Dendrodium 被害者訴訟についての講演記録
FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

被害者訴訟についての講演記録 

昨日の記事で「原発事故被害住民 国と東電を提訴」のニュースを紹介しましたが、
原発の被害者訴訟はおいそれと解決出来るものではないかも知れません。

原発事故が起きる以前のものでちょっと古いものですが、長年公害訴訟に携わってこられた馬奈木弁護士が、大阪のアスベスト訴訟弁護団の集まりで講演された時の、講演記録が目に留まりましたので、ここにコピーさせて頂きます。
この講演録を見て、原発事故が起きる前から、国(官僚)がこんなにも無法な事を押し通す輩だったのかと、改めて驚かされています。

馬奈木昭雄弁護士 講演録「国に勝利するために」
2009年10月3日

■私たちのたたかいのめざすもの

 今日はお招きいただいて、ありがとうございます。
  私が少し先に事件をやったからといって、偉そうに何か大口をたたくような話するのもどうかと思ったんですが。今、私が色々取り組んでおります、とりわけ諫早の干拓問題ですね、有明の裁判です。いろんな問題に取り組む中で、今、私自身が直面している問題点、それを一体どうやっていくのかと、いろいろ考え悩む問題がありますが、その中で、もし、みなさん方の何かご参考にしていただけるものがあったら、それは有難いなと思いまして。今、私が直面している問題点を、少しお話してみたいと思います。
  まず私の経歴をお話しますと、1969年に弁護士になりました。この年は、実は、水俣病の最初の裁判、1次訴訟が提訴された年です。私が4月に弁護士になりまして、6月に1次訴訟が提訴されます。それから、水俣病の裁判は、2次訴訟、3次訴訟、そして現在も水俣病訴訟が行われてます。国相手の裁判であります。これが4次訴訟になります。69年からですので、40年を経過致しました。発生から言いますと、公式に国が水俣病が起きたことを認めたのが、昭和31年ですから、50年が過ぎてます。弁護士1年生からその裁判に関わりまして、被害確認から50年。裁判始めてからでも40年。一体なんで水俣病は今まで解決出来ないのかを色々、私も尋ねられますし、そういう声を聞きます。その中には、私達がなんでそんなに長期間解決することができないのかという非難の意味も入ってるように私思うんです。これは取り組んだ1人として、誠に申し訳ない次第です。水俣病の裁判が40年続いている、取り組みが公式確認以来50年、患者が正式に発生したと今分かってるのは、昭和16年です。それから言いますと、もう70年近くになります。今まで、その闘いが続いていることは、逆に、私は誇りにしていいと考えてます。どういうことなのかというのを少し、まずそこから話を始めてみたいと思うんです。なぜ、水俣病は解決しないのか。
  まず、これまで4大公害裁判といわれますけれども、最初に先頭をきったイタイイタイ病の原告、弁護団のみなさん方が言ったスローガンがございます。これは『謝罪を許さない闘い』ということでありました。加害企業、三井金属ですけれども。この会社が、被害者のお墓にお参りさせて欲しいと言った時に、被害者のみなさん方は、「断わる」「墓参りに頭を下げることは許さない」。どうしてか。加害企業としてやるべきことを全部やって、それからお詫びに来いと。それまでは、頭を下げることは許さんと、こうおっしゃったと、私どもに語り伝えられております。同じようなことが水俣病の裁判でもございまして。私どものスローガンは『最後の1人まで』、『被害者の最後の1人まで、生きている内に救済を』。結論だけ申し上げますと、今も尚長期間にわたって闘いが続いてるのは、最後の1人まで到達していないからです。私どもは、被害者がいる限り、闘いは続くと思ってます。物事が終わることはないと思ってます。
  更に、じん肺訴訟では、これはもう有名なスローガンになってます。『あやまれ、つぐなえ、なくせじん肺』というスローガンで、私どもは闘ってまいりました。冒頭で『あやまれ』と言ってます。イタイイタイ病は謝罪を許さないと言った。つまり、謝ることを許さないと言った。じん肺の「あやまれ」という要求は違うことを言ってるのか。そんなことはない。同じことを言ってるのだと私は思ってます。この問題について、もう少し言いますと、水俣病の最初の時期に言われたスローガンが、実はあります。これは、『社長に水銀を飲ませろ』ということであります。自分たちの苦しみを分かってもらうために、社長に水銀を飲ませたらいいと。社長は水銀を飲んで、自分がその苦しみを味わうべきだという意味合いであります。しかし、このスローガンは誤りだと、長い議論の中ではっきりしたと私は思っております。それは、言ってしまえば、私憤、私の憤りです。被害者の方の本当の心情というのは、そうではなく、もう被害はこれで最後にして欲しい。自分たちのような被害が今後続くことは許されないんだと。もう被害発生を本当に止めるべきだということではないでしょうか。自分たちが最後の被害者の1人になりたい。それで終わらせるべきだということだと、私は思っております。これを一般論で言い直しますと、私憤、私の憤りから最初は出発するわけでありますけれども、本当の願いは、やっぱり公憤、公の憤り。もう被害は止めたい、止めさせたい、加害者は止めるべきだということだと思っております。だから、決して水銀を飲ませることではないと思ってます。

■「あやまれ」とは何か

 そこで、『あやまれ』というスローガンで言われてることは、一体何なんだろうか。私どもは、謝ったふりをする場面というのをたくさん見てまいりました。例えば、水俣病でも、1次訴訟で勝った時、昭和48年、1973年ですけれども、勝って、工場に踏み込みました。そしたら、工場長以下会社幹部が総員お出ましになって、一斉に土下座して、地べたに手をついて謝るふりをしたわけです。本当に謝ったのか。謝ってませんよ。だから、まだ、未だに裁判が続けられているということです。似たような場面、例えば、HIVでも、ミドリ十字の社長以下が一斉に土下座した場面見ましたよね。これが、イタイイタイ病が言う、『謝罪を許さない闘い』、こんなことをさせてはならないということだと、私は理解しております。本気で謝っていない。謝ったふりをして見せてるだけだと。なんでそんな振りをして見せてるのか。もう分かりきっています。日本人のものの考え方として、みんな土下座して床に手をついて、あそこまで謝ってるんならもういいじゃないか、許してやれよ。要するに、社会的に免罪をしてもらいたいということであります。
  本当に謝るというのはどういうことなのか。まず、加害企業や国が、自ら自分自身で被害発生を致しましたと、私どもの行為によって被害を発生させましたということを認めること。そして、その原因は、私どもがここで間違いましたと。だから、その間違いは改めますと自ら認めて、そして反省をすることです。その当然の結果として、全ての被害者に救済の措置を尽くすことです、自ら尽くすことです。そして当然のことながら、2度と同じ被害が起こらないように、必要な対策を、自ら講じることであります。そういうことを誓約することです。これが、私どもが求める『あやまれ』ということです。加害企業や国が、自ら謝ることによって、真の被害者救済も出来る。今後の被害発生防止、なくせという要求を実現出来ると思っております。

■加害企業の論理 - じん肺訴訟

 そうすると、裁判に勝つ、勝訴判決を受けることはどういう意味を持ってるんだろうかということになります。私には痛恨の想いの場面がたくさんございます。
  例えば、じん肺の裁判でもそうです。最初の集団のじん肺訴訟、これは長崎北松と言います。ここには零細な炭鉱が多かったんですが、じん肺患者達が裁判を起こした。被告は、日鉄鉱業という会社であります。この会社は裁判に負けても頑強に頑張り続けた。とうとう最高裁まで行ってしまいました。だから、1審で勝つというのが物事の終わりではないという実例です。最高裁まで行くことを許してしまったと。本当は1審で決着をつけるべきでした。実は、4大公害裁判、イタイイタイ病、新潟の水俣病、四日市の公害、それから私どもの、熊本の水俣病、実は1審で決着をつけました。高裁まで行ったのは、先頭を切ったイタイイタイ病だけです。あとは全部1審で決着をつけました。それについては、もう少し後でお話したいんですけど。
  ところがですね、この日鉄鉱業は最高裁まで、まあ頑張り抜いたというか、我々が頑張り抜いたというか。最高裁で私どもが勝ちましたので被害者を先頭に、私ども弁護団も一緒にどっと本社になだれ込みました。まず、原告のみなさんが、「謝れ」と言ったんです。そしたら、日鉄鉱業の代表者は「謝らない」と言いました。なんでだと。あれは最高裁判決が誤っておりますと、間違っております、だから、謝りません。なんということを言うんだと、最高裁判決に従わないと言うつもりかと。「いいえ、従います」、判決は裁判をした原告に、裁判で要求した金 - 裁判所が認めた金ですけど - 認めた金を払えと言ったんです。だから、裁判所が払えと言った金はこの場でお払いしますよ、判決には従ってるんです。
  これが、加害企業の論理であります。金を払えと言うんだったら金を払えばいいんだろうと。それも、裁判をして勝った原告だけに払えばいいんだろうと。加害企業というのはとんでもないことを言うもんだと、私どもは、日鉄鉱業のこのけしからん論理に対してですね、無法者の言うことだと、アウトローだと。法を認めない輩がとんでもないことを言ってるんだと、私どもは一斉に非難致しました。そして、日鉄鉱業に、本当に謝らせたいと言って闘いを取り組んだわけであります。しかし、残念ながら私どもは、日鉄鉱業を未だに屈伏させることが出来ないでおります。その後、日鉄鉱業に対し最高裁判決が次々と出ました。私どもが筑豊で、やっぱり日鉄も被告にしてますが、私どもが最高裁で日鉄相手に勝った判決が5度目の最高裁判決です。その後、6度目の最高裁判決が出てます。無法者としか言いようがない。つまり、裁判をして負けてもかまわない。負けた原告に判決が言う金だけ払いますよという態度をいまだに貫き通してるわけです。

■判決で物事は解決しない - 水俣病訴訟

 ところが、そのけしからん無法者だと言ってた加害企業を上回る無法者がいたわけであります。それが、国であります。水俣病で、とんでもないことを国はやってると。まず、私どもは1次訴訟で、加害企業チッソに対して完膚なきまでに勝ちました。チッソはさすがに控訴を断念し、被害者救済を行うことを誓約致しました。その結果、1次訴訟の後、昭和48年、1973年でありますが、チッソと被害者との間で約束が出来ます。その約束は、裁判をした原告だけではなくて、認定された患者、それまでに認定されていた患者、更にそれから先も認定される患者に対して、全部同じ被害者の救済措置をとりますと。全認定患者にです。
  その中身は、大きく言うと、3本の柱になります。1つは、必要な医療、これを安心して全部受けてもらう。つまり、治療費の全額負担です。勿論、治療費をみてもらったからと言って、例えば、病院へ行く手段、離れ島たくさんございましたので、離れ島から病院まで行けるかと、じゃ行く手段を尽くしましょうと。それから、治療というのは病院の治療だけではないですね。例えば、鍼灸・マッサージであります。鍼灸・マッサージの治療費も一定回数ですが、認めますと。温泉に行くと楽になるんだよね。分りました、温泉療養認めます。年20回まで認めてます。それから、第2に当然治療を受ける前提として、安心して生活が出来なきゃいけない。終身にわたる生活保障、私ども、年金と言ってますけども。年金を生涯にわたって支払います。それから、例えば、子供さんたちが就学したい、だけど、就学出来ないという時の就学の援助金とかですね。そして、第3に、裁判に勝った金、これは何かと言うと、お詫びのお金、慰謝料でございます。お詫びの金に過ぎないと。これだけで被害者救済が終わったなんて思うな、ということであります。
  という三本柱の救済を、私どもは勝ち取りました。だから、昭和48年で、私どもの闘いは終わったと言っても良かったわけです。おそらく、これだけの成果をあげた裁判例というのは珍しいんじゃないでしょうか。それで解決した、そこで解決したといってたたかいをやめたという例、たくさんあるんじゃないでしょうか。
  ところが、私どもは、そこで闘いを終わることは出来なかったわけです。どうしてか。隠し込まれたたくさんの被害者がいることを、私どもは身を持って知ってたからです。認定された患者の背後にたくさんの患者がいる。隠されている。チッソの圧力によってですね、公然と名乗り出ることが出来ない。名乗り出たら、村八分になる。就職は出来ない、結婚も出来ない。徹底した差別が付きまとう。私どもは、だから、掘り起こし健診を徹底してやりました。新しく出てきた患者さんたち、そして、国がどうしても認めようとしない、つまり認定しようとしない患者さんたち、国がこれが水俣病だ言っている症状が間違ってるよという裁判を起こしたのが、2次訴訟であります。私どもは、それをチッソ相手にやりました。チッソ相手に患者と認めさせることでやったわけです。我々が圧勝致しました。完璧に勝っております。ところがチッソは控訴したんです。控訴審で、1審を上回って私どもは勝ちました。勝ちましたというのは、病状をですね、はっきりさせました。水俣病像をはっきりさせたわけであります。当時の担当官庁は環境庁でした。当時の環境庁長官は石本さんとおっしゃる看護師さんです。石本環境庁長官が、チッソに対して、これはもう上告したって駄目だと。これ以上争うなというんで、高裁で我々が勝った判決、つまり、国が決めた水俣病の診断基準は間違いだと、不当に患者を切り捨ててるよという判決が、確定したわけであります。
  私どもは、環境庁長官がチッソに対してそこまでおっしゃったわけですから、当然国はお認めになりますよね、認定基準は変えてくれますよね、我々が裁判で勝ち取った病像、これを認めてくれますよねと、環境庁に迫ったわけです。環境庁は何と言ったか。司法判断と行政判断は違うんです。行政判断は別です。だから、改めませんと。平然とそう言い放ったわけです。つまり、判決なんか従う必要はないと、国が言って見せてるわけですよ。加害企業以上に悪質な無法者だ。一番無法な者は何か。組織体は何か。私は国だと、自信を持って申し上げます。国ぐらい悪質な組織体はないと。もっと言いますと、官僚です。と、私は確信してます。
  そこで、そう国が居直るんであれば、今度は国相手に裁判をすると言って起こしたのが3次訴訟、国賠訴訟であります。国を相手に国の責任を問う裁判を起こした。わたしどもは1審で、これもまた完膚なきまでに勝ちます。この国に勝った判決が、判例時報という法律雑誌がございまして、判例として紹介されます。その一面に、まず水俣病で勝ったんだよと。私どもは国に勝ったというのが第1番目の見出しだと思いましたら、見出しは違ってました。国が言っている水俣病は、いわゆる中枢神経を侵す、脳を侵す病気だというんですが。私どもが勝った判決はですね、全身を侵す疾患だと。全身症状がありますよと。全身を侵してるんですよという判決なんです。まず、第1の見出しはそこになってます。私はこれは見識だと思います。編集者が正しいと思います。水俣病は全身を侵す病気なんだ、けっして脳だけを侵してるんじゃないよという判断ですね。これが第1番目だと。私は、アスベストの問題、じん肺の問題も同じ問題だと思ってます。全身を侵されてるに決まってると思ってます。まあそれは置きまして。次に国の責任を認めて勝ったよというのが、二番目の見出しです。
  ところが、国は従いません。控訴致しました。私どもは、そこで、重大な教訓を学んだと思ってます。つまり、国に、あるいは加害企業に、きちんとした救済措置をとらせる、今後の被害防止策をとらせるためには、判決に勝っただけではだめなんだと。例えば、その病像も、我々は完膚なきまでに勝ちましたけど、それが高裁止まりだったと。1審と高裁の判決だと。最高裁判決でなかったから、国は従わないのか。最高裁判決をとるべきだと、私ども随分言われました。これは3次訴訟の時なんですけど。国を従わせるためには最高裁判決をとらないとだめなんだと、随分言われました。マスコミも一斉にそう書きたてました。私どもは違うと、それは違うと。最高裁判決をとったからといって、物事が解決するわけではないよ。
  それが水俣病でも見事に立証されました、関西水俣病で、最高裁で勝ちました。国は、恐れ入りましたと従ったか。未だに従いません。国の無法者としての立場は、あの病像は間違ってるということですよ。だから、私どもは、その国の誤った態度をただすために、ノーモア・ミナマタ病訴訟、4次訴訟をまた熊本で起こしたわけです。

■救済を具体的に実行させる闘い - 勝訴判決をとる意味

 じゃあ何のために裁判やってるんだ。判決をとっても無意味なのか。それは違うということははっきりしております。だからこそ、我々は4次訴訟を起こしたわけであります。判決をとったからといって、その判決だけで物事が解決するわけではない。だけど、判決は力にならないのか。なるに決まっています。
  問題は、私どもが勝ち取った判決、とりわけ最高裁判決なんていうのは、これはみんな本来は従うべきものであります。それに従わない者にそれを従わせるようにさせる力をもった闘いを、我々がどう取り組むかです。その時に判決があるのは大きな力になる。これは当然のことです。問題は、私どもがその判決の力をどこまで生かして活用して、闘いを大きく出来るか、私はそう思っております。そこで、この救済を具体的に実行させるということを、私たちがどう取り組むのか。
  まず、責任をはっきりさせる。これ大前提です。つまり、何が悪くて、被害を発生させたのか、被害発生を防ぐためにどうすべきであったのかです。それをはっきりさせるのは当たり前のことです。だけど、それは判決でなければはっきりさせられないのか。裁判所に認めてもらわないと、責任ははっきりしないのか。勿論、裁判所に認めてもらった、大変結構なことです。特に、最高裁で勝つ。我々は筑豊じん肺訴訟で - 最高裁で初めての判決だと言われますが - 国の責任、国が、被害が発生することを防止すべきなのに防止しなかったことを認めた最初の判例であると言われます。私どもは、だから大変名誉なことだということで、実は、私どもの弁護団、何回か表彰を受けてます。表彰を受けて言うのも何ですが、私は、けっして名誉なことではない、恥さらしだと、実は思っております。何が恥さらしなのか。何も裁判所から認めてもらうことはないんです。
  私たちが、被害者が先頭になって、みんなで国民に訴え、こんなひどいことを国はやってるんだよ、とんでもないことをやってるんだよ。その結果、こんなにとんでもない被害に、今、たくさんの人が苦しんでるんだよ。国民に訴えかけていく、国民の理解を得る、共感を得る。これは、何も裁判所から認めてもらう必要はないんです。私たちが、自分たちの力で勝ち取れることです。

■敗訴判決を許さない闘い - 有明海訴訟

 逆に言うと、裁判で本当に勝ちたいと思っても、判決を私たちが書くことはできません。判決は裁判官が書くものです。これはどうしたって逃れられない。そうすると、私たちに敵意をもった、つまり、被害者を勝たせてはならないと、逆に、国を負けさせてはならないという方が正確なんですけど、国に、何がなんでも勝たせるべきだと思ってる裁判官がいるのは、これは如何ともし難い事実だと思ってます。何がなんでも、私どもを負けさせると、固く決意してる裁判官がいる。現に、私たちはそれで負けた例があります。つまり、到底実行不可能なことを言って、我々を負けさせる。
  有明の裁判でですね、因果関係、あの堤防を造って、干拓地を造った、そのために有明海に漁業被害が起きたことを我々は定性的に立証しました。全体の流れから言うと、それに決まってるでしょと。そうだと一審の佐賀地方裁判所は認めました。日本全国魚は獲れなくなったけど、有明は特にひどく獲れなくなった。我々はグラフで - 折れ曲がりと言いますけど - その後曲線が違ったでしょ、極端に曲ったでしょ、そう我々は言いました。だけど、控訴審の裁判所は、それを定量的に立証しなさい、どれだけの影響を与えたか、量的に証明しなさいと。我々が事業差し止めの仮処分で、佐賀で勝った後、高裁でひっくり返し我々を負けさせた裁判官は、ひっくり返した理由をそう言いました。その後、本裁判で、国側の証人が出て来ました。コンピューターを使って色々シュミレーションをやる。私が、「あなたの研究で定量的に立証するためには、あと何年かかると思いますか」と聞いたら、「まあ100年はかかるでしょうね」、つまり、そんなもの立証出来るわけないよという答えなんです。立証出来るわけないことを立証しろと我々に要求するというのは、我々をあえて負けさせるという以外の何ものでもありません。そういう判決を平気で書く裁判官がいるという厳然たる事実です。非常識です。
  水俣病の裁判で色々ご尽力いただいた白木先生 - 東大の脳の病理の専門家でありますが - このような判決例を、「整然たる非常識」「理路整然とした非常識」と言われます。そういう判決が、今横行致します。
  ということは、裁判に確実に勝つためには、そういう判決を書いたら許さんぞ、絶対に許さんぞ。誰が許さないのか。勿論、被害者が許さない。だけど、国民世論もけっして許さないぞ。これを裁判所に分からせることだと、私は思っております。そして、理不尽な道理に反した判決を書いたら、被害者は益々激昂するよ。正しい解決を求めて、今まで立ち上がることが出来なかった被害者まで立ち上がってくるんだよ。紛争は益々激化するんだよ。これを形で目に見せてあげる。高裁の仮処分決定で我々を負けさせた裁判官は、考え違いをしてる。我々を負けさせたら、国を勝たせたら、我々がしょぼんとなって潰れるに違いないと。国が考えている紛争解決というのはそういうことなんです。国が考えている紛争解決は、被害者を黙らせることです。どうしたら被害者を黙らせることが出来るか。手を変え、品を変え、やって参ります。水俣病の歴史、じん肺の歴史、全てそうです。被害者をどうやって黙らせるか。裁判なんかしてもだめだよ。負けさせてやろう。しょぼっとなるに違いない。   有明の裁判は、我々は佐賀の地裁で、仮処分で、事業を全部ぶっ止めたわけですね。それが高裁でひっくり返った。我々は原告1000人で闘ってたんですが、その内漁民は200人足らずでした。あとは市民の方でした。ひっくり返った1カ月後、我々は、本訴訟の漁民原告を1000名、追加提訴を致しました。漁民は怒ったんだよ。高裁のこんなとんでもない判決に、心から怒ってるんだよ。勿論、1カ月で1000人の提訴が出来るわけありません。つまり、私どもは、前から追加提訴は用意してたんです。勝って、追い討ちをかけて、一気に決着をつけるということでですね、漁民原告を1000名増やすという取り組みをやってました。ここが、私、大事なことだと思うんです。この方針は、負けたからといって変わることはないわけです。負けたら、余計腹を立てて、益々力を大きくする、拳がもっと高く振り上がるということです。本訴訟で1000名の追加提訴、つまりそれまで1000名だった原告を倍増させた。200人だった漁民原告から言うと、5倍増であります。しかも、一番弱かった熊本の地域の原告が一番たくさん参加を致しました。
  その後ですね、私どもは、公害等調整委員会、公調委と言いますが、そこに因果関係をはっきりさせてくれと申立していたんです。我々、楽勝だと思ってたんです。どうして楽勝だと思ったのかと言うと、専門委員という方を公調委が自分で持ってまして。その専門委員の先生方が、意見書を出すんです。その意見書の中で、因果関係を認めてたんですよ。専門の先生方、それも公調委のですよ、公調委が頼んだ専門家の先生方が因果関係があると認めるんだから、決定でも認めるに決まってるよねと我々が高を括ってましたら、見事に肩透かしをくらいました。さっきの議論です。定量的立証はされてない、定性的立証はしたけれども、という理屈で負けました。私どもは、高裁の裁判官はこの結論が分かってたんだなと。公調委がこの理屈で私たちを負けさすのが分かってたんだなと、私、妙に納得したんですけどね。私どもは、高裁の裁判官に、私たちを負けさせると、あとで公調委でひっくり返ったら大恥かくぞと。そんなばかなことはせん方がいいよと言ってたんです。しかし、高裁が平然と我々を負けさせたのは、なるほど、公調委でひっくり返ることはないと分ってたんだよね。そう納得しました。納得してただけじゃだめなんですね、公調委の後、我々はさらに佐賀地裁の本訴訟に500人追加提訴致しました。提訴した原告は、長崎の漁民です。ご承知かどうか分りませんが、長崎は事業の推進県だ、一枚岩で推進県だと言われてます。事業を推進すると言われてる県の中で、漁民は反対してるよ、こんなにたくさんの漁民が反対してるんだよ。高裁で負け、公調委で負けたって、漁民は決してがっかりなんかしてないよと。けしからん、益々紛争は拡大したことを形で示したわけです。そして、昨年、佐賀の本訴で我々が勝ったわけです。
  つまり、裁判官に、本気で勝つ判決を書かせようと思ったら、まず被害者が許さない。勿論、国民世論も許さない。我々を負けさせた時、全力をあげて判決は間違ってるという非難の行動です。我々が勝った時 - これ1紙の例外もなくと申し上げときます - これまで我々の悪口を言う立場の新聞社がないわけでもありませんでしたが、そこまで含めて、テレビニュースでも、この判決が正しいと、全国的に支持される状況を作りました。諫早、有明海と何の関係もない、東北とか北海道の新聞まで、トップで報道される状況を作り出しているわけです。

■被害者がいる限り闘いは続く

 大切なのは、そういう運動を作り出していくことだと私は思ってます。それは、誰がするのか。まず、強大な原告団、強く大きな原告団です。被害者が先頭に立つ、当然です。それを支える強大な弁護団。そして、それを本当に支えていただくのは、支援のみなさん。私は実を言いますと、支援という言葉はあんまり好きではありません。何か一方的に自分が応援するというふうに聞こえます。私は違うと思ってます。支援ではない、共闘だと思ってます。労働者のみなさん方、あるいは市民のみなさん方が、この闘いに取り組むのは、決して人助けの一方的なボランティアではないと、私は思ってます。自分も被害者、あるいは、今なってないなら、いつ被害者になってもおかしくない状況だ。自分たちの被害を防止するために、一緒になって闘うんだと。これが支援だと、私は思ってます。だから、共闘組織だと思ってます。この力が強大な力にならなければいけないと思ってます。
  ですから、この裁判も、拝見しましたら、追加提訴を繰り返しておられます。私は当然だと思ってます。出来れば、その追加提訴がますます数が増えていく。原告がどんどんどんどん増えていく。もちろん、弁護団も支援組織もどんどん増えていく。闘いはどんどん大きくなっていってるよと、目に見えるように。とりわけ、裁判官の目に見えるようにする。これは追加提訴していけば、嫌でも目に見えるわけですから。さらには署名運動の署名数がどんどん積み上げられていけばいいのですから。ということがまず1つではないかと思います。
  最後の1人まで救済すると言う以上は被害者を最後の1人まで見つけ出さないといけないわけです。最後の1人まで、被害者として手を挙げてもらわなければならないわけです。そのための掘り起こし活動、これをどうやるか。これ実は、水俣の決め手でありました。筑豊のじん肺でも被害者の掘り起こし、随分熱心にやりました。その時の視点は、企業にこだわらない。工場内労働者、これはある意味でははっきりしてます。工場内で働いてた人は、ある意味はっきりしてる。だけど、被害者は工場内労働者に止まらないと、近隣の住民の方も一緒にこの裁判は提訴してる。
  被害者は工場周辺の労働者市民だけではないのが、アスベストの問題点です。例えば、建材で、日本中ばらまかれてる。小学校で、中学校で、アスベストの建材がいっぱい使われてる。とんでもない話だと、どうするんだと、今問題になっております。つまり、日本中総被害者。うちの家も、アスベスト使ってないのかって、私、うちを建てた大工さんにすぐ聞きました。「もう、あんた使ってないよね」「使ってないと思っております」「本当かね」という話になるんですよ。だからですね、言ってしまえば、これは無限に組織拡大出来る課題ですよね。私は、無限に拡大すべきだと思ってます。敢えて申し上げますが、たとえ何十年かかろうと、と思ってます。私は、水俣では100年戦争だと言ってます。それは、次世代まで影響が及ぶことは明らかだと確信してるからです。だから、水俣は100年戦争をあくまで続ける。絶対に止めない。被害者がいる限り、最後の一人まで闘いは続くんだと。
  もう1つ、私どもは絶対に負けないと言ってます。どうしてか。勝つまでやるからです。1度や2度負けたからといって、それがどうした。我々は勝つまでやる。もう少し言うと、要求を実現するまでやる。最後の1人の被害者の救済まで頑張り抜く。これが水俣病の弁護団のスローガンです。最後までやり抜くんです。そして、それは今、有明の闘いに引き継がれて、有明の取り組むみなさん方のスローガンになってます。『我々は絶対に負けない。勝つまでやるからだ』ということです。だから、一度は勝った仮処分が高裁で負けても、私たちはめげるどころか、ますますたたかいを拡大した。私は、当然そうあるべきだと思ってます。被害者の救済、それから被害の根絶、これを実現するためには、本当に実現する日まで闘い抜く他ない。そのための力をどうやって蓄えていくか。そこが勝負だと思ってます。
  そして、大きく世論に訴える。その時訴える中身は、やはり大きな志だと思うんです。『私を救済して下さい』、勿論、大切です。それが出発点です。だけど、多くの国民の方たちの心を掴んだのは、『もう被害者は私たちを最後にして下さい、これ以上被害者を作らないようにして下さい』、やっぱり、この訴えだと思うんです。その訴えを尽くしていけば、国民世論は必ず支持してくれる。そのためにどうしたらいいのか、正しい道筋を指し示す。その正しい道筋が指し示されれば、当然、共感を得ると思ってます。
  是非ですね、この裁判が先頭を切って判決をとるわけです。判決をとったからといって、すぐ物事が解決すると、そういう生易しい問題ではない。その通りです。だけど、私たちが、その解決を勝ち取るんだよ、最高裁まで行くのは恥さらしなんだよ、その前に解決しきらなきゃだめなんだよ。
  私は、筑豊じん肺で最高裁で勝った時に、お亡くなりになった遺族のみなさん方に、申し訳の言葉がない、心からお詫び致しました。こんな大変な裁判だから時間かかったのはしょうがないじゃないか。最高裁で勝ったじゃないかと。そんなことをどの面下げて、お亡くなりになった被害者に言えるのか。私はそう思っております。生きてる内に救済を、と。当然のことです。わが弁護団、これは水俣病ですけど、水俣病の弁護団が、遺族の方からこう言われました。後で勝ったからと言って、布団を墓にかけてやるわけにいかんよと。その通りだと思うんです。
  1日も早く要求実現を勝ち取る。最高裁まで行くのは恥さらしだと。出来れば1審で決着をつける。1審で決着つけられなくても、高裁で判決までとる必要ありません。それまでに決着をつけりゃいいんです。という心意気で、総力を挙げて頑張り抜こうじゃありませんか。そして、それはみなさん方の力だけではない。地域の連帯した力、勿論、当然必要です。それを、全国に働きかけて、全国の結集した力にする。地域の闘いを全国の闘いへ、全国の心ある国民のみなさんの共感と支援の力を結集して要求の実現を、というふうに思っております。
  色々雑駁なことを申し上げました。何か参考にしていただけることがあれば幸いでございます。以上で終わらせていただきます。


尚下線は当ブログが引きましたので念のため。

Comments

これは「教育」、そして未来の子供達に対する「裏切り」です

ブログ主様、いつも拝見しています。初めてコメント致します。
私たちは学校で「三権分立」と教わってきました。でも現実は「三権」が互いに監視し抑制しあうのではなく、「共犯関係」にあるようです。これは「教育」に対する明らかな裏切りであり、その「教育」を受けさせられてきた私たちに対する裏切りでもあります。
誰もが「教育」の大切さを訴えていると思います。いつの世も子供達が教えられるのはその時代における「理想」です。しかし、子供達はいずれ間違いなく実社会の大きな裏切りにあうのです。国内外を問わず緊迫した状況にありながら、行政・司法に対する関心が一部を除いて今ひとつ盛り上がらないのは、これまでに「行政や司法に裏切られてきた」からであり、これからも「裏切られる」ことに気づいているからかも知れません。

「司法」の怠慢や裏切りに対し、名実共に「勝つまで」戦い続ける被害者の方々、そして弁護団の方々の大きな勝利を祈念して止みません。

海坊主様

コメント有難うございます。
私も子供の頃三権分立がどんなに素晴らしい制度であるかという事を学校で習った記憶があります。
下級裁判所に過ちがあっても、最後に最高裁判所が正してくれるという制度は、
今や下級裁判所が正当な判決を出しても、最高裁判所が打ち砕くという風になっているようで、びっくり仰天です。

何時の時代も、最初立派だった政治も段々と乱れ遂に破綻、そして刷新の繰り返しが歴史だったようですが、
今の日本は原発という放射能をばら撒く道具と、外国の圧力が加わった事によって、回復が容易ではない事態になってしまっています。

此れを何とか回復させようと挑戦するのも、人生の目的の一つなのかもしれませんが・・・・・

Comment Post















管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

Trackback URL
http://dendrodium.blog15.fc2.com/tb.php/1542-e5585e04

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。