Dendrodium 豊臣の残党安倍晋三 part2

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豊臣の残党安倍晋三 part2 

皐月の空は今日も明るく晴れ渡っている。
青空の下の山々には、新緑や常緑樹の緑の葉の中に、金色の新芽が盛り上がり輝いている。
昔「山が笑う」という表現を見た事があったが、将にこんな山のことを言っておられたのだろうと感じられる。
今日は水量が増やされた瀬田川は、山裾を静かに流れていた。
美しい日本、大好きな日本 
安倍総理が変な事をしなかったら、日本はこんなに美しいのに、
安倍さんは美しい日本を求めながら、如何して原発を推進したり、軍事国家に変えようとしたりするのだろう?

昔私は「豊臣の残党、安倍晋三」という記事を書いた事がある。
その中に、
若し秀吉の跡取りが、ずっと日本を治めていたならば、あの朝鮮出兵も、秀吉の過ちであったなどとは、絶対に認めはしなかったでしょうから。
戦争責任者の一人であった祖父を持つ、安倍総理としては、祖父の若かりし頃に加わった、あの戦争を、美化しなくては、孝養の道に反すると思っておられるのかも知れませんね

と書いている。

太平洋戦争の戦犯だった岸信介を、
アメリカ政府が日本調略の為に無罪放免して、総理大臣まで勤めさせたことが、
今の安倍晋三氏の屈折した人格を創ったのかも知れない。

安倍総理の病的なまでの靖国への拘りは、
東京裁判で死刑判決を受けた者達を名誉回復させる事によって、
大好きな祖父岸信介が、本来は犯罪者等ではないと言いたいが為なのだろう。

南京虐殺問題も従軍慰安婦問題も一切無かった。
大東亜戦争でも太平洋戦争でも、残酷な事も恥ずべき事も日本軍は一切やっていない。
あれは徹頭徹尾聖戦であった。
と言う事により、自分の祖父及び自分の一族の名誉を回復したいのだろう。

しかし戦争と言うのは大量殺人をやってのける事なのだから、普通人が普通の心理状態では絶対に出来ない行為である。
アメリカ軍でも戦争に行く前には、戦争に適応出来る様、人殺しを条件反射で行える内面をつくりあげる訓練、
兵士の精神状態を戦場向きに変える訓練をしているそうである。(こちら
一般人を徴兵して戦地に送り込んでいた日本軍だって、方法は違うとしても人殺しが平気な人間に改造する訓練をやっていた筈である。
徴兵によって無理やり戦地に送り込まれ、野宿で食べ物にさえ苦労する生活を強いられた兵士達が、人を殺す事を躊躇せぬように訓練されていたら、
場合によって、どんな悲惨な事が起きるかは想像に難くないだろう。

それなのに安倍総理が日本軍は中国大陸で、一切悪い事はしていないと言わぬばかりの物言いをするのは、
あの戦争で重要な地位にいた祖父が、一切悪い事に加担してはいなかったと言いたいが為なのだろう。

しかし日本軍は大勢の兵隊を中国の内陸部に迄送り込んだのである。
中国人に迷惑を掛けなかった筈がないのは、誰が考えても明らかな事である。
中国人に、南京虐殺で30万人の人々を殺めたと言われた時、
日本が戦争中、中国人に色々と迷惑を掛けたという反省心があるなら、
中国は ‎白髪三千丈の国だからと心を鎮めて、
「あの戦争では大変ご迷惑をおかけしました」とまず断ってから、
それでも30万人は幾らなんでも多すぎると、反論を述べる筈である。

あの戦争では日本軍が中国国民に迷惑を掛けたと謝るどころか、
南京で日本軍が中国人を30万人も殺したと言うとは、
中国人は嘘吐きであると言って逆切れするようでは、
相手の怒りを増幅するばかりではないか。
相手の怒りを増幅するようなことを言って、中国人嫌いを表面に掲げて、中国とまともな外交が出来ないのは当然の事である。

安倍総理はA級戦犯も本来無罪だと言いたいが為に、
アメリカの要望を丸呑みにする事でアメリカの歓心を買って、アメリカを自分の味方にしてしまい
戦後言われてきた事は全部嘘であったと、日本人及び世界に認めさせ様としているのではないだろうか?
しかし、安倍政権の売国政策によって、日本はどんどん不利な立場にされていくけれど、
「あの戦争は実は聖戦であって、戦争裁判で出した連合国の判決は、全部間違いだった」とアメリカが言う筈がない。

岸信介等の戦犯の為に戦争裁判を蒸し返す事によって、日本人は2度迷惑を掛けられ様としている。



続きを読むに下記の本の一部を引用しておきます。

『中東ハンパが日本を滅ぼす アラブは要るが、アブラは要らぬ』
五十嵐一 徳間書店
1991年5月31日初版
定価760円


天皇制礼讃と海外派兵は絶対矛盾の自己撞着

「絶対矛盾の自己同一」と言えば西田幾太郎の説いた哲学説のサワリである。これに倣って言えば、とてもその境地に到達し得ない愚かな衆生の「絶対矛盾の自己撞着」とでも評すべき状況が昨今の言論には認められる。つまりは天皇制礼讃者のする自衛隊派遣論である。小沢幹事長のブレーンとして歓迎されそうなこの議論はしかし、絶対に相容れない‐むろん論者自身は無自覚であるが-自己撞着的な二つの立場を同時になしているのである。
 天皇制礼讃論にもいくつか種類があって、一つの極を憲法改定により天皇=元首とする、いわば天皇親政論とすれば、他の極が日本文化の伝統を支える中心としての天皇、いわば祭主としての天皇論であろう。その他にもヴァリエーションが可能であるが、いずれのタイプといえどもその主旨と自衛隊海外派遣の構図とは真正面から矛盾対立する。
 なぜならば、前節でも指摘したように、いかなる形ではあれ自衛隊の海外派遣は、現状の下では実質的にアメリカの要請により、なおかつアメリカの指揮下に置かれる形式でしかあり得ない以上、天皇も究極的にはアメリカの指揮権下に入るからである。天皇=元首論をとる立場なら誠に明白なように、元首としての天皇は統帥権をも兼ねるわけだから、丸ごとアメリカの指揮下に置かれてしまう。
 文化の中心としての天皇=祭主論にしたところで、テレヴィ中継から何からお祭り騒ぎ的キッチュ文化仕立てで戦争を演出するのが大好きな一方、ほんものの文化を弾圧することを厭わないアメリカの手にかかれば、〝文化的〟慰慰問に戦地へ訪問するよう命令されかねない。
 つまりは、戦争において指揮権は一つ、命令系統は一本化されていなければならない。そこでは上意下達の垂直的序列が完成されている。そして旧日本陸軍と同程度かそれ以上に肉弾銃撃の全面戦争を好むのが昨今のアメリカである。
 ひとたび彼らと戦闘を共にしたら‐後方支援であれ救援であれ緊急避難であれ‐すべて巻き込まれるのがオチである。そこに現出するのはブッシュ=大天皇、明仁=小天皇という構図でしかない。

 一見したところ、天皇を賞め讃え、天皇制を尊重する人々が、実はその権威や権力のカサを着る君側の奸であった例は少なくないが、昨今の憲法改定、自衛隊派遣論者の天皇制讃美など正しく売国奴以上の売天奴に等しい絶対矛盾の自己撞着なのである。
いやすでに、憲法の精神や議会政治のルールなど完全に無視してアメリカの要請に対し、まるで出前のソバ屋のごとく、軍資金一丁ヘーイ、救援機一丁へーイとお届けに上る政府自民党など、とっくに昔に売天奴になり下っているのかも知れない。

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