Dendrodium 生長の家
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「やればできるは魔法の合いことば」済美高校のドラマティックなサヨナラ勝利 


【甲子園】済美が史上初の逆転サヨナラ満塁ホームラン!劇的な展開で校歌の「やればできるは魔法の合いことば」に再び注目
「やればできるは魔法の合いことば。腕をとり、肩を組み、信じてみようよ。素晴らしい明日が展(あ)けるから」

全国高校野球選手権大会1回戦でも注目を集めた済美(愛媛)の校歌だが、星稜(石川)との2回戦でその精神を体現するかのような大逆転勝利を飾り、再び校歌に感動の声が寄せられている。

最大6点差を追いつき、延長タイブレークでは逆転サヨナラ満塁ホームランが飛び出した。

最大6点差をひっくり返して延長戦へ

試合は初回から星稜打線が火を噴く。安打と四球で1アウト一、二塁として4番・南保良太郎選手の適時打で先制した。その後も星稜は3本の適時打が生まれ5-0とリードする。

苦しい立ち上がりになった済美は三回に中井雄也選手の適時打で1点を返すも五回に再び1点を失い、1-7の大きなビハインドで八回裏の攻撃を迎えた。

しかし、ここから済美は死球と連打で星稜を追い上げていく。3点返してなおも満塁のチャンスで武田大和選手が1点差に追い上げる2点適時打。そして政吉完哉選手が土壇場で試合をひっくり返す逆転スリーランを放つ。
昨日済美高校が6点差で負けているのを見て、これ以上見ても仕方ないかなと、お買い物に出かけた。
帰宅した時テレビをつけたら星陵・済美の得点数が9対9になっている。
狐につままれた様な気がしながら見ていると、
延長戦は0対0が続いていたが、
12回裏済美高校が2アウト満塁になって、ヒットが出たらさよならのチャンスになった。
最後のバッターが2ストライク3ボールとフルカウントになった時、
星陵のピッチャーが投げた球がストライクだったのでこの回は終った。

このときの星陵の選手達の喜び方は大変なもので、
ピッチャーの頭を抱いたり撫でたりしながら、その労をねぎらい褒め称えて大はしゃぎしていた。
その次、13回はタイブレーク制になって、
1・2塁に走者がいるから点が取りやすくなっている事もあり、
星陵が2点も取った。
0が続いた後、1点どころか2点も先取したのだから、
もう負けることはないだろうと思っても仕方ないだろうが、
星陵チームは喜びに湧き上がっていた。

その裏 済美もタイブレーク制で忽ち満塁にした後、
済美選手が打った玉が、ライトポールを直撃した。
一寸間を置いて、審判がホームランを告げた。

審判がぐるぐると腕を廻している中、済美の選手達がホームインして行くのを、
星陵の選手達は信じられないという様な面持ちで見つめていた。

済美高校の校歌が歌われた時、何とピッタリな校歌だろうと、
私は思わず笑ってしまった。

「やればできるは魔法の合いことば。腕をとり、肩を組み、信じてみようよ。素晴らしい明日が展(あ)けるから」
常時こんな言葉で集団自己暗示していたら、効果が出るのかもしれないと感心していたのだけれど、
この校歌に注目した人が多かったようで、夜のニュースでもこの校歌に触れていた。

何時も「良い自己暗示をかける様に」と教えておられた谷口雅春先生が、
生きておられて、このニュースを見ておられたら、
我が意を得たりと思われただろうなとも思ったのだった。

癌が治った話 

昨夜は一晩中雨だったようだけれど、朝方には降り止んでいました。
午後になってからは陽もさすようになっています。
このところ、私達滋賀県民にとっては優しいお天気続きです。
昨年末に近くのスーパーマーケットで貰ったポイントが1117だったので、
良い17年になるのかなと思っていると、
昨年末このブログに書いた記憶があるのですが、
私自身にとっては、比較的良い1年だったように思えます。

今年2月、夫の肝臓に豆粒ほどとの話ではあったのですが、
癌が2~3個見つかって、
担当の先生に、手術をしたほうが良いと言われた時、
言われるままにならなくて良かったと、
思える状況に今います。

昨年の秋口に手術したばかりの84歳の老人が、
1年も経過しないうちに又手術などしたら、
手術のストレスで又癌が発生するに決まっていると思ったので、
手術はやめたほうが良いと、娘と二人で夫を説得したのでした。

夫はお医者さんに癌が見つかったと言われ、
手術するべきかどうか迷っていた様なのですが、
遂に手術しない事に決めたのでした。

夫の決心を聞いた時、
次の診察日に行った時、断りを言いましょうと言う私に、
「断るんだったら、もう行く必要はない。」と、
至極当たり前の事ながら、夫に言われたのでした。
断りでも言いに行かねばならないと思い込んでいた私は、
夫の言葉に「そう言えばそうか」と、初めて気付いたのでした。
その時「私は時々、妙に堅苦しい考え方をする人間なのかも知れない」と、
自分の性向に改めて気付かされたのでしたが・・・・・

そんな訳で、夫は小さい癌があると言われた後、
抗癌剤も一切使わず、
(断りに行かなかったお陰で、抗癌剤も勧められずに済んだと言えるのかもしれません。)
晩酌も昨年手術をする以前と同じ量を毎晩嗜んでいました。
ゴールデンウイークには一泊旅行にも出かけたりと、
夫は昨年発病する前の状態に戻った、
普通通りの生活をしていたのでした。

実は私には精神的・肉体的に安静を保つことさえ出来れば、
何もしない方が、癌は自己免疫力で治るという思いがあったのです。

それには先日「夫の癌が治った?」という記事でも書きましたが、
昔私の父が友人の癌が消えてなくなるのに立ち会ったのを、
20歳代の頃、傍で見ていたからです。

その時父は生長の家誌にも報告したのですが、
自分でも薄い小冊子を書いていたのです。
当時は「癌が治った」などと言ったら、迷信扱いされるような時代でしたから、
折角作った小冊子も、余り贈呈する所もない侭に、
我が家にも数冊残されています。

題名は
   死の宣告を下された手遅れの
胃がんが治った事実の記録
というものです。

書き出しのところを少しだけ写します。

******

平田治郎君(62歳)は昨年(昭和43年)6月6日国立厚生年金病院外科で胃がんの開腹手術を受けたが、症状が余りにも悪化していた為に、癌腫の切除及び縫合手術が不可能と認められて、単に開腹したのみで、そのまま縫合し、6月27日抜糸ののち退院、自宅で精神療法兼信仰療法をした結果、約5ヶ月で全快、同年12月5日の三水会(三菱商事OBの会)忘年会には支那料理で日本酒三合位飲んだという程に快癒した。その後も引き続き益々好調で、寧ろ手術前より元気で若返ったように見える。

 さて、この療法を勧め、且つ往訪して助言を与えたのは小生であるから、この奇跡的な治癒に付いて一応説明しておく義務を感ずる。
(以下略)

*********
治られた経緯は前回の記事に大体書きましたので省略します。

平田さんに余命3ヶ月と死を宣告していた厚生年金病院から、
翌年の一月、奥様宛に、亡くなった時の状況を知りたいという葉書が来たそうです。
それで、平田治郎さんご本人が病院に行かれたら、担当の先生が驚いて、
「あんたは本当に平田治郎さんか?」と何度も繰り返し確かめておられたそうです。

平田治郎さんはその後7年間はお元気だったのですが、
7年たった頃又癌が出来、
父には何の連絡もないまま、又病院に頼られ、
其の儘病院で他界されたそうです。

父はあれ程の奇跡的治癒を経験しながら、
自分の免疫力を信じないで、医者を頼ろうとするなんて・・・・と、
悔しがっていましたが・・・・・

しかし、生まれて来た者で死なない者はありません。
私の父も、母が亡くなって5年後、82歳で他界しました。

人は何時かはこの世を去る運命にあるのですから、
治らないからと言って、それが不幸と決まったものではないのかも知れません。
それが何歳の時であろうとも、
それが天寿なのかも知れません。
平田さんにとっては、
死を宣告された手遅れの癌を、自身の生命力で全快させるという経験をする事こそが、
この人生の目的の一つだったのかもしれません。
癌が完全に治っていたという証明のために、治癒後7年間を生きて逝かれたのかも知れません。

只、この世に思い残す事が沢山ある時に、
苦しみぬいて生き、死ぬのは残念ですから、
この世に自身の天寿が残っている限りは、元気で生きられるよう、
自己免疫力を信じて、心静かに生きて行きたいと思います。


夫の癌が治った? 

昨日は報恩講でお寺参りをしていました。

浄土真宗の秋の行事で、これまでは何時も、夫が行っていたのですが、

今年は5~6日前から体に沢山の湿疹ができ、だるそうでしたので、

代わりに私がお参りしたのでした。

 

夫は昨年夏、大腸がんの摘出手術をした後、元気にしていたのですが、

手術後6ヶ月の定期検診の時、肝臓に小さな癌が見つかって、

手術を勧められていたのですが、

80過ぎた高齢で1年に2回も手術したら、
見つかった癌を摘出する事が出来たとしても、
又他のところに癌が出来るに違いないから、
手術は止めておこうと手術は受けなかったのでした。

 

話は変わりますが。
私の父が63の頃(昭和43年6月)、父の商業学校の同級生・平田治郎さんが胃癌にかかられ、開腹手術を受けられました。

ところが、お腹を開けたら癌はあちこちに転移していて、
手術不能の状態になっていたそうです。
それでお医者さんは何もできず、そのまま閉じられ、

余命3ヶ月という診断の上、帰宅させられたそうです。

 

父は三菱鉱業が石炭廃止で縮小~廃業になってから後、

55歳定年だった時代に53歳で希望退職させられ、
妹は未だ小学生でしたので、遊んでいるわけにいかず、
最初は三菱鉱業からの出向でしたが、その後色々と苦労していた様です。


そんな訳で平田さんにはお世話になっていましたし、
もし治すことが出来るなら、何とかしたいという意欲の塊のような人でしたから、

父は平田さんの家に日曜日毎に(5ヵ月ほど)通って、

生長の家の話をしていました。

 

平田さんの奥様は、お医者さんから見離されて、(ご本人はご存じなかったそうです)
父の話を命の綱と思われたのかもしれません。

いつも父の来訪を歓迎して下さったそうです。
(ご本人に胃潰瘍の手術だったと嘘を言っておられたそうです。)

或る時平田さんが「体中に湿疹が出来た、どうしよう」と父に聞かれたそうです。

父は「それは病院に行って塗り薬を出してもらったらいいだろう」と答えたら、

「君の考えでは如何なんだ」と平田さんが重ねて聞かれるので、

それなら、と父は自分の考えを言ったのだそうです。

 

「皮膚は表だけが皮膚ではなく、丁度蛸の頭をひっくり返したら、同じような皮が出るように、内臓の内側もやっぱり皮膚であると思う。

これは人体の自然療能力が働いて、内臓の表面に出来た吹き出物を、もっと治し易い体の表面にもってきて、今治しているのだろう」という様な話を父は平田さんにしたそうです。

 

平田さんの湿疹は一週間ほどで枯れてしまったそうです。

その前だったか後だったかは忘れたのですが、
平田さんは40.2度の高熱にも耐えて、(*註)
お医者さんの言われた余命3ヶ月を、はるかに超え生きておられただけではなく、
年末にはすっかりお元気になっておられました。

そんな平田さんの奥さん宛に、春に手術した病院から、ご愁傷様ですという書き出しで、
亡くなった時の様子を知らせて欲しいという葉書が来たそうです。

 

年が明けて平田治郎さん本人がその病院を訪ねたら、
お医者さんが驚かれて、

「あんたは本当に平田治郎さんか?」と何度も聞かれたそうです。

 

こんな話を見聞していましたので、
夫の体に沢山の湿疹が出た時、

2月に見つかった小さな癌が、これで治されて消えていくのだろうと思う事が出来ました。


夫の体に湿疹が出始めて約1週間の今日は、殆ど枯れかけています。

これで夫の体に出来ていたトラブルが、
自然治癒力で治されたのに違いないとほっとしているところです。

 

尚余談ですが、父が平田さんの癌が消えた事を谷口(雅春)先生に報告しましたら、

谷口先生は、次の生長の家誌にその事を載せてくださり、久しぶりに(父の)名前を聞いて、

「友遠方より来るの思いです。」と書いてくださったのでした。

 

これを見た父は大感激で、

「わしは谷口先生の『友』よ!」と何度も何度も繰り返して感激していましたが・・・・・

 

父にとって谷口先生は『人間・神の子・完全円満』という思想の先達であって、

それ以上でも以下でもない存在だったと思います。

生長の家が現在のように『日本会議』の母体のような存在になって、

安倍晋三という売国奴が跋扈する下支えになっていようとは、父は想像もしていなかった事でしょう。

 

次の選挙では絶対に、

安倍晋三が総理を続けられないようにしましょう。

安倍晋三を選挙区で落とすか、自民党を過半数われにすれば済む事ですし・・・・・


10月18日追記  一部修正しました。

*註  平田さんが全快された時の記録が見つかりました。

    高熱が出たのは手術不能で退院された直後(6月27日)からで、
    37度余りの微熱が8月初旬まで続き、
    その後最高40,2度の高熱が2週間ほど続いたのだそうです。

生長の家のやっていた政治運動と、日本会議の政治家たちとの意識の違い 

DEEPLY JAPAN[夢想ガラパゴスにも多少の光」に生長の家のことが書いてありましたので、
嘗て生長の家に多少関わった関係上、コメント欄に書かせていただこうかと思ったのですが、
長くなりそうなので、記事にしたてる事にしました。

私は谷口雅春先生が現役だった頃生長の家の青年会員として、
生長の家の主張をつぶさに見ていた者です。
そんな私から見ると、今憲法改正を主張している人達は、
谷口雅春先生の主張を踏襲している振りをしているけれど、
似て非なるものだと思います。

彼等はアメリカの利益の為に憲法改正を主張しているのだけれど、
これは谷口雅春氏の主張だったのだと、言いわけに使っているだけの様な気がしています。


谷口先生が政治運動をしておられた頃、
三島由紀夫が自衛隊に乗り込んで、「今やらなければ100年後の日本は・・・・・」と演説し、
最後は切腹する事件がありましたが、
谷口先生の憲法改正の主張も、今やらなければ・・・・・という事だったのだと思っています。

日本は70年余り、戦後体勢(米軍の占領下)を守り続けた為に、
官僚は日本人の為の官僚と言うより、
米軍のために働く官僚に成り下がってしまいました。

中曽根内閣での米軍に対する「思いやり予算」を出す事にしたのは、
米軍を撤収しようかと言う動きがアメリカにあったからだそうです。
長年米軍の利益を最優先してきた関係上、今更米軍に撤退されたら自分達の立場がないと、
官僚も自民党の政治家たちも、気が気でなくなったという事のようです。

日本の官僚でも長年米軍の意向に従って、
米軍の言いなりになる仕事を続けて来た官僚たちは、
日本にとっては損失にしかならない事を、数々させられる羽目になっていたと思います。
そんな官僚たちにとって、日本が本当の独立を果たす(米軍に引き上げられる)事は、
恐ろしい限りになってしまっていたのでしょう。

官僚や自民党の政治家達は、
日本が本当の独立をし、自分達がして来た事が明るみに出る様な事態になったら、
自分達は当然、国民によって断罪されるだろうとの恐怖心に慄いたのでしょう。
アメリカの下請け政治家と官僚の利害「日本の独立阻止」で一致し、
現在のような体たらくになったのだと私は思います。

平和憲法は人類にとって理想的ですが、
平和憲法を掲げている限り、
米軍の日本滞在は正当化されてしまうでしょう。
(米軍の駐留は占領の継続ではなく、日本を守っているのだという言い訳に使われる)

だから戦後まだそんなに経っていなかったあの頃、
しかし「最早戦後ではない」と言い出していたあの頃、
心ある人々は焦りだしたのだと思います。

今本当の独立を果さなかったら、
日本は永久的属国になってしまうとの危機感から、
国民の発奮を促すために、
国民の中に愛国心を醸成する為、極端な言動もしたのだと思います。

しかし、当時の日本は高度成長の真っ最中で、
国民は日々豊かになっている日常に満足し、
こんなに豊かな生活が出来るのは、アメリカのお陰であると思っている人が、大部分だったと思います。

それに加えて、浅間山荘事件など忌まわしい事件が起きて、
大学生が政治運動をする事を嫌うようになり、「ノンポリ」という言葉が流行る様になっていました。
日本社会は焼け野原を豊かな街に変える為に、経済活動に必死で取り組んで来たから、
世界から驚かれるほどの復興を成し遂げたのだと思います。
日本社会は戦後復興から、引き続き経済最優先で、豊かさの追求に移っている所でした。
そんな日本における、三島由紀夫の暴挙は、
何を時代錯誤な事をと言った反応でした。
そういう社会状況の中で、何とかしようと、ショック療法も考えたのでしょうが、
それは逆効果になっていたかと思います。

しかし、あの頃までに、日本を本当の独立に持って行けなかった事が、
現在のように、アメリカの為に働いているとしか思えないような官僚の行政府を定着させ、
企業利益を最優先させる(ファシズム)政治家のみを、のさばらせる事になってしまったのだと思います。

今になって私達は売国的な政治家に呆れ、
日本国民のために働く政治家を求めていますが、
政官財マスコミが一体になって、
国民を後回しにしても、自分達の利益を最優先する体制が出来上っていて、
国民の権利はどんどん縮小され続けていても、
国民は手も足も出せない状況になろうとしています。

そういう意味で、あの頃の生長の家の政治運動は、
総てが間違っていたわけではないのではないかと思うのです。

勿論、愛国心を煽る為に、行き過ぎた表現が大変多かったのは事実だと思います。
しかし、あの時に言っていた愛国心は、
今安倍さんたちが言っている愛国心とは違い、
本当の愛国心だったのだと私は思っています。

だから、時代が移り、谷口雅春氏が亡くなった後、
生長の家は政治運動から撤退したのだと思います。
2代目の生長の家総裁となった人は、初代の娘婿で、
温かみのある人だけれど、知性的な人でもありましたので、
日本はもう、そういう時期ではないと、判断され政治から手を引かれたのだと思います。

現在の生長の家総裁は、3代目(雅春氏の孫)ですが、
政治運動から手を切られたお父さんの意思を守り、
「日本会議」の方から、色々と嫌がらせをされておられるようですが、
脱原発や太陽光発電に熱心な、まともな感覚の方だとお見受けしています。

私は父が昭和50年代の始め頃には、生長の家の地方講師(本職を別の持つボランティア講師)を辞め、
私も生長の家との関わりがなくなっていたので、
最近ネットで調べるまで、詳しい事情を知りませんでしたが、
生長の家は日本会議の政治運動を、はっきりと拒否している様です。

尚、DEEPLY JAPANの記事で、
本当の「神洲日本国」は敗れたのではない”と七つの灯台の点灯者の神示などで主張した。というウィキペディアの記載を紹介しておられますが、
「七つの燈台の点灯者の神示」というのは、谷口先生が作られた偈で、
生長の家でも最もありがたがられているもので、
別名「大調和の神示」とも呼ばれています。(続きに全文を複写)

その中に書かれているのは、皆さん天地一切のものと和解しなさい、感謝しなさい、そうしたら天地一切の者は貴方の味方になるから、天地の何者も貴方を害する事は出来ません。と言う趣旨の事です。
安倍さんのように中国を大嫌いと言うような、敵を作る考えとは真反対の考えだと思います。

又、戦争が魂を高めるというのも、
それを書かれたのは敗戦で、国民の中に国を恨む気持ちの満ちていた時期です。
これから戦争をしようなどとは誰も思わない時期です。

そういう時期を考慮して読むならば、
戦争で苦労したのも、貴方にとって悪い事ばかりではないのですよ。
その苦労によって、貴方の魂はうんと成長した筈です。
と言って、恨む心を少しでも薄めようとの意図で言われたことなのだと思います。

それを70年平和が続いた国で言ったら、
まるで戦争せねばならないという意味になってしまいます。
生長の家は「大調和の神事」を第一番に持ってくるくらいに、
調和と相互の感謝を大事にする団体だった筈ですから、
谷口先生が、誌友(生長の家では信者とは言わず、生長の家誌の読者という事で誌友と言っていました)の恨み心を、少しでも宥めようと、言われた言葉であるとしか私には思えません。

戦争が魂を高めるから戦争をするべき、と言うなんて稲田朋美という人は、
早稲田大学を出た才媛だそうですが、
右翼思想で出世するチャンスを持った事が裏目に出て、
欲呆け状態なのかも知れません。
戦争が魂を高めるから戦争をするべき、と言うなんて、
有り得ない論法だという事位分かりそうなものですのに・・・・・

松下電器の松下幸之助さんが、私費を投じて創られた政治塾で学んだ人々が、
ファシズムの信奉者だらけだったり、
谷口雅春氏の思想を受け継ぐと言う人達がやっている事が、
究極の売国である事を考えると、
国民を鼓舞するような思想を壊滅し、
生前尊敬された故人の意思と称して、
故人の志と真反対の思想を植え込む為に、いかがわしい力が働きかけたから、
似て非なる物を作り出されたのではないかとの疑いを禁じ得ません。

尚、私の父が「生長の家」に触れた頃は、生長の家誌を出すだけのものだったそうで、
谷口先生は「生長の家誌が神殿である」と言っておられたのだそうです。
生長の家に書かれたことは、主にアメリカのクリスチャンサイエンスに書かれたものの翻訳で、
その本を読んだ人に、病気が治った人が続出したので、急速に広がって行ったのだそうです。

ですから谷口雅春氏がゴリゴリの国粋主義者であると言うのは、誤解なのではないかと思います。
戦後のあの時期に、国粋的なことを書き立てられただけで、
国民の意識を日本の独立に向け、国民の発奮を促すのが目的だったのではないかと思います。
それは三島由紀夫の場合も同様だと思いますが・・・・・

という訳で、今憲法改正を言い立てている人達は、
谷口雅春氏の意思を継ぐものでもないし、
三島由紀夫氏の後を継ぐものでもないと思います。

そして、彼等が危惧し何とかしようとした「こと」は、
あの頃までには是非せねばならない事だったのではないかと私は思っています。
それをしなかったのが、現在の日本の体たらくに続いているという意味に於いて・・・・・




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ものには限度がある、放射能もその他の毒物も。 

昨日9月9日重陽節の佳き日に、私の夫は無事退院しました。
8月29日に手術(大腸がん)して、11日目の退院です。
綿密に検査して下さって、大腸癌だけで何所にも転移してない事が確かめられました。

大腸癌だったから、腸閉塞という事態を齎し、それで早期に発見できたとも言えますが、
大腸のポリープだったから癌化してしまったのではないか、と私は感じています。
夫は若い頃から胃の中に瘤のような物があり、集団検診のたびに引っかかっていたけれど、
精密に調べたら癌でないと言われて来た人で、
とても癌に対する免疫力が強い人なのです。

大腸以外の臓器は癌化する前に免疫力で、
癌になるのを防いでいたのではないかと思います。
しかし、本来排出するべき物(放射能や他の色々な毒物)が便秘で一箇所に留まらされた為、
受ける放射能や毒物の総量が異常に高くなって、
夫の免疫力を以ってしても、癌化を防ぎ得なくなったのだろうと思います。

放射能にしても他の毒物にしても、ある程度の量までだったら、
人の免疫力で無毒化する事が出来るのだろうと思います。
しかし、「ものには限度がある」という事なのではないでしょうか?

だから、公害は放って置いてはいけないのです。
自然界にある位の量の異物だったら、
人は免疫力で何とか出来る力を持って生まれているけれど、
鉱工業等で異常に大量に出た異(毒)物は、
人の免疫力ではかなわなくなる場合が起きるのだと思います。
安倍政権お気に入りの国民会議推奨の生長の家で
「人間神の子完全円満」と言って、
人には生まれながらに自然治癒力(免疫力・復元力等)があるから、
病気を極端に怖がる事はないとは言っていても、
自然界にない異常な状態に置かれた時にまで、通用する話ではないと思います。

だから生長の家の現教主さんは、
原発に反対して自然エネルギー開発に熱心に取り組んでおられるのだと思います。

政府は「食べて応援」等と言って、
福島県産の食品を日本中で、分け合って食べるように要請している様ですが、
トンでもない政策だと思います。
福島県の人たちを、汚染された土地に縛り付けて農業させたりせずに、
福島県の農家には、全国に散らばっている耕作放棄地を振り当て、
新しい村を作ってあげる努力をこそ、すべきなのではないでしょうか?

放射能汚染された土地に縛り付けておいて、
福島県の農家を助ける為に、福島県産の食べ物を食べなさいと、
全国の商店に福島県産の食品を売る様強制するのでは、
日本人全員を放射能被爆させ様としていることになります。

安倍総理は日本人を守るためにと、
武器購入に熱心なようですが、
今の日本人に必要なのは武器等ではなく、
原発事故被災地周辺の住民を、
少しでも早く放射能汚染地から、汚染していない土地に、移転させてあげる事だと思います。
今のままだったら福島県の人々は被害者なのに、
加害者の役目まで負わされる事になってしまいます。

体内に取り込んだ放射能が、或一定基準以内だったら発病しないのは確かなのです。
だから、体内の放射能汚染値をこれ以上あげない為に、
放射性物質の含まれる食べ物は、出来るだけ食べないで済むように、
政府は出来るだけ放射能汚染地域での農業は、しないで済む対策をせねば嘘だと思います。

福島県に住んでいた人々を、
除染で基準値を(ギリギリ)クリアしているから帰郷しなさいと強制して、
福島県産のものを食べ続けさせるという事は、
体内に放射能を取り続けさせられる事で、
緩慢なる自殺の強要であるとさえ言えると思います。

私の家は福島県から可也はなれているから、
発病が便秘気味の夫だけで済んだのだと思いますが、
もっと濃い放射能に曝された地域の人々が、
これ迄大丈夫だったから、これからも大丈夫だろうと思って、
福島県や周辺の放射能基準値ギリギリの食料品ばかり食べていたら、
何時か限度オーバーし、発病しかねないと思います。

福島県人を守るために福島県農業を補助する等、どうかと思います。
原発を稼動させ続ける為に政府は、
原発事故など何でもないというパホーマンスをしたいのでしょうけれど、
それでは余りに無責任だと思います。
国民の大部分がまだ発病していない今のうちに政府は反省して、
国民の健康の為に、抜本的な対策を講じて欲しいものです。

「生長の家は与党とその候補者を支持しない」」by谷口雅宣 

生長の家の現責任者として谷口雅宣氏が『日本会議の研究』について (2)に、
下に一部引用したような事を書いておられる。
 
日本会議は時代錯誤的で間違った政治団体となっていると、
生長の家の責任者が明確に声明しておられる。
谷口雅宣氏の考え方は常識的に見ても、至極真っ当なものであると私は感じる。
まだ日本会議に騙されている人があるとしたら、
一日も早く覚醒してほしい。
尚、一部引用の文章の下に引用したのは、
生長の家が発表した「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」である。 

   (一部引用)
現在の安倍氏は、日本国最大の権力者として、国会における単独過半数の議席の勢いを得て、あってはならない憲法の“解釈改憲”を実際に行い、政治の監視役であるジャーナリズムに圧力を加え、日本の将来を担う青少年の価値観を左右する教科書の選定に介入してきた。このような言動の原因が、冷戦時代に生長の家が掲げた政治思想に頑なにしがみつく元幹部の“功績”にあるとしたならば、私は現在の生長の家の責任者として、「その道は、宗教的にも政治的にも間違っている」と声を大にして訴える責任を感じるのである

今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針

「与党とその候補者を支持しない」

http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.html

来る7月の参議院選挙を目前に控え、当教団は、安倍晋三首相の政治姿勢に対して明確な「反対」の意思を表明するために、「与党とその候補者を支持しない」ことを6月8日、本部の方針として決定し、全国の会員・信徒に周知することにしました。その理由は、安倍政権は民主政治の根幹をなす立憲主義を軽視し、福島第一原発事故の惨禍を省みずに原発再稼働を強行し、海外に向かっては緊張を高め、原発の技術輸出に注力するなど、私たちの信仰や信念と相容れない政策や政治運営を行ってきたからです。

戦後の一時期、東西冷戦下で国内が政治的に左右に分裂して社会的混乱に陥っている時、当教団の創始者、谷口雅春先生は、その混乱の根源には日本国憲法があると考えられ、大日本帝国憲法の復元改正を繰り返し主張されました。そして、その実現のために、当教団は生長の家政治連合(生政連)を結成(1964年)して、全組織をあげて選挙活動に取り組んだ時代がありました。しかし、やがて純粋な信仰にもとづく宗教運動が政治運動に従属する弊害が現れ、選挙制度の変更(比例代表制の導入)によって、政党と支持団体との力関係が逆転したことを契機に、1983年に生政連の活動を停止しました。それ以降、当教団は組織としては政治から離れ、宗教本来の信仰の純粋性を護るために、教勢の拡大に力を注いできました。

この間、私たちは、第二代総裁の谷口清超先生や谷口雅宣現総裁の指導にもとづき、時間をかけて教団の運動のあり方や歴史認識を見直し、間違いは正すとともに、時代の変化や要請に応えながら運動の形態と方法を変えてきました。特に、世界平和の実現など社会を改革する方法については、明治憲法の復元は言うに及ばず、現憲法の改正などを含め、教団が政治的力を持つことで“上から行う”のではなく、国民一人一人が“神の子”としての自覚をもち、それを実生活の中で表現し、良心にしたがって生きること。政治的には、自己利益の追求ではなく、良心(神の御心)の命ずることを、「意見表明」や「投票」などの民主的ルールにしたがって“下から行う”ことを推進してきました。

私たちは、社会の変革は、信徒一人一人が正しい行動を“下から”積み上げていくことで実現可能と考え、実践しています。その代表的なものは、地球環境問題への真剣な取り組みです。人間の環境破壊は、今日、深刻な気候変動を引き起こし、自然災害の頻発や、食糧や資源の枯渇、それにともなう国家間の奪い合いや国際紛争の原因となっています。この問題は、資源・エネルギーの消費を増やす経済発展によっては解決せず、各個人の信念とライフスタイルの変革が必要です。私たちはそれを実行することで、世界平和に貢献する道を選びました。

具体的には、私たちは宗教団体として初の環境マネージメントシステムISO14001の認証取得(2001年)をして、それを全国66の拠点に及ぼしました。また、莫大なエネルギーを消費する大都会・東京を離れ、国際本部の事務所を山梨県北杜市に移転し、そこに日本初のゼロ・エネルギー・ビル“森の中のオフィス”を建設して(2013年)、地球温暖化の最大の原因である二酸化炭素を排出しない業務と生活を実現しています。最近では、この生活法を全国に拡大する一助として、信徒からの募金により京都府城陽市にメガソーラー発電所(1700kW)を、福島県西白河郡西郷村に大規模ソーラー発電所(770kW)を建設し、稼働させています。これらの運動は、創始者・谷口雅春先生が立教当初から唱導してきた「天地の万物に感謝せよ」(大調和の神示)という教えの現代的展開であり、人類だけの幸福を追求してきた現代生活への反省にもとづくものです。

ところが安倍政権は、旧態依然たる経済発展至上主義を掲げるだけでなく、一内閣による憲法解釈の変更で「集団的自衛権」を行使できるとする”解釈改憲〟を強行し、国会での優勢を利用して11本の安全保障関連法案を一気に可決しました。これは、同政権の古い歴史認識に鑑みて、中国や韓国などの周辺諸国との軋轢を増し、平和共存の道から遠ざかる可能性を生んでいます。また、同政権は、民主政治が機能不全に陥った時代の日本社会を美化するような主張を行い、真実の報道によって政治をチェックすべき報道機関に対しては、政権に有利な方向に圧力を加える一方で、教科書の選定に深く介入するなど、国民の世論形成や青少年の思想形成にじわじわと影響力を及ぼしつつあります。

最近、安倍政権を陰で支える右翼組織の実態を追求する『日本会議の研究』(菅野完、扶桑社刊)という書籍が出版され、大きな反響を呼んでいます。同書によると、安倍政権の背後には「日本会議」という元生長の家信者たちが深く関与する政治組織があり、現在の閣僚の8割が日本会議国会議員懇談会に所属しているといいます。これが真実であれば、創価学会を母体とする公明党以上に、同会議は安倍首相の政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があります。事実、同会議の主張と目的は、憲法改正をはじめとする安倍政権の右傾路線とほとんど変わらないことが、同書では浮き彫りにされています。当教団では、元生長の家信者たちが、冷戦後の現代でも、冷戦時代に創始者によって説かれ、すでに歴史的役割を終わった主張に固執して、同書にあるような隠密的活動をおこなっていることに対し、誠に慚愧に耐えない思いを抱くものです。先に述べたとおり、日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的です。彼らの主張は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を頑強に認めず、古い政治論を金科玉条とした狭隘なイデオロギーに陥っています。宗教的な観点から言えば“原理主義”と呼ぶべきものです。私たちは、この“原理主義”が世界の宗教の中でテロや戦争を引き起こしてきたという事実を重く捉え、彼らの主張が現政権に強い影響を与えているとの同書の訴えを知り、遺憾の想いと強い危惧を感じるものです。

当教団は、生政連の活動停止以来、選挙を組織的に行うなどの政治活動を一切行ってきませんでした。しかし、政治に触れる問題に関して何も主張してこなかったのではなく、谷口雅宣現総裁は、ブログや月刊誌を通して“脱原発”や“自然エネルギー立国”を訴え、また日米の外交政策を分析して、それに異を唱えたり、注文をつけたりしてきました。また、昨年は憲法を軽視する安保法案に反対する立場を明確に表明されました。

私たちは今回、わが国の総理大臣が、本教団の元信者の誤った政治理念と時代認識に強く影響されていることを知り、彼らを説得できなかった責任を感じるとともに、日本を再び間違った道へ進ませないために、安倍政権の政治姿勢に対して明確に「反対」の意思を表明します。この目的のため、本教団は今夏の参院選においては「与党とその候補者を支持しない」との決定を行い、ここに会員・信徒への指針として周知を訴えるものです。合掌。

2016年6月9日

宗教法人「生長の家」

究極の買弁集団 それが日本会議 



日本の政界に隠然たる力を発揮していると噂される日本会議についての本が、

今色々と出されているそうであるが、

日本会議は理論武装されていると言う。(私はそれがどんな理論なのかは知らないが・・・・・)



例え日本会議がどんなに完璧な理論で、理論武装されているとしても、

それで日本会議のやっていることが正しいとは限らないのは、

共産主義理論がどんなに立派な理論であっても、

それを運用する者が同胞に対し誠実でなかったら、

国民が恩恵を受けるとは限らないのと同じ事である。



日本会議のメンバーと称する安倍総理がやっていることを見たら、

日本会議が理想より権力(金権を含む)を追う団体であるという事は一目瞭然である。



安倍政権は日本が、東日本大震災の復興も道半ばであり、

東電福島第1原発の過酷事故の後始末が終わるかの目処も立っていない悲惨な状態にあるのに、

オリンピック委員に対し賄賂を使ったり、

福島原発の事故はアンダーコントロールであると嘘を言って、オリンピックを招致し、

世界的に日本の信用を著しく損なっている。



又、東日本大震災の復興事業で人手が足りない状態の日本にオリンピックを誘致した為、

オリンピック関連の建設工事が加わる事によって、

東北地方の復興事業に全力を投入できなくして、

復興事業を最速で行うことが出来なくしただけでなく、

人件費を吊り上げる結果を招き復興工事を更に困難なものにして行った。



これだけでも大変な被災地への裏切り行政であるのに、

安倍政権は濃厚な放射能に汚染された、

本来帰還不能地域とするべき福島第1原発周辺地域を、除染する政策を決めた。

除染ごみの格納場所も決まらないのに(将来的にも決まる見込みがないのに)

莫大な税金を使って除染作業を進めて、放射能汚染した大量のゴミ袋を積み上げる事になった。

除染事業は被災者の人権を無視した、
ゼネコンを潤す為だけの事業と言っても過言ではないだろう。



数年の内には地域に流れ出す恐れのあるビニール袋詰めの除染ゴミの山々は、

莫大な量となり地域の復興を更に妨げている。

除染ごみの山をどうする事も出来なくなった安倍政権は、

事もあろうに、8000ベクレル/kg以内だったら、再利用しても良いと決めてしまった。(こちら

東電の原発事故以前には100ベクレル/kg以上でも、
厳重に隔離せねばならなかった位なのに、
8000ベクレル
/kg以内だったら、公共工事に使っても良いだなんて・・・・・



環境省は全国の地方自治体に8000ベクレル/kg以内の除染ゴミを、

公共工事の材料として使えと指導し、

受け入れた自治体には、地方交付金を増やしてやると誘惑しているそうである。

こうして政府は原発事故が齎した濃厚な放射能汚染ゴミを、

全国にばら撒こうと計画しているのである。



TPPとか集団的自衛権容認とかの、

日本の国是民主主義と平和主義を壊す取り組みについて、

日本会議が反対ではないと主張するのを、

百歩譲って例え理解したとしても、

国家主義者を自称する日本会議のメンバーが、

以上の様な安倍総理の政策を阻止しようと思わないとしたら、

日本会議のメンバーは全員嘘つきであると、断言しても間違いではないだろう。



本当に日本会議のメンバーが、噂されているような、ごりごりの国家主義者であるなら、

国家の土台である国土を、濃厚な放射能で無闇に汚染させて行く安倍政権の政策に、

異を唱えないなど有り得ない。



その上、安倍政権は現在も余震が続いている熊本地震と、

正に同じ活断層上にある川内原発を稼動させ続け、

周辺住民の不安を無視して、未だに停止させようともしていないのである。



もし万が一、熊本の群発地震が川内にまで及んだら、

再び原発の過酷事故が起きないとも限らないのに、

安倍政権は何の根拠も示さないまま、

規制委員会が大丈夫と言っているからという姿勢を変えないで、川内原発を稼動させ続けているのである。

(原子力規制委員会委員長は、これで事故が起きないと言っているのではない。審査基準をクリアしたと言っているだけだと、何度も言っているのに・・・・・)



政府は人も住まない南海の離れ島・尖閣諸島を守る為と称し、

莫大な税金を投入している。

例え小さな離れ小島でも、国家にとってかけがえのない領土を守るのは、

国の責務であると、常々言っている安倍政権が、

放射能汚染で広大な地域に亘る大切な国土を、

事実上失う危険性がある事に対して、

如何してこんなにも、平然としていられるのだろう?



そして日本会議の面々は如何してこんな安倍政権を、

非難もせず、応援し続けているのだろう?

日本会議がどんな愛国的理論武装をしていたとしても

(それが本当に愛国的理論武装なのであるかどうかは兎も角として)、

国土破壊を強行している政権を擁護しているのでは、

日本会議が愛国心によって、結成されている団体とは言い難い。

愛国心と言うより、

利権政治に群がってお零れに預かろうと企む、

有象無象の集まりと言った方がより正解に近いだろう。



日本会議派の愛国心風理論武装は、世を欺く為のマヤカシ。

日本会議は天皇陛下を裏切り、日本国民を裏切り、思想の元と称している生長の家を裏切る

究極の強欲買弁集団と言って間違いないと私は思っている。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


カミングアウト 

日本会議の重鎮として鎮座する者に椛島有三なるものがあり、長崎大学出身者だそうである。
その者は若き頃「生長の家」の谷口雅春の思想にかぶれし者であると聞く。
椛島なるものは生長の家の神国日本という思想にかぶれたのかも知れないが、
生長の家ではそれより、「中心帰一」というのを強調していたのをご存じないのだろうか?
家に於いては「父」に帰一し、
国に於いては「天皇」に帰一することが善であるという思想である。

今椛島は長年の夢である生長の家の思想を、実現するときが来たと意気込んでいるようであるが、
天皇陛下のご意思と真反対のことをしようとしながら、
椛島は生長の家の思想を実現しているのだと思っているのだろうか?

谷口雅春が憲法改正を叫んでいたのは、今から思えば戦後間もない頃のことであった。
あの頃であれば、日本人の気概にこだわる人が大勢居た頃だから、
占領憲法を破棄して、自主憲法を創るということにも、幾分かの意味はあったかもしれない。
しかし、戦後70年ずっとアメリカの占領に甘んじて来た日本人には、
自主憲法を創る気概などありはしない。

自主憲法を創るためには、占領軍から解放されてからでなくてはありえない。
米軍に首都の近くに基地を置かれ、
首都東京の制空権を押さえられたままで、
日本の主権などある筈がない。
占領されたままの国で、憲法を作り直したからと言って、
そんなものは自主憲法でも何でもありはしない。
まして、米軍の求めに応じて憲法を壊し、解釈壊憲などと言っている者が、
愛国心を持った国粋主義者でなどある筈がない。

私の生長の家との縁は、父の齎したもの以外には何もない。
私の父は昭和の始め頃、現在はエネルギー革命で今はなくなっている三菱鉱業に入社し、
門司支社で働いていた。
入社して数年後、まだ独身だった頃父は、当時はやりの肺結核に罹ってしまった。
父の生家は明治以降極貧で、ぎりぎりの生活の中から、父は商業学校に行かせて貰い、
幸い成績優秀で三菱鉱業に奉職できたのだった。
当時田舎の父の両親は、息子からの送金で暮らしを立てていた。
もし父が肺病で会社を辞めて、療養せねばならないことになると、
父だけでなく田舎の両親も皆、生きていけなくなってしまう、絶体絶命のピンチになっていた。

会社の同僚たちは、父が肺病らしいと陰で噂し、怖がっている風に見えたと言う。
絶体絶命の思いで、父は支社長に相談に行ったと言う。
父の話を聞いた支社長は、
「肺病なんて働きながら治せと言われているんだよ。」と一冊の本を貸してくださり、
内の女房だって昔は肺病病みで、骨と皮のようになっていたけれど、今はぶくぶく肥っているだろうと、
奥様の話までして、会社は辞めなくて良いと太鼓判を押してくださったそうである。

父はそれしか生きる道がなかったから、
支社長の言葉にすがる思いで、会社で働き続けたそうである。
そして支社長の言葉の通り,気が付いたら、さしもの肺病も消えてなくなったように、治癒したのだそうである。
父は事あるごとに「嶋村さん(支社長の名前)は命の恩人じゃ」と、言っていたが・・・・・

後年の事になるが、嶋村さんはフィリッピンの支社長をしておられたとき終戦になり、
捕虜にならないために、皆で山野を逃避中、
足が靴ずれでそれ以上一歩も歩けなくなられ、
同行していた部下たちに、自分を置いて逃げてくれと頼まれたけれど、
嶋村さんを置いて逃げるわけには行きませんと、
誰一人その場を離れようとしないので、
自分が生きていたら皆に迷惑をかけることになると、
嶋村さんは部下たちの気づかない隙に、ピストルで自殺してしまわれたそうである。
最後までご立派な方であった。

肺病が完治した後で、父は生長の家と出会ったのだそうである。
だから生長の家で病気を治してもらったわけではないけれど、
当時(戦前)の社会では、健康保険等なかったから、
一家の柱になる者(稼ぎ手)が病気になどなったら、即一家全滅になっていたそうである。

「だから、生長の家の病気本来無しの思想に共鳴し、その普及に力を尽くそうと思ったのだ。」と父は言っていた。
「今は健康保険があるから、別に話をしてあげる必要も無くなった・・・・」とも言っていた。

病気本来無しとは、病気とは人間本来のものではなく、一過性のものだから、
人が病に捉われて、悲観してしまったり、色々と世に蔓延る迷い(思い違い)に惑わされたりしないで、
自分自身の回復力・免疫力を信じて、
心静かに病と向き合うことが出来さえしたら、
医者にかかれずとも(信じて待てば)、必ずその内治るものである、という様な趣旨であると私は理解している。
人は理屈だけでは信じることの出来にくいものだから、
神仏の名を借りて、人間は神仏の子だから、神仏と同じように、
無限の知恵・無限の愛・無限の命を持っているものであると教えているが・・・・・

戦後間もない昭和23年ごろ長崎県の炭鉱の島・崎戸に父が転勤になり、
私たち家族も1年間崎戸に住んでいたことがある。

父は仕事が終わった後の夜、人を集めて、生長の家の教えを話す講演会をしたり、
頼まれて病気の人を見舞って話をしてあげたりしたら、
父の話を聞いて病気が治る人が続出したそうである。
軽い病から重い病まで、驚くほど次々と、病気が治る人が続出したそうである。

崎戸は炭坑夫が大部分の島だから、
島の人にとって本社の職員というのは、いわば神様みたいな存在だったそうである。
「だから島の人は、わしの話を直ぐに信じてくれた、
だから、崎戸ではあんなに次々と病気が治ったのだ」、
と後に父が私に話してくれたことがあったが・・・・・

父が崎戸から広島に転勤した後、
崎戸からの便りで、生まれつき目の見えない人で、
盲学校に行っていた女性が、視力を回復し、
針に糸が通るほどにまでなったとの報告があり、
点字で書いたお礼状が添えられていたそうである。

崎戸にいる頃私はまだ4~5歳の幼児で、
当時の事は余り覚えていないのだけれど、
数少ない記憶の中に、沢山の大きな蠢いている伊勢えび見た記憶がある。
その伊勢えびは、父の話を聞いて長年患っていた病気が快癒したと、
地元の漁師さんが、お礼に大きな伊勢えびを10匹ちかく持ってきてくださった事があったのだそうである。

崎戸では父が去った後も、
生長の家の信仰が「燎原の火」の如く普及して行ったそうである。
おそらく長崎県に「生長の家」の信仰を広めるきっかけを作ったのは、私の父だったのではないかと思う。

日本会議という右翼の集まりの代表的な人物に、元生長の家の信者だった者がいると聞いた。
日本会議の重鎮・長崎大学出身の椛島氏が、生長の家の政治思想にのめりこむようになったのは、
長崎に生長の家を普及する切掛けを作った私の父にも、遠因があるのかも知れないと、気になっている。

生長の家の思想普及に寄与したのが遠因で、現在の日本会議の様な売国奴が育まれるきっかけを作ったとを知ったら、
父は不本意に思うだろうなと思う。

谷口雅春氏にしても、占領軍の帰還運動もせず、
占領軍に好都合な憲法解釈をするような売国奴達が、
愛国右翼を名乗って、
あまつさえご自分の名前を騙っているのを見られたら、
きっとがっかりしておられる事だろう。

安保条約の破棄や、地位協定の見直しなどに一切努力せず、
ひたすら占領軍の求めるのと同じような憲法改正ばかり求めている者たちは、
愛国心を騙る”騙り”に過ぎない。
長年自主憲法制定運動を続けていたら、
武器を作って売りたい業者とか、
日本人をアメリカの戦争に借り出したい米軍とかから、
運動推進者達に、色々な財政的援助があったのだろう。
そうでなかったら彼等が、今の安倍壊国政策に応援などしている筈が無い。

因みに鳩山一郎氏の奥様薫子夫人が、毎月音羽御殿と呼ばれた鳩山邸で、
生長の家の誌友会を開いておられたことは有名である。
そのご縁で鳩山由紀夫氏も、以前日本会議に参加しておられたのだろうけれど、
今はそれと真反対の動きをしておられる。

鳩山由紀夫氏のなさっている事は、
本当に国を愛している人だったら、そうするだろうと思うようなことだと私には思われる。
日本の事を本当に心配しているものなら、今の安倍政権・日本会議になどに賛同出来る筈がないだろう。

私は若い頃父に付いて生長の家の話を、聞きに行ったりしていたけれど、
父が晩年生長の家から離れていたので、
私も離れて久しい。
父はキリスト教の教会に3年間、雨の日も風の日も一回も欠かさず木曜勉強会に通って、
牧師さんを驚かせたことがあったそうだが、
キリスト教に改宗する気はなかったと言っていた。
祖先の信仰した宗教を大事にするというのが、
父にとっての絶対に曲げられない大事な事だったそうである。(そして宗教を職業としないという事も)

生長の家の教えも、人間の実体等についての検証においては、
多分間違っていないとは思うのだけれど、
現在生長の家の教えを騙ってやっている政治運動は、絶対に間違っていると思う。

「生長の家」教団も現在は政治からすっぱりと足を洗っているそうであるし・・・・・