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2007.06/08 [Fri]
右翼は何であるか知っているかとのご質問を受けて
或る純粋右翼であると言われる方から、非公開のメールを頂きました。
貴方は、職業右翼と言うものを知っているのかと、知っているなら、イラク戦争に右翼が反対した事を知っているはずである。
右翼の事に付いていい加減な事を言わないでほしいという事でありました。
そしてその方は、純粋右翼で、真の愛国者であると言っておられましたので、それなら私と同じかもしれないと思いました。
一口に右翼と言っても、ピンからキリまで有ると思います。
アメリカの走狗となっていると思われる右翼が有るのも事実ではないでしょうか?
ブログで彼等の意見を読んで、そう思うのですが?
要するにフランス革命で、王党派が右に座ったことから右翼と言う言葉が出来たという事ですから。
私も天皇制礼賛者ですので、右翼か左翼かと言われれば、右翼であろうと思います。
そういう訳で、私の意見のどこが、クレームを受けたのか、よく分からなかったのですが・・・・・
私は職業右翼が何であるかは、世間の常識以上のことは何も知りません。
故児玉誉士夫に代表されるものであるという事位しか知りません。
それで試しにウィディペキアを見てみました。
其処には、色々載っていましたが、下に1部を写してみました。
児玉は最初社会主義に傾倒したが、その後超国家主義に転じ、玄洋社の頭山満に私淑した。1929年には赤尾敏によって創設された急進的な右翼団体「建国会」に加わった。すぐに昭和天皇に直訴しようとして捕まり、半年投獄された後、1932年には「独立青年社」を設立、当時の斎藤首相や閣僚の暗殺を計画して、3年半の懲役刑を受けた。
1967年7月、後に統一教会系の反共団体・国際勝共連合の設立につながる、「第一回アジア反共連盟(世界反共連盟の地域団体)結成準備会」が笹川良一の肝煎りで、山梨県本栖湖畔にある全日本モーターボート競走連合会の施設で開催された。この時、市倉徳三郎、統一教会の劉孝之らが集まったが、児玉も自分の代理として白井為雄を参加させた。
[編集] 児玉機関
1938年に日中戦争が始まると、外務省情報部の懇意の人物を通して採用され、その後海軍航空本部の嘱託となった。1941年真珠湾攻撃の直前、31歳の児玉は上海に「児玉機関」と呼ばれる店を出した。これは、タングステンやラジウム、コバルト、ニッケルなどの戦略物資を買い上げ、海軍航空本部に納入する独占契約をもらっていた。右翼団体・大化会の村岡健次(後の暴力団北星会会長・岡村吾一)らが児玉機関で働いていた。中国人や満州人を銃で脅し、恐ろしく安い値で物資を獲得したため略奪と呼ばれた。この商社のような仕事はすでに三井、三菱などの大企業が入っていたが即決主義で集めたため現地では重宝された。よく、児玉はこの仕事でダイヤモンドやプラチナなど1億7500万ドル相当の資金を有するにいたったと言われている。アメリカ陸軍情報局の報告では、児玉機関は鉄と塩およびモリブデン鉱山を管轄下におさめ、農場や養魚場、秘密兵器工場も運営。ヘロインの取引の仲介もやっていたという。
この類の「○○機関」は当時大陸において非常に多く、前述の表の仕事と比して裏の仕事として中国側へのスパイ活動、抗日スパイの検挙や殲滅等を請け負っていた。一説には児玉が大陸で獲得したとされる膨大な資金はこれらの非合法な取締り(直接的には強盗殺害)によるものとされている。
児玉の行動について憲兵の監視はあったが、大西瀧治郎のような大物が庇護しているため逮捕してもすぐに釈放されるという結果となった。この間、1942年4月30日に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)に立候補するが、落選している。
まだ色々記述がありましたが、初めのほうだけ一寸、写してみました。
噂どうりかなりヤバイ事を重ねて資金を作っていた様ですね。
戦後の記述もかなりありましたが、岸信介との繫がりも、かなり濃かったようですよ。
此れを見る限り、職業右翼が、平和嗜好者であるとは、どうも考えにくいですね。
又児玉誉士夫の生きていた時代から、統一教会との関係もあったのですね。噂としてしか知りませんでしたが、公然の事だったのですね。
何度も書いておりますように、私は只の熟年主婦で政治の世界とは、此れまで1度も関係を持ったことはありませんので、全て自分の感じた事を、感じたように書いているだけです。
議論も含め、自分の信じていることを精一杯発表させて頂いているだけです。ですから、このブログで思ってないことまで、自分の意見として書いた事はないと思います。
熟年は此れまで甘やかされすぎたから、老後苦労しても仕方なかろうとのご意見ですが、今の若者ほどに甘やかされて育てられた、老年者は、少ないのではないでしょうか。(此れは若者にとって決して、恩恵ではなく、今世間の荒波にさらされた時、厳しい環境で育ったもの以上に、厳しく感じられ苦労している事と思いますが・・・)
今の熟年と言われている人たちだって、恵まれていたのは一握りのエリートと呼ばれる人だけで、農家のお父さんは、1年の半分を出稼ぎで過ごし、家族のために悪環境、重労働にも耐えて、自分も子供も、寂しい思いをしながら、日本の経済復興のために頑張ってきた事を忘れてはいけないと思います。
又工場労働者は残業費をもらえるとは言うものの、残業に継ぐ残業で、私の主人など、1日を2交代で、つまり12時間労働で働かなければ成らなかった時が、何年間も続きました。
ある日ボソッと「何時まで続くのかな〜 こんな生活」とこぼした事が忘れられません。
そんな生活に耐えて、私や子供のために働き続けてくれたから、現在があるのです。
甘やかされすぎていたと言われるのは、一寸納得できかねる処があります。
勿論甘やかされていた人達も有ったかも知れませんが、それは今でも同じ事で、親の稼いだ泡銭で、贅沢三昧している人も有る事でしょう。
私の娘もそうだったのですが、就職氷河期の学生達の苦労は、それまでの恵まれて苦労知らずだった分だけ、厳しかった事と思います。
でも何時の時代でも、恵まれているものもあれば、そうでないものもあるのですから、昔の人の教えどうり
「上を見れば切りが無い、下を見ても切りが無い」と思って、自分の人生を精一杯生きるのが1番賢い生きかたなのではないでしょうか。
今後地球環境の問題が有りますから、年齢を問わず、厳しい時代になるかも知れませんが、せめて皆仲良く与えられた使命を果たせる人生に、したいものだと思っています。
貴方は、職業右翼と言うものを知っているのかと、知っているなら、イラク戦争に右翼が反対した事を知っているはずである。
右翼の事に付いていい加減な事を言わないでほしいという事でありました。
そしてその方は、純粋右翼で、真の愛国者であると言っておられましたので、それなら私と同じかもしれないと思いました。
一口に右翼と言っても、ピンからキリまで有ると思います。
アメリカの走狗となっていると思われる右翼が有るのも事実ではないでしょうか?
ブログで彼等の意見を読んで、そう思うのですが?
要するにフランス革命で、王党派が右に座ったことから右翼と言う言葉が出来たという事ですから。
私も天皇制礼賛者ですので、右翼か左翼かと言われれば、右翼であろうと思います。
そういう訳で、私の意見のどこが、クレームを受けたのか、よく分からなかったのですが・・・・・
私は職業右翼が何であるかは、世間の常識以上のことは何も知りません。
故児玉誉士夫に代表されるものであるという事位しか知りません。
それで試しにウィディペキアを見てみました。
其処には、色々載っていましたが、下に1部を写してみました。
児玉は最初社会主義に傾倒したが、その後超国家主義に転じ、玄洋社の頭山満に私淑した。1929年には赤尾敏によって創設された急進的な右翼団体「建国会」に加わった。すぐに昭和天皇に直訴しようとして捕まり、半年投獄された後、1932年には「独立青年社」を設立、当時の斎藤首相や閣僚の暗殺を計画して、3年半の懲役刑を受けた。
1967年7月、後に統一教会系の反共団体・国際勝共連合の設立につながる、「第一回アジア反共連盟(世界反共連盟の地域団体)結成準備会」が笹川良一の肝煎りで、山梨県本栖湖畔にある全日本モーターボート競走連合会の施設で開催された。この時、市倉徳三郎、統一教会の劉孝之らが集まったが、児玉も自分の代理として白井為雄を参加させた。
[編集] 児玉機関
1938年に日中戦争が始まると、外務省情報部の懇意の人物を通して採用され、その後海軍航空本部の嘱託となった。1941年真珠湾攻撃の直前、31歳の児玉は上海に「児玉機関」と呼ばれる店を出した。これは、タングステンやラジウム、コバルト、ニッケルなどの戦略物資を買い上げ、海軍航空本部に納入する独占契約をもらっていた。右翼団体・大化会の村岡健次(後の暴力団北星会会長・岡村吾一)らが児玉機関で働いていた。中国人や満州人を銃で脅し、恐ろしく安い値で物資を獲得したため略奪と呼ばれた。この商社のような仕事はすでに三井、三菱などの大企業が入っていたが即決主義で集めたため現地では重宝された。よく、児玉はこの仕事でダイヤモンドやプラチナなど1億7500万ドル相当の資金を有するにいたったと言われている。アメリカ陸軍情報局の報告では、児玉機関は鉄と塩およびモリブデン鉱山を管轄下におさめ、農場や養魚場、秘密兵器工場も運営。ヘロインの取引の仲介もやっていたという。
この類の「○○機関」は当時大陸において非常に多く、前述の表の仕事と比して裏の仕事として中国側へのスパイ活動、抗日スパイの検挙や殲滅等を請け負っていた。一説には児玉が大陸で獲得したとされる膨大な資金はこれらの非合法な取締り(直接的には強盗殺害)によるものとされている。
児玉の行動について憲兵の監視はあったが、大西瀧治郎のような大物が庇護しているため逮捕してもすぐに釈放されるという結果となった。この間、1942年4月30日に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)に立候補するが、落選している。
まだ色々記述がありましたが、初めのほうだけ一寸、写してみました。
噂どうりかなりヤバイ事を重ねて資金を作っていた様ですね。
戦後の記述もかなりありましたが、岸信介との繫がりも、かなり濃かったようですよ。
此れを見る限り、職業右翼が、平和嗜好者であるとは、どうも考えにくいですね。
又児玉誉士夫の生きていた時代から、統一教会との関係もあったのですね。噂としてしか知りませんでしたが、公然の事だったのですね。
何度も書いておりますように、私は只の熟年主婦で政治の世界とは、此れまで1度も関係を持ったことはありませんので、全て自分の感じた事を、感じたように書いているだけです。
議論も含め、自分の信じていることを精一杯発表させて頂いているだけです。ですから、このブログで思ってないことまで、自分の意見として書いた事はないと思います。
熟年は此れまで甘やかされすぎたから、老後苦労しても仕方なかろうとのご意見ですが、今の若者ほどに甘やかされて育てられた、老年者は、少ないのではないでしょうか。(此れは若者にとって決して、恩恵ではなく、今世間の荒波にさらされた時、厳しい環境で育ったもの以上に、厳しく感じられ苦労している事と思いますが・・・)
今の熟年と言われている人たちだって、恵まれていたのは一握りのエリートと呼ばれる人だけで、農家のお父さんは、1年の半分を出稼ぎで過ごし、家族のために悪環境、重労働にも耐えて、自分も子供も、寂しい思いをしながら、日本の経済復興のために頑張ってきた事を忘れてはいけないと思います。
又工場労働者は残業費をもらえるとは言うものの、残業に継ぐ残業で、私の主人など、1日を2交代で、つまり12時間労働で働かなければ成らなかった時が、何年間も続きました。
ある日ボソッと「何時まで続くのかな〜 こんな生活」とこぼした事が忘れられません。
そんな生活に耐えて、私や子供のために働き続けてくれたから、現在があるのです。
甘やかされすぎていたと言われるのは、一寸納得できかねる処があります。
勿論甘やかされていた人達も有ったかも知れませんが、それは今でも同じ事で、親の稼いだ泡銭で、贅沢三昧している人も有る事でしょう。
私の娘もそうだったのですが、就職氷河期の学生達の苦労は、それまでの恵まれて苦労知らずだった分だけ、厳しかった事と思います。
でも何時の時代でも、恵まれているものもあれば、そうでないものもあるのですから、昔の人の教えどうり
「上を見れば切りが無い、下を見ても切りが無い」と思って、自分の人生を精一杯生きるのが1番賢い生きかたなのではないでしょうか。
今後地球環境の問題が有りますから、年齢を問わず、厳しい時代になるかも知れませんが、せめて皆仲良く与えられた使命を果たせる人生に、したいものだと思っています。

僕も天皇制礼賛者の一人です。
僕は思うのですが、偏った思想を自分のものとして信じて行く事については反対するものではありません。思想は自由だと思いますからね。
しかし、自分の信ずる思想が全てであると唱える事は間違いだと思います。
右翼は右翼で一理ありますし、左翼は左翼で一理ありです。
どちらの思想も取り入れるような広い志で語らなければ、一つの宗教に入れ込んで、それが全てであると思っている人達と何ら変りは無いように思います。
どちらにしても、思想を貫くと言う事は難しいものですね。