http://analyzer.fc2.com/ --> Dendrodium 2018年04月
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ゴールデンウイークの天気予報で、全国的に雨マークの憲法記念日 

今日からゴールデンウイーク。
毎日が日曜日の私には全然関係ないけれど、今日の空は雲ひとつない快晴である。
どこかにお出かけの方には、日向は少々暑すぎるかも知れないが、
室内は暑くもなく寒くもない、申し分のない気温である。

近畿地方のゴールデンウイークの天気予報は、前半は快晴に恵まれるが、
中盤の5月2日と3日に雨マークが付き、終盤は晴れ後雨の様な複雑な天気になるようである。

全国的に多少の差はあるが似た天気予報となっており、
憲法記念日の5月3日が雨の予報でないのは中国地方だけで、
その他の地域は全部雨マークである。
こんな事も珍しいのではないだろうか?
何だか憲法が泣いているような天気模様である。

昨日偶々見た番組で、憲法に付いての学校での取り組みを扱っていた。
18歳から選挙権が与えられる事になったので、
憲法改正するかどうかの国民投票が行われる事になった時のために、
憲法に付いて学ばねばならないという事で、
高校生同士で討論会を開いている場面などを映していた。
又、中学校や高校生が憲法に付いての疑問を、先生に尋ねる事が多くなったそうである。
高校生が憲法改正に付いて、少ない知識の中から判断するのは大変な事だろうから、
先生に尋ねるのは当然の事かも知れない。

社会科の先生に限らず先生が、生徒に政治に付いて質問されるのでは、
先生達も政治に付いて学ばねばならなくなって大変な事だろう。

中学や高校の先生が政治に付いての意見を生徒に言うとしたら、
先生達はどの様な事を言われるのだろう?
自分の個人的な意見が政府の指導要領と違う場合、後で処罰されても困るので、
職員会議で生徒の質問に如何答えるかを、相談することになるのではないだろうか?

生徒からの質問時、如何答えるかに付いて文部省から、
指導要綱が届けられるのかもしれない。
その指導要綱は時の政権に忖度したものになるのではないだろうか?

そんな事を想像すると、中学高校でどんな憲法教育が施されるかについては悲観的にならざるをえない。

加計学園問題で折角安倍政権を追いつめそうになっていたのに、
財務省事務次官のセクハラ問題等で腰を折られた後、
ゴールデンウイーク突入で、
又々私達は安倍政権延命を許すことになってしまうのだろうか?
そして安倍政権のお粗末極まりない憲法改正案が、
世に問われることになってしまうのだろうか?

文科省通達も手伝って高校生の賛成票が加わり、
安倍の憲法改正案が通ってしまう?

自衛隊を憲法に明記するという安倍総理の、
憲法改正の目的が自衛隊の海外派兵を容易にする為のものであるのは明らかである。
そんな憲法改悪が実現したら最悪ではないか!

又、若者が悲惨な戦地に送り込まれる時代が、遠からぬ将来に来てしまう。
そんな時代を作るのを、
若者が率先して容認することになったのでは、
悲しすぎるではないか!

改憲するにしても、山尾志桜里さんの改憲案のようなものなら兎も角・・・・・(こちら
山尾志桜里議員「自衛権に歯止めかける改憲を」)


加計学園問題で証言された前文科事務次官・前川喜平氏の講演記録 

4月17日に東京・杉並区「セシオン杉並」で行われた前文部事務次官前川喜平氏の講演会の、
講演内容を抜粋した記事を見かけましたので複写させて頂きます。

教えられたり同感だったりで、とても読み応えのある記事だと思いました。

尚、日本会議は害虫の巣という項が、複写すると何故か青い文字になるのですが、
元記事では皆同じ色で記載されていましたので念のため申し添えます。


講演会は大盛況!前川喜平・前文科省事務次官曰く「日本会議は害虫の巣」だって

憲法とわたし

 公務員になる時には宣誓をするわけです。誓いの言葉には、憲法を遵守するということを必ず言います。(中略)これは憲法99条に、〈天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ〉ということになっていますから、それに基づいて「憲法を守ります」と誓わなければいけないわけです。(中略)私が見ますところ、天皇陛下は一所懸命に守っていると思われますが、国務大臣、国会議員となると怪しいですね。(中略)

 さらに公務員については、憲法15条がございます。〈公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である〉とあります。その2項では〈すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない〉ともあります。〈全体の奉仕者である〉とだけ書いておけばいいと思うんですが、わざわざ〈一部の奉仕者ではない〉と書いてある。これはやはり、「しっかり見張っていないと、すぐに一部の奉仕者になるぞ」と。その危険があるから、〈一部の奉仕者ではない〉とわざわざ書いた。わざわざ書いたにもかかわらず、そういうことがいま起こっているというわけです。

――話はうまいし、わかりやすい。「なるほど」とも思わせるわけである。それだけに、文科省OBという一部の者たちの天下りに関与した前川氏が、停職相当の処分発表前に辞任したことは残念でならない。

 公務員であっても一人の人間ですから、憲法13条〈すべて国民は、個人として尊重される〉わけです。(中略)したがって、精神的自由、思想良心の自由、表現の自由という大事な自由を持っているわけですが、公務員の場合は厳しく制約されています。政治活動に関しては非常に厳しく制限されていて(中略)、日本の公務員は制限がきつすぎると思っていました。

次ページ:SEALDsの国会デモ

SEALDsの国会デモに参加

 自分の本来の政治的意思と言いますか、本音を発表、公に言えないというのは、非常にフラストレーションが溜まるものでして、それで私も2015年9月18日、安保法制が通ってしまうという夜に――その時、私はまだ次官にはなっていなくて、文部科学審議官という事務方ナンバー2という、ひょっとすると次官になれるかもしれないというポストでした――、やっぱり自分個人として国民としての意見を表面するのは当然の権利なんだから、権利を行使してこようと思って、仕事が終わった後、雨が降ってましたんで傘を差して、国会正門前までトコトコと歩いて行きましてね、SEALDsの若者の近くまで寄って行って、「憲法守れ!」「安倍は辞めろ!」とかやってたんです。

「集団的自衛権はいらない!」とか、この極めて散文的な文章を、ラップのリズムに乗せるという才能に、私は敬服しました。「♪集団的自衛権はいらない」(場内拍手)。どうも、これはなかなか、ノッていくなという感じがしましたね。(中略)なんか私が、毎晩毎晩、行っていたかの様に思われているかもしれませんが、あれ1回きりです。毎晩行っていたら、きっと見つかっていたと思います。それで見つかりもせず、翌年にはめでたく事務次官になっちゃった。

――めでたく文科相官僚トップの次官となって、話は学校教育へと移る。

 学校というのは元々、非常に画一性を持っていて、これは明治期に確立されています。明治18年に内閣制度ができて、森有礼(もり・ありのり)という人が初代文部大臣になり、そこで小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令といった、いろいろな学校令を出しました。

 森有礼が導入したものの中に、兵式体操というものがあります。兵隊がやる体操を学校でもやるということです。学校の制度というのは軍隊の制度と似ているわけです。学級編成は部隊編成みたいなもので、ランドセルは歩兵が背負っている背嚢(中略)、詰め襟のガクランは陸軍の軍服ですし、セーラー服は水平ですから海軍の兵隊の服装、運動会は野戦演習、遠足は行軍ですからね。そうやって軍隊に行ってもやっていける身体に鍛えるというわけです。

 運動会に行くと一糸乱れぬ入場行進なんかあるわけですが、あれは明らかに軍列行進ですね。(中略)「全隊止まれ!」と言って止まるわけですが、“隊”は“体”でなく隊列の“隊”です。明らかに軍事訓練を学校にそのまま持ってきているわけです。学校というのは、一人一人を違う存在として見ずにマスで見る。塊で見る、集団で見る、集団の一部なんだ、という見方をする部分が非常に色濃く残っているわけです。これが憲法13条でいうところの〈個人として尊重される〉ということと相矛盾するものが、学校風土の中にまだ残っていると言えると私は思います。

――なんだか、こういう話、かつて聞いたことがあるような……。ああそうだ、日教組に染まった教師から受けた、赤い赤い社会科の授業ではないか。

次ページ:日本会議は害虫の巣

日本会議は害虫の巣

 戦前は教育勅語というものがあって、1890年、明治23年に、明治天皇の侍講だった元田永孚(もとだ・ながざね)という人が中心になって、天皇を中心とする日本人の精神の統合のための教えが必要だということで作ったものです。教育勅語が戦前の日本人の精神を支配していた。

 これは一人一人の自由な精神の開発というものを押さえ込む、ひとつの型にはめてしまう強力な武器になったわけであります。人間の自由を殺す武器です。人間の命は殺さないかもしれないけれど、命と同じくらい大事な自由、人間の主体性というものを殺してしまう武器としてフル活用されたのが、教育勅語だと思います。(中略)

 それがいま「教育勅語はいいことが書いてある」とか「学校で使ってもいい」というようなことを言い出す人が出てきて非常に危ないと思っています。

――ついに出るかと思いきや、森友問題は不発。どころか、前川氏、教育勅語を諳んじてみせるのである。

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト……一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。勉強していると、覚えてしまうんですよ(笑い)。批判するためには勉強しなければなりませんから。(中略)

 文部省が1937年に発行した『国体の本義』の中に、我が国は一大家族国家であるということが出て来ます。国民はすべて天皇の子供である、と。日本という国は大きな血の繋がった家族で、大きな家族のお父様が天皇陛下であり、その1単位1単位が小さい家族の中の天皇がお父さん。(中略)大きな家族のなかに小さな家族がある、家族というのは国家の単位であるとは、まさに自民党の改憲案の中に出てきます。教育勅語が示す国体思想が反映していると私は見ております。

 この国体思想的なもの、「血が繋がった共同体こそがわが日本民族である」という考え方は、根強く残っています。中曽根(康弘)さん(編集部註:前川氏の妹の義父に当たる)なんかはハッキリとそう言っています。「日本という国は契約国家ではない、自然国家である」と。

 これは立憲主義を否定するような言い方です。個人がいて社会ができて、憲法があって国家ができるという順番ではなく、日本という国ははじめから国家があるんだと。

 こういう国家観を持っている人は、実はいまもたくさんいます。私はこれは、戦争に負けた時に、過去の間違った考え方を100%、キチンと清算しなかったからだと思うんです。徹底的な害虫駆除をしなかった。残っちゃった害虫は、しばらくは見えないところに潜んでいたと思うんです。それがちょっとずつゾロゾロッと出てくると、その度に叩いてたんでしょうけれど、叩ききれないほど出てきちゃった。

 どうもそれが、あるところで増殖している。巣があってですね、日本会議とか(会場内から拍手)、最近だと日本青年会議所ですよ。青年会議所って昔はもっとマトモな団体だったんだけど、池田佳隆さん(衆議院議員)って、私が名古屋の中学校での授業を問題にして、文部科学省に圧力かけた政治家で、この人は青年会議所の会頭だった人。あの人あたりからおかしくなってきていますね。

 そういう日本会議とか青年会議所が、害虫が増殖する巣になっている。しかも害虫の数が多いだけでなく、図体が肥大化してきて、大きな害虫があっちこっちから出てきているというのがいまの状況じゃないかと思うんです。これは明日あたり、産経新聞に相当言われそうな気がする(笑い)。「日本会議をゴキブリ扱いしたぞ」なんて相当言われそうですけど、構いませんよ私は。

――日本会議や青年会議所の人が聞いたら怒るでしょうな。

 天皇を中心とする国家というものに忠誠を尽くす美しさを強調する倫理は、戦後否定されたわけです。何よりも大事なのは個人であって、個人の尊厳を上回るような国家の価値などはないと。国家とは一人一人の人間を守るためにあるのであって、国家のために身を捨てることを要求される理屈などはないんだ、という価値の逆転があったはずなんですけれど、そんな高村光太郎のような内なる精神の倫理の崩壊を経験しなかった人がいるわけですね。

 その中に岸信介なんて人もいたんですね。戦後、教育勅語、修身、道徳を行う教科を復活させようという動きは何度もあった。実際に週1回の「道徳の時間」を始めたのは1958年、岸内閣の時です。それを「教科」にしたのが安倍内閣です。お祖父さんの始めたことを完成させたと言ってもいい。

次ページ:22世紀に日本はない?


22世紀に日本はない?

 歴史を学ぶことは重要だと思います。平和を維持するために必要な学びの中でも、過去の歴史を学ぶことは非常に大事だと思います。歴史は繰り返すという言葉もあります。私はいまの状況は、1920年代から30年代にさしかかる境目みたいなところにあるような気がしてならない。下手をすると、このままなにもしないでいると、もう一度1930年代の経験をすることになりかねないと思うんです。(中略)

 日本国憲法の手本となったのはワイマール憲法です。最も先進的、最も民主的と言われた
憲法を持っていたドイツ国民が、民主政治の中からヒトラーという独裁者を生んでしまった。民主的な憲法が、全権委任法という反憲法的な法律を許してしまったということは、ドイツ国民だけの歴史ではないんです。人類が経験した歴史であって、この教訓は全ての国の国民が学ばなければならないし、特に日本人は学ぶ必要があると思います。実際、「ヒトラーの手口に学べ」と言う人もいるわけですから。

――まるで安倍首相はヒトラーになると言わんばかりである。

 そういう意味で、憲法改正に関しましては、まずは、いまの憲法を学ぶということをしないと憲法改正の議論をすべきではない。じゃあいまの若者たちが憲法を学んでいるかといったら、それが覚束ないわけです。まず憲法改正を言う前に、いまの憲法を学ぶことが大事だと思います。学ばない人たちを相手にして、「いいんじゃない」って感じで改憲をしてしまうのは無責任だと思います。それこそナチスの手口に学んだような改憲は、許すべきではない。9条に関しましては、2014年の閣議決定そのものが無効と思っていますし、いまの憲法の下で集団的自衛権を認めるなんてやってはいけないことだと思っています。(中略)

 さらに自民党の改憲草案はもっと恐ろしい。これは人権規定を公益とか公の秩序という名目でいくらでも制限できるようになっています、自営のための実力組織という自衛隊の性格を根本から変えて、アメリカと同じような軍隊を持とうということにもなっています。これは非常に危ない。いましっかりと改憲を阻む努力をしないと、22世紀、23世紀に向けてこの社会を我々の子孫に残して置くことができないのではないかと、そんな気がしている次第でございます。

――前川氏の講演はここまでだが、壇上の主催者からは前川氏にデモ参加への感謝の言葉が添えられた。国家公務員を離れ、憲法で禁じられていた政治活動を晴れてスタートさせた前川サンなのであった。

国民民主党という新党誕生を聞いて思ったこと 

民進党と希望の党が合併して「国民民主党」とするそうです。(こちら
昨夜テレビでこのニュースを見た時私は、
立憲民主党の真似をして民主党という党名を入れて、
あわよくば立憲民主党に入れるはずの票を、
ちゃっかり頂こうとしているのかな?なんて疑惑を持ってしまったのでしたが、
一寸早とちりだったようです。

まとめまとめというサイトに現在の政党には、
民主党という名を入れた政党がこんなにも多数ある事が書いてありました。
自由民主党
社会民主党
立憲民主党
国民民主党←new

日本ではこんなにも民主党という名が好まれているのですね。

「国乱れて忠臣現れ、家廃れて孝子現る」という言葉がありますが、
今の日本には民主主義がないから、
民主党を名乗りたくなるのかも知れませんが、
彼等が本当に民主主義を実現しようとして、
民主党を名乗っているのかどうか疑わしい限りですね。
今や、政治家になる為に政治家になっている政治家だらけの様ですから、
当然なるべくしてなっているという事なのでしょうが・・・・・

だって人が生きて行くには衣食住が必要ですし、
政治家だって家族の為にも、衣食住は守らねばなりません。
政治家になったからには、何とかして常時当選できる地位を得たいと思う気持ちは、
一人の人間として分からないではありません。

次の選挙にも是非当選して代議士でいたい政治家は、
(民主主義が廃れ国民が民主主義を求めているのが分かっているから)
自分達の創る党の党名に、民主党という名を入れたくなるのでしょうね。

でも当選した暁には、
自由民主党を始めとした、どの党の代議士も、民主主義のためではなく、
自身の身分が安定するための道を最優先したくなるという事なのでしょうね。

野党各党は加計学園問題で安倍政権を追い詰めかけても、
財務省の公文書改竄問題や、加計学園問題を巡る柳瀬唯夫元首相秘書官を巡る問題で、
一応安倍総理を追及してはいるけれど、
麻生太郎財務相の辞任を国会審議復帰への条件に挙げて徹底抗戦という事で、
最終的にはセクハラ問題を、審議拒否の筆頭理由に摩り替えて、
安倍総理への圧力を緩めることになる道を選んだのも、
故無き事ではなかったのかもしれませんね。
彼等が代議士として大きな顔をして居れるのも、
選挙に勝たねばなりませんものね。

民主主義も選挙操作票改竄が横行するようになっては、崩壊するしかないのかも知れませんね。

先日セクハラ辞任された新潟県知事も、
数日前滋賀県近江八幡市長に当選された小西氏も、
安倍政権下の衆議院議員選や参議院議員選挙に何度も落選された方だったようです。

そんな小西氏の市長選での得票数は21,047票で

負けた冨士谷英正の票 11,647票の倍近い票数を得ておられます。
医師資格と弁護士資格を持っておられる米山新潟県知事や、
これ程の高い得票率を得えられた小西氏が、
衆参議員選挙総てに落選される等不思議でなりません。
やっぱり不正選挙は行われていたのではないでしょうか?

滋賀県では甲賀市の信楽町の役人が400票もの投票用紙を捨てて、
偽の投票用紙と入れ替えたという事件まで発覚していますし・・・・・(こちら

民主守護を守るという事も、言うは易し行うは難しなのかも知れませんね。

「セクハラ疑惑だったら何をやってもいいんだよ。異論を唱える方がおかしいんじゃないの?」って言っているみたいな行動にも疑問 

先日の財務省事務次官のセクハラ疑惑に対する態度を見ていると、
鳩山由紀夫総理を辞任に追い込んだ勢力に加担した元民主党議員達の法律に対する意識は余り変わっていない様な気がします。 

民主党政権の時には小沢幹事長が事務所が不正な会計処理をしていると言って、
何年にも渡って検察に追及され続けていましたが(結局無実という事が判明)、
民主党の閣僚達は小沢一郎氏に対し、
(何故事務所の会計が疑われているのか)小沢氏には説明責任があると言って、
権力によって不当に捜査されている小沢氏を、
党友である民主党議員達は党友を守るどころか、
反対に小沢氏を攻撃し続けていたものでした。
今回私はその酷い攻撃の仕方を思い出させられている所です。

当時小沢氏を批判する人達は、
小沢氏には説明責任があると言っていました。
小沢氏にそんな事を言うのは、
冤罪被害者に対し「何故冤罪を掛けられたか被害者には説明責任がある。」と言っている様なものでしょう。
しかし、当時それはオカシイと言う者があったら、その人は、
与野党・公人・民間人を問わず、小沢信者というレッテルを貼られていたものでした。

今回のセクハラ事件は財務省の福田事務次官が、或女性に対し、
聞くに堪えないセクハラ発言をしていたのは事実でしたが、
福田氏は「相手は記者ではなく、飲食店の女性である」と言って、
「言葉遊びでそんな事を言った事があるかもしれない」と言い、
相手は絶対に女性記者などではないと言い張っていたのでした。

結局朝日放送が自分の所の女性記者であると表明しましたので、
福田事務次官の言いわけは、嘘であった事が判明しましたが、
福田氏を糾弾する人たちは、それが判明する前から、
「セクハラを受けた者は、名乗り出よという要求をするとは怪しからぬ。」と、
被疑者の言を一顧だにしない姿勢を貫いていたのでした。

「あれだけ酷いセクハラ発言をしたのに、今更何を言う」と言って、
酒席で酔客の相手をする女性相手に言った事という言いわけを、
頭から否定している野党議員達の言い分は、
被疑者にも人権があるという事を、すっかり忘れた者の言い分のように私には聞えました。

こう私が言ったら「それでもやっぱり相手は女性記者だったじゃないの。」と言われるのでしょうが、
結果的にそうであったとしても、
それが証明されるまでは、それを検証せねばならない筈ではないでしょうか?

この大部分が、旧民主党員だった人達の態度、
冤罪を掛けられた小沢氏に対して「説明責任が有る」と言い続けた人達の態度とそっくりで、
憲法で国民に約束された公正・公平を無視しているものであると感じられます。

何時もは大抵同意する記事を書いておられる田中龍作ジャーナル「セクハラ財務省に野党議員が「#Me Too」」にも、今回はガッカリさせられるような記事が載っていました。

「安倍政権周辺であれば何をやってもいいんだよ。異論を唱える方がおかしいんじゃないの?」・・・最強官庁と官邸がそう言い放っているような光景だった。と、財務省の対応を批判していましたが、
これは「セクハラ疑惑だったら何をやってもいいんだよ。異論を唱える方がおかしいんじゃないの?」と、
そっくり、そのまま言い変える事が出来そうな言い草であると私は感じました。

「(女性記者は)名乗り出るのがそんなに苦痛か?」矢野官房長は国会(18日衆院財務金融委員会)でヌケヌケと答弁した御仁だ
という矢野官房長の言い草は野党に対する敵意がきつ過ぎて、褒められた言い草ではありませんが、
現職の事務次官を引責辞任させる為には、
証拠を示さねばならないくらい当然の事である筈でしょう?

録音テープだけで何所の誰が被害者かも示さず、
録音された男性に辞任を求める事が可能だとしたら、
将来国民の生活を守る為に働いている人物が、ファシスト勢力に狙われて、
嘘八百を並べ立てて陥れられた場合、
ターゲットにされた者は、その勢力にやりたい放題にされてしまう危険があると、
野党の議員達は思わないのでしょうか? 


安倍政権に犯人逮捕の寸前で逮捕を取りやめさせられた為、
伊藤詩織さんが顔出ししてレイプを訴えた事件がありましたが、
結局レイプ犯は、私達の大部分が知らない間に、
(恐らく権力の指示で)不起訴処分になっていたそうです。

あんな酷いセクシュアルハラスメントがあったのに、
今回の事件で大騒ぎしている女性議員達は、
この不当な判決に抗議行動を起こしたのでしょうか?
彼女達の関心はセクハラ被害者にあるのか、
政敵安倍政権を追いつめることにあるのか、甚だ疑わしいですね。

安倍政権の酷さを考えたらその気持ちは分からないでもありませんが、
それでも、公正・公平の原理に悖る行為を行っていては、
将来に禍根を残すことになると思います。

政敵を追いつめる為にセクハラを利用するという行為は、
私達99%がファシスト達に何度も遣られてきた事でした。
次に、ファシスト達が私達99%の期待の星に、セクハラを仕掛けてきた時に、
私達が今回のような態度を取っていたのでは私達は、
彼等のやり口を批判できなくなってしまうだけではないでしょうか?

日本でも世界でもファシストは何度となくセクハラ攻撃で、
邪魔な政治家を追い落としており、私達は辟易とさせられている筈です。
今回も、この財務省事務次官のセクハラ騒動がなかったら、
柏崎刈羽原発の再稼動を阻止すべく選ばれた脱原発の期待の星の新潟県知事を、
あんなに簡単に辞任に追い込むことはなかったのではないかと残念で仕方ありません。

セクハラ位でと言ったら語弊がありますが、
その実態が複雑怪奇なセクハラ事件で、
政治家や官僚を追い落とす習慣には、
いい加減にピリオッドを打って欲しいものだと思います。

尚、受け取り手によって判断が異なるセクハラ事件で告発するからには、
女性も顔出し名前だしの覚悟で行うのは当然の事ではないでしょうか?
告発した事が事実であるかどうかの検証さえ拒否する位に、
女性は庇われるのが当然という考え方は、男女平等の思想に反しはしないでしょうか?

(それが事実無根だった場合)不当に告発され、
社会的信用を傷つけられ、場合によっては職を失う恐れさえある告発が、
告発者の名前さえ伏せられるべきものとしたら、
男女平等とは言えないのではないでしょうか?

「それではセクハラ被害者には黙って我慢せよと言っているのも同じだ」
という批判が来るかも知れませんが、
誰かの社会的信用・生活を壊す恐れのある告発をするからには、
その位の覚悟をもってせよというのでなかったら、
平等の精神から言っても許されざることではないでしょうか?

私達は本当の意味での男女平等を求めて行かないといけないと思います。
男性の権利を圧迫してでも、セクハラ被害者は優遇されるべきという感覚でいる限り、
女性は男性の譲歩に甘えている存在になってしまい、
男性からの軽視を跳ね返す事は出来ないのではないかと危惧されます。

こんな事を男性が書いたら、それだけで顰蹙を買われる事だろうと思い、
婆ながら、一応女である私なら言えることだと思い、
今回の事件で感じた事を書いて見ました。

財務省事務次官にセクハラを受けた記者が名乗り出た、これで一件落着でいいの? 

テレ朝「音声でセクハラ確認」…女性記者が録音

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週刊誌を全面的に信用して財務事務次官の頸を切れと言う与野党の代議士達に思う 

「セクハラは女性に対する暴力で、人権侵害だ。本人は全面否定しているが、多くの女性が残念に思っている。」(こちら)と野田聖子・女性活躍担当大臣が言ったそうですが、
福田事務次官は全面否定などしてはいないでしょう?
福田氏は録音の声が自分の声でないとは言わないが、それを言った相手は女性記者ではない。
女性記者とそういう話をした覚えがないと言っているのです。

野田聖子氏を始めとして福田氏を黒と決め付けている政治家達は、
週刊新潮の言い分を100%信用して、
女性記者に名乗りを上げろというのは酷すぎると避難轟々で、
福田氏の言い分を真っ向から否定して掛かっています。
どうして彼等は何の証拠もなしに、福田氏を黒と決めてかかるのでしょう?
これではもし福田氏のかけられた嫌疑が冤罪だったとしたら大変な人権侵害だと思います。

福田氏が証拠(女性記者の名乗り)を求める事を真っ向から非難する人々は、
疑いをかけられた者の言い分を真っ向から否定する事になると思いますが、
彼等が証拠も求めず、ここまで福田氏の言い分を否定する根拠は何所にあるのでしょう?

証拠も示さず週刊誌にスキャンダルを書かれたというだけで、
週刊誌スキャンダルの証拠を求める財務事務次官が、辞任するまで与野党議員が攻撃し続けるとしたら、
さくじつの記事にも書きましたが、
日本は報(道)主主義国になってしまう危険性を如何お思いなのでしょうね。

報道を牛耳ているのは財界であるのは周知のことですから、
野党を任じている人たちも、財界の言いなりになる事を希望しているという事なのでしょうか?
それでは国会は与野党を問わずファシストの集まりという事になってしまいますが?

追記
   今朝の京都新聞に

財務省に批判続出
セクハラ疑惑鑑定なし

という見出しが一面に躍っていました。
福田財務事務次官は「録音の声が自分のものではないとは言わない。」と言っているのですから、
声紋の鑑定をする必要を感じていないだけでしょう。
それなのに「鑑定なしと」大書する事によって、
問題点をすり替えています。
福田財務事務次官排除は財界が相当肩入れしている事案の様ですね。

似た趣旨の記事を見かけました。
それでも女性記者は名乗り出なければならない

財務事務次官のセクハラ発言騒動で、日本のセクハラ問題を考えてみた 

財務省、異例の要請 告発の女性記者に調査協力呼びかけ 識者「報道の鉄則、理解ない」

 「週刊新潮」で報道された財務省の福田淳一事務次官による女性記者へのセクハラ疑惑について、16日に文書で報道内容を否定した福田氏は、出版元の提訴も辞さない強気な姿勢だ。セクハラ発言とされる音声データについては「(普段から)お店の女性と言葉遊びを楽しむことはある」と、相手が女性記者だったことを否定。一方、同省は告発した女性記者に調査協力を呼びかけるなど異例の対応を取っている。

最高裁「拒絶できる」

 「福田事務次官との間で週刊誌報道に示されたようなやりとりをした女性記者の方がいれば、調査への協力をお願いしたい」

 財務省は16日、福田氏に対する聞き取り調査の結果を公表すると同時に、同省の記者クラブ加盟各社に対し、社内で女性記者本人に手を挙げることを呼びかけるよう文書で要請した。

 官民問わず、報道機関に対して独自の取材行為の内容が明らかになるような協力要請を行うことは「取材源の秘匿」の観点から極めて異例だ。

 平成18年には、民事裁判で取材源に関する証言をNHK記者が拒んだ問題で、最高裁が「報道関係者は原則として取材源に関わる証言を拒絶できる」との決定も出している。

週刊誌に不祥事を書かせさえすれば、
邪魔な公職者(政治家もしくは官僚)を排除できるという慣習が、
過去の日本で何度あった事でしょう?

ずっと昔の事ですが、セクハラをしたという事で総理大臣になったばかりの、
宇野宗佑氏を辞任させたこともありました。(
この場合宇野宗佑総理がどういう政治をしようとしていたかなど関係なく、
只、女性をお金で口説いたというだけで、総理失格という事にされたのでしたが、
これが国民にとって本当に良い事だったかどうかは疑問です。
私は以前「百年河清を待つ?」という記事を書いています。
この中の安倍政権は第一次安倍政権で、
この時は安倍総理はアメリカの意に反する事もやっていた様で、
閣僚がしばしば槍玉に挙げられていたものですが・・・・・

今の安倍総理は、
国民の財産である国有財産を自分の同志に大安売りさせたり、
自分の友人に地方自治体の36億円もする不動産を無料でプレゼントさせた上、
国と地方自治体の税金を補助金という形で、
獣医学部校舎建設にかかる費用を出させていたりしているという、
この濃厚な疑いで、
昨年から断続的に国会で審議されていますが、
マスコミの攻撃は、
鳩山総理が、ご母堂からの贈与を知らないまま、贈与税を納めなかった時に、
鳩山総理に対し連日、新聞一面で攻撃したのと比べたら雲泥の差です。

鳩山政権当時の新聞は「脱税総理では国民は税金を納める気がしない」と、口を極めて攻撃し続けていたのです。
それに比べて何倍も悪質な安倍総理の国家財産及び税金の私物化に対する攻撃を、
新聞は連日書くどころか、あまり書き立ててはいない様な気がします。
少なくとも「税金の私物化をする内閣では、税金を払う気がしない。」と
安倍政権を攻撃した記事見出しを見た記憶がありません。

安倍総理のために国会で嘘八百を言った褒賞として国税庁長官になった佐川氏に対し、
佐川氏を罷免すべしとデモまで起きても、
鳩山総理の贈与税不払い攻撃の時ほどの、新聞の攻撃的言辞を見た事がありませんでした。

安倍総理の不正行為に携わった迫田元理財局長を、
褒賞人事で国税庁長官にしたままだったり、
迫田氏の後継者佐川前理財局長に国会で嘘の答弁をさせた上、
答弁との整合性を合わせる為に、公文書の偽造までさせても、
マスコミが叩かなかった頃には
佐川氏を迫田氏同様の褒賞人事で国税庁長官にして、
野党がどんなに罷免すべしと言っても、頑として聞かず、佐川氏を庇い続けていました。

佐川氏が国税庁長官を辞めることになったのは、
朝日新聞が加計学園問題についての、
新しい証拠を見つけてきてからの事でした。

マスコミが書かない限り、公職者がなにをやっても無罪放免になるとしたら、
日本は民主主義国と言うより、
報(道)主主義国という事になってしまうではありませんか。

国民がマスコミの意のままに、公職者を追放する事を当然の事と許していたら、
日本は国民の利益よりも新聞や週刊誌の言い分を大事にする国となってしまいます。
これでは週刊誌・マスコミを動かしている陰のフィクサーの
思う壺という事になってしまうのではないでしょうか?

それに、今回の財務事務次官が女性記者にセクハラ発言をしたとして、
録音まで公開していますが、
福田財務省事務次官は「店の女性と言葉遊びはする事がある。」と言って、
この録音の相手の女性も、飲み屋に勤める女性であると言っています。
どうしても女性記者であると言い張るのだったら、
その女性記者が誰であるか名乗るべきであるという主張は、
そんなに間違った主張ではないと思えるのに、
テレビ等では事務次官が無理な注文を出しているという様な批判が主流のように見えます。

福田事務次官の主張が本当か嘘か五分五分であるとしても、
一方的に事務次官の言い分を否定し、

 平成18年には、民事裁判で取材源に関する証言をNHK記者が拒んだ問題で、最高裁が「報道関係者は原則として取材源に関わる証言を拒絶できる」等と言って、
取材源の秘匿を理由に福田事務次官の主張を葬り去ろうとしているのはオカシイのではないでしょうか?

週刊新潮が、あくまで録音の相手が女性記者であると主張するのであれば、
取材源の秘匿が理由であろうとも、
福田氏の言い分「女性記者とその様な会話をした事がない」という主張を、
覆すだけの証拠を示すのが筋というものではないでしょうか?

昨年、明らかな強姦をした御用記者山口某を警察が逮捕しようとした時、
寸前に、官邸が逮捕を取りやめるよう指示した為、
無罪放免になった山口某と、逮捕すべき者を強権で逮捕させなかった官邸の横車を告発するべく、
伊藤詩織さんは自らマスコミの前に顔を出して訴えたけれど、
マスコミはその時だけは報道しましたが、後は殆ど知らぬ顔で無視しているようです。
官邸御用記者山口敬之は後に、不起訴相当になったそうですが・・・・・
安倍御用記者・山口敬之レイプ疑惑がまさかの不起訴相当に! 官邸による逮捕もみ消しをうやむやで済ませるのか

麻生財務大臣は福田事務次官擁護に回っている振りをしています。
財務官僚の破廉恥事件を報道することによって、
安倍総理が指示してやったモリ・カケ疑惑を、
だらしない財務省官僚の所為にする為に、
この問題をテレビで論わせているという説を先日見かけたのですが、
もしかしたら、その説は当たらずと言えども遠からずではないかと感じています。

福田事務次官が女性記者に対し、
あのようなセクハラ発言をしたのが本当なのだったら、
その女性記者は顔出ししてでも訴えるべきだと言うのは、
それ程無理な注文ということでもないのではないでしょうか?
その位の証明もせず、
録音テープがあるから、事務次官は女性記者にセクハラ発言をしたのだ、
と一方的に断定して良いものでしょうか?
本当は酔客相手に言葉遊びをするのが商売の女性に対し言ったことなのに、
女性記者にセクハラ発言をしたと言って、財務省事務次官に辞任せよと迫るとしたら、
国家公務員はホステスのいる飲み屋には、
入ってはいけない事になりはしないでしょうか?

ホステスときわどい冗談など言ったら、
何時週刊誌に相手は女性記者であると嘘を書きたてられて、
証拠も示さず弾劾され辞任させられてしまう危険に常に曝され、
政府にとって邪魔な官僚が出たときには、
何時でも辞任にさせられる事が出来る事になるでしょう。

福田事務次官が国民の為に勇気を出して働いている、
有能な官僚であるかどうか私は全然知りませんが、
今後、こんな事で”政府の悪”に立ち向かっている有能な官僚を、
罷免させられる制度を創る手助けなど、
私達国民は厳に慎むべきだと思うのです。

尚セクハラ繋がりでもう一つ。
電車等でのセクハラ騒動が今男性陣を震え上がらせているらしいですね。
満員電車の中で普通に手を下ろしていただけなのに、
突然一人の女性に「セクハラを受けた」と手を掴まれ、
この手で触ったと申告されたら、
訴えられた男性がどんなに否定しても、現行犯として逮捕され、
やっていないセクハラをやったと言わない限り、
家にも返してもらえないという理不尽な対応が、
多数起きているという話を聞いた事があります。

逮捕された時セクハラ等やった憶えのない人程、
「やった」と言う気にはならないから、
無実の罪で長い間拘留され、世間的には有罪という目で見られて、
社会的に葬られた人が大勢あるのだそうですね。

セクハラのような恥ずかしい事をしたという烙印を押される事が、
世の紳士諸氏にとってどれ程重い事であるかを考えたら、
女性の立場にのみ立って、
一方的告発だけで男性を有罪扱いするのは、
男女平等の面から言っても、不公平極まりないと言えるのではないでしょうか?

普通の男性がやってもいないセクハラで告発され、
誇りを傷つけられ生活を壊されるのを、
理不尽と思わない程日本の女性は、
男性に対して、意地悪な気持ちを持っているわけではないと、私は思うのですが・・・・・

滋賀県警の同僚射殺事件に思う 

交番で同僚に撃たれ?警官死亡 滋賀、逃走巡査の身柄確保

 11日午後8時45分ごろ、彦根市南川瀬町の彦根署河瀬駅前交番で、同交番に勤務する井本光(あきら)巡査部長(41)が、頭と背中から血を流して倒れているのを同署員が発見した。井本巡査部長は同市内の病院に搬送されたが、午後10時過ぎに死亡した。傷痕から拳銃で撃たれたとみられる。当時一緒に勤務していた男性巡査(19)が行方不明になり、滋賀県警は、巡査が交番内で井本巡査部長を拳銃で撃った後、パトカーで逃走したとみて行方を追ったが、愛荘町内で身柄を確保した。

 県警によると、同日午後8時15分ごろ、同交番から南に約4・5キロ離れた愛荘町目加田の田んぼにパトカーが突っ込んで放置されているのが見つかった。110番通報があり、確認のために同署員がパトカーの配備先の同交番に向かったところ、井本巡査部長を発見した。交番の出入り口は施錠されていたという。井本巡査部長は机に突っ伏した状態で見つかり、後頭部と背中に傷があった。椅子に座った状態で背後から撃たれたとみられる。井本巡査部長の拳銃は交番にあり、実弾は全部残っていた。

 パトカーは巡査が乗り捨てた可能性があるという。県警は、巡査が最大で3発の実弾が入った拳銃を持って逃走しているとみて付近の住民に外出を控えるよう呼びかけた。

 県警の説明では、巡査は2017年4月に採用され、今年1月29日に彦根署に配属された。同交番は3人体制だが、11日午前8時半から井本巡査部長と2人で勤務に当たっていた。      【 2018年04月12日 01時50分 】

滋賀県彦根市で若い警察官が同僚とは言っても、
教育係の先輩警察官を射殺して、
パトカーで逃走するというショッキングな事件が起きました。

一時はどうなる事かと心配したのですが、意外に早く犯人逮捕となりました。
犯行に及んだ警察官は意外に従順で、
逮捕された時、素直に罪を認めたそうです。

犯人が逮捕されるまで私は、犯人は縁故で警察官になったけれど、
能力に於いても人格に於いてもレベルが低すぎて、
先輩警察官の不評を買い続けていて、何をやってもこっぴどく叱り付けられ続けて、
後輩の警官は先輩警官の教育的言辞を、意地悪としか受け取れなくなってしまって、
そこ迄「言わなくても・・・・」と恨むだけの、
最悪の関係になってしまっていたのではないかと想像していました。

しかし、逮捕された時の犯人の素直な態度や、
パトカーを乗り捨てて、徒歩で逃げていたという事、拳銃も捨てていたという事を聞いて、
この警官はレベルが低い非常識すぎる人間だった訳ではなく、
不幸な行き違いから、先輩との関係が悪化したのではないかと思いました。

この交番には3人の警官が配備されていたそうです。
想像しますに、殺された警察官が、もう一人の警官ばかり可愛がって,
この犯行を犯した警官に対して、殊更厳しかったとかで、
この警官は自分は虐めを受けている、と被害妄想に陥っていたのではないでしょうか?

殺された警官は犯人の教育係だったので、
教育の為に言っていた事だったのに、
そう思う事が出来ず、自分の事ばかり悪く言うと、
僻み心でしか先輩の言葉を聞けなくなっていたのかも知れません。

そんなこんなで、二人は不幸な関係になってしまっていたのではないしょうか?
被害者意識の虜となった若い警官の手元に拳銃があったのが、
被害者にとっても加害者にとっても、
不幸な事だったということなのではないでしょうか?
拳銃を持つには人格的に短慮すぎる人間が、
拳銃を持てるという特権を得た事が、
こんな不幸な事件の遠因となったということかも知れません。

最近の学校で虐めに対して神経質すぎる事も遠因かも知れないと感じます。
友達同士切磋琢磨して強く育つという表現がありましたが、
社会が虐めに過敏になりすぎているために、一寸でも気に障る扱いを受けたら、
「虐め」を想定する習慣をつけていると、
切磋琢磨することも出来なくなるのではないかと思うのです。

子供は何時迄も子供として、先生に見守ってもらえるわけではありません。
何時か大人になり学校という温室から、
いきなり厳しい社会に放り出されることになるのです。
虐めに過敏すぎになっていると、
社会人なら誰でもそのくらいの事は耐えているという種類のことにでも、
必要以上に反応し、
悩んで病気になったり、無茶な反撃をしたりして、
身を滅ぼす事になる恐れがあるのではないでしょうか。

少々のことなら我慢するとか、
反撃するとかは性格によって差があるかもしれませんが、
自分なりの対応を考え、
どの程度が適当であるかを弁える能力をつけさせるのも、
教育の役目の一つではないかと思います。

まだ19歳の特に悪い子でもなさそうな青年が、
上役を射殺するというような大変な事をしでかしてしまった事件を見て、
想像を逞しくしすぎたかも知れませんが、
今の学校では社会に出て対応できる人間を育てるという役目が、
ちゃんと果せられなくなっているのではないかと、
心配になって妄想を膨らました次第です。


今日は花祭り 

今日は花祭り、お釈迦様の誕生日である。
今年は温かかくなるはずの「お彼岸の中日」に東京で雪が降るという異常気象があったが、
その後3月末から異常に気温が高くなっていた日本列島は、
昨日今日と再び異常に気温が下がって、阿蘇山で積雪との便りまであった。
所謂寒の戻りであるが、寒中の寒さと比べたらずっと温かいが、
今日はかなり寒い花祭りとなった。

先日の記事でポール・クレーグ・ロバーツ氏が4月1日は復活祭なのに、
最近のアメリカのカレンダーに、
キリスト教の大事な祭日「復活祭」が記されなくなったと嘆いておられた。(こちら
仏教国日本において花祭りは、テレビなどでは殆ど取り上げられないものの、
一応カレンダーには載っている。

日本でクリスマスが盛んに持て囃されるのは、
日本国民を宗主国と同じ考え方にしようとの、アメリカ支配層の企みかと思っていたが、
先ほど引用したロバーツ氏の記事を読んで、
クリスマスは商業ベースに乗っているから、
アメリカでも日本でも一応大事にしているだけなのかも知れないと思った。

21世紀になってアメリカの支配層は嘘をベースにした、残虐な戦争行政を続けてきた関係上、
自分達が神の教えに背いている事を痛い程知っており、
神の教えを否定したくてならないのだろう。
近年アメリカでは本来キリスト教の教えとは無関係と言われている「ハロウィン」が大いに催され、
この2~3年日本でも流行らせようと宣伝に努めている様に見える。
彼等支配層には神の世界よりは、悪魔のうろつく世界の方が、
居心地が好いのかも知れない。

しかし、支配層が神を無視して、残虐で強欲な政治・戦争を続けるようになって、
庶民の間には支配層とは反対に、神の存在を意識するものが増えている様である。
無理無体な戦争を続けようと悪辣な嘘を重ねる支配層が、
遂にはこの世界を破壊してしまいそうな危険に瀕している事を、
肌で感じ始めた各国の一般国民は、
悔い改めたら(南無阿弥陀仏を唱えたら)天国浄土に迎えられるという神仏の教えが、
殊更に頼もしく思い出されているのかも知れない。

浄土真宗では罪悪深重の凡夫程、阿弥陀様はいとおしく思ってくださると言っている。
罪に慄いておられる支配層諸氏も、悪魔信仰をするよりは、
悔い改めて天国浄土に行く事を選ばれた方が、好いのではないかと教えてあげたい所であるが・・・・・

川内原発の放射能漏れ事故の原因は老朽化 

1号機の放射性物質漏れ 燃料棒の穴原因

 九州電力は5日、川内(せんだい)原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)で1次冷却水の放射性ヨウ素濃度が上昇した問題について、1本の核燃料棒から放射性物質が漏れていたことが判明したと発表した。

     核燃料棒は二百数十本を一つに束ねて燃料集合体として使用されている。老朽化で固定力が弱まり、燃料棒が細かく振動したことなどから1本に微細な穴が開いたとみられる。

     川内1号機は昨年3月以降、1次冷却水の放射性ヨウ素131の濃度が通常値より上昇。ただ、保安規定で定められた制限値を大幅に下回っていたため、測定の頻度を増やすなどして運転を続けた。

     1月から定期検査で原子炉を停止し、燃料を取り出して調べていた。燃料を交換し、6月下旬の営業運転再開を目指す。【浅川大樹】

    川内原発1号機は1984年(昭和59年)7月に創られた、もう少しで40年になろうとしている原発である。
    東電福島第一原発の事故後、
    原発の再稼動は基本30年迄で、特別の場合のみ、それ以上経過していても再稼動を許すという取り決めになっていたと思うが、
    川内原発1号機は30年をとっくに経過しており、
    特別に安全性が高くない事が分かった(老朽化していた為に放射能漏れ事故を起した)のに、
    政府はこのまま、川内原発1号機の再稼動を許すつもりなのだろうか?

    九州電力は今回の放射能漏れは老朽化の所為で燃料棒の結束が緩んでいたのが原因だと分かったから、
    燃料棒の結束を強くすれば済む事だと思っているのかも知れないが、
    問題はそんなに簡単なものではないのではないだろうか。
    今回の事故で分かった事は、
    老朽化した原発には、現在顕在化していなくても、
    何所に、どんな欠陥があるか、事故が起きるまで分からないということであろう。

    今回の事故は1次冷却水の汚染程度で済んだから、
    周辺地域に壊滅的な影響を与える事にはならなかったかも知れないが、
    老朽化した古い原発には、何時どんな欠陥が表面化するか知れない、
    恐ろしい危険を孕んだ欠陥が潜んでいるか知れないのである。

    その欠陥の場所が分かった時には、手遅れとならないと誰が保障できるだろう?

    製鉄に使う溶鉱炉さえ30年で取り替えると言うのに、
    もし事故が起きたら周辺一帯の生活環境を壊す事が分かっている原発を、
    熔鉱炉の使用期間よりもずっと長い年月使い続ける等、無責任極まりない事を、
    政府はどうして許し続けようとするのだろう?

    東電福島第一原発が太平洋の向こう側まで、放射能汚染してしまった事で、
    世界に対し申し訳ないと政府が思っているなら、
    もう二度と日本が原発事故を起こさない為に、
    細心の注意を払わねばならない筈なのに、
    国民の安全だけでなく、世界の自然環境に対しても、無責任極まりない原発行政に、
    日本人の矜持は何所に行ってしまったのかと、嘆かわしい限りである。

    国民の安全のためにとて、防潮堤を造ったり、治水ダムを造ったり、
    諫早湾の干拓等という周辺に多大の迷惑を及ぼす途轍もない物を造ったりと、
    国民の安全と言う名目で莫大な税金を使いながら、
    他の災害と比べ物にならない位に、悲惨な影響を住民に与える原発の安全を、
    かくも蔑ろにする政府には、公共等という思いは殆どなかったという事なのだろうか?

    危険極まりない原発を、周辺住民の反対を押し切って稼動させ続ける日本政府のする、
    公共工事と言って大型工事を始める時の理由説明”国民の安全”は、
    莫大な税金を身勝手な目的で使う事を隠す為の、
    お為ごかしのフレーズに過ぎないという事を、暗に白状しているようものだろう。

    環境省 東電福島原発事故により汚染され後除染のために取り除かれた汚染土を再利用すべく手引案を発表 

    福島県内の除染で出た土の再生利用に向け手引き案
    2018年3月29日 20時11分
    福島県内の除染で出た土の再生利用に向けて、環境省は、住民などへの情報公開や、土の流出を想定した事前の対応などを盛り込んだ手引きの案をまとめました。


    福島県内の除染で出た土について、環境省は、最終処分する量を減らすため、放射性物質の濃度が一定の基準を下回ったものは、道路や防潮堤の盛り土などとして県内外の公共工事で再生利用する方針です。

    環境省は、福島県南相馬市で安全性を確認するための実証事業を進めていて、これまでの結果をもとに、再生利用の際の注意事項などを盛り込んだ手引きの案をまとめ、29日、都内で開かれた検討会で示しました。

    それによりますと、再生利用した土の量や場所について、住民などが確認できるよう広く公開するほか、災害などで土が流出した場合の復旧工事の内容や費用の分担について、関係機関が事前に取り決めるとしています。

    また、環境省は、土を園芸作物などの農地の造成に再生利用する場合、土の放射性物質の濃度が1キロ当たり5000ベクレル以下で、その上に汚染されていない土を50センチ以上かぶせれば、住民の被ばく線量を、政府の長期的な目標である年間1ミリシーベルト以下におさえられると説明しました。

    環境省は、新年度から福島県飯舘村で土を農地の造成に再生利用する実証事業を行う予定で、事業の結果などを踏まえたうえで手引きを新年度中にまとめることにしています。

    税金を何兆円も使い、従業員(大部分は福島の原発被害者)に放射能汚染させながら、
    放射能汚染地域の土を剥がし、袋詰めさせていた政府は汚染した土の持って行き所に困って、
    これを全国に撒き散らそうとしているらしい。
    1キロ当たり5000ベクレル有っても、綺麗な土を50センチ位重ねたら、
    園芸に使っても心配ないと宣うているらしい。
    又、道路や防潮堤などの工事に使用させる計画なのだとか。

    政府は何のために莫大な税金をかけて除染等したのだ!
    日本全国を放射能汚染させるためか!
    そして周辺住民の反対を押し切って、全国の原発の再稼動させようとしているのも、
    全国に放射能汚染を広げさせるためか?

    安倍総理以下政府要人は、二言目には愛国心と宣うているらしいが、
    愛国心とは国民を苦しめる事を言うのか?

    安倍総理はこんな事をせんが為に権力にしがみついているのか?
    世相を斬る あいば達也「原発再稼働の陰で 復興は切り捨てに舵切った日本政府を読んで、
    安倍政権が東電福島原発事故の処理や被害者への配慮等の対策に、
    事故当初より、益々無責任になって行っている様子に、呆れていたところだったけれど、
    放射能汚染土を全国にばら撒こうとの計画迄しているとは!!!

    安倍政権の汚染度は想像を絶するものだった。

    春爛漫のお花見日よりに南北朝鮮和平報道を見て 

    早くも今日から4月
    3月下旬の春の甲子園野球大会開幕の日から続く、
    温かく晴れ上がった好天気は月を跨いだ今日も続いていて、
    絶好のお花見日和となりました。

    甲子園の滋賀県勢は膳所校が1回戦で敗れたものの、
    彦根東と近江高校が3回戦進出となっていました。
    両校とも1回戦には勝って、
    昨日3回戦だったのですが、
    今度は両校とも延長戦で敗退してしまいました。
    負けにしても延長戦で負けたのだから立派なものだったと、
    滋賀県民としたら胸をなでおろす感じです。
    滋賀県から3校も出してもらって、
    全高校一回戦敗退では様にならないですものね。

    特に彦根東のピッチャー野活躍は素晴らしいものだったようで、
    9回まで完全試合だったそうで、
    NHK7時のニュースでも紹介してもらっていました。
    9回までに誰かが1点でも取ってくれていたら、
    高校野球史に記録される名投手となれたのに点が取れないまま、
    延長戦で相手校に点を取られる羽目になり、
    完全試合の投手となれなかったのは気の毒な事でした。

    お花見日和の今日夫と二人で、
    毎年行っている近所の「スポーツ村」と名づけられた市立公園にお花見に行きました。
    今日は日曜日とあって、スポーツ村は例年になく賑わっていました。
    20面あるテニスコートが例年は平日だった所為か、殆ど使われていず寂しいものでしたが、
    今日は全コートが塞がっていて、活気に溢れていました。
    このスポーツ村にはこれ以外にもう一箇所、
    同じくらいの数のテニスコート群があるのですが、
    そこも満杯になっていたかも知れません。

    お花見客も例年だったら4~5組位でしたが、
    今日は20組近くはあったのではないかと思います。
    佐久奈度神社の横の瀬田川の畔を通って、
    スポーツ村の何時ものお花見場所に行ったのですが、
    道筋にも何組も筵を広げておられました。
    瀬田川の水は晴れが続いた所為か大量ではありませんでしたが、
    涼しげにせせらぐ様に流れていました。

    何時もの場所は大勢の先客があったので、
    今日はその草原の畔に流れる小川・大石川の対岸の草原には人気がなかったので、
    対岸に行ってお花見をしました。

    珍しく大勢の花見客でも、スポーツ村に植えられた桜の数には遠く及ばぬ位で、
    前を見ても横を見ても満開の花が、たわわに咲き乱れた桜並木が続いています。
    花は今将に満開を迎えたばかりで殆ど散り行く花びらもない、
    見事な位絶好のお花見日和でした。

    今朝の京都新聞一面トップは、
    習氏 朝鮮半島新安保枠組み
      米中と南北平和協定も提案
    というものでした。

    昨日の新聞には来年に行われる譲位に伴う宮中行事の事が盛大に書かれていたので、
    そう言えば昭和天皇のご崩御と新天皇(今上)ご即位の頃にソ連が崩壊し、
    所謂東西冷戦終結したのだったと思い出したのでした。

    今回のご譲位もアメリカの世界覇権追及戦争が終結する頃になりそうで、
    不思議なめぐり合わせに、
    もしかしたらトランプ大統領の平和シフトへの取り組みは成功するかも知れないと、
    心強い思いがしたのでした。

    どうかこれがエイプリルフールにはなりませんように!

    追記
    昨夜は満月で晴れた夜空を明るく照らしていましたが、
    ブルームーン(ひと月に2度の満月)とは知りませんでした。(こちら
    しかも、通常33ヶ月に一度のブルームーンが、
    今年は1月に続いて又起きたのです。
    こんな事が1年に二回もあるなど滅多にない事なのだとか・・・・・