Dendrodium TPPの推進される日本社会の状況

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TPPの推進される日本社会の状況 

街の弁護士日記「マチベンの暑中見舞い」に、 街場の弁護士32年の実感という題で、
岩月弁護士が1980年代から現在の日本社会、一般庶民の置かれている立場の変遷を分かりやすく書いておられる。
前半部分も面白いのだけれど、全文を引用すると可也長くなるので、
現在の日本にとっての喫緊の課題である、「TPPによるグローバリゼーションになぜ反対するのか」以降を紹介させて頂く。
   (引用)

TPPによるグローバリゼーションになぜ反対するのか

貧困社会への道程

 戦後まもなくから長く職業斡旋事業は禁止されていた。労働者の賃金をピンハネする人入れ稼業は絶対的な悪だとされていたからだ。小規模事業者を保護する大規模店舗の出店規制も厳しかった。日本社会では、長く公平の理念が尊重されていた。
 大店法が改正され、出店規制が緩められたのは1990年。その4年前に労働者派遣を認める労働者派遣法が施行されている。
 その後、時代は大きな変わり目を迎える。1991年にソ連が崩壊し、冷戦が終結した。資本主義の暴走を牽制する重しが消えた。
 1995年には、管理職や基幹労働者を除く、一般労働者を流動化することを経済界が提言した。以後、通訳等ごく一部の専門職に限られていた派遣労働が漸次拡大されていった。30年前(1985年)には16%だった非正規労働の割合は今や4割に迫る。
 経済界が労働力の流動化を求めた理由は、グローバル市場での競争力の確保である。つまりグローバル市場での競争力を強調すれば強調するほど、労働力は部品と同じコストとみなされ、労働者は不安定な地位に置かれ、生活は劣化していく。
 かつては家計補助労働の典型だったレジに男性が立つ姿を見るようになったのは、ほんの数年前だ。それが今では当たり前の風景になっている。


日本は格差社会か

 では日本が格差社会かと言われると、統計ではそうではないというから、また恐ろしい。
 高齢化の影響を除いた統計処理では、社会構造ではまだ日本は先進国の中では相対的に平等だというのだ。
 欧米の失業率は高くなると10%を超える。日本では5%程度の失業が問題になる。日本社会は未だに欧米並みの格差社会ではないというのだ。
 格差社会の米国では上位1米国では1%の富裕層が所得の20%を占め、資産の4割を独占する(中国も同様である)。新自由主義政策を打ち出した英国やカナダも同じ傾向で、上位1%の富裕層が15%の所得を独占している。
 日本の富裕層1%の所得はは2000年以降微増傾向ではあるが、まだ10%に満たないと言われる(2005年現在)。それにしても90年代半ばまでは、大企業の役員の年収は労働者の平均賃金の2.5倍程度の割合を保っていた。この構造が急速に変化していることは周知だろう。
 TPPは、日本の法的・社会的風景を一括して新自由主義の風景に変換する。
 富裕層を急速に富ませ、市民の生活は貧困へと追い込まれていく。

TPPの経済的側面

 TPPは相変わらず、農業問題、関税の問題として伝えられている。
 輸出力を高めるためにTPPは必要だと、輸出産業と農業の対立が煽られる。TPPに反対するのは、少数のために多数に犠牲を強いるという宣伝が定着している。
 輸出力を高めるためにTPPをというなら、コストである人件費を抑制しなければならない。実質賃金は低下し、市民の生活は益々困窮する。
 アベノミクスが、解雇規制の緩和、残業代ゼロ法、生涯派遣を追及するのはグローバル市場で人件費をカットし、競争力を高めるためには必然なのだ。
 かつての小規模店舗に変わったコンビニの「経営者」の収入は、365日24時間の体制を確保するために、時間単価では最低賃金すら下回り、裁量もない。リスクを「経営者」に転嫁する実質無制限労働の労働者である。
 そんな風景を置き去りにして、国際競争力を追及するのが今の経済政策だ。
 世界銀行の統計では、2012年、日本のGDPに占める貿易依存度は調査した206ヶ国中、196位だ。日本の経済規模が大きいから、世界の貿易では目立つ存在かも知れないが、日本の輸出依存度は一貫して15%程度で、85%は内需である。内需を厚くするための所得の再配分が国民にとっての利益であることは明らかだろう。
 アベノミクスは違う。消費税増税と法人税減税を同時に行うという市民から大企業への所得の逆配分だ。ほんの少し前まで考えられなかった施策が経済成長策として堂々と行われる。
 一部のグローバル企業のために大多数の国民に犠牲を求める、総仕上げがTPPに他ならない。


対米従属というくびき

 TPPも集団的自衛権行使も米国の要求によるものだ。
 集団的自衛権は日本国憲法の平和主義と相容れないだろう。
 同様に、暮らしの仕組みをグローバル企業本位のものに一括変換するTPPは憲法の国民主権と基本的人権尊重主義を踏みにじる。
 米国の国力の衰退は、否応なく日本に軍事的役割の負担を求める。集団的自衛権行使容認に込められたのは、米軍を肩代わりする自衛隊に他ならない。米国のためいっそうの軍事予算の肩代わりを求められるのも必至だろう。
 軍事のクローズアップも一面では確実に金儲けと結びついている。利にさとい経済人は、武器輸出や軍事ODA、そして民間軍事会社で儲けようとする。いわゆる「死の商人」に踏み出すこともいとわない。
 TPPで日本は、国民の生命や財産を守る多くの法律の改正を余儀なくされる。一方、米国は全く国内法を変えることなくすむ仕組みになっている。自分を安全地帯において一方的に相手国の制度の変更を求めるのが米国の自由貿易協定の歴史だ。一方的に責めるだけで自分は安全圏にある姿は、米軍の空爆に似ている。
 そんな不平等は百もわかっていて、TPPの締結を急ごうとする政府は、結局、国民を食い物にして自らの利益を得ようとする勢力を代表しているとしか言いようがない。
 新自由主義の元祖のように言われるアダムスミスは、労働が価値を生み出すこと、したがって、労働に見合った賃金を保障すべきことを説いた。マルクスはいうまでもなく、ケインズも価値を生み出すのは労働であると考えていた。労働者をモノ扱いしてできるだけ賃金を削り取ろう等という考え方は、歴史に残る偉大な経済学者は考えもしなかったということだ。


街場の弁護士の矜持

 TPPに反対する主張を繰り返したとき、意外だったのが、「弁護士の中にも、まだ、そういう人がいたのか」という反応だった。
 弁護士の大増員も年次改革要望書に基づく、米国の要求であった。弁護士数はこの10年で倍増し、3万5000人に近づいている。所得100万円を下回る弁護士が3割を超え、法律事務所は経営難が広がり、事務所閉鎖も相次いでいる。先行きのない法律家の志願者は激減し、挙げ句には東大法学部が定員割れを起こす事態にまでなっている。
 一般市民の生活が貧困化へ向かう中で、弁護士だけ激増すれば、弁護士が困窮化するのは明らかだ。
 かつて、弁護士には「在野」という共通の精神があった。官にも企業にもおもねらないことを誇りとしていた。経済基盤を奪われれば、「在野」精神も失われる。官にも大企業にも、文句が言えない刹那主義が弁護士の世界にも広がっていると言うと、言い過ぎだろうか。少なくとも一般にはそうした弁護士像が行き渡っているから「まだ弁護士の中にもそうした人がいるのか」という反応が出るのだろう。
 新自由主義による経済成長が市民の生活を豊かにしないことは街場の弁護士として痛感している。グローバル資本のために経済・社会を作り替えるTPPは、1%を富ませ、99%を犠牲にしていくだろう。
 だからこそ、在野精神に矜持を持つ街場の弁護士として毅然としてTPPによって反対を主張し続けたい。

Comments

貧しくとも,田舎に住もう-放射線管理区域の那須地方から

 岩月弁護士の1980年代から現在の日本社会に関する「いい話」を久しぶりに聞かせて頂いた。始めにお礼申し上げます。

 「ピンハネ」。そこで思い出したのが荘園,領地,封建制など殿上人は「額に汗することなく」イイ生活をする時代。思えば古来より,同じ日本人の中に,楽をしてイイ生活をする1%と下々で働く99%の庶民がいたと言うことです。
 また,弁護士さんと言えば,往年は高給取りでしたが近年はそうでもないと言うことらしいのですが,弁護士さんも都会で一旗揚げようとはしませんでしたか。
 
 この自公民政権下で99%を造らない方法として,弁護士さんをはじめ皆さんが都会暮らしを止めて田舎で暮らしませんかと,提案させて頂きます。

 経済のことも世の中のこともよく分かりませんが,草木もなびくように都会に生活の場を求めた結果,このような事態になったのではと考えています。
 弁護士資格をもちながらも田舎暮らしをして貧しくも御用放送局TVやマスゴミ報道に惑わされず,畑を耕して,時には弁護を引き受け,再生エネルギ-を活用して生涯を終える暮らしをすることが,99%を24%未満におさえる手段の一つであると考えますが,いかがでしょうか。

 現行の小選挙区制で世の中の方向を変えるのには,明治維新のように武力で政権交代をするか,田舎暮らしをして世の中の流れと反対方向の生き方をするかの2つがあると考えます。しかし後者こそが民主的な政権交代につながるだろうと,考えています。
 例えば,劇作家の井上ひさし氏が提唱したように,「非核田舎」宣言を出して凶器(狂気)である原発から「自由」になること市町村を目指すこともできます。これに対して政府の条約局の厄人は,それは国の問題だとって地方の問題ではないと否定していますが,日本国憲法には「偏狭と圧迫,専制と隷従を永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたい」云々とあるように,原発の「恐怖」から「自由」である権利は田舎の弁護士にも,左翼にも、右翼にもあります。
 但し,岩下俊三先生のいうように「左翼の文学」でもって事を処理しないように時には明治維新を思い出す必要があります。単なる行事の消化ではないのです。
 以上,中秋の名月を見ながら,といっても,放射線管理区域の那須山の麓からの眺めですが,放射能に汚染された栗を食べ,団子を味わい,縁側にススキをそなえながら以上のような感想を心に抱くのです。


 なぜなら,たとえば原発がたくさんある郡部とその電気を使う都市部の人々の意見が同じくなることは,ほとんどないからです。

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