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希望の功徳 

五木寛之が新聞に連載している小説「親鸞」に先日あった話は、素晴らしいものだと思ったので、ここにご紹介したい。


関東で布教活動を始められた頃の親鸞聖人に、
聴衆が信心をしたらどんなご利益があるのかと迫った。
信心したら病気が治るのか、運が開けるのか、金持ちになれるのか等と。
親鸞聖人は、信心したからと言って、特別のご利益が有るというわけではない。
ご利益で、病気が治るわけでもなければ、運が良くなるわけでもないし、金持ちになるわけでもないと言われ、次の様なエピソードを話されたのだった。

親鸞聖人がまだ9歳の時の話である。
早くに両親をなくされた親鸞上人は、白河あたりのお寺に預けられておられた。
ある日の夕方、そのお寺のえらいお坊様から、比叡山の横川の宿坊に荷物を届けるように言い付かった。
夕方白河のその寺を出発したのでは、横川の宿坊に着く頃には真っ暗やみになっているはずであった。
寺にいる先輩の小僧達が皆断ったので、まだ9歳の親鸞聖人にお鉢が回って来たらしい。
親鸞聖人は比叡山に憧れておられた事もあって、その役目を引き受けられたのだった。

以下、五木寛之の名文を写させていただく。
「やがて途中で夜になった。最初は月の光を頼りに山道をたどっていた。比叡は十六谷と言うが、都から眺めているとは全くことなる険しい山なのだ。杉の木立は黒い巨人のように頭上にそびえ、一歩踏み外せば谷底に転落しそうながけの道が続く。途中から雲が出て月の光が消えると、あたりは真っ暗闇だ。
そして何処まで行っても目指す横川にはたどり着かない。
背中の荷物が骨身にこたえた。草鞋の緒が切れ、何時しか裸足になっていた。
岩にぶつけた指から血が噴出し、荷物が肩に食い込んで、体が思うように動かない。
そのうち遥か下の方から水の音が聞こえてきた。どうやら滝つぼの上の小さな細い道にさしかかったらしい。これほど深い闇というものを、初めて感じた。
這うように進んで行ったが、手足がすくんで、一歩も前へ出られなくなってしまった。足もとの小石が崩れ、音を立てて闇の底に落ちて行く。体が震え息が苦しくなる。
私はその時、生まれて初めて真の恐ろしさを感じたのだった。
身動きも出来ず、叫び声も出ない。今にも深い断崖から真っ逆さまに落ちていくのではないかと思った。思わず泣き出してしまった。

そのとき、空から青白い光がさしてきて、あたりをくっきり照らし出したのだ。
雲間から月が現れたのだった。
月光は信じられないくらいの明るさで、私の周りを照らしていた。そのとき私は漸く分かったのだ。
自分が山肌に沿った細い道の途中にいることが。そしてその道をずっとたどって行けば、まちがいなく横川にたどりつくことが。
片手で山肌を探りながら、私は歩き出した。すると木立のかなたに、かすかな灯火が見えた。

あれが横川の燈だ。あそこまで行けばいいのだ。そう思うと嘘のように体が動いた。そして私は無事横川の宿坊までたどり着くことが出来たのだった。」

そして親鸞上人は言われた。
月の光があたりを照らしているからといって、背負っている荷が軽くなるわけではない。遠くに横川の燈が見えたからといって、そこまでの道のりが近くなったわけではない。
荷の重さも変わらない。歩く道も近くはならない。
だが私は立ち上がり、歩き出す事ができた。

私はこれが信心の功徳と言うものなのではないかと思った。

神仏を信じたからといって、周りの状況が変わるわけではない。
しかしそこに希望(燈)を見つけることが出来た時、勇気百倍となり、動かなかった足も動き出す・・・・・

もうどうにもならない、生きていても無駄だと思って鬱屈している時、
必ず何とかなると信じる事ができたら、同じ条件下であっても、人は元気に生きていく事ができる。

国民が希望を棄てなかったら、日本は必ず再生できる。
だから私は同胞に、希望を棄てない事を希望する。

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