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平和ボケという言葉の意味 

平和ボケという言葉をしばしば耳にする。
たいていの場合、「日本は長い間平和だったので、日本人は世界の厳しさを知らない、この世界で生きていくからには戦争を覚悟して置くべきである。」という意味で使っていると思う。
しかし、10年余り前に内乱で酷い目にあった人たちの話を読んだら、
平和ボケという言葉は、真反対の意味で使うべき言葉なのではないかと感じたのだった。

ずっと平和に暮らす事が出来ていると、平和のありがたさを忘れてしまい、
戦争への誘いに簡単に乗ってしまう事をこそ、
「平和ボケ」と言うべきなのではないかと思ったのだった。

ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争で、人々は筆舌に尽くせない位の悲惨な目に会い、
戦争のおぞましさに、平和こそ何者にも代え難い、一番大事なものだと感じられたようである。

サラエボでの体験談を書いたブログ記事を見た人の感想の中に、
「平和ぼけしてる私達は改めて考えないといけない事が沢山あるよね。」
という言葉を見たとき、
これが平和ボケの本当の意味なのではないかと感じたのだった。

ではサラエボでの紛争時の話の一部をコピーさせて頂く。

サラエボで本当にあった紛争の話。家族の為に戦うという事。
http://ameblo.jp/worldgate-kana/entry-11265009839.html
   (前略)
ボスニア・ヘルチェゴビナ紛争と呼ばれるその戦争について、ちょっとだけ書いておく事にします。

もともと、ボスニア・ヘルチェゴビナはクロアチア・スロベニア・マケドニアなどと一緒に「ユーゴスラビア」と言う一つの連邦制国家でした。

ユーゴスラビアが出来る歴史も、第二次世界大戦にさかのぼって話をしなくてはいけなくなるので、詳しくはご自身で調べてみてください。

そのユーゴスラビアから、クロアチアとスロベニアが独立したのをかわ切りに、その翌年、ボスニア・ヘルチェゴビナも独立します。

このボスニア・ヘルチェゴビナ。

一つの国家の中に、ムスリム人・セルビア人・クロアチア人が住んでいる多民族国家だったのですが、その中で、セルビア人はユーゴスラビアからの独立に反対していました。

しかし、セルビア人の反対を無視し独立。

独立が不満なセルビア人は、これに反発しそこから武力衝突がはじまります。

サラエボにはムスリム人が主導するボスニア・ヘルチェゴビナの本拠地があります。

紛争が始まると、サラエボは町をぐるっとセルビアに包囲され、集中砲火を受けることになりました。

1992年から1995年までの4年間に渡る紛争で20万人以上の死者を出し、200万人の難民が出たと言います。

そして、その犠牲者のほとんどは市民であったと。

その舞台となった町、サラエボで、今日はその当時の話を聞く貴重な機会を持つ事が出来ました。

今回泊まった宿のお父さんが軍人さんで、この4年間、前線で戦っていたとの事。

そのお父さんがセルビア側の前線基地があった山や戦跡を巡りながら、当時の話を語ってくれました。

紛争が始まる10日ほど前。

山の上にセルビア人が基地のようなものを作り大砲を町に向けていたそうです。

それをどこかのテレビ局が取材をし、これは何かと聞いた時、これはサラエボを守る為のものだと言っていたと。

けれど、その10日後、その大砲はサラエボの町に向かって発射され、紛争が始まったんだ。と。

その場所は山の上。

サラエボの町を一望できるところでした。

高い山の上はセルビア人側の基地。

ボスニア側の前線はそこから見下ろせる場所にある丘の上だったそうです。

最初につれて言ってもらったのはオリンピックのときにボブスレーが行われていた場所。
サラエボ ボブスレー
そこもセルビア人の基地となり、ここは通信室だったようです。
通信基地

紛争前は、ここは駐車場になっていて、週末になるとここまで来てはピクニックをしたり、ジョギングをしたり、ケーブルカーに乗ってきたり、皆の憩いの場所だった。

けれど、紛争が終わり、今は誰も来ない。

まだ至る所に地雷が埋まっているから。

政府が安全だと言っても信じない。何故なら、自分自身でもいくつも地雷を見つけているからだと。

テープが貼ってあるところは、危険だから近づくなと言うしるしだと言います。

コンクリートで舗装された道の直ぐ横に、テープ。
地雷がある目印のテープ

地雷も見せてもらいました。
地雷
町を車で走っていると、地雷除去をしている車が通り過ぎました。

地雷を見つける機械や、犬を使って地雷を探している国もあるみたいだけれど、ここにはそんなものは無い。手作業で除去している。

と言っていました。

紛争中、地雷をどうやってチェックしていたのかもやってくれました。

ここもセルビア人側の基地。
セルビア人の基地

セルビア人が油断して昼ごはんを食べている時に不意打ちで攻めると、セルビア人は驚いて武器もそのままで逃げる。
基地

その隙に、置いていった武器と、置いていった食料を持って、セルビア人が戻ってくる前に自分達もすぐに撤退する。

そうやって武器や食料を手に入れた。
と。

自分達の基地では、穴を掘って、上に木や石を積みシェルターのようにして中で火をたいて暖をとった。
穴を掘った基地
外の気温がマイナス15度になる事もあり、その時は見張り役と暖をとる人と、交代ごうたいで過ごしていた。

基地に数日いると、何日かまた家に帰ることが出来るのだけれど、その時はいつも自分の家があるか、妻と子供は無事か、それもわからないまま家に向かい、家があるとほっとした。

帰るときはそのまままっすぐ帰るのではなく、木を切り倒し、その木を引っ張って家まで運びながら帰った。

家には水も、燃料も十分ではなかったから。

そして、家に帰ると何十往復も水を汲みに行き、家にためておく必要があった。

何故なら、妻とまだ6ヶ月の子供にはそんな力仕事をする事は無理だし、自分が一度前線に出てしまうと、何日でまた戻ってこれるかわからないから備えておく必要があった。

15日に一度、配給があった。

1家族に1つの缶詰と、砂糖、小麦粉、水、少しのお肉。

天文台だった場所。
銃痕天文台の

沢山の銃弾の跡。

弾がコンクリートにささったまま残っている所もありました。

お父さんが言っていたことで凄く印象に残っている事があるので書いておきます。

「何で戦ったか?何で銃を持ったか?それは、一番は家族を守る為だ。

まずは家族を守る為、次に自分を守る為。自分は男だから、そのために戦ったんだ。」

戦った人のほとんどは、宗教がどうのとか、民族がどうのとか、独立がどうのとか、そんなのどっちでも良かったんじゃないかって思いました。

そんな事よりも、戦わなかったら家族が、自分が、殺される。

だから戦うしかなかったんじゃないかって。

最後に、お父さんが言ってた。

宗教も、人種も、国籍も、民族も、そんなのは何だっていいんだ。

その人が良い人だったらそれが全てだ。

何で殺しあう必要がある?他の民族や宗教の人と戦う事を、それは神の為だと言う。そんなのおかしいと思わないか。

そういうお父さんも、セルビア人の話をする時だけは、違う表情になっていたけれど。

日本の震災をとても胸が痛いと心配してくれて、その後で、

天災によって人の命がなくなることはもちろん悲しい事だ。

そうやって、何もしていないのに天災で死んでしまう人もいるのに、何で武器を持って、人と人が殺しあう事があるんだ。

理解できない。同じ人間なのに。

戦争も、銃を持つ事も、軍服を着ることも、もう本当に嫌だ。

今日もシリアでは戦いで人が死んでいる。何でそんな事繰り返すんだ。
と。

おじいちゃんから戦争の話を聞いた時、それは、とっても昔の話で、歴史上の話で、なんとなく実感が無かった。

けれど、お父さんが話してくれた話は、私がこの世界に生き、ぬくぬくと平和に暮らしていた時に、同じ時に同じ地球で起きていた事だった。

私がニンジン嫌い・・と、給食を残していた同じ時、同じ地球のこの場所では、少しの水と、少しの小麦粉が命を繋ぐ全てだった。

私がくだらないちっぽけなイジメで死にたいと呟いた時、同じ地球のこの場所では、生きたくても死んでいく命があり、潰された希望があった。

こんなに優しくて、こんなにあったかい人達が、命をかけて殺しあう場所にいたんだ。

宗教ってなんだろう。民族ってなんだろう。

難しい問題だというけれど、

難しくしているのは人間自身なんだ。

戦争を経験していない平和ボケした私達は、知る必要があり、考えるべき事があり、意見を持つ必要がある。

遠い国の、関係ない話ではなくって、

同じ地球の、同じ人間の話であると言う事。

Comments

引用記事のURL

引用させていただいた記事
KANAの世界一周冒険一人旅日記
サラエボで本当にあった紛争の話。家族の為に戦うという事。
のURLが記事で入らなくなりましたので、ここに記入しておきます。
http://ameblo.jp/worldgate-kana/entry-11265009839.html

平和ボケというより安保ボケ 歴史ぼけ

いつも興味深く啓発的です。
かねがね官許歴史との戦いの中で感じたのはーーー降伏・占領に続いたのは、独立回復ではなく安保で縛られた冷戦体制への組み込み
であって、戦後・主権回復の名の下に対米従属・冷戦下の経済成長 つまり戦争はつづいていた、乱世世界史のなかで、ということです。しかも、いわゆる欧米日の近代化は野蛮化・地獄化の様相を濃くし、911そして311に至る。要するに平和ボケではなく安保ボケではなかったでしょうか。

吉田悟郎様

コメント有難うございます。
吉田先生からお褒め頂くなんて、光栄で震えてしまいそうです。

Forum 高校生新聞http://kousinren.cocolog-nifty.com/pen/cat7718088/index.htmlに載せられた先生の「変な世界史六十四年」興味深く読まさせていただいています。
只、読んだ端から忘れてしまう劣等生で、申し訳ないのですが・・・・・

尚、私が平和ボケという言葉を使いましたのは、
引用しました記事のコメント欄にあったからでもありますが、
ウヨさんたちが常日頃、平和を主張する者に対して、「平和ボケ」と言って嘲笑するのを、しばしば見かけていたからでもあります。
平和ボケと言われるべきは、寧ろウヨさんたちの方ではないかと言いたかったのです。

現在の日本人の体たらくは、「安保ぼけ」「歴史ぼけ」と言うべきものだとのお説、仰る通りだと思います。

私も長年日本はアメリカに守ってもらっていると、信じ込んでいた「安保ぼけ」の一人でした。
多分今もそう信じている人が、日本人の大部分なのかも知れません。

日本人がこれからアメリカの恐ろしい姿を、もろに見させられて、
初めて本当の事に気がつくとしたら、手遅れですのにね。
政治家は気がついていて、国民を誤誘導するものしか、政界に生き残れない哀しい日本で、これから如何なるか・・・・・

そんな日本の為に、先生の末永いご活躍をお祈りしています。

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