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中東和平? 

田中宇さんの「中東政治の大転換」によると、アメリカがイランと和解した事で、イスラエルの強硬派(右派)が急速に力を失い、パレスチナとの和平が実現しそうになっているそうである。

オバマのシリア騒動策により米国とイランと和解したことで、右派に入植地を撤退させる圧力が一気に強まり、反ってイスラエルは国家存続の可能性が急に増しているという事で、
イランが元気になったらイスラエルが困るのだろうと言う、私達の想像とは逆の方向に。事態は動き初めているらしい。
  (一部引用)
オバマのシリア騒動策により米国とイランと和解したことで、右派に入植地を撤退させる圧力が一気に強まり、イスラエルは国家存続の可能性が急に増している。米政府は9月25日、イスラエルとパレスチナが集中して交渉することになったと発表した。これまでの実務者協議に加え、新たにネタニヤフとアッバースが定期的にトップ会談することになった。これは実のところ、以前からネタニヤフが望んでいたことだ。イランの台頭はイスラエルの亡国だと報じられてきたが、実は逆だった。

オバマ大統領のお陰か、プーチン大統領のお陰か、それとも共同作戦だったのか、色々な説があるが、
米欧のシリア攻撃が中止になったおかげで、シリアやイランだけではなくイスラエルも助かったという事らしい。

芳ちゃんのブログ「シリア革命 我々はどうして失敗したのか」に、
シリアの反政府デモをしていた市民が、シリアの反政府武装勢力がどういうものであったかという事などを書いた記事を翻訳し載せておられる。
シリアの田舎の人々は長年にわたり、都会の住民と田舎の住民との生活程度の差に、不条理を感じてきており、都会地に住む人々に対して復讐心を持っていた。
反政府勢力のこの復讐心はアレッポの住民に対し、シリア政府以上に酷いことし苦難を齎す事になった。
彼らは地方の恵まれない連中で、過去何年間にもわたって彼らが感じてきた不条理に対して復讐をしたのだ。彼らの動機はわれわれの動機とは似ても似つかわないものだった。それは国全体のために自由や民主主義あるいは法の支配を求めるわけではなく、ただ単に押さえの効かない憎悪心や自分たちのための復讐だった。
という事になったのだった。

*****
民主化を要求し、政府に対する抗議行動はあくまでも平和的な形をとる「シリア革命」が、いつの間にか「武力紛争」に化けてしまった。
最近では化学兵器の使用にまで発展し、過去2年半の累積死者数は10万人を超すとさえ報告されている。
そして、反政府派の兵士の70-80%はアル・カイーダと何らかの関係を持っていると言われている。
民主化を標榜していた政府に対する平和的な要求行動は、どこかの時点でシリア政府の打倒を求め、武器を振り回す過激派たちの檜舞台と化してしまった。
そのような厳しい現実が続く中、アレッポに住む著者は「我々はどうしてシリア革命で失敗したのか」と自問自答する。
著者はシリア革命の渦中に身を置き、夢を追い、同じ思いを抱く仲間たちとシリアの将来を論じ合った。
そして、ある時点で革命は横取りされてしまった。著者は最初の頃から現時点まで、シリアの政治的混乱や武力紛争の一部始終を観察してきている。その過程の多くを振り返ることができる貴重な一人であろうか。
という様な事を、引用の前段に芳ちゃんさんは書いておられる。
(以下アレッポの住民の記事の引用)

結局、いったい何がうまく行かなかったのだろうか。もっと正確に言えば、われわれはいったい何処で間違ってしまったのだろうか。かっては自由と基本的人権を求めようとする感動的で気高い民衆の蜂起であった。しかし、その方向を見失い、何時の間にか凄まじいばかりの宗派間の流血沙汰と化し、その堕落振りは獣にさえもそぐわないような状況になってしまっている。何故だろうか。このような変化は何とか回避することができなかったのだろうか。このような事態になる必要はまったくなかったのではないか。


上記の質問に対する答えは、基本的には、シリア政府に対して武器を取ってしまったシリア人の計算違いだったと言えよう。


シリア政府は縁故主義や近親者たち、あるいは、同一宗派の支持者たちによって支えられて40年間も絶対的な権力を謳歌してきた。そして、軍事的独裁政権でもある。アレッポ市が無数の反政府派の市民によって埋め尽くされていた頃、まだシリア軍が投入される以前の2011年の夏、ロバート・フォード元在シリア米国大使は、恥ずべきことではあるがハマー市を内密に訪れた際、このことについて明快な警告を発していた。予想通り、あるいは、偶然にも、この警告に耳を傾ける者はいなかった。結局、われわれは自分を責めるしかない。たとえ西側諸国が何もしてくれないとしても、あるいは、何かをしてくれたとしても、すっかり破壊され落日を背にしている我が国について最終的な責任を持つのはわれわれ自身でしかないのだ。


ニーチェはこう言った。「怪物に闘いを挑もうとする者は、その過程で自分が怪物に化けることがないように気をつけなければならない」。これはシリア内戦の行方を非常に的確に予言する言葉となった。世界規模で活動するメデイアのあらゆる目的やうわべを飾るごまかし、あるいは、プロパガンダや真っ赤な嘘は別にしても、反政府派の兵士たちがアレッポの街へ入ってきた時にわれわれが見た地上の風景は日常性とは遥かにかけ離れたものだった。家庭を直撃した。大きな衝撃であった。特に、民衆の蜂起を最初から支援し、それを信じてきたわれわれにとっては大変な衝撃であった。それはまさに究極の裏切りとでも言ったらいいのだろうか。

われわれの常識では、反政府派の兵士はその兵士自身が立ち向かっている政府が犯した罪と同じことを自分たちもしでかすようなことはない。一般家庭や商店あるいは民衆が所属する地域社会を襲うようなことはしない。しかしながら、アレッポでは、数週間もすると、起こる筈もないことが現実に起こり始めたのだ。それは日増しに確実になっていった。

反政府派が入ってきた町で彼らは組織的な略奪を行った。住民の生命や財産に対する尊厳の意識などはこれっぽっちも持ち合わせてはおらず、まったく何の法的な制裁を受けることもなく、身代金を得るために住民を誘拐しさえもした。古代からあって、市の象徴的な存在となっていた歴史的な遺跡を意図的に破壊した。工場や工業団地ではすべてを剥ぎ取り、電線までもが略奪の対象となった。高価な機械や基盤設備をトルコとの国境を越して運び出し、実際の価格の何分の一かの値段で金に替えてしまった。ショッピングモールは空っぽにされ、倉庫も同様だ。彼らはサイロに貯蔵されていた穀物も盗んだ。その結果、主食の値段を高騰させ、危機的な状況を作り出した。政府軍の勢力範囲にある市街地へ向けて休むこともなく臼砲やロケット弾を撃ち込み、車には爆弾を仕掛けた。何の罪もない市民が多数死傷し、狙撃兵は日常的に通り掛かりの市民たちを冷酷に殺害した。その結果、かっては誰もが忙しく、力強く成長していた、豊かなこの商業都市は何千、何万もの極貧者やホームレスで溢れるようになった。

でも、どうしてこうなってしまったのか。彼らはどうしてこのようなことをしたのか。やがて、その理由が明白になってきた。それは、単純に言って、「われわれ」対「彼ら」の関係だった。彼らは武器を手にして、都市部を襲った。彼らは地方の恵まれない連中で、過去何年間にもわたって彼らが感じてきた不条理に対して復讐をしたのだ。彼らの動機はわれわれの動機とは似ても似つかわないものだった。それは国全体のために自由や民主主義あるいは法の支配を求めるわけではなく、ただ単に押さえの効かない憎悪心や自分たちのための復讐だった。

彼らの行動の性格は過激的で宗派的であって、アレッポに住むわれわれのような都市部の住民については誰もが政府側の垂れ込み屋で、政府の支持者であった。われわれの生命や財産は彼らにとっては没収の対象でしかない、と彼らは思っていた。また、それを隠そうともしなかった。反政府派の暴利を貪る将軍たちは間もなく普通の家庭でさえも話題となり、住民の間で彼らが好んで行う略奪やテロの拡散は政府や政府軍に対して抱いていた敵意や不愉快な気持ちよりも遥かに大きな苦難をもたらした。あの恐ろしいほどの緊張状態、イスラム過激派ならびに彼らのアル・カイーダとの大ぴらな同盟関係、あるいは、わが国の将来に関する彼らのゾッとするような計画はもとより、この地が今どんな雰囲気であるかを想像することができるだろうか。それは、息が詰まるような根源的な恐怖である。あるいは、恐怖と絶望とが一緒になったような状況と言ったらいいだろうか。

ところで、「われわれ」とは誰を指すのか。われわれは自分たちは何処かが違うんだ、あるいは、自分たちの方が立派だとどうして感じるのか。「われわれ」の手で、どちらかと言えばエリート的に聞こえてしまう懸念があるとはいえ、アレッポでは市民たちの草の根レベルでの反政府運動を展開してきた。何ヶ月にもわたって自分たちの命をすこぶる危険な状況に曝しながらも平和的な抗議行動を組織し、支援物資を市民に配布していた。「われわれ」は社会的および政治的な革新に関しては常により高い理想を抱き、それを本当に信じていたし、それらの理想を実行しようと試みていた。われわれは自分たちの行動を1960年代の米国における市民権運動や人種差別に対して闘ったマンデラ、あるいは、ガンデイーの教えに倣おうとした。つまり、チュニジアやエジプトでのアラブの春に見られるような市民運動に倣おうとしたのだ。

「われわれ」にとっては、革命とはゆっくりと進行するものであって、意図的に、献身的に変革を求める闘争であった。それは、雨水が繰り返し石の表面に落下し、最終的にはそれを破壊するのに似ている。しかし、「彼ら」にとっては、その石に何トンものTNT火薬を放り投げ、それを一気に壊し、その周りにあるものすべてを粉々に破壊することが彼らの理想であった。「われわれ」はほとんどが都市部の中流家庭の出身であって、教育も受けている。われわれはすべての社会的階層、すべての宗派、そして、あらゆる場所から来ているが、実は、そのこと自体については何の偏見も持ってはいなかった。

われわれは「あの青年、あるいは、あの女性は何処の出身だろうか」、「どの宗派だろうか」といった質問をすることは決してなかった。誰もが自分のできることを行い、自分にとって可能な範囲で貢献をしていたのだ。われわれのリーダーは若い、キリスト教出身の弁護士で、非常に活動的で、献身的な女性だった。われわれのグループの残りの連中はシリア社会の小宇宙といった感じだった。ベールを被った若い女性、シーア派の青年、金持ちの子弟、あるいは、貧しい労働者階級の子弟、等で構成されていたが、われわれは皆が共有し信じている理想のために一緒になって行動をした。

われわれが活動家として行動をしている間、われわれのグループの何人かは刑務所へ送られ、怪我をし、一人は不幸にも亡くなった。われわれの街がこっぴどくやられることはなかったからでもあるのだろうが、アレッポが反政府派の襲撃を受けた直後、一緒に活動をしていた仲間の何人かからメッセージを貰った時ほど悲しく思ったことはなかった。一人が言った。「われわれは何と馬鹿だったんだろう。われわれは裏切られたんだ!」 他のひとりはこう言った。「何時の日にか、われわれは美しい国を持っていたのだと自分の子供たちに話してくれ。俺たちの無知や憎悪のせいで、それをすっかり台無しにしてしまったと。」

私自身が革命を諦めたのはちょうどその頃だった。シリアを救う道は和解し合い、暴力沙汰を断念するしかないと悟った時だ。多くの者がそう思っていた。しかし、不幸なことに、この思いは戦争屋や陰の実力者と共有することはついになかった。自分たちの汚い野心に対する飽くことのない欲望を満たすためには、より多くのシリア人の血を流すことが必要だと彼らは考えていたのだ。

活動家さえも含めて、知識人やビジネスマン、医師および熟練した専門職の人たちは群れになって街から脱出した。その一方、他の者たちは街に残り、依然として市民活動の組織化に注力し、今や自分が生まれ育った街の中で住居を移さなければならなくなった無数の、それこそ何千という家族に対して支援を提供していた。絶望的な状況だった。しかし、それさえもが無駄になることが明白となった。すべてが変わってしまった。前と同じ街に戻ることは決してないのではないか。

結局シリアが到達した状況は、どこへ行っても「われわれ」対「彼ら」という図式である。反政府派対政府派、世俗主義者対イスラム教徒、スンニ派対シーア派、和平勢力対武装勢力、都市部対地方、等。最後にシリアに何かが残るとしても、それは血を流し死に瀕した獲物を奪い合う狼やハゲタカたちの間の駆け引きが終わった後に初めて目にすることが可能になるのだろう。それがわれわれに与えられ、われわれシリアの市民は自分たちの国の断片や個人個人の将来を拾い集めることになるのだ。

われわれはこのことに関してわれわれ以外の誰かを責めるような遡及権を有しているのだろうか。これがわれわれの宿命だったのだろうか。それとも、これは悪党の残酷な陰謀だったのだろうか。多分、次世代のシリア人がこの質問に答えてくれることだろう。

Edward Darkという名前は現在アレッポに在住するシリア人の著者の仮名である。ツイート・アドレスは @edwardedark。


善意の人によって始められた改革運動が、武力革命に移ってしまうと、
大抵こうなって行くのではないだろうか?
ソ連の革命も初めはロシア貴族の子弟の、貧しく虐げられた人々への同情から始まったそうであるし・・・・・
ソ連の政治を見せられただけでも、武力で革命することが無意味であるだけでなく、
庶民にとっては、恐ろしい結果を招くというものだという事が分かるというものであろう。

Comments

ちょっと風向きが変わるぐらいで大げさでは。

ちょっと風向きが変わったぐらいのことで政策方針が大転換する一大転機にならないことは、アメリカやイスラエルが建国以来してきたことを鑑みれば自明ですよね。彼の国々の歴史は一貫していると私は思っています。
パワーを持っている国はいつでもパワーを堅持しようとし、将来に不利益を蒙る可能性があるのなら、その前に実力行使に出るものです。

そしてさらに大事な事ですが、同じような事が世界の至る所で言えるということです。日本も当然のごとく例外ではありません。

ご紹介されたシリアに関する記事が本当であれば、かつてのカンボジア、クメール・ルージュを彷彿させます。地方の農民集団による都市部市民に対する復讐劇、という形が。

海坊主様

コメント有難うございます。
中東和平?は大げさでしたかね。

オバマ大統領の任期が切れた頃には、またぞろ、という事になるのかもしれませんね。
でもイスラエルも実は和平したがっているという事が分かれば、事態は可也違ったものになるのではないかと・・・・・

シリアの人の記事ですが、私は本当だろうと思ったのですが・・・・・

和久様

心証を悪くされたのでしたらお詫び致します。失礼しました。

和久様の記事内容を批判したかったのではなく、田中宇氏の解説に違和感を感じたのです。
この程度で右派・左派の力関係が大きく変わるのであればイスラエルの、アメリカの歴史はもっと変わっていたと思うのです。しかしながら、両国は建国以来侵略・拡大を進めてきた歴然とした事実があります。

またシリアに関する私のコメントは「繰り返される歴史のようなもの」という印象を述べただけで、内容の真偽については私に判断出来る材料がないことを述べさせて下さい。

「世界のありとあらゆる所で、事の大小に関わらず共通する構図(構造)が認められ、それは普遍的ですらあり、歴史的にもその捉え方は傍証される」、という考え方を私は持っています。

クメール・ルージュという例えは極端だったかも知れません。私はそれと同じ構図ではないか、と述べたかったのです。

海坊主様

何時もコメント有難うございます。
私はコメントを頂くのが大好きでして、
そのご意見が私の意見と同じであるとか違うとかで、気持ちが揺らぐ事は余りありません。
真反対のことを言ってこられたら、そしてその意見が間違っていると思えたら、反論するチャンスが出来ますし、
自分が間違っていると感じた時は、考えを改めるチャンスが出来ます。

同意見である時は、自分の考えに自信を持つことが出来ますし、
又、他の視点もあるとか、色々な情報を寄せていただく時もあり、
コメントはとにかくありがたいものだと思っているのです。

という訳で海坊主様のコメントも、全然私が気を悪くする事はありませんでした。
それどころか、そうかも知れないと思って読ませて頂いたのでした。

政治改革を求める運動も、武力を使い出すと、ポルポトのような事になりかねませんから、暴力革命は怖いですね。

どんな政治体制でも、年月が経つと腐って行くもののようです。
そんな時、政権を暴力でひっくり返すのではなく、平和的に悪い所を改良できる制度が、創れたら良いのにな~と夢見ています。

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