来る事が有るという事さえ忘れて、
便利な社会を当然のように思い、この境遇が何時までも続くと思って、
何の心の準備もなく、のんびりと平和を謳歌していた時代だったので、
神戸という最先端都市で起きた凄まじい震災の爪あとの映像に、吃驚したものだった。

神戸市内に住んでいた夫の従姉一家も、震災で家を潰され、
震災後避難所や親戚の家に居候をする生活を、余儀なくされて苦労されたけれど、
神戸の震災は原発事故を伴わなかっただけに、
東日本大震災に較べたら、復興は順調で早かったようである。

夫の従姉(享年84歳)は、震災の時家具の下敷きになられた時の圧迫がもとと思われる体調不良で、
震災から2年後、新築された家を見て安心されたのも束の間の3月に、他界されてしまったという不幸はあったけれど、
前述従姉の家族の苦労も、2年余りで震災の苦労は、ほぼ終了したのだった。
従姉のお葬式が神戸であったので、
私も神戸に行き、震災から2年後の神戸市内を見て回る機会があったのだけれど、
思いのほか復興が進んでいるのに、感心した思い出がある。

それを思うと、東日本大震災の復興は、遅遅として進んでいない。
復興が遅すぎるのではないだろうか?
津波被害があったり、被災地域が広かった事もあるだろうけれど、
原発災害が重なった事が、復興を遅らせている大きな理由でもあると思える。

カレイドスコープの記事
再稼動?村井東大名誉教授の「地震予知」を潰す工作員
によると、地震予知が当たると定評のある村井俊治東大名誉教授が、
最近、鹿児島県の原発再稼動予定地川内市辺りが、近いうちに地震が起きる可能性が大きい地域、
と予測されたのが気に入らないグループと思われる者達から、
ツイッターで執拗な嫌がらせを受け、
地震予知のツイートを暫らく止めざるを得なくなっておられるそうである。

地震が起きる恐れがあるという地震予知の権威の言葉さえも無視して、
彼等が原発再稼動を強行したがる理由は何所にあるのだろう?
地震災害だけでも悲惨なのに、その上原発事故まで重なったらどんなに大変か、
私達は痛いほど実感したばかりだと言うのに・・・・・

下記は村井名誉教授のツイッターと、地震予知図

地震予測に関するツイートはしばらく止めます。枝葉末節なことを言いがかりにした中傷誹謗、さらにヘイトスピーチが出てきたからです。一人でも多くの人の命を救いたいと願って新しい地震予測に取り組んできました。もちろん新らしい予測方法には至らない点があるのは認めます。見守って欲しいです。

— 村井俊治 (@sh1939murai) 2015, 1月 11



地震予知図

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