Dendrodium 戦争責任

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騙される事の責任by伊丹万作 

竹林の方丈庵「だまされることの責任」で、
映画監督の伊丹万作さんが1946年に映画春秋創刊号に寄稿された「戦争責任者の問題」での、『だまされることの責任』という記事を紹介しておられました。
素晴らしい記事だと思いましたので複写させていただきます。

 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏《ほきよう》につとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜《ぼうとく》、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱《せいじやく》な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)



騙されたと言って、総ての責任を他者に押し付ける事が如何に恥ずべき行為であるかは、
日本に昔からある「不明を愧ず」という言葉を思い出したら明白ですね。
「騙された」などの言葉は日本人としての誇りのある者だったら、言い逃れに使える言葉ではなかったのでしたね。

この記事の中の下記の言葉も印象に残りました。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

これは将に、現在の日本の状況を予言されたかのごときご意見だと思いました。

戦時中には国民同士が自発的にお互いを見張って、一寸でも政府の要請に違背すると「非国民」とこっぴどく攻め立てて、
大部分の国民が全面的に戦争協力をしていたと言うのは、しばしば聞いた話ですから、この記事に書かれている事は本当の話だろうと思います。

この記事の伊丹万作さんのご意見には大賛成ですが、
こんなに自分自身に対して、何時如何なる時にもシビアになれる人は、日本国民の中のほんの一部分の人に過ぎないのではないかという気もします。

日本国民だけでなく、どんな国に於いても団体に於いても、
人としての資質に上中下の層があり、上と下がそれぞれ全体数の20%位で、
中が残りの60%位になるという話を聞いた事があります。

とすると、伊丹万作さんのように芯から反省し、以後同じ過ちを犯さないように気をつける事の出来る人は、
多くても全体のほんの20%くらいに過ぎないと思えます。

そうすると、人間社会はこんな事を繰り返すしかない社会として、始めから設定されているのかもしれないな~と思ったのでした。

どんなに反省心のない人であっても、あんな酷い目にあった直後だったら、
もう懲り懲りと思って同じ事で騙される事はないでしょうが、
別の遣り方をされたら、やっぱり騙されるのかも知れませんし、
戦争で酷い目にあった世代の人が死に絶えたら、又元の木阿弥になって、
簡単に騙される者だらけになるのかも知れませんし・・・・・

こうやって人間社会は何千年たっても進歩せず、同じ過ちを繰り返す事になるのかも知れません。
これが地球に生まれる魂の経験したい人生だから、
創造主は地球世界に、こういう設定をしているのかも知れません。

総てが絶望的になり、人類滅亡かと行き詰まりが頂点に達した時、
人類の上位20%の中の人々が燃え出して、
様々な奇跡的・英雄的な行為で危機を解決して行くというのが、
この地球に生まれ出る魂の求めている世界なのかも知れません。

何度かこの地球を経験して行くうちに、下の者は中となり中の者は上となり、上の者は今度は別の星で別のプロジェクトを生きる・・・・・
なんて寝言を語っても仕方ないですが・・・・・

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ポツダム宣言を読んでいないと言って逃げた安倍総理 

党首討論で安倍総理は共産党の志位委員長の質問に対し、
「ポツダム宣言に付いては詳らかにしません。」と答えたそうである。
天木直人のブログ「ポツダム宣言を読んでいない事を認めた安倍首相の致命的答弁」の記事の一部引用させて頂く。

ポツダム宣言の受諾は日本が戦後国際社会に復帰した際の大前提である。

 そこには、ナチス・ドイツ軍と並んで日本軍が並記され、連合国側は日本に対し、世界征服に乗り出す過ちを犯した無責任な軍国主義を世界から駆逐する事を受け入れる事を無条件で求めている。

 そして日本はそのポツダム宣言を無条件で受け入れたのだ。


ポツダム宣言を読んでないと言って、スルーしようとする総理の答弁を聞いて、
アメリカはどんな反応を見せるのだろう?
日米関係に於けるアメリカの立場は
「日本がポツダム宣言を受諾したから、攻撃を中止した」と言うものだろうと思う。

だから日本があの戦争での敗戦を認め、ポツダム宣言を受諾した以上、
戦後の日本の総理大臣は、どんな時であっても、
連合国との約束は忘れていませんと言わねば、
戦勝国側は黙ってはいないという立場であると思う。

日本がどうしてもこの立場を覆したいと思うなら、
もう一度かつての戦勝国と戦って勝利するか、
どうしても勝てなかった時、それでも敗戦を認めたくない者は、
全員戦死するしか道はないということだろう。

現在アメリカに必要以上に阿っている安倍総理に、そんな覚悟があるとは見えないが・・・・・

アメリカ政府が志位委員長への安倍総理の答弁を聞いて、
日本がそういう積りなのだったら、米軍は日本の反乱を抑えねばならない、
とアメリカに言い出されたりしたら、安倍総理はどうするつもりなのだろう?

沖縄の反対を無視して、辺野古の海を埋め立てて迄、
米軍に飛行場を提供しようとしている安倍総理は、
言っている事やっている事が支離滅裂である。

続きを読むに、そりゃおかしいぜで紹介されていた澤藤統一郎氏の記事の全文をコピーしておきます。

*********

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日中首脳会談こぼれ話 

日中首脳会談 習主席、5カ月前と異なり笑顔見せるなどの対応
04/23 13:12
インドネシアで開かれている「アジア・アフリカ会議」にあわせて22日に行われた日中首脳会談では、中国の習近平国家主席が、会談の冒頭で、笑顔を見せるなど、5カ月前とは違った対応を見せた。
およそ5カ月ぶりとなった日中首脳会談だが、両国の関係改善を進めたかった中国側の思いも、習近平主席の表情からも読みとれた。
首脳会談前、習主席の様子を間近で見ていると、表情には硬さが感じられたが、会談後は、うって変わって、記者の問いかけに手を振って、笑顔まで見せた。
この変化は、経済面での協力など、日中関係を改善させたいという思いの表れで、今回の会談にある程度の手応えがあった安堵(あんど)感とみられる。
一方で、中国共産党の機関紙「人民日報」は、23日朝の紙面で、インドネシアやミャンマーとの首脳会談を1面で伝えたのに対し、日中首脳会談は、2面で、両首脳がお互いに視線を合わせていない写真を掲載し、歴史問題を抱える中で、国内向けには、日本に譲歩した姿勢が見せることができないという、中国側の微妙な状況を反映したものとみられる。


このニュースでは習近平中国国家主席が笑顔を見せる等、
両国の関係改善を進めたかった中国側の思が読みとれた、となっているが、
天木直人のブログ「バンドン会議で安倍演説の直前に席を立った習近平の衝撃」によると、
場内に安倍首相の名前がアナウンスされ、演説が始まる直前、
それまで各国首脳の演説に耳を傾けていた習主席が突然席を立って会場を後にしてしまった

と4月23日の産経新聞だけが正直に伝えていたそうである。
しかし、産経新聞が伝えた以外、日本のどの新聞もこのことを伝えた新聞はなかったのだとか・・・・・

首脳が国際会議で演説を行う直前に席を立つことは、外交的にこれ以上ない非礼なことだ。いやあからさまな拒否のメッセージだ。
それを習近平主席は各国の代表の前で行ったのだ。


それなのに、日本の新聞はこの事を隠して、
中国は日本との関係を改善したさに、習主席が折れて出ていたような書き方をしている。
こんな思い違いをしたままで、安倍政権に中国との関係改善など出来る訳がないだろう。

日本を支配する勢力は、
日本にはこの儘、アメリカと心中させようとしているのかも知れない。

従軍慰安婦問題についてのアメリカ人ジャーナリストの新しい説 

芳ちゃんのブログ「 慰安婦にまつわる真実 - マイケル・ヨン米人記者とのインタビュー」に、
第2次世界大戦中の日本軍の従軍慰安婦は、強制連行されていた証拠はないと言う、これ迄大半の報道で言われていたのとは違う見解が示されている。

慰安婦問題は、世界のどこの軍隊を取り上げても見受けられる。特に戦争が長引くと、決まって、何らかの形態で存在し始めるものだ。これは世界各国に共通する歴史的事実である。しかし、日本の旧陸軍に関わる慰安婦問題については、今や、米議会調査局や国連人権委員会さえをも巻き込んで、日本だけを狙い撃ちしている観がある。つまり、歴史的事実の解明に努力するのではなく、残念なことには、今までの主張を何処までもゴリ押ししようとする一方的な姿だけが観察される。(紫字は芳ちゃんのブログより引用の部分)

従軍慰安婦問題は、世界のどこの軍隊にも見受けられるのである。
日本軍に限った事ではないという事は、ベトナム戦争中のアメリカ軍にもあった事が伝えられている事からも証明出来るだろう。(詳しくは続きを読むに複写)

南京虐殺と731部隊に関する情報については、
南京虐殺があったこと自体について疑義をはさむ余地はないが、中国人が話を何倍にも誇大化し、自分たちが作ったストーリーを信じてしまったという事だろうとヨン記者は認識しておられるようである。

韓国人従軍慰安婦問題については、軍が強制連行した事実はなく、
慰安婦が韓国での新聞広告を通じて募集されたことを示す大量の証拠が見つかっているそうである。
だから日本軍の利用していた従軍慰安婦の形成された経過は、諸外国の軍隊が行っているのと同様の経過だったのではないかとの認識のようである。

米国人はどうしてこの日本の従軍慰安婦問題を信じる様になったかと言う質問に
戦時中、日本人はさまざまな悪行をしたからですと、ヨン記者は答えておられるように、
従軍慰安婦問題が事実無根であるという事が証明されたとしても、
それで、戦時中に日本軍が行ったと言われている他の様々な悪行が、
総て事実無根であるとの証明になるわけではない。

やっぱり戦争は普通の人間に、人殺しを受け入れさせるものなのだから、
人間性を失わせてしまう恐ろしいものである事に変わりはない。
戦争だけは何としても避けねばならないという決心の下、
為政者は政治解決(外交)を心掛けてもらいたいものである。

マイケル・ヨン記者は、中国は米国と韓国および日本が、お互いに争うように仕向けていると言っておられるが。
これは、アメリカも中国と韓国と日本を、お互い争いあうように仕向けている様に見受けられるから、
どこが本当の操り手であるかは分からないのではないかと私には思えるけれど・・・・・

それではマイケルヨン記者のインタビュー記事を引用させて頂く。

:慰安婦にまつわる真実:マイケル・ヨン記者とのインタビュー

 マイケル・ヨン記者:

1964年生まれ。作家、ジャーナリスト、写真家として活動する米国人。1980年代には米特殊部隊(グリーン・ベレー)に所属。マイケルは2004年以降イラクやアフガニスタンから現地の様子を書き送り、米国やネパール、バングラデシュ、タイ、フィリピン、他について幅広く取材をした。米軍や英軍ならびに他の軍隊の従軍記者として何年も過ごした。彼の報告はCNNやNYT、BBC、NBC、CBS、ABC、WSJ、LAタイムズ等を含めて、数多くのメデイアによって採用され、知名度も高く、信頼を得ている。 

[訳注:Yon (ヨン)という姓は音としては韓国語みたいな響きを感じるかも知れないが、インターネット情報によると、古くは7世紀以前の古英語に属する名前であって、幾つもの綴りが存在するという。たとえば、Ong、Onge、Ounge、Yon、Yong、Young、Younge、Yonge、Youngs等、さまざまな形がある。「若者」という意味で、愛称として使われていた。]


はじめに

7年間にも及ぶ米国政府による調査の結果によると、慰安婦による強制的な売春や南京虐殺、731部隊を示すような証拠は見いだせなかった。現在、マイケルは日本に対して展開されている中国の情報戦争を調査中だ。それには槍玉に挙がっている強制売春も含まれている。われわれはマイケル・ヨン(以降、「MY」と略称する)記者との独占インタビューを行った。

Q: あなたが慰安婦問題についての調査を開始してから相当の時間が経っています。どのような結論に到達していますか? 

MY: 慰安婦プログラムは存在していたが、広く言われているような20万人もの韓国人女性が慰安婦であったとする証拠は見つかってはいません。

日本が幾つもの国を相手に戦争を遂行し、日本人将兵が飢えに苦しめられている際中に、20万人もの性的奴隷を拉致し、輸送し、彼女らの安全を確保し、食事を与えることに全力を注ぐことが可能であった指揮官がいたでしょうか?慰安婦に関するこれらの主張はまったく意味を成してはいません。 

これは、図らずも、韓国人は自分たちを侮辱することになります。つまり、20万人もの韓国人女性が拉致されたにもかかわらず、韓国人男性はそれに抵抗するために指一本さえも振り上げようとはせずに、実際にはそれを支援した。これは当時の韓国人男性は卑怯者であり、犯罪者であったということを示唆しています。韓国人はこんなこと示そうとしているのでしょうか? 

われわれが行った調査の結果、省庁間作業部会(IWG)が作成した「ナチの戦争犯罪と日本帝国政府の記録に関する米議会への最終報告書」を発見しました。興味深いことには、この報告書のことを知っている研究者はほとんどいないのです。クリントンおよびブッシュ政権の下で、米国政府は7年の歳月と3千万ドルの費用をかけて、ナチと日本の戦争犯罪について詳しく調査したのです

この報告書は2007年に発行されました。数百万ページにも及ぶ文書が新たに公開されましたが、それらのほとんどは日本に関わるものでした。でも、強制売春の証拠は見つからなかったのです。南京虐殺と731部隊に関する情報についても検索を行いましたが、それらを裏付ける決定的な証拠は見つからなかったのです。南京虐殺があったこと自体について疑義をはさむ者はいませんし、中国人が話を何倍にも誇大化し、自分たちが作ったストーリーを信じてしまったという可能性を誰もが認識しています。

中国のある団体がこのIWGによる調査を要求しました。世界抗日戦争史実維護連合会(これ以降は「世界連合会」と略称する)と称する団体です。 世界連合会は「ザ・レイプ・オブ・南京」を著した米国人作家のアイリス・チャンと深い関係を持っている点を念頭に置いていただきたい。残念ながら、著者のアイリス・チャンは精神的に患って、自殺してしまいました。

驚いたことには、IWG報告書は何も発見することができなかったことについて世界連合会に対して釈明をしています。しかし、同年、第121号決議案が可決され、日本を非難し、謝罪を要求することになりました。オバマ大統領は最近日本を非難する声明を出しました。ヒラリー・クリントンも日本が謝罪することを期待しています。しかしながら、彼らは誰もがこのIWG報告書を無視しています。

「慰安婦は売春することを強制された」という考えは間違いです。たとえば、1944年に戦争情報局(OWI)は「49号報告書」を作成しました。この報告書は米国が20人の韓国人慰安婦を捕えた時の様子を記述しています。これらの女性は売春婦であることが判明しました。この49号報告書によると、売春婦は相手となる顧客は誰であろうが拒絶することが許されていましたし、年間9千円もの大金を稼いでいたのです。当時の大将級の将官の年俸は6,600円でした。

OWIは日本に関するスキャンダルを何とか探し出そうとしたわけですが、慰安婦に関してそういった情報は見つからなかったのです。慰安婦は韓国での新聞広告を通じて募集されたことを示す大量の証拠が見つかっています。私は自分自身の軍隊での経験から状況を良く知っていますが、売春婦たちは兵隊が移動するにしたがって移動します。われわれは全世界に数多くの売春婦が居ることを良く知っています。特に、韓国では多いのです。

Q: 米国以外でも本課題を調査しましたか?

MY: 私のオフィスは当面タイ国に置いています。私はこのオフィスから調査を行いました。前首相のアピシット氏とは、数か月前に彼のオフィスを訪れて、話をしています。彼や彼の代理人は、タイ国では本件のような問題はないと言っています。日本人がタイ国へやって来た際には、タイ人たちは日本人に好意的でした。タイ国では反日感情がないのです。タイ人に対して起こった最悪の犯罪は日本兵が僧侶をひっぱたいた時のものです。他にもさまざまな事件がおきましたが、波紋を引き起こすほどではなかったのです。

また、もうひとつ念頭に置いておきたい重要な点は、本件でことさらに問題を大きくしようとしているのは中国と韓国です。私のブログ(こちらで、参照されたし)でも書いているように、それ以外のアジア各国では日本に対しては好感を抱いています。

タイ国、日本、カリフォルニア、ニュージャージー、米国国立公文書館、ならびに、その他至る所で、総合的に、詳細な調査を行いました。その調査を終えた日、私はこう言ったのです。「われわれは大した歓迎を受けないであろうが、われわれの裁定では日本は無罪だ!」と。

これまで行われてきた議論は人権についてでもなければ性的奴隷についてでもないということを良く理解しておいていただきたい。これは政治的な議論であり、賠償金のことであり、日本人に対する人種差別でもあるのです。換言すると、これは日本を攻撃しようとする際に中国が用いる地政学的な手段なのです。

Q: あなたはどうしてこの慰安婦問題に首を突っ込んだのですか?

MY: 慰安婦問題は地政学的な手段です。IWGによる調査の発端はそもそも世界連合体が働きかけた結果であるわけですが、この団体は中国政府の情報戦争をつかさどる部門です。米国でこの問題を扇動しているのは中国人です。中国は米国と韓国および日本がお互いに争うように仕向けているのです。 

これは巨大な情報操作です。中国はこの問題を政治的な手段として使う絶好の機会だと見て取ったのです。朝日新聞は、1982年に、その信ぴょう性を確かめることもなく、吉田清治が伝えるストーリーを報道し始めました。そして、読売新聞も。他にもたくさんのメデイアが参画しましたが、その数は分かりません。ある時点で、中国もこの問題に便乗して来たのです。

韓国人の顔を立て、米国中に少女像を設置しながら、中国はこの動きを鼓舞して来たのです。幸運なことには、シンガポールやオーストラリアの人たちはこの動きを許容しませんでしたが、これらの国が狙われたことにはそれ相当の理由があるのです。中国は南シナ海や尖閣諸島といったさまざまな地域で支配権を確立したいのです。彼らは沖縄から米軍が撤退することを望んでいるのです。

この地域は主要な海上交通路であって、アジア各国への補給はここを通じて行われています。もし中国がこの領域をコントロールすることができれば、さまざまな戦略的な利点に加えて、彼らは沖縄や韓国に駐留する米軍に対して影響力を与えることが可能となります。これらは地政学的な理由です。中国は靖国参拝や南京虐殺ならびに慰安婦問題を三つ巴の攻撃目標としているのです。

韓国側については、この問題の中核は日本に対する人種差別です。また、これを日本からお金をゆすり取る手段と見なしている人たちもいます。そして、竹島問題もあります。竹島は日本領であることが明確ではありますが、憲法9条との絡みで、日本は竹島問題について何かをする立場にはないのです。

Q: 米国においては、数多くの知的な人たちさえもが慰安婦による強制売春があったと信じているように見えますが… 

MY: 彼らは二次的に派生した記事を引用して「証拠」があると言っていますが、彼らの多くは一次資料の調査を行ってはいません。日本に住んでいるあるアイルランド人作家は慰安婦問題に関してもう14年間も書いていると私に話してくれました。「あなたは一次資料についてはどのような種類の調査を行っているのですか?」との私の問いに対して、彼からは「何もしてはいない」との返事が返ってきました。この人物は博士号を持っていると言っています。そこで、私は次のようにもうひとつ質問をしてみました。「捕虜に関する49号報告書は読んだことはありますか?」 彼は「それは何のこと?」と聞き返してきたのです。

Q: 米国人はいったいどうして日本人の戦時中の悪行を信じようとするんでしょうか?

MY: まず第一に、戦時中、日本人はさまざまな悪行をしたからです。ですから、われわれはそのことを隠すべきではないのです。慰安婦問題は作り話だと主張しても、日本を戦争犯罪から開放することにはなりません。

第二に、米国は戦時中日本の民間人の居住地域を攻撃し、日本の街に焼夷弾をばら撒き、二発の原爆を投下し、数十万人を殺戮しました。これが慰安婦問題や南京虐殺に関するストーリーをわれわれが受け入れる理由のひとつとなっています。それこそが戦争を国家的なレベルにする手法であるのです。そうしなければ、焼夷弾攻撃や原爆の投下はどう見ても戦争犯罪です。日本人に対する人種差別、一般的には、肌の黒い人たちやユダヤ人、等に対する人種差別は当時の米国では顕著でした。日本人だけが選別的に人種差別の対象になったわけではありません。米国は機会均等の人種差別主義です。私は自分が誇りに思っている自国に関してこんなことを言うのは嫌いですが、これは悲しい真実です。アメリカには偉大な点が数多くありますが、それとは対照的に、私たちは皆が忘れたいと思うような非常に大きな、暗闇に満ちた現実も存在しているのです。

戦争行為におけるもうひとつの要因ですが、敵からは人間性を奪ってしまいます。米国はこれに実に長けているのです。マンガを使って、たとえば、日本人をネズミに仕立て上げます。少なくとも第二次世界大戦中日本人から人間性を奪ってしまうと、われわれは自分たちの行為に対してはフリーパスを与えたも同然でした。

次に、真珠湾の問題があります。真珠湾について正直に研究したことがある人は誰でもがあれは奇襲攻撃ではなかったことを知っています。歴史家はわれわれ米国人が日本との戦争を誘導したことを良く理解していますが、そう言うと多くの米国人を怒らせることになります。これは米国や日本、オランダ、フランス、英国、その他を含めて、数多くの帝国主義的な国家間の戦争でした。真珠湾攻撃よりもずっと前の話ですが、たとえば、米国は中国大陸でフライング・タイガーズ [訳注:米国からの義勇部隊。1941年12月8日に正式に宣戦布告が出される前から、米国の空軍パイロットらが義勇兵として中国で戦闘に従事していた。] を用いて日本軍に攻撃を加えていました。石油の禁輸措置ではわれわれはオランダと一緒に行動をしました。他のさまざまな地政学的な理由から、われわれを攻撃してくるように日本を駆り立てたのです。それらの理由のひとつとしては、われわれにはドイツを攻撃する言い訳が必要だったからです。率直に言って、ドイツには攻撃を加え、敗北させる必要があったのです。ドイツは虐殺を工業技術化していました。ヒットラーは日本がユダヤ人の殺害で支援するよう望んでいましたが、米国が彼らを脇に除けようとしていた際にも、日本はユダヤ人を助けていました。このようなことを言うのは米国では嫌われますが、これは真実です。

Q: 最後に、靖国神社や日本憲法の第9条はどう考えますか?

MY: 私は靖国神社を2回訪問して、2回とも参拝しました。あそこへは元軍人であった人と一緒にでかたのですが、彼も私と同様に行動しました。靖国神社は個人的な日本人自身の関心事です。もしも、カンボジアやベトナム、韓国、あるいは、その他50か国にもなる国からやって来た外国人が、米国人が自分たちの国民に対して攻撃したことを理由に、米国大統領に向かってアーリントン墓地を訪れるべきではないと言ったら、われわれは彼の言う事は聞こうともしないでしょう。

日本は第9条を修正する必要があります。こんなことを米国あるいは日本で主張すると嫌われますが、日本は自国を防衛する必要があり、完全な防衛を維持し、米国に頼るべきではありません。とは言え、より広域的に見ると、強力な日米同盟を維持するべきです。


そして結びに芳ちゃんさんは、下記のように仰っている。
中国政府の情報部門である「世界抗日戦争史実維護連合会」が米国での慰安婦問題の背景にあって、米国の世論を操っているとする指摘は秀逸である。われわれ素人にとっては非常に啓蒙的であると思う。

「慰安婦問題は情報戦争である」というマイケル・ヨン記者の見方には賛成だ。

私自身も、2013年7月15日に掲載した「慰安婦問題は情報戦争だ!」と題するブログでこのことを指摘した。残念ながら、太平洋戦争で完璧に敗戦となった日本は諜報部門を完全に失った。戦後70年、日本では諜報部門はゼロに等しいのではないか。したがって、日本政府には中国が仕掛けているこの情報戦争に対抗する実戦部隊はほとんどないに等しい。日本政府の政策には諜報に裏付けられた政策はないように見受けられる。慰安婦問題がそのいい例だ。

他力本願になってしまうことが非常に残念ではあるが、このマイケル・ヨン記者の努力が、将来、慰安婦に関する国際世論(つまり、日本叩き)を覆すところまで行くかどうか、今後とも注目していきたいと思う。

ただし、米国には米国自身の台所の事情があって、日本の慰安婦問題を誇大宣伝することを止めて、歴史的事実を忠実に理解しようとするところまで米国民の大多数が倫理的に大人であるかどうかは別問題であるような気がする。ヨン記者が指摘しているように、米国が東京大空襲や原爆の投下は軍事的には必要ではなかったという歴史的事実を認めるとはとても思えない。そういった米国に都合がいい世論が根強いだけに、オバマ大統領もヒラリー・クリントンも日本叩きを続けることによって支持団体や一般有権者の関心を得ようとしているのではないだろうか。

洋の東西を問わず、政治家の歴史認識と歴史家が掘り起こした歴史的事実とがうまく一致することは期待できないのであろうか?

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橋下大阪市長の暴言に思う 

「慰安婦制度、必要だった」 維新・橋下氏、重ねて主張
2013/5/13  
日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は13日、旧日本軍の従軍慰安婦問題に関して「歴史を調べるといろんな軍で慰安婦制度が活用されていた。銃弾が飛び交う中、猛者集団を休息させようとしたら必要なのは誰だって分かる」と述べた。「日本政府が暴行脅迫して拉致した事実は証拠に裏付けられていない。ただ意に反して慰安婦になった人にはやさしく配慮しないといけない」とも語った。大阪市内で記者団の質問に答えた。

 この発言に民主党の海江田万里代表は不快感を表明。共産党の市田忠義書記局長は「人間の血が流れているのかと戦慄を覚えた」と非難した。

 橋下氏は同日夕、記者団に改めて真意を問われ「当時、軍の規律を維持するには必要だった」と重ねて表明。先に沖縄の米軍普天間基地を視察した際「司令官に『もっと風俗業を活用してほしい』と言ったら司令官は凍り付いたように苦笑し『(隊員には)禁止だと言っている』と言われた」と指摘。「風俗業は法律の範囲で認められており(性的)エネルギーをどこかで発散することは考えないといけない」と述べた。


橋下大阪市長の言い分は、
戦争中の軍隊では男も奴隷的状況の中に甘んじているのだから、
女も奴隷的状況に甘んじて協力せよ、という事なのではないだろうか?

しかし、そのことを踏まえても、
だから従軍慰安婦を用意するのは当然の事であるという結論にするのは、短絡的過ぎるのではないだろうか。
戦争とはこんなにえげつないものなのだから、
戦争は絶対に起こさない決心を、政府にはしてもらわねばならない。

橋下徹氏が地方自治体の首長なのだったら、一般住民の福祉を最優先するべき立場の筈である。
戦争は庶民にとって良いことは何ももたらさない。

自分の命も愛する者の命も、何時絶たれるか知れない危険に常に曝され、
財産(家財や生産設備etc)は何時焼かれ、壊されるか分からない。
非常事態宣言の発令で、日常の自由も幸せの追求も総てを放棄させられる。

現在の日本政府は、外国との間の紛争解決について、戦争は最終手段と思って外交努力に粉骨砕身しているだろうか?
安倍政権は外交努力をするどころか、わざわざ相手国の反感を買うような事を主張し続けて、
外交努力で解決できる事でも外交努力を放棄して、
「戦争しかない」と言い募っては居ないだろうか?

戦争というものは、先の大戦で日本軍がやってきたことを見ても分かる通り、
男も女も老人も子供も、総ての人を酷い目に合わせてしまうものなのだから、
戦争は極力忌避せねばならない。

安倍政権がせねばならない事は、
国際間のどんなもめ事であっても、外交力を駆使して解決する事である。
国民にとって戦争以上に不幸な事はないのだから。

と、橋下氏は唱えるべきだったのではないだろうか。

賞味期限近い?安倍総理 

元駐日米国大使「慰安婦問題否定すれば日本の利益を大きく害する」
MAY 06, 2013 03:27
シーファー前駐日米大使は、「日本政府が河野談話を見直しに動けば、米国における日本の利益を大きく害する」と警告した。

シーファー氏は3日(現地時間)、米ワシントンで開かれた日米関係に関するシンポジウムで、「慰安婦問題はいかなる正当化もできない」としてこのように述べた。 河野談話は、旧日本軍による従軍慰安婦の強制連行を認めた談話だ。 安倍晋三首相は昨年9月、自民党総裁選挙戦で、「河野談話で日本は不名誉を背負っている」とし、談話を見直す考えを明らかにしたが、昨年12月に首相になった後は、「官房長官が専門家の意見を聴いて決める」と一歩後退した。

日本経済新聞は4日、シーファー氏の発言について、「慰安婦問題を人権問題ととらえる米国と、歴史認識問題と位置づける日本。 双方の立場の違いが鮮明」だとし、河野談話の見直しが、「順風満帆にみえる日米関係の波乱要因になりかねない」と指摘した。

一方、日本政府は、安倍首相の「侵略」の定義をめぐる一連の発言が波紋を呼んでおり、沈静化に乗り出した。 読売新聞は4日、「首相の説明不足で誤解を受ける恐れがあると考え、今後国会の答弁では内閣の見解を事前に調整して対応することを決めた」と報じた。

安倍首相は先月23日の参議院予算委員会で、植民地支配と侵略を謝罪した村山談話に関連して、「侵略という定義は、学術的にも国際的にも定まっていない」と述べ、韓国と中国から批判を受けた.


安倍総理は使い勝手の良い総理なのか?
使い勝手の悪い総理なのか?

日本軍が従軍慰安婦問題だけではなく、朝鮮人を大勢で徴用していた等の歴史的事実を無視して、
北朝鮮が日本人を拉致したのはけしからんと諸外国に訴えても、
反って日本人の反省心のなさとして軽蔑されるだけだという事が、
安倍総理にはお分かりにならないらしい。

北朝鮮が日本人を拉致したのは確かに怪しからぬ行為であるけれど、
日本がその罪を国際社会に訴えるには、
「大東亜戦争中に酷いことをした日本が言うのもおこがましいが・・・・」という前置きがあってしかるべきであると思う。
そういう反省の態度を示してから、拉致問題を訴えるのだったら、
「あの戦争を起こしたのは旧日本の軍国主義の所為で、日本国民の大部分も、謂わば戦争犠牲者なのだから・・・・・」と同情し拉致問題も、共に考えてもらえるだろうけれど、
「日本は大東亜戦争中何一つ悪い事をしていない。世間で言われている事はすべては捏造だ。」と、
日本軍の旧悪については事実無根と嘯きながら、
「北朝鮮は言語道断の拉致を行った許すべからざる国であるから、国際社会も共に北朝鮮を制裁するべきだ。」と自国の旧悪について反省しないで、北朝鮮を咎め立てし続ける安倍総理の姿勢は、
国際社会から反発しかもたらさない。
此れでは一般の日本国民にとっても、安倍総理の姿勢は迷惑至極なものである。

こんな安倍総理でも、日米の政治屋にとって使いでがあるから、ちやほやしているのだろうけれど、
安倍総理の暴言が彼等の許容範囲を超えたら、彼等は一気にお払い箱にするのかもしれない。

安倍総理は近いうちに、又例の腹痛に襲われる事になるのかな?

そうだったら 好いのにな。
そうだったら 好いのにな!

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