Dendrodium ウクライナ問題・米外交問題評議会の論評

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ウクライナ問題・米外交問題評議会の論評 

芳ちゃんのブログ「ウクライナ危機を招いたのは西側であって、プーチンではない」 - 米外交問題評議会 に、
最近、外交問題評議会がその機関誌である「フォーリン・アフェアーズ」に載せたひとつの記事 を紹介しておられる。
アメリカ側から見た「ウクライナ紛争」を元に論評しても、やっぱり現在のアメリカの方針は改めるべきであると言っている。
この提言に従ってアメリカ政府が、賢明な選択をされる様祈る。
 長い文章であるが、ここに全文を複写させて頂く。

西側における支配的な見解によると、ウクライナ危機は全面的にロシアのせいであるとしている。さらには、ウラジミール・プーチン大統領は長年の課題であるソ連邦の再生の夢を追って、クリミアを併合した。今後は、残されたウクライナも同じ運命にさらされる、と西側の論理は展開する。この見解によると、2014年2月のヤヌコヴィッチ大統領の更迭は単にプーチン大統領にウクライナの一部を確保するように軍部に命令を下す口実を与えただけに過ぎないとしている。


しかし、この説明は間違っている。むしろ、米国とヨーロッパの同盟国はこのウクライナ危機に対して全面的な責任を負っているのだ。問題の主因はNATOの拡大にあり、これはウクライナをロシアの衛星国の立場から解放し、西側へ統合するという大きな戦略の中核的な要素である。それと同時に、当方へのEU圏の拡大や2004年のオレンジ革命に始まったウクライナにおける民主主義志向の動きに対する支援も重要な要素であった。1990年代の中頃から、ロシアの指導者らはNATOの拡大には断固として反対を唱え、近年は戦略的に重要な隣国が西側の拠点にされることを傍観し続けることはできないと明確に述べている。プーチンにとっては、民主的に選出された親ロシア派の大統領を非合法的に追い出したこと(プーチンはこの行為をクーデターと称した)は最後の一撃となった。彼はクリミアを取り込むことでこの一撃に応えた。クリミア半島がNATOの海軍基地になることを恐れたのだ。また、彼はウクライナを不安定化させ、西側への参加をあきらめさせようとした。

プーチンの抵抗は来るべくして来たのだ。決して驚くには値しない。結局、西側はロシアの裏庭へ入り込み、ロシアの中核的な戦略に脅威を与えていたのである。これはプーチンが強調していた点でもあって、何回も繰り返して述べていた点である。米国やヨーロッパのエリートたちはこれらの出来事では不意打ちを突かれたのだ。何故かと言うと、国際政治について間違いだらけの見解を持っていたからである。彼らは、現実主義の論理はもはや21世紀とは関連性がない、ヨーロッパは法の支配や経済的な相互依存性ならびに民主主義、等の自由主義的原則に基づいて団結し、自由を謳歌することができると考えがちである。

しかし、この大掛かりな計画はウクライナでは不首尾に終わった。ウクライナ危機は現実主義は依然として密接な関連性を持っており、それを無視することは危険をはらんでいることを示している。米国とヨーロッパの指導者たちはウクライナをロシアとの国境に接する西側の橋頭保にしようとして大失敗をしでかしたのだ。その結末が裸のままはっきりと横たわっている今、この役にはたたない政策を単に継続することはとてつもなく大きな間違いであると言えよう。  



西側によるあからさまな侮辱

ソヴィエトの指導者らは冷戦の終焉に伴って米軍がヨーロッパに駐屯し続け、NATOがそのまま残ることは好ましいと思った。この合意は再統合されたドイツを平和国家のままで維持することに役立つものと考えた。ソヴィエトの指導者やその後継者たちはNATOが拡大することは望んではいなかったし、西側の外交官は彼らの懸念を十分に理解しているものと想定した。しかし、クリントン政権はまったく別のことを考えていた。1990年代の中頃、同政権はNATOの拡大を推進し始めたのである。

初回の拡大は1999年に実施され、チェコ共和国、ハンガリーおよびポーランドがNATOに参加した。二回目の拡大は2004年に実施され、ブルガリア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニアが参加した。モスクワ政府は最初からこっぴどく批判した。NATOによる1995年のボスニア系セルビア人に対する爆撃では、例えば、ロシアのイエルツイン大統領は「これはNATOがロシア連邦の国境の間際にまで拡大した場合にいったい何が起こるかということを示した始めての兆候だ。…ヨーロッパ中で戦火が巻き起こる」と述べた。しかし、NATOが東に向けて拡大するのを阻止するには当時のロシアは余りにも弱体であった。バルト地域の国を除いては、新参加の国々は直接ロシアと接してはいなかったことから、この東方への拡大はどう見ても実際の脅威とは見なされなかった。

NATOはさらに東方を見つめ始めた。2008年4月のブカレストにおける首脳会議にて同盟国はグルジアとウクライナの参加を検討した。ジョージ・W・ブッシュの政権はこの考えを支持したが、この動きはロシアを極度に苛立たせる恐れがあるとしてフランスとドイツは反対した。最終的には、NATO加盟国は妥協点を見出した。つまり、同盟国はこれらの二国を参加に導く正式の手続きは開始しなかったが、グルジアとウクライナの願望を公式に認めるとの声明を作成し、大胆にも「いずれこれらの国はNATOのメンバーになる」と宣言した。

しかしながら、モスクワ政府はこの結果を妥協の産物とは受け取らなかった。当時外務副大臣であったアレクサンドル・グルシコは「グルジアとウクライナのNATOへの参加は汎ヨーロッパの安全保障にとってはもっとも深刻な結果を招くことになり、戦略上の大きな間違いである」と言った。プーチンは、それらふたつの国のNATOへの加盟はロシアにとっては「直接の脅威」になると主張した。ロシアの新聞は、ブッシュとの会談を行っていたプーチンは「もしもウクライナがNATOに加盟したとしたらその存続は終焉するだろうとの意見を非常に率直に示した」と報告している。

2008年8月のロシア軍のグルジアへの侵攻はグルジアやウクライナのNATOへの参加を防止しようとするプーチンの決意についての疑念を一掃した筈であった。自分の国を何としてでもNATOへ加盟させたいグルジアのミカイル・サーカシビリ大統領は、2008年の夏、ふたつの分離派の州、アフカジアと南オセチアを再統合しようとした。しかし、プーチンはグルジアを弱体化し、世論がふたつに分かれたままにし、NATOには参加させないようにした。グルジア政府と南オセチアの分離派との間で戦闘が開始された後、ロシア軍はアフカジアと南オセチアを勢力下に収めた。モスクワはその意思を明確に示したのだ。この明確な警告があったにも拘わらず、NATOはグルジアとウクライナを同盟国に迎えるという目標を公式に破棄しようとはしなかった。そして、NATOの拡大はさらに続いて、2009年にはアルバニアとクロアチアがそのメンバーとなった。

EUも東に向かって行進を続けた。2008年の5月、EUは「東方パートナーシップ」というプログラムを発議した。これはウクライナのような国が繁栄することを支援し、EU経済圏への統合を進めるプログラムである。驚くべくもなく、ロシアはこの種の計画はロシアの国益を損なうものであると見なした。今年の2月、ヤヌコヴィッチ大統領が大統領府から追い出される前、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はEUは東ヨーロッパにその「影響圏」を拡大しようとしているとして非難した。ロシアの指導者の目には、EU圏の拡大はNATOの拡大のための隠れ蓑として映るのだ。

キエフをモスクワから引きはがす最終的な手段はウクライナや旧ソ連邦にあった各国において西側の価値観を広め、民主主義を促進することであった。この計画は多くの場合親西欧的な人物や組織に対する資金援助となった。米国務次官補のヴィクトリア・ヌーランドは、2013年12月、ウクライナが「それに相応しい将来」を達成できるよう支援するために1991年以降約50億ドルを費やしたことを明らかにした。その取り組みの一部として、米政府は「米国民主主義基金」に資金を提供し続けていた。この非営利団体はウクライナにおける市民団体を育成し推進するために60以上ものプロジェクトに資金を提供し、この団体の理事長であるカール・ガーシュマンはウクライナを「もっとも大きな勲章」と称していた。ヤヌコヴィッチが2010年の2月にウクライナ大統領選で勝利を収めた後、同団体は反政府派に対する支援活動を一段と高め、ウクライナの民主主義団体を強化した。

ロシアの指導者たちはウクライナにおける社会工学的な活動を目撃する時、自分たちの国が次の番だとの懸念に襲われる。そのような恐れは決して根拠がないというわけではない。2013年の9月、ワシントン・ポストに次のような内容の記事が寄せられた。「EUへ加わろうとするウクライナの選択はプーチンを代表とするロシア帝国主義の終焉を加速する。ロシア人たちも選択に直面し、プーチンは国内ばかりではなく、国外でも自分の敗北を見い出すことになるだろう。」


危機の醸成

もしも中国がカナダやメキシコとの間で目を見張るような軍事協定を締結し、両国を統合しようとしたならば、米国人はどれだけ怒るかを想像してみて欲しい。

三分野にまたがる西側の政策、つまり、NATOの拡大、EU圏の拡大、ならびに、民主主義の推進は今にも燃え広がろうとする火に油を注いだ。これは、2013年11月、EUとの間で交渉を続けていた経済協定をヤヌコヴィッチが破棄し、その代わりにロシアが対案として示した150億ドルの融資を受理すると決めた時に火を噴いた。あの決断によって反政府活動が一気に爆発し、それ以降3か月余りにわたって拡大するばかりで、デモの参加者の間では2月中旬までに100人を超える死者が出た。この危機的な状況を解決しようとして西側の特使が急遽キエフに派遣された。2月21日、政府と反対派との間で新たに選挙が実施されるまではヤヌコヴィッチが政権に留まるとの合意が成立した。しかし、この合意は速やかに破棄され、翌日、ヤヌコヴィッチはロシアへ逃亡した。キエフに樹立された新政府は親ヨーロッパ、かつ、反ロシアであって、この政府の高官にはネオ・ファシストと言える4人が含まれている。

米国の関与がその頂点に達したというわけではないものの、ワシントンがこのクーデターを支援したことは明白な事実である。ヌーランドや共和党の上院議員であるジョン・マケインは反政府デモに参加し、在ウクライナ米国大使のジエフリー・パイアットはヤヌコヴィッチ大統領を追い出した後、「あれは歴史の教科書に残る一日となった」と言った。リークされた電話の内容によると、ヌーランドは政権の交替を支持し、ウクライナの政治家アルセニー・ヤツエニュックが新政府の首相になることを希望していた。事実、彼が首相になった。これらのことをすべて考慮すると、西側がヤヌコヴィッチの退陣劇で主要な役割を演じたとロシア人が理解したとしても決して不思議ではない。

プーチンにとっては、ウクライナと西側に対して行動する時がやってきた。2月22日以降間もなく、彼はクリミアをウクライナから取り上げるようにロシア軍に指示し、その後速やかにクリミアをウクライナへ編入した。クリミアのセバストーポリ海軍基地に駐屯している何千人と言う将兵の存在のお蔭で、この仕事は比較的簡単であることが証明された。クリミアはその総人口の約60パーセントがロシア人であることから容易い標的でもあった。殆どの住民はウクライナからの離脱を希望した。

次に、プーチンはキエフの新政府がモスクワに反抗して西側に追従することを防止しようとして新政府に対して大きな圧力をかけた。これはウクライナがロシアの玄関先で西側の橋頭保に変身する前に国家として機能しているウクライナを粉々に破壊する用意があることを示すものである。その目的のために、彼はウクライナ東部のロシア語を喋る分離派に相談役や武器ならびに外交的な支援を提供した。こうして、ウクライナを内戦に押しやった。彼はウクライナとの国境に大量の軍隊を集結し、もしウクライナ政府が反政府派を弾圧するならば何時でも侵攻すると脅しをかけた。そして、彼はロシアがウクライナへ売っている天然ガスの価格を引き上げ、すでに輸出した分の支払いを迫った。プーチンは強硬姿勢をとっている。


分析結果

プーチンの行動は理解しやすい。フランスのナポレオン軍、ドイツ帝国、ならびに、ナチ・ドイツは広大な平原を突破して、ロシアに攻撃を仕掛けた。ウクライナはロシアにとっては緩衝国家として戦略的に大きな重要性を持っている。ロシアの指導者は誰もがモスクワの敵がウクライナへ侵入して来ることを最近まで許そうとはしなかった。ウクライナの西側への統合を標榜する政府を樹立することに西側が支援するのをそのまま傍観するロシアの指導者は誰もいない。

ワシントンはモスクワの姿勢を嫌うことだろうが、その背景にある論理を理解するべきだ。これは「地政学101」である。つまり、大国はお膝元における潜在的な脅威に対しては常に神経質である。結局のところ、米国は遠距離に位置する大国が西半球において軍事力を配備することは好まない。ましてや、国境に近い地域ではなおさらのことだ。もしも中国が見事な軍事同盟を締結し、カナダやメキシコを統合した場合、ワシントンがどれだけ激怒するかを想像してみて欲しい。論理は別としても、ロシアの指導者はグルジアやウクライナへのNATOの拡大は、これらの国をロシアに敵対させようとする取り組みと並んで、決して受け入れらないということを西側に対して何度も伝えてきた。2008年のロシアとグルジアとの間の戦争はこのことに関する明確なメッセージでもある。

米国やヨーロッパの同盟国の高官らは自分たちはロシア側の恐れを緩和しようと試みて来たし、NATO はモスクワを目標としたものではないことをモスクワは理解するべきだと頑固に主張した。NATOの拡大はロシアを封じ込めるものではないと否定し続けることに加えて、この同盟は新加盟国に対して恒久的には武力を配備しなかった。2002年には、「NATOロシア理事会」と称する機関が設立され、相互の協力を推進した。ロシアをさらになだめるために、米国は2009年にミサイル防衛システムをチェコとポーランド両国に配備するのではなく、少なくとも当初はヨーロッパ海域上の艦艇上に配備すると通告した。しかし、これらの動きは何れも功を奏しなかった。ロシア側はNATOの拡大、特に、グルジアやウクライナへの拡大には断固として反対した。そもそもロシアにとって何が脅威であるかを決定するのは西側ではなく、ロシア側である。

米国のウクライナに対する政策がロシアとの本格的な衝突を起こす基礎となっているという事実を理解することに西側が、特に、米国が何故に失敗したのかを把握するには、クリントン政権がNATOの拡大を支持し始めた1990年代の半ばまで遡らなければならない。批評家たちはNATOの拡大に関して賛否両論のさまざまな議論を行ったが、何をするべきかについての意見の一致は得られなかった。例えば、米国内の東欧からの移住者たちやその親族は殆どが拡大を強く支持した。彼らはハンガリーやポーランドといった国々をNATOが防御することを希望したのである。少数の現実主義者らはロシアは依然として封じ込める必要があるとして同政策が気に入ったのだ。

しかし、大多数の現実主義者らは衰退の一歩を示すこの老大国では人口が老齢化しており、経済は一次元的であることから封じ込めは必要ではないとして、拡大には反対した。そして、拡大をすると、モスクワには東欧で問題を引き起こす動機を与えることになりかねないとする懸念を抱いた。米国の外交官ジョージ・ケナンは、米議会の上院が最初のNATOの拡大を認めた直後、1998年のインタビューでこの懸念をはっきりと述べた。 「ロシア人はやがて完全に逆向きに反応するのではないかと思う。これは悲劇的な間違いだ。これを実行する理由は何も存在しない。どの国も他国に脅威を与えようとは思ってはいない。」 

米国ならびにその同盟国はウクライナを西洋化するという計画を破棄するべきである。それに代わって、ウクライナは中立的な緩衝地帯とするべきである。

一方、ほとんどの自由主義者たちは、クリントン政権の多くの中枢メンバーを含めて、拡大を望んだ。彼らは冷戦の終焉が国際政治を基本的に変質させ、新たにやって来た「後国家主義的な秩序」がそれまでヨーロッパを支配していた現実主義の論理に取って代わったと信じていた。マデレーン・オールブライト国務長官が述べたように、米国は「不可欠な国家」であるばかりではなく、良性の覇権国でもあって、それ故に、モスクワに脅威として見られることはなさそうであった。その目的は、本質的には、大陸全体を西洋ヨーロッパのようにすることにあった。

米国とその同盟国は東欧の国々で民主主義を促進し、国家間での経済的な依存性を高め、国際的な枠内へ組み入れることにした。米国内においての論争に勝利を収めてから、自由主義者たちはヨーロッパの同盟国がNATOの拡大を支持するように説得する上で特に大きな困難を感じることはなかった。結局、EUにおける過去の実績を反映して、地政学的な側面はもはや重要ではなく、すべてを包含する自由主義的な秩序がヨーロッパの平和を維持するという考えにヨーロッパ人は米国人以上にとらわれていたのだ。

自由主義者らは、本世紀の最初の10年間、ヨーロッパの安全保障に関する会話においては徹底して優勢を保つことになったことから、本同盟が成長に関しては門戸開放政策を採用したので、NATOの拡大に対しては現実主義者の反対を受けなかった。自由主義的な世界観は米国の高官らの間では今や完全に受け入れられた概念である。たとえば、この3月、オバマ大統領は、ウクライナに関する演説で、西側の政策は「理想」によって動機付けられていると何度も述べた。そして、それらの理想が「古い、より伝統的な大国によって繰り返し脅かされている」と述べた。クリミア危機に対するジョン・ケリー国務長官の反応はこれと同様の視点からのもので、「21世紀の行動においてはでっち上げにより他国を19世紀的なファッションで侵略してはならない」と述べている。

要は、それぞれの側は違った脚本にしたがって行動していたのである。プーチンとその同国人は現実主義的な命令にしたがって思考し行動していたが、それに対する西側は国際政治については自由主義的理想に執着していた。その結果、米国とその同盟国はウクライナを巡って巨大な危機を招いてしまった。


非難合戦

1998年の同一のインタビューで、NATOの拡大は危機を招き、危機が起こってからは拡大の賛同者たちは「ロシア人ってのはそういう連中だってわれわれは何時も言っていただろうに」と言うのではないかとケナンは予測していた。好機が到来したとでもいうように、西側の高官らはウクライナ危機ではプーチンを本物の大悪党として描写した。3月には、ニューヨーク・タイムズによると、アンゲラ・メルケル首相は、プーチンは非理性的で、別世界に居るようだとオバマに告げた。プーチンは疑いもなく貴族的な傾向を持ち合わせてはいるが、彼が精神的に不安定であるとする言い分を裏付ける証拠はまったくない。それどころか、彼は一級の戦略家であり、対外政策に関して彼とやり合う人は誰であっても彼には恐れを感じ、尊敬の念を覚えるほどである。

他の分析専門家らは、プーチンはソ連邦の崩壊を残念に思っており、ロシアの国境を拡張することによって元に戻したいのだ、ともっともらしく主張している。この解釈によると、クリミアを奪還したプーチンは、今や、ウクライナを、あるいは、少なくともその東部だけでも征服する潮時をうかがっており、やがては、ロシアの近隣諸国に向けて積極的な行動をとることだろう。この陣営の連中にとっては、プーチンは今日におけるアドルフ・ヒトラーを代表するものであって、彼との間に形成される合意はミュンヘンの間違いを繰り返すことになるとしている。こうして、NATOはグルジアとウクライナを加盟させ、ロシアがその近隣諸国を席巻し、西ヨーロッパに脅威を与える前にロシアを封じ込めなければならないと言う。

詳しく分析してみると、この論議は見事に崩れ去っていく。もしもプーチンが「偉大なるロシア」を標榜していたとすれば、2月22日よりも前に彼の意図を示す兆候が表れていた筈である。しかし、彼が当日以前にクリミアを奪還しようとしていたことを示す証拠は実質的には見当たらないし、ウクライナの他の地域、つまり、東部についてはなおさらのことだ。NATOの拡大を支持する西側の指導者でさえもロシアが軍事力を使うことになるかも知れないという恐れからそうすることはなかった。クリミアにおけるプーチンの行動は皆を完全に驚かせ、あれはヤヌコヴィッチを追い出したことに対する咄嗟の反応であったのではないかと推測される。あの直後、プーチンでさえもが「自分はウクライナの分離には反対だ」と言っていた程だ。でも、急遽、彼は考えを変えた。

たとえロシアが望んだとしても、ロシアはウクライナ全域に比較すると遥かに小さい東部地域を容易に征服する能力には欠けている。大雑把に言って、国を二分するドニエプル川とロシア国境との間の地域には千五百万人が住んでいる。これらの住民の圧倒的大多数はウクライナの一部として留まることを希望しており、ロシアの占領を望んではいない。さらには、近代的な戦力に脱皮する兆候を見せてはいないロシア軍がウクライナ全土を制圧する見込みはない。モスクワは費用が嵩む占領を維持するだけの地位にはないのが現状であって、その弱い経済力は制服の結果課される経済制裁によってより大きな損害を被ることになろう。

たとえロシアが強力な武力や見事な経済を誇りに思っているとしても、ウクライナを成功裏に占領することは結局は無理であろう。アフガニスタンにおけるソ連と米国の経験、ベトナムやイラクにおける米国の経験、ならびに、チェチュニアにおけるロシアの経験を思い起こす必要がある。軍事占領は、通常、悪い結果を招く。ウクライナを制圧することはヤマアラシを飲み込むみたいなものであることをプーチンはよく分かっている。ウクライナにおける出来事に対するプーチンの反応は防御的であって、決して攻撃的ではない。


出口戦略

プーチンの行動は安全保障上の懸念に動機付けされているとする西側の大部分の指導者たちの見方は引き続き否定的であることから、彼らが既存の政策に重点を置くことによってそれを修正し、ロシアがさらなる侵略をしないようにと経済制裁を加えたことは驚きである。ケリー国務長官は「すべての選択肢を考慮する」としているが、米国もNATOもウクライナを防衛するための軍事力の行使には備えていない。その代わり、西側はロシアがウクライナ東部の反乱を支援することを止めさるためにロシアに対して経済制裁を加えることに頼っている。この7月、米国とEUは3回目の経済制裁を課した。この制裁では主としてロシア政府に近い高位高官、主要銀行、エネルギー関連企業、防衛関連企業が対象となっている。彼らは、これらとは別に、ロシア経済の全領域を対象にしたもっと厳しい制裁を加える用意があるとして脅しをかけている。

こうした経済制裁はほとんど効果を示さないだろう。何れにせよ、本当に厳しい制裁は提案されてはいないようだ。何故かと言うと、西ヨーロッパの国々、特に、ドイツは経済制裁を課すことには反対した。ロシアが反撃に出ることやEU圏が深刻な経済的損害を被ることが予測されたからである。しかし、たとえ米国が頑強な策を施すようにとその同盟国を説得することができたとしても、プーチンは自分の意思決定を覆すことはないだろう。歴史的に見ると、国家の中核的な戦略を防護するためには国家は膨大な量の罰であってもそれを吸収してしまう。ロシアがこの法則には従わないとする理由はまったくない。

西側の指導者は挑発的な政策にこだわり続けて来た。そもそもそれが危機を招いたのである。この4月、ジョセフ・バイデン米副大統領はウクライナの議員たちと会い、こう言った。「今はオレンジ革命における約束を果たす二回目の好機である。」 CIA長官のジョン・ブレナンが、同月、キエフを訪問した時、彼は大きな助けにはならなかった。ホワイトハウスは彼の訪問はウクライナ政府との間の安全保障に関する協力関係を改善することが目的だと言った。

その一方で、EUは「東方との連携」を推進し続けた。この3月、欧州委員会の委員長であるホセ・マヌエル・バロッソはウクライナに関するEUの考えを総括して、「われわれには借りがある。あの国の同志としての義務がある。われわれは同国がわれわれと可能な限り近しくなるようにしたい」と言った。そして、案の定、6月27日には、EUとウクライナは7か月前にヤヌコヴィッチが宿命的に破棄することになった経済協定を調印した。その6月、NATO加盟国の外相会議では外相たちは具体的にウクライナの国名に言及することは避けたものの、NATO同盟は新規メンバーの加入を拒まないことに合意した。「第三国はNATOの拡大を拒否する権利はない」とNATO事務総長のアナス・フォー・ラスムセンが宣言した。外相たちは、命令や管理、兵站、ならびに、サイバー防衛、等を含めて、ウクライナの軍事能力を改善するさまざまな対策を支援することにも合意した。ロシアの指導者たちはこれらの行動に対して反動を示した。こうして、西側のウクライナ危機に対する反応がすでに悪化している現状をさらに悪化させることになる。

しかしながら、ウクライナ危機については解決策が存在する。しかし、西側は基本的にはまったく新たな考えに基づいて同国について考える必要がある。米国とその同盟国はウクライナを西洋化するという自分たちの計画を破棄し、その代わりに、冷戦時代のオーストリアの地位がそうであったように、同国をNATOとロシアとの間の中立的な緩衝地帯とすることだ。西側の指導者たちは、ウクライナはプーチンにとっては非常に重要であり、ロシアはウクライナに反ロシア政権が居座ることはとても容認できないということを理解するべきである。これは将来のウクライナ政府は親ロシア的、あるいは、反NATO的であるとする必要はない。それどころか、目標はウクライナがロシアや西側のどの陣営にも属さない独立したウクライナとすることにある。

この目標を達成するには、米国とその同盟国はグルジアとウクライナへのNATOの拡大を公式に破棄すべきである。西側はEU、国際通貨基金、ロシア、および米国によって資金供給が行われるウクライナ経済救済計画の作成に努力べきである。この提案は自国の西方に繁栄し安定したウクライナが維持されることに最大の関心を持っているロシアにはおおいに歓迎されることだろう。そして、西側はウクライナ国内での社会工学的活動は極力抑制するべきである。もうひとつのオレンジ革命に対する西側の支援には終止符を打つ時がやってきた。そうとは言え、米国やヨーロッパの指導者たちはウクライナに対しては少数派の人権を尊重し、特に、ロシア語系住民がロシア語を使用する権利を尊重するように働きかけなければならない。

こんなに遅くなってからウクライナに対する政策を変更することは国際社会における米国の信用をひどく損なうことになるといった議論をする人がいるかも知れない。ある程度のコストは間違いなくかかることだろうが、見当違いの政策を継続した時のコストはより膨大なものとなろう。さらには、自分たちの間違いから何かを学び取ろうとする国家は他の国々から尊敬の念を集め、最終的には、手中にある課題を効果的に対処することが可能な政策へと繋がって行く。明らかに、米国にとってはそのような選択肢の可能性が開かれている。

ウクライナは自国がどの国と同盟を組むかを決定する権利を有しており、ロシアはキエフが西側に加わることを阻止する権利はないとする議論も聞こえてくる。ウクライナにとっては、自国の対外政策の選択肢を考える際にはこれは危険な方向である。悲しむべきことには、超大国の力による政治が関与している場合には、そのような権利の主張は多くの場合有効である。しかしながら、超大国が小さな国家を相手に騒々しい喧嘩を仕掛ける時、自決といった抽象的な権利の主張はほとんど無意味となる。冷戦の最中、キューバは旧ソ連との間で軍事的な同盟関係を締結する権利を有していただろうか?もちろん、米国はそうは思わなかった。ウクライナが西側に加わろうとすると、ロシアはまったく同様の考えを抱くであろう。これらの現実をよく理解すること、そして、自国よりも大きな力を持つ隣国と対処する際には注意深く歩むことこそがウクライナの最大の関心事であると言えよう。

しかしながら、この分析を拒否し、ウクライナはEUやNATOへの参加を申請する権利があると信じる人がいるかも知れないが、現実には米国やその同盟国はこれらの要求を拒絶する権利を持っていることに変わりはない。もしも、ウクライナが間違った対外政策に固執し、特に自国の防衛が基本的な関心事ではないような場合には、西側がウクライナのために便宜を図らなければならないとする理由はないのである。ある少数のウクライナ人の夢をほしいままにさせることはそれが招く敵対意識や争いを容認するだけの値打ちはない。特に、ウクライナの人々にとってはそう言える。

もちろん、ある分析専門家たちはNATOはウクライナとの関係を貧弱に扱ってきたという事実を認めながらも、ロシアは敵であり、ロシアは時間と共にますます力を付けてくると主張する。したがって、西側としては選択肢はなく、現在の政策を継続するしかないと言う。しかし、この見解はひどく間違っている。ロシアは強国ではあるが衰退の一途にあり、時間と共に衰えるだけである。たとえロシアが隆盛を極める大国であったとしても、ウクライナをNATOへ参加させることは何らの意味もなさない。その理由は簡単だ。NATO諸国がウクライナを助けるために戦力を行使することには気乗りがしないことからも、米国とその同盟国はウクライナが戦略上中核的な存在であるとは思ってはいない。他の加盟国が防衛しようとする意図をもってはいない国を新たなNATOメンバーにするなんてまさに愚の骨頂である。過去においてはNATOは拡大して来た。それは自由主義者たちにとってはこの軍事同盟が新たに参加したメンバー国にその安全を保障する必要がなかったからに過ぎない。しかしながら、ロシアの最近のパワー・プレイを見ると、ウクライナをNATOに参加させることはロシアと西側を互いに衝突するコースに乗せることを示している。

現在の政策に固執し続けることは他の課題に関しても西側のモスクワとの関係を複雑にしかねない。米国はアフガニスタンから米国の軍事施設を撤収する際ロシア領内を通過することに最大の支援を取り付けたいし、イランとは核に関する合意を成立させ、シリアにおける状況を鎮静化したいのである。事実、モスクワはこれらのみっつの分野のすべてにおいて米国を助けてきた。2013年の夏、シリアは化学兵器の破棄に同意することになったが、あの取引を導き出し、火中の栗を拾ってくれたのはロシアであった。この努力によって、オバマが脅かしていた米国による空爆を回避することができたのである。何時の日にか、隆盛を極める中国を封じ込めるために米国はロシアの助けを借りる必要があるかも知れない。しかしながら、現在の米国の政策はモスクワと北京をますます親密にさせるだけである。

米国とその同盟国は今ウクライナについての選択を迫られている。これらの国は現在の政策を継続することができるが、そうした場合はロシアとの敵対関係を悪化させ、その過程ではウクライナを台無しにしてしまう。これは当事者全員が敗者となることを意味する。一方、これらの国はギアを入れ替えて、繁栄しながらも中立的なウクライナを創造することも可能だ。このようなウクライナはロシアを脅かすこともなく、西側はモスクワとの関係を修復することができる。この筋道を辿れば、当事者は全員が勝者となることだろ。

Comments

Comment Post















管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

Trackback URL
http://dendrodium.blog15.fc2.com/tb.php/2102-64b17a7b

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。