Entries
2007.07/19 [Thu]
終に痛みを知った 三島由紀夫
三島由紀夫が、決起して割腹自殺をしたのは、私の二十代のことでしたので、今も強烈に印象に残っています。
三島由紀夫は、始めの予定では、割腹後その血で、字を書く事にしていたそうです。
それで約束どうり、強行に同行した青年が、用意した紙と筆を、瀕死の三島由紀夫に手渡そうとしたら、三島は手を振って、出来ないという意思表示をしたという事でした。
観念の世界では、心さえ有れば、どんな事にでも耐えられるはずであると、思い勝ちであり、往々にして、人にそれを強請しがちであると思います。
三島由紀夫の精神は、自分の肉体にそれを強請していたのでした。でも肉体には限度があるという事を、身をもって体験したのではないでしょうか?
三島の場合は、命令者も被命令者も自分自身でしたから、自分の意志でそれを断る事ができましたが、
戦争などの時、上官に命令された部下であった場合、悲惨極まりないものになると思います。
上官は(参謀本部などの)安全なところに居て、部下に非人間的忍耐を要求する場合がしばしば有ると思います。
例えば硫黄島守備などの死闘戦、少年兵に死の特攻をさせたゼロ戦部隊。特攻隊の司令官だった人は、『余も、ゼロ戦に乗って死ぬ』と常々言っていたそうですが、結局逃げ出して、天寿を全うしたそうです。
命令者はぬくぬくとした所に居て、愛国心さえ有ればどんな事にも、耐えられないわけがないという決め付けの下、超人でなければ出来ないような事を強制する事が、しばしば行われてきたのではないでしょうか。
他人には生きて俘囚の辱めを受けるなと、自決を強制したり、言いたい放題の事を言っておきながら、
いざ自分の身に降りかかってきたときには、終戦で天皇陛下のご命令で、自決はしてはいけなかったとか何とか、色々言い訳をして、結局俘囚の辱めを受けた戦争推進派の大臣、将軍が、何人居た事でしょう。
立派に切腹して果てられたのは、阿南陸相位のものでしたものね。
こんな所にも戦争の悲惨さの原因があるのではないでしょうか。
人の痛みの分からない人が戦争を起こすと、と言うより、人の痛みが分からないから戦争を起こすのだと思います。
だから戦争は絶対に起こさせてはならないと思うのです。
どんな紛争も、何とか交渉など平和的手段を駆使して、解決する決心で当るなら、大部分は何とかなるのではないでしょうか。
戦後62年日本は戦争に巻き込まれる事なくやってこれたのですから。
今一度決意を固めて、平和立国で行って頂きたいと、切に願う次第です。
三島由紀夫は、始めの予定では、割腹後その血で、字を書く事にしていたそうです。
それで約束どうり、強行に同行した青年が、用意した紙と筆を、瀕死の三島由紀夫に手渡そうとしたら、三島は手を振って、出来ないという意思表示をしたという事でした。
観念の世界では、心さえ有れば、どんな事にでも耐えられるはずであると、思い勝ちであり、往々にして、人にそれを強請しがちであると思います。
三島由紀夫の精神は、自分の肉体にそれを強請していたのでした。でも肉体には限度があるという事を、身をもって体験したのではないでしょうか?
三島の場合は、命令者も被命令者も自分自身でしたから、自分の意志でそれを断る事ができましたが、
戦争などの時、上官に命令された部下であった場合、悲惨極まりないものになると思います。
上官は(参謀本部などの)安全なところに居て、部下に非人間的忍耐を要求する場合がしばしば有ると思います。
例えば硫黄島守備などの死闘戦、少年兵に死の特攻をさせたゼロ戦部隊。特攻隊の司令官だった人は、『余も、ゼロ戦に乗って死ぬ』と常々言っていたそうですが、結局逃げ出して、天寿を全うしたそうです。
命令者はぬくぬくとした所に居て、愛国心さえ有ればどんな事にも、耐えられないわけがないという決め付けの下、超人でなければ出来ないような事を強制する事が、しばしば行われてきたのではないでしょうか。
他人には生きて俘囚の辱めを受けるなと、自決を強制したり、言いたい放題の事を言っておきながら、
いざ自分の身に降りかかってきたときには、終戦で天皇陛下のご命令で、自決はしてはいけなかったとか何とか、色々言い訳をして、結局俘囚の辱めを受けた戦争推進派の大臣、将軍が、何人居た事でしょう。
立派に切腹して果てられたのは、阿南陸相位のものでしたものね。
こんな所にも戦争の悲惨さの原因があるのではないでしょうか。
人の痛みの分からない人が戦争を起こすと、と言うより、人の痛みが分からないから戦争を起こすのだと思います。
だから戦争は絶対に起こさせてはならないと思うのです。
どんな紛争も、何とか交渉など平和的手段を駆使して、解決する決心で当るなら、大部分は何とかなるのではないでしょうか。
戦後62年日本は戦争に巻き込まれる事なくやってこれたのですから。
今一度決意を固めて、平和立国で行って頂きたいと、切に願う次第です。
父親たちの星条旗
太平洋戦争末期、日本軍の予想以上の抵抗により、米国民には厭戦感が広がりつつあった。しかし硫黄島の最高地、擂鉢山の頂上に星条旗をつきたてる米兵たちを写した一枚の写真は、一気に戦勝気分を盛り上げるものだった。米国政府は写真に写った兵士のうち、生き残っている三名を帰国させ、彼らに戦費調達のための戦時国債販促キャンペーンの広告塔の役目を負わす事にした。
ここでいう一枚の写真とは、AP通信のジョー・ローゼンタールが撮影した有名な一枚のこと。数名の米海兵隊員が、全員で星条旗を地面につきたてようとしている、あの有名な構図のヤツだ。
ところがこの美談には裏がある。実はこの写真に写った星条旗は1本目ではなかったのだ。つまり硫黄島の難所、擂鉢山を死ぬ思いで実際に攻略して、最初の旗を立てたメンバーと、帰国して英雄扱いされた3名とは、微妙に異なっていたのだ。これは、一種のやらせのようなものだった。
この主人公の三人は、戦場で地獄を見、帰国してからも別の意味で地獄を見た。イーストウッドはそれを際立たせるため、硫黄島の戦いの場面を映画史上に残る、超ド級のリアル映像で描写しているが(艦砲射撃の場面は胃に響くような大迫力だし、銃撃戦では手足が吹っ飛ぶ等の残酷描写も避けていない)、映画を最後まで見ると、本当に残酷な連中は日本軍ではなく、米国にこそいたのではないか、と感じるようにできている。
イーストウッドによる、この米国批判はなかなか辛らつで、「米軍は兵士を見捨てない」という一種の幻想、タブーさえいとも簡単に否定してみせる。