Dendrodium 信心

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スーパームーンの中秋の名月 

今日は中秋の名月で、スーパームーンという事だけれど、
よく晴れているから、スーパームーンのお月様を、見ることが出来るかもしれない。
その上欧米の方では、今日の明月は月食にもなるらしいが、
日本では残念ながら、今回の月食のショウは見ることが出来ないそうである。

聖書には「赤い月」(月食)と共に最後の審判が訪れるという記述があり、
今世界中で、この月食の今日が、世界の終わりになるのではないかと囁かれているそうである。

特にユダヤ教徒には、
9月28日の皆既月食は2014年 4月15日から1年半の間に、
部分月食を一切含まない皆既月食のみが4回連続で続く「テトラッド(四つ組 )」という現象があり、
これは過去500年間で3回、過去2000年の間に8回しか起きていない、大変レアな天体イベントだそうである。

さらに今回のテトラッドは1年半の間に、2回の日食を挟んでおり、
この条件が前回起こったのは1944年前となり、約2000年に1回のレアさとなるそうである。
しかもこのテトラッドが「過ぎ越し祭り」「仮庵の祭り」等のユダヤ教の重要な祭事と、下記の様にピッタリと合致するのだそうである。

2014.4.15 皆既月食 ユダヤ暦5774年ニサンの月15日 「過越の祭」初日
2014.10.8 皆既月食 ユダヤ暦5775年ティシュリの月14日 「仮庵の祭」の前夜祭
2015.3.20 皆既日食 ユダヤ暦5775年アダルの月29日 ユダヤの宗教暦の大晦日
2015.4.4 皆既月食 ユダヤ暦5775年ニサンの月15日 「過越の祭」初日
2015.9.13 部分日食 ユダヤ暦5775年エルルの月29日 ユダヤ政治暦の大晦日
2015.9.28 皆既月食 ユダヤ暦5776年ティシュリの月15日 「仮庵の祭」の初日


現在世界を牛耳っている金融資本家にユダヤ教の信者が多いらしいから、
彼等が悲観的になって、
現在の様に自棄のような無茶苦茶な事を、
世界中の彼方此方でやってのける事になり、
現在の不安定な世界が出来てしまったのかもしれない。

やっぱり、忌まわしい予言等を含む宗教は間違っていると私は思う。
浄土真宗では、「良日吉方」を言わずと教えておられるが、
それは、人は良日があったら、自然悪日を作りたくなり、
吉方があったら、悪方向を考えてしまうものだからだろうと思う。

どの宗教でも神・仏・天と、その唱える名は違っても、
その大いなる者は、全知全能で無限の愛と力を持ったお方であると教えていると思うが、
その全知全能の大いなる者が、無限の愛と無限の智慧と力を持っていたなら、
日食や月食位で、この世を終わりに等されたりしないだろう。

それぞれの宗教に於いて、それぞれの制限をつけるから、
信者は共通の詰まらない恐怖心を持たされ、
恐怖心の下、詰まらないことをしでかしてしまう。
そして悪い事が起きたら、やっぱりあの予言は当たっていたと、
益々その迷信を深めてしまうのだろうと思われる。

日本人のように明るい心で、あっけらかんと日食や月食を、何年かに一度の素晴らしい天体ショウと見ていたら、
世界は今の様に、危機的状況にならなかったのかもしれない。

しかし、世界はユダヤ教の迷信を持っていない人類が大部分なのだから、
今回の危機も、他の人類の安定した思考で、
ユダヤ教徒の恐怖心を吹っ飛ばして、
何事もなく乗り切れるのかもしれない。

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今日はお彼岸の中日 

今日はお彼岸の中日なので、ちょっと宗教がかった話題でも良いのかなと思いIn Deepの書いておられる話をご紹介する事にした。
聖書VS日月神示[神の怒り」と「地獄」は存在するの家しないのか?「宇宙の知性」の真意が知りたくての中で、キリスト教では地獄があるとしているけれど、日本ではどうかという検証をしておられた。
それによると、日本では本来地獄という概念がなく、お釈迦様の説かれた本来の仏教にも地獄はないそうである。(仏教の地獄の話はヒンヅー教から来たものらしい)

それから物理学者の中に神仏(創造主)の存在を語る人が多いそうである。
その事に関するIn Deepの記事の一部を,以下に引用させて頂く。
やっぱり、ここまで緻密に計算尽くされた世界が、偶然形成される等有り得ないと私も思っていたので、わが意を得たりという感想である。
   (以下引用)

ミチオ・カク著『パラレル・ワールド』 物理学者が考える「宇宙の意味」より

michio-kaku-03.jpg

創造主の問題は、「科学は神の実在について何かを語れるのか?」という問題も提起する。

かつて神学者のパウル・ティリッヒは、「神」という言葉を臆面もなしに語れる科学者は物理学者だけだと言った。

実際、人類にとって最大級の疑問 -- 大いなる設計は存在するのか? 存在するとすれば設計者はいるのか? 理性と啓示のどちらが真理に到達する正しい道なのか? -- に取り組んでいるのは、科学者では物理学者しかいない。(略)

ひも理論に見られるような、多くの宇宙の存在を可能にする理論を、だれかが設計したのだろうか? 宇宙が微調整された時計のようなものなら、それを作った時計職人はいるのだろうか。

この意味で、ひも理論は「神には選択の余地はあったのか」という疑問に解決の光を投げかけてくれる。アインシュタインは、宇宙論を考え出そうとするたびに、自分ならどう宇宙を設計しただろうかと問うた。

そのうちに彼は、神には選択の余地がなかったかもしれないという考えに傾いた。

ひも理論は、この見方の正しさを立証してくれそうに見える。

相対性理論と量子論を結びつけようとすると、目立たないが致命的な欠陥 -- 爆発的な発散と、理論の対称性を損なう異常性 -- に満ちていることに気づかされる。

この発散と異常性を解消するには強力な対称性を取り込むしかなく、その点でM理論にはなにより強力な対称性がひそんでいる。つまり、必要なすべての条件を満たす単一のユニークな理論が存在する可能性があるのだ。(略)

私をはじめ一部の物理学者が考えているように、いずれ現実世界を支配する究極の法則が -- ひょっとするとたかたが数センチの -- 式一本で表せたとしても、次にはこんな疑問がわく。

「この式はどこから得られたのか?」




ここにあります、

> 「この式はどこから得られたのか?」

というのは、上のミチオ・カクさんの文章では「宇宙を設計したもの」というニュアンスと関係するもので、つまり、「何がこの(あまりにも正確な)宇宙の法則をもたらしたのか」という意味です。

物理学の世界が究極的なレベルにまで達したとした場合、「式」そののものが完ぺきであればあるほど、この「この式はどこから得られたのか?」という、「深遠な疑問」はさらに強いものとなっていくと思われます。

晩年のフレッド・ホイル博士の著作にも「宇宙の知性」が記述されていました。

『生命( DNA )は宇宙を流れる』という、パンスペミア説や「進化論の否定」、「ビッグバンの否定」などについて記されている著書の最終章で、ホイル博士は以下のように述べています。

フレッド・ホイル著『生命( DNA )は宇宙を流れる』
第11章 コズミック・インテリジェンス より

興味深いことに、われわれが到達した結論、すなわち宇宙に知性があることをロジカルに要請することは、世界の主だった宗教の教義と整合性がある。

世界中のさまざまな文化の中で、「創造主」は独自のすがた形をとる。エホバ、ブラフマー、アラー、天の父、神……宗教の数だけ呼び名もある。

けれども、その根底に横たわる概念は、どれも一緒だ。それは、宇宙は -- 特に生命の世界は -- 想像もつかないほど強力な人間型の知性を持つ「存在」によって創造されたということだ。

地球に暮らしたことのある人間の圧倒的多数が、この概念を完全に、無条件に、本能的に受け入れていたことを忘れてはいけない。

生物にこんな意識を持たせるのは、遺伝子のはたらきである。ひょっとすると、その「存在」がわれわれの部品を創造することにあたって、自らの起源についての真実を本能的に悟るように、遺伝子に細工しておいたのかもしれない。




優れた科学者たちが、その時点で最も進んだ科学で宇宙を考えれば考えるほど、

「宇宙の設計者の存在」



「宇宙の永遠性の問題」

に突き当たる。

最高の科学の先に待ち受けているのは、いつでも「創造主の存在」だという感覚があります。

しかし、創造主がどのようなことを私たちにおこない、そして、私たちはどのように(思想的な意味での)対応をしていけばいいのかはまったくわかりません。

もしかすると、地球単位での大きな変化もそれほど先ではないかもしれない時代に、私たちは確実に存在するとしか思えなくなってきている「創造主」とどのように向きあうかを考える時に来ているのかもしれません。

この世の生き物を創ったのは誰か? 

或る方と或る方が以前からダーウィンの進化論で激論を交わしておられたのだそうです。
それに付いて私に賛成を求められたので、私はよく分からないと言う意味のお返事をしていました。
そして今日、長いコメントを書きましたので、これを今日の記事に代えさせて頂きます。(こちら

*************
ご提示の記事とコメント欄拝見させていただきました。
ダーウィンの進化論に付いての、宗純さんのご意見や色々なかたのご意見を読ませていただいている限り、私のような素人は、そうかもしれないと思わせられました。
しかし、獣医さんはそれらの意見を一応認めながらも、
尚それだけでは飽き足らないものを持っておられるように見受けられました。
それが何であるか私のような門外漢には見当も付きませんが、
それでもダーウィンの進化論では、何かが不足していると思っておられるのでしょう。

それが正しいかどうかの詮索等しなくても、
専門家には他に何か気になる事が有るのだろうと思って、
そういう議論については、専門家に任せておけば良い事なのではないかと思ったのですが・・・・・

民主主義の旗手のようなアメリカの、現在の体たらくを見ても、
宗純さんは今も尚、民主主義を絶対視しておられるのでしょうか?

私には現在のアメリカ及び世界は、
民主主義と資本主義の制度の下では、
遅かれ早かれ、否応なしに齎される世界だったのではないかと思えるのですが・・・・・

私を含め一般庶民は、マスコミに操られやすいものです。
そしてこの世界には、悪貨は良貨を駆逐するという悲しい現実があります。
少しでも富が余ったら、その余った富を手に入れるのは、
自由競争の下でも、アクの強い人間の方に決まっているのではないでしょうか?

アクの強い人間が富を握ったら、その富に群がり新しいアクの強い組織が出来るのも、人間社会の性と言えるでしょう。

そして最後は現在のアメリカのように、
世界中の政治家を配下に付け、
世界中のマスコミ報道を支配下に置き、
白を黒と言い包めても、誰も反対できない社会を形作る事になる・・・・
これが民主主義の行き着く先だという事が、判明してきており、
これが民主主義の行き着く先なのだと私は思います。

共産主義なるものの行き着く先は、ソ連や毛沢東中国で見せ付けられましたが・・・・・

という訳で、田舎と都会の一票に差がある事を、
とくに一概に反対する気にもなれませんでした。

人間社会を統率するのには、どういう主義が良い、とかの案があるわけではありませんが、既存の主義が、どれも不成功だったのは確かではないでしょうか?

中国では聖王の政治が理想的だと言われていたという話を聞いた事がありますが・・・・・

話は変わりますが、
私が今思っているのは、
やっぱりこの世は創造主が創られたのだろうという事です。(迷信家と思われるでしょうけれど・・・・・)

現在宇宙探検によって、彗星がどんな働きをしているかの解明も進んでいます。
彗星は生物の基礎的な組織を、運んでいるらしいと言われています。
チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の表面は、大変硬い物質で出来ていたそうです。
彗星の中には地球等の惑星に突入しても、壊れない位に強い物質で作られている物もあるのかもしれません。
そうすると、生物の組織の基礎的なものだけではなく、
もっと複雑な物も、宇宙から地球にもたらされた事も、考えられなくはありません。

又物理学の世界もどんどん発展して行っている様で、
私は数年前「ひも理論」と言う物理学の本を読んだ(目を通しただけ)事がありますが、
その中に素粒子は10次元位を行き来していると言っていましたが、
最近読まれた方は、23次元くらいあると書いてあったと言っておられました。

私には縦横高さに時間軸の4次元までしか想像できませんが、
23次元もを行き来しているという事は、
私達人間には想像できないくらいの働きを、
創造主は地球に齎す事が出来るのかもしれません。

私が以前書きました「人生の目的は自分のドラマを生きる事」
http://dendrodium.blog15.fc2.com/blog-entry-1265.html
に書きました、ある人との初対面の時に、
一瞬だったのかも知れないけれど、長い長い物語に感じられた、将来に付いての幻影のようなものを見たという話は、本当に経験した事なのです。
ですから今の私の心境は、何でもありの心境です。

人間は必ず死にます。
死とはこの世を離れる事だと私は理解していますが・・・・・

この世に生まれ、この世から去るまでの間、
この地球の同じ時代に生まれた者同士、
私達は小異に等拘らないで、
出来るだけ助け合って生きて行きたいではありませんか。

人がこの世に生まれてきた目的は、人間同士が愛し合い助け合う喜びを得る為なのではないでしょうか?

そういう意味で現在のアメリカ政府は、完全に逸脱していると思いますが・・・・・
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-53a4.html

イスラム教とはどんな教えなのか? 

今イスラム国というものが世界を騒がしています。
私はイスラム教というものがどういうものであるか殆ど知りませんでしたので、
好奇心から検索してみましたら、コーランを読誦するというPDFがありました。
作者も何も分かりませんが、仏教関係者の講演のようです。
イスラム教も仏教もキリスト教も、創造主を尊崇している宗教のようです。
「一切の神聖なるものは真なる神の化身である。エホバの身で入信した場合、エホバの姿で現われ、アラーの身で入信した場合、アラーの姿で現われる。仏の身で得度した場合は、仏の姿で現われる」という事のようです。
では以下にその講演録のコピーを掲載させて頂きます。

謹んで「コーラン」を読誦する
本日、実に得がたい機会となりました。ここにおいて、「謹んで『コーラン』を読誦する」という講題を提起しました。この題を選んだのは、この数年来、私が常日ごろ、『コーラン』、『新約聖書』、『旧約聖書』を読誦しているからです。経典に収められた幾つかの経文は簡潔で、要点を押さえており、益するところが多く、たいへん啓発され、さらに深い境地を会得しました。そこで、私が『コーラン』を読んで得たことを、皆さんと分かち合いたいと思います。皆さん、どうかご教示のほど、よろしくお願いいたします。
『コーラン』の学習では、最も重要なのが「六信」といわれるものである。これが学ぶ際の根本となる。在俗の法であれ、聖職者の法であれ、すべて信仰の基礎の上に打ち立てられたものである。もし信じなければ成就することはできない。その「六信」とは次の通りである。
「アラーを信ぜよ。天使を信ぜよ。コーランを信ぜよ。使徒を信ぜよ。来世を信ぜよ。終末の日を信ぜよ。」

一、「アラーを信ぜよ」
「アラー」はアラビア語で、一般に「創造主」または「主」と翻訳されている。「宇宙の創造者」という意味で、『旧約聖書』で説いている「神は宇宙の万物を創造した」とほとんど同じ言い方をしている。私は、数多くの異なる宗教の指導者たちとともにこの問題を話し合い、「一切の神聖なるものは真なる神の化身である。エホバの身で入信した場合、エホバの姿で現われ、アラーの身で入信した場合、アラーの姿で現われる。仏の身で得度した場合は、仏の姿で現われる」と提起した。この考え方を述べると、皆が同意したが、これは非常に得がたいことである。仏教の経典では宇宙万有の本体を説いており、仏は常に、「唯一心所現、唯識所変」(すべては心の現われにほかならない。一切の事象はアーヤラ識から変現したもの)と説いてきた。また、「一切法従心想生」(あらゆるものは心の想いより生ずる)とも説いている。それぞれの宗教で説いている「神」または「エホバ」、イスラム教の「アラー」、仏陀の説く「法性」は唯一であり、二つとない。『華厳経』は「一即是多、多即是一」(一が即ち多、多即ち一である。一と多は相即している)と説いている。したがって、アラー、エホバ、神、法性はあまねく、いかなる時もいかなる所にもいらっしゃる。遍法界[へんほっかい]虚空界のあらゆる国土、衆生はみな、私たち自身の心が姿を変えて現われたものである。私たちの心と十法界の衆生、諸仏如来はエホバ、神と同一の心であり、同一の本性である。これを仏教者は「法身」[ほっしん](仏の宇宙身)と称す。

二、「天使を信ぜよ」
主なるアラーは、有形の姿はない。アラーは物質でもなく、精神でもない。しかも精神、物質はみな、姿を変えて現われたもの。「天使」はすなわち、アラーの化身であり、大乗仏教でいう「報身」[ほうじん]である。報身は自受用[じじゅゆう]であり、他受用[たじゅゆう]である。「自受用」とは心性が本来具えている真実の智慧で、絶えず自己を究極の円満な境地に達しようと、引き上げようとする。「他受用」は人を救済する上根(素質や能力が優れている者)の大菩薩で、自己を引き上げ、究極の境地に達している。報身は遍法界虚空界にあり、その身を現わさないところはない。

三、「コーランを信ぜよ」
仏教、道教、儒教のすべての教典、および『コーラン』、『新約聖書』、『旧約聖書』は人倫の道徳を重視している。いずれも親に孝行を尽くし、師を尊べと説いている。すべての聖なる教えは人倫の道の学びであり、宇宙間の一切の人と事物を尊敬する。すべての宗教の経典は神聖な教えである。「道」は大自然の法則であって、誰かの学説や発明したものではない。私たちの学びは道と呼応することであり、道と呼応することが徳である。人は道徳を奉じることはできるが、全宇宙が本来、調和がとれて一体であることは、経典を学び、体験することで、了解[りょうげ]しなければならない。

四、「使徒を信ぜよ」
仏法と対比させると、菩薩、阿羅漢、および各宗派の祖師や高僧は使徒となる。イスラムの『コーラン』ではアラーは主であり、天使と使徒は主の応化身[おうけしん](仏の真の体から変現したもの)である。応化身は、この世で教化を行ない、苦難するあらゆる衆生に救いを与える。イエス・キリスト、モーゼ、マホメット、釈迦、孔子たちは使徒である。この意義を理解すると、仏門の法師、阿闍梨、カソリックの神父、キリスト教の牧師、イスラム教徒のアホン(布教師)を含むすべての宗教の指導者と伝道師が主の使徒であることが分かる。
もし、広く解釈すれば、「使徒」は実のところ、一切の衆生を含む。大乗仏教では私個人は凡夫だが、一人として使徒でないものはいない。孔子は『論語』のなかで「三人の者が同行すれば、その中には必ず、何か学ぶべきものを持っている人がいる」と述べている。三人、自分を除いてだが。私たちがすべての人とつきあうとき、善悪の二大分類は私の師となる。善人の善心、善行を学ぶべきである。悪人の悪念、悪行は見て、聴いて、つまびらかに反省し、自分に悪念悪行があればこれを改め、なければさらに努力を重ねなければならない。したがって、一人として使徒でない者、師でない者はいない。真の誠と慎み深い心で臨み、学ぶべきである。細心に観察しさえすれば、いかなる時もいかなる場所でも、いかなる境地であれ、修学のよき環境であり、私たちが煩悩や習気[じっけ](煩悩の潜在余力)を洗い流し、自己の智慧と徳の働きを増大させて、善き結果を成就させるのを助けてくれる。したがって、使徒は主の応化身であり、他受用身なのである。

五、「来世を信ぜよ」
すべての宗教の経典では、衆生にはみな、前世と来世があり、これが輪廻の現象であると説いている。人が来世を信じれば、必然的に自分の現在の考え方や言葉遣いが控えめになる。なぜであろうか。来世があれば、私のなしたことが将来、因果の報いとなり、それを受けなければならないからである。「人は一生のうちで、偶然に発生した事など一つとしてない」とアメリカの予言者、エドガー・ケーシーが述べている。前世に撒いた種が何らかの原因となり、今生で因縁のめぐり合わせによって、因果の報いが現前に現われる。善因ならば善き縁によって善果となる。悪因ならば悪しき縁によって悪果となる。衆生は結果を畏れ、菩薩は原因を畏れる。苦の報いや逆境は恐れるべきではない。最も重要なことは自分が境地を転換できることである。仮に、他の人が自分を誹謗や侮辱したり、陥れたりしても、私は喜んでそれを受け入れることができる。報復しようという考えはない。むしろ、感謝の気持ちが湧く。何に感謝するのか。その人が私の業障を消し去り、境地を高める助けをしてくれるからである。しかも、誹謗した人に対しては、日常の修行のときに特に回向する。その人は自らが不善の業を造ったことで必ず悪の報いを受けるので、功徳を回向することによって、その人が悪道に堕ちても、その時間が短く、苦しみも軽くなるようにと願う。私が将来、仏となって、まずその人を救わなければならない。前世、現世、来世があると信じることは、人によって因果が異なるということを信じることである。

六、「終末の日を信ぜよ」
「終末の日を信ぜよ」とは、一切の衆生はみな、共通の業[カルマ]に支配されて因果の報いがあると信じることである。私が最近、新たに了解[りょうげ]したことは「終末の日」とは、必ずしも地球または人類が破滅することではなく、倫理道徳が破滅することを指すということである。それは、なぜであろうか。倫理道徳は大自然の規律、法則である。一切の衆生はみな、これに順応しなければならず、違反はできない。衆生はみな、互恵し、補い合わなければならない。倫理道徳に背き、互いに害を及ぼすと、共に滅んでしまう。現代の社会では、親子が殺しあうような事件が発生している。夫婦や兄弟が殺しあう、同学や同僚が殺しあう、数多くの、人倫に背く事件が起きている。これらはみな、終末の日を示す不吉な兆しである。今は、気に食わない人を見ただけで殺したり、自分の好き放題をする。人々はこの社会で生活しているが、安全感がなく、恐怖のなかで生きている。これがすなわち終末の日である。原因は、倫理道徳の教えが全くなくなってしまったからである。
今日の社会教育は、メディアやテレビ、インターネットが教化を主宰している。現在、これらのメディアが伝えるのは色情、暴力、殺人、窃盗、不倫、妄言で、将来、全世界、この社会全体には色情や暴力があふれ、非常に深刻な問題となる。これは万人に共通の業[カルマ]である。この共通の業[カルマ]とは人々が倫理道徳、神聖な教えを放棄したことである。したがって、すべての宗教は教育に重きをおき、科学技術を善用しなければならない。もし、宗教という形式があるだけならば、経典や教義の教えがないので、「終末の日」は変わりなく、訪れるだろう。
「アラーに深く帰依し、主の恵みと慈しみを祈る」
この言葉は敬虔な祈りの言葉で、アラーに恵みと加護を求めている。以下で述べるのは、アラーが私たちに修学させる、基本となるすべての要綱である。

一、「善を行ない、過ちを改めよ」
人の性はもともと善であり、善は、その性が徳である。しかるに、私たちは神聖なる教えから遠く離れて、環境が深刻に悪化していくなかで、不善に染まり、ありとあらゆる悪事をし尽くした罪人となってしまった。地獄や苦の報いから逃げ出すことは難しい。そこで、今、アラーに加護と助けを求め、過ちを改め、善を行なうことを教えたまえ、と祈る。また、愚かなために、是非、善悪を判断することが難しい。そこで、アラーは聖典を示し、善悪の基準を経典に従うようにさせた。コーランで述べている善悪の基準は、はっきりしており、私たちはその教えを奉じて行なわなければならない。

二、「教えに従う」
過ちを改めた後、常に経典を読み、常に講話を聴かなければならない。経典の意味に通じて、よく理解し、生活、仕事、物事の処理、人に対するなかで実践する。こうしてこそ、仏の弟子であり、アラーの信者である。

三、「禁戒を犯さない」
コーランでは私たちに、必ず行なうべきことや絶対に行なってはならないことを告げ、真剣に信奉するようにと求めている。コーランの戒律は国家の法律に等しい。すべてアラーが禁止したものは決して背くことはしない。例えば、無辜の者を殺さない、他人の財物を奪わない、人を奴隷の身に陥れることをしない、人の名誉を傷つけることをしない、他人を悪く憶測しない、礼拝のつとめを行なう、喜捨を行なう。中国のムスリムは五功五典三徳十行などの修功を信奉している。
儒家の「智仁勇」は大智、大仁、大勇である。私たちが学ぼうとするとき、最も重要なことは、老師の教えを信奉し、それに従うことである。「教えを信奉し、従う」は前に述べた「使徒を信ぜよ」の意味である。これは「智」であり、真実の智慧である。「善を行ない、過ちを改める」ことができるのは、「仁」である。「禁戒を犯さない」は「勇」である。大智、大仁、大勇は儒家の三つの達徳(古今に渡ってふみ行なうべき道徳)である。したがって、この三句経の経文はすなわち、「三徳の要め」であり、自己の智慧と徳行を成就させることである。
仏教とイスラム教の最も基本とする教条[ドグマ]はみな、同じである。「殺生せず、盗まず、邪淫せず、妄語を言わず、二枚舌を使わず、ざれごとを言わず、悪口を言わず、貪らず、怒らず、迷わず」が基本の教条[ドグマ]である。この教えにのっとり、真剣に努力し行なわなければならない。

四、「紛争を和解させる。事を終らせ、人の心を安らかにさせる」
現在の社会では多くの人たちが誤解をしている。イスラム教徒は過激分子で、いたるところで騒いでいると思っている。『コーラン』ではこれを絶対に禁止していることを知らない。『コーラン』では確かに、「聖戦」(ジハード)について幾度も言及している。しかし、聖戦は自衛のための戦争である。外部からの侵略に対して、ムスリムは抵抗しなければならない。決して、ゆえなく戦争や騒動を起こすのではない。したがって、イスラムの信者がみな、『コーラン』のアラーの教えを理解していれば、何の理由もなく、他者を傷つけることなどあるはずがない。たとえ、報復しなければならない恨みがあったとしても、無辜の者を傷つけることは決してない。これはアラーの慈悲である。

五、「賢き善き人に親しみ、邪悪から遠ざかる」
これは私たちが常々口にする、悪を断ち、善を修め、功徳を積むということである。最も重要なのは善き人に親しく近づき、邪悪から遠く離れることで、これは自己の修養と徳行を増進せる要めである。邪悪とは何か。テレビ、新聞、雑誌に掲載されているものはすべて暴力、色情、殺人、窃盗、邪淫、妄語であり、私たちはこれらから遠く離れなければならない。私はすでに四十数年テレビを見ず、新聞を読まず、雑誌も読んでいない。「邪悪から遠く離れている」ことを真実に実践しているのである。
「賢き善き人に親しむ」には、聖人や先賢の経典はすべて、賢人であると知る必要がある。私は『コーラン』を読んで、マホメットに親しんだのである。『新約聖書』と『旧約聖書』を読んで、モーゼとイエスに親しんだ。仏教の経典を読んで、釈迦牟尼に親しみ、もろもろの大菩薩や祖師、大徳に親しんだ。儒家の書を読んで、孔子、孟子に親しみ、道家の書を読んで、老荘に親しんだ。私は毎日、聖人や先哲の教えを信奉し、従って、十善業道を不退転で実践し、人倫の道に従っている。だから、法悦充満して、心には煩悩もなく、憂慮すべきことや気がかりなこともない。物質的には、生活できればそれでよいのだから、そこに楽しみを求めようとは思わない。

六、「常にアラーの尽きない慈愛を心に抱く」
「常に心に抱く」とは主とともにあることである。「慈愛」は、仏教でいう「慈悲を本となし、方便を門となす」ことである。イスラム教では「アラーはまごうことなく慈悲深いお方である」、『新約聖書』と『旧約聖書』では「神は民を愛したまう、主は民を愛したまう」と説いている。したがって、慈愛は真実、永遠であり、宇宙の大徳であり、私たちの本性の徳の働きである。しかしながら、現在私たちの慈愛は煩悩によって邪魔されている。「常にアラーの尽きない慈愛を心に抱く」とは、常に自らの性がもともと具えている大徳を抱くということである。私たちは自らの性がもともと具えている大徳の大慈大悲を真実、実践しなければならない。たとえ、身内の前世の報いによって殺されそうになっても私は相手に対して、常に尽きない慈愛を抱く。なぜであろうか。それは、私が、相手と私が一体であると知っているからである。経典がいう、私たちの主とあなたがたの主は一つなのである。相手が私と対立しても、私は相手と対立してはいない。対立がないのは、了解[りょうげ]しているからである。対立している人はまだ了解[りょうげ]していないからである。
私のお話は、本日はここまでとします。ごく簡単に、『コーラン』の中の最も重要な句を取り出して、私の学びの報告としました。大方のご教示をお願いする次第です。


極楽往生の用意をしよう 

南無阿弥陀仏

阿弥陀如来は罪悪深重の凡夫をこそ救い給う。
今、世界中で人々の平安をかき乱している悪人達も、
時が来たら安心して死ぬが良い。

ガザで1500人殺させたイスラエルの首相や軍人達も、
ウクライナ上空でマレーシア航空機を爆撃して、300人近い人を殺してしまったウクライナ軍人達も、
ウクライナクーデターを陰から操って、ウクライナに内戦の悲劇を齎した米欧の政治家達も、
安心するが良い。
阿弥陀如来(大生命)は汝らの悪事を総て許し給うであろう。
阿弥陀如来は悪人正機で、悪人をこそ優先的に救い給うのだから・・・・・

第一次安倍内閣で津波による原発の危険性を追求された時、
対策を採らなくても原発は安全だと断言して何の対策も施させず、
福島原発の大事故を招いた安倍総理。
その罪を謝罪しないまま、福島県人を始めとした東日本の人々に、放射能恐れずに足らずと、汚染地域に住まわせ続け、放射能汚染された食品を食べさせ続けているだけでなく、
今度は鹿児島県の川内原発を再稼動しようとしている安倍総理。

原子力規制委員会委員長が、
安全審査の項目をクリアしているとは言え、安全性が確認できているとは言えないと、
態々自己保身発言をしているのに、
安倍総理は聞えぬ振りをして、
規制委員会が安全だと認めたので、地方自治体の承認を得たら再稼動すると言っている。

今度は川内原発で不幸な事故が起きたら、安倍総理は如何するのだろう?
今回(福島原発事故時)謝罪しないでも許してもらえたから、
次回も知らぬ振りしていたら、そのうち今回と同様に無罪放免が叶うだろうと、
安倍総理は思っているのだろうか?

集団的自衛権行使容認という重大な憲法違反の閣議決定をした安倍総理は、
ガザで残虐な殺人をやっているイスラエルと、態々同盟を結び、
イスラエルの残虐な殺人戦線に、日本の自衛隊員を派遣するかもしれない。

安倍総理の憲法違反決定(集団的自衛権行使容認)で、
自衛隊員は無辜のパレスチナ人や中東の人々を殺させられ、
自衛隊員も多数殺されるかも知れない。
安倍総理は自分の犯した罪業の数々を知っているのだろうか?
自分の犯した罪業を知っていて、懺悔の思いに沈んで、南無阿弥陀仏と唱えるなら、
安倍総理は死んだら阿弥陀如来に迎えられて、極楽浄土に往生できるだろう。

阿弥陀如来は悪人正機で、悪人ほど優先的に救ってくださるのだから、安心して死んだら良い。
しかし、自分がやったことは全部正しい事だった等と、
事実を捻じ曲げたり、自己を正当化していたのでは、極楽往生は叶わない。

アメリカの要人もイスラエルの要人も安倍総理も、その他etcの鬼のような輩達も、
自己正当化したままでは、決して阿弥陀如来のお浄土に迎えていただく事は出来ないだろう。
何故なら阿弥陀如来のお浄土に行く事の出来る者は、罪悪深重の凡夫(自分を罪悪深重の凡夫と思っている者)が優先なのだから・・・・・

色んな屁理屈をつけて、自分は正しいと言い募っている者は、
絶対に阿弥陀如来の正客になることはないだろう。
この浮世・苦娑婆に住んでいたら、生き物を殺して、又は人に殺させて食べる等、
さまざまな悪を犯さねば生きていけない事も多々あっただろうけれど、
死ぬ前に、たとえ一回だけであっても、南無阿弥陀仏と唱えたら、
どんな悪人でも阿弥陀様は、仏国土・極楽浄土に往生させて下さる。

それは何故か?
阿弥陀様(大生命)のお浄土が、総ての生き物の故郷だからである。
南無阿弥陀仏と唱える時、人は自然に自分がこれ迄やって来た事を思い出し、
自然と反省の念に満たされる。
人は大生命の下から、暫らくの間この苦娑婆に遊びに来ていただけなのだから、
この世を去るとき、元の大生命の所に戻るのは当然の事なのである。

そのことを素直に信じる事が出来たら、人は迷わず極楽往生できるけれど、
自分が生きる上でつい犯してしまった罪にこだわり、
自分で自分を偽って、罪を罪と認めず様々に自己正当化したり、誰かを恨んでいたりして、
極楽浄土のことをすっかり忘れていたら、
この世を去るとき、自己弁護や恨みに引きずられて、
郷里(極楽浄土)に帰る事を忘れ、
「中有に迷う」という事になるらしい。

「末期の一念」(死の瞬間に念うこと)というのが大事なのだそうである。

南無阿弥陀仏と何万回唱えても、空念仏では阿弥陀様に届かないけれど、
自分の人生を心の底から懺悔しつつ、南無阿弥陀仏と唱えたなら、
たった一回唱えただけでも、人は極楽往生できるのだそうである。

例え地球が人間の住むことの出来ない星になったとて、大生命は他の星を用意されるだろう。
何があっても、生きられるだけこの世の中に生き続け、この世での使命(この世で経験しようと思っていた事)を果たし
時が来たら、郷里(大生命の下)に、心静かに帰ろうではありませんか。

南無阿弥陀仏

「田中正造の近代」を読んで 

「田中正造の近代」(小松裕著)をやっと読み終わることが出来た。
田中正造は1890年の第一回衆議院議員選挙で当選し、以後6回連続で当選したバリバリの国会議員だった。
田中正造の郷里に近い渡良瀬川流域で、鉱毒事件が起きた。
大雨による洪水で渡良瀬川が氾濫した後、
それまでだったら田畑は洪水によって肥沃になり、流域の村々にとって洪水は悪いだけのものではなかったのだが、
足尾銅山から流れ出る鉱毒は、洪水によって田畑を肥沃にするどころか、作物を枯らしてしまう。
これ以上鉱毒が出ないように、足尾銅山を閉山せよと、流域の農民から声が上がった。
田中正造は農民の望みを叶える為に、国会に於いて様々の訴えをしたけれど、
明治の政府も現在の政府同様、企業の側に付く政治家だらけだったようで、
時の内閣は足尾銅山の操業を停止する等、以っての他という立場であった。

田中正造は遂に国会議員を辞職して、全精力をかけて足尾銅山鉱毒事件に取り組む事にする。

田中正造は明治天皇に直訴して死ぬ積りだったが、明治天皇に直訴状を渡す前に取り押さえられた為、彼は死をまぬかれた(死ぬ事が出来なかった)。
この直訴事件の後暫らくの間は、日本国中が鉱毒事件に同情を寄せていたけれど、
時が経つにしたがって、次第に輿論は鉱毒事件から遠のいて行った。

政府は流域の鉱毒を減じる為(足尾銅山を閉じさせない為)に、
鉱毒被害を受けた谷中村を廃村にして沈殿池にする事にした。
谷中村は鉱毒事件が起きるまでは、戸数450戸 人口2700人の豊かな村だったのに、
政府は足尾銅山を継続する為に谷中村の人々から、村を取り上げる選択をしたのだった。

谷中村が廃村になることが決まってからも、田中正造は71歳で死を迎えるまで、谷中村に残った少数の住民と共に、
谷中村に住み続け、政府に抗議し続けたのだった。

田中正造の戦いの最後の方は、抗議の為の抗議だったような気もするが・・・・・

田中正造にとって明治維新は、
幕藩体制で威張っていた将軍や藩侯の、上からの政治を終わらせて、
大和民族全員にとって、親様のような天皇陛下のご親政による、
国民の為の理想の国家が創られる筈のものであった。
国会が召集されるのを待ち望んでいた田中正造にとって、
国会議員になるという事は、
国民が平等に平和で豊かな暮らしが守られる、公平で思いやりに満ちた国を創る仕事に参加する事だったのだろう。
国民を我子(赤子)のように愛して下さる天皇陛下の下、
総てに於いて公正で国民本位の素晴らしい政治が行われると、
若き日の田中正造は、期待に胸膨らませていたのだろう。

しかし、蓋を開けてみれば明治新政府も、幕藩体制の時と大して変わりなく、
幕府が新政府に代わっただけで、民の事を犠牲にして上の者がのさばる政治でしかなかった。
財政が苦しくても国会議員の議員歳費を、お手盛りで一気に2倍以上も上げるし、
国を強くする為と言って軍備拡張し、国民に課す税金をうなぎのぼりに上げて行って、容赦なく搾り取ったりと、
維新を経ても、国民の生活は犠牲にされ続けているのだった。

これでは日本は、そのうち死んでしまうと、
田中正造はどんどん宗教的な人になって行った。

昔達磨大師の逸話に、梁の武帝が象牙の箸を作った時、
達磨大師は武帝の下を去ったという話を聞いたことがある。
達磨大師は象牙の箸を作らせる武帝に、奢侈への欲求を見て取ったのであろう。

悪辣非道な政権を追い出して、新しい政権を作るときには、皆理想に燃えている。
新しく作る政府は前の政権の権力者のような真似はせず、
人民の為の政治をするのだと言って、民衆を味方につけて革命は行われるけれど、
たいていの場合、ほとぼりが冷めた頃から、
権力者は民の幸福を犠牲にして、自分の贅沢な生活を守ろうとするものらしい。

これは何度革命を起こしても、どんなスローガンを作っても、どんな規制を定めていても、大抵そうなっている様である。
革命ではないけれど敗戦後の日本も、
国民は新しい憲法の下、
これからは民主主義国になるのだから、
平和で公平な政治が行われるのだと、希望に満ちていたものだった。

現在の日本も、いつの間にか随分と違う国になって来ている様である。
もう絶対に戦争はしたくないと、国民皆が心の底から思っていた筈だったのに、
そしてもう絶対に戦争等してはいけないと、子々孫々に伝える筈だったのに、
70年も経たないうちに、日本政府は憲法の中でも、最も重要な平和主義を蹂躙して、
戦争の出来る国に、政策転換を計る迄になってしまっている。

国民は最初の頃の思いを、強く抱き続けている者が大部分なのだけれど、
権力の座にある者は、どうして誘惑に負けてしまうのだろう?
悪貨は良貨を駆逐すると言うけれど、
政府を利用してのし上がろうとしている業者達が、
誘惑に負けない志操の者が、権力の座に座る事を、総力で邪魔するからだろうか?
それとも、公務員自身が権力の座で、栄耀栄華を得る事を夢見るからだろうか?
国民に仕える筈の公務員も、
選挙で選ばれた国会議員達も、
力を合わせて、国民を苦難に陥れるような政策ばかり推進している。

昨日とうとう日本にも、
憲法無視で日本を戦争の出来る国に改変しようとしている安倍政権の、
無法な政治に抗議して、焼身自殺をする人が現れた。
その人は集団的自衛権行使容認に反対の演説を繰り返した後、
ガソリンを被って自分の体に火を放ったそうである。(こちら
日本も焼身自殺でもしなかったら、何も訴えられない国になってしまったという事なのだろうか?
もしかしたら、それさえも無視して、悪政を強行する国になってしまっているのかも知れないが・・・・・

これというのも、他人を犠牲にしてでも、
権勢や贅沢三昧を、優先する人間がいるからなのだろう。
世界中どこの国にあっても、そういう人間が手を結んで、
国民を食いものにする態勢を創り上げて行くものの様である。

歴史的に見て、革命後最初の20~30年くらいは大抵良い政治をしているが、
70年くらい経つ頃には、衰退の道に入っている場合が多いとか・・・・・

人間にはそういう業があるものだから、
如何もがいても、どうにも成らないものなのかもしれない。
仏法擁護で有名なインドのアショーカ王は、善政をしき仏教の教えを守り、仏教伝道に力を注いでおられたそうだけれど、
晩年は親族に幽閉されて終わられたそうである。
多分王子や王女達が、折角王族に生まれたのに、こんな王様の下では一生こんな質素な生活をせねばならないと、お爺様が邪魔になったのかもしれない。(こちら

アショーカ王の場合は陽(善政)極まって、陰転したケースと言えるかもしれないが、
陰(悪政)極まっていた政府が倒されて、陽転し新しい政府が作られても、
やがて再び陰が幅を利かし始め、段々と陰極に近づき、
陰きわまった時、陽転して素晴らしい世界を人々は又味会うことが出来る・・・・・

人間社会はその繰り返しだったのではないだろうか?
その繰り返しの中で、人は様々な経験をし、考えを深めて行く事が出来る。
何時も極楽浄土のように、光明燦然と輝き、暑くなく寒くなく、空腹もなければ食あたりもなく、何一つ欠けるもののない環境におかれたら、人は忽ち退屈してしまうから、
それぞれの命題を抱いて、この苦娑婆に生まれて来るのだと聞いたことがあり、
私はそれを信じている。

田中正造は人並みはずれて信念が強、く情誼に厚い人だったから、
普通の人だったら途中で投げ出してしまっていたかもしれないような困難にも、
自分の命題に最後の最後迄、取り組み続けられた素晴らしい人だったと思う。

私達が生まれる時持って来た命題は、何だろう?
そして私達はその命題に、何所まで取り組み続ける事が出来るのだろう?

クリスマスに思う 

晴耕雨読「放送局を制圧した叛乱軍に、首都まで制圧させるようなことがあってはいけませんよ:松井計氏」
渋谷。 日の丸を持った集団が、「クリスマス反対!」とデモをやってます。
カップルには、「そこ、手を繋ぐんじゃない!」と拡声器で。
キリストは日本から出ていけ、クリスマスをぶっ潰せと叫んでます。

という松井計氏のツイートが載せてあった。

日本は仏教徒が大部分の国なのに、クリスマスは祝っても花祭りを祝う話は余り聞かないな~、との思いは私にもあったけれど、クリスマスをぶっ潰せとかキリスト教は日本から出て行けというデモ迄する気は私にはないし、思いも付かない事であった。

もしかしたらローマ法王がグローバリストに対して、決戦を挑むような教書を発表されたので、(こちら)国粋主義者を装ったウヨさん達に、キリスト教への反感を叫ばせているのかな?

学習塾で教えている人が面白い話をしていた。
「クリスマスにも(塾に)来る?」と尋ねたら、休むと言う子がちらほらあったけれど、休むと言う子の中にお寺の子供さんが居られたのだとか。
何宗のお寺さんかは知らないけれど、「お寺の子供さんがクリスマスパーティーの為に塾を休まれるとは」と笑いあったものだったが・・・・・

日本人は宗教にいい加減だから、お正月には神道の信者となり、お彼岸やお盆には仏教徒となり、クリスマスにはキリスト教徒となると言われている。
私が思うに日本人は宗教の本質が分かっているから、宗教名に拘らないのではないだろうか?

この世を創った者があるとしたら、それは複数者である訳がない。
この世の宗教なるものは皆、この世の造物主を崇めているのだから、
同じ対象を崇めているのである。
それなのに神の方が偉いの、仏の方が偉いの、天の方が偉いのと、自分の尊敬する者を高みに置くために喧嘩する等馬鹿げた事である。
(宗教によって神・仏と称されている元人間もあるけれど、それは除外)

という訳で日本人は神でも仏でもゼウスでも天でも、等しく崇める事が出来るのではないだろうか?
教義の違いはその教義が形作られた地域の、民族性や社会情勢習慣の違いによるものであって、
至上者は皆同一者でなければ筋が通らない。

日本人は戦後の欧米尊重政策のもと商店にジングルベルを流させられ、テレビ等でしきりにクリスマスを囃し立てたりられたりして、
クリスマスを祝う習慣を植えつけてられてきていたから、
お寺の子供までクリスマスを祝うようになったのだろう。

日本人の大部分はクリスマスを祝ったほぼ1週間後には、
初詣と称して、神社仏閣に大挙して参詣している。

こういう日本人を私は、いい加減な宗教観しか持てない人間だとは思わない。
日本人は個別の宗教で操られるが如き単純な人間ではなく、
大多数の日本人が、この世の真理を直観的に知っている人間であるのだと私は思っている。

だから私は今日も明日もクリスマスを祝はしないけれど、
クリスマスに対してもキリスト教に対しても反感を持っている者ではない。

火宅の国日本 

「火宅の人」という小説が流行った事があったが、今の日本は火宅の国そのもののようである。
福島の原発は何時爆発するかも知れない危険な状況にあるというのに、
国の長は外国との戦争を目論んだり、公共工事というなの新たな自然破壊を目論んだり、
果ては放射能汚染した東京に世界の人を呼んでオリンピックを開くと言っている。
三車火宅の譬の長者さんでも、日本人には何を示したらよいのか困っておられる事だろう。
まさか譬の中の三車の一つが、2020年のオリンピック開催国になる事ではないだろう。
そんな事に現を抜かしていたら、日本人は益々燃え盛る火宅から逃げ出す事を、阻まれるだけなのだから・・・・・

然しながら火宅の国は日本だけではない。
今や世界中が火宅の国になりつつある様にも見える。
この放射能汚染された東京にオリンピックを招致する日本の為政者も狂っているが、
次の次のオリンピック開催地に、東京を選ぶIOC委員達も狂っている。

火宅の中に残っている値打ちのある物を少しでも沢山手にして後、火宅から逃げようと皆必死なのかも知れない。
しかし、火宅の外(極楽浄土)には、その人にとって必要なものは無限にあるのだから、無理して取らなくても良いのに・・・・・

今はあの世にも持って行けるもの、素晴らしい思い出をこそ、作り集めるべき時なのではないだろうか?
こんな時代だからこそ、この火宅の中で袖摺り合う人々と、真実の交際が出来る時なのかも知れない。
こんなに迫力のある時代は、滅多にないだろうと思われる程に、今は迫力のある時代である。
こんな時代でなかったら演じられないような、人類の為に命を賭ける世紀のドラマ・真を捧げる愛の人を、私達は今演じる事が出来る滅多にないチャンスなのかも知れない。

所詮この世は火宅、人は火宅の人なのだから、
国が火宅の国になったからと言って、そう慌てることもないのかもしれない。
人生とは生きている今の連続なのだから、今を大事にせねばならないという事を、
普通の時よりもずっと早くに知らされただけ、私にとっては良かったのかも知れない。

穏やかに過ぎた今日に感謝して、明日も同じように来るなら、感謝して明日を迎えよう。
「この世は良いものだ。」というのが、お釈迦様の最後のお言葉だったそうだけど、
時が来たらお釈迦様もこの世を去られたのだった。

天人五衰ではないけれど、この世は物質で出来ているのだから、
時々新品に取り替える必要があるのかも知れない。
もしかしたら、定期的に新たな気持ちで人生を始められる様、
又、人生には必ず終わりがあるという事で、人生の味を深める様、
天は初めから終わりを設定して、この世を創り出されたのかも知れない。



ダライラマ14世「傷ついた日本人へ」 

住職の独り言で、ダライラマ14世のご自身が東北大震災後日本で講演されたものを収録された本「傷ついた日本人へ」を紹介しておられました。
素晴らしい内容でしたので、まだご覧になっておられない方のお目に留まる機縁になればと思い、このブログでもコピーさせていただきました。

『日本人は、日々仏教に慣れ親しんでいると思います。でも、その割に、仏教が何であるか、どんな教えかを知らない人が多い。

せっかく仏教と縁があったのに、とてももったいないことです。

宗教を学ぶことは、自分の人生を見定めることなのです。

自分の宗教だけが正しいと信じたり、他の宗教をバカにしたりすることも、まったく無意味なことです。

宗教を持たないと、精神を高めたり平和を願ったりという精神活動が疎かになりがちです。また、生きていくための指標や基準も見失いがち。そのままだととても貧しく寂しい人間になってしまうでしょう。

たとえば、宇宙はどうして生まれたのか、意識とはどのようなものか、生命とは何か、時間はどのように流れているかなど、仏教と科学には共通したテーマがとても多いのです。しかも、それらは現代の科学をもってしても、説き明かされてはいません。

瞑想ばかりして勉強を疎かにしている僧侶が多い。また、日本ではよく禅を組む修行が行われていますが、ただ座っているだけの人が多い。知識のないまま瞑想をしても意味はなく、悟りに近づくことすらできません。きちんとした勉強と瞑想があわさって初めて価値があるのです。

仏像も僧侶もあなたを救ってくれるわけではありません。あなた自身が自分の心と向き合わなくてはならない。自分の苦悩を取り除いて心の平和を得るには、自分で仏教の教えを学び、実践し、煩悩を減らす以外に方法はありません。

仏教では、死後も意識は消失せず、他の生命の意識として生まれ変わるものと考えています。これを仏教では輪廻と呼びます。意識はこうして前世から現世へ、そして現世から来世へ、連続して持続していくと考えられています。意識は何かから生み出されたわけでも、突然消失するわけでもなく、始まりも終わりもなく、常に存在し引き継がれるものなのです。

仏教が一神教であれば、科学とこのように融合することは出来ないでしょう。唯一絶対の神がこの世界を作ったという教義があり、それを疑うことは許されないからです。それは論理を超越した観念なのです。

論理と検証の結果、仏教が導き出したのが因果の法則です。

自分自身の存在も含め、この世界のあらゆる事象が、はるか昔から続く連続性の中にあり、因果の法則によって関係し合っているのです。

因果の法則には三つのルールがあります。
第一のルールは、因がないところに果は生じない。
第二のルールは、不変から果は生じない。
第三のルールは、因には果を生み出す素質がある。

果は同じ性質の因によって引き起こされます。よい因はよい果を引き起こし、悪い因は悪い果を引き起こします。

行為の影響、行為の持っていた力というのは、そのまま自分にも残り続けるのです。これを仏教ではカルマ・業と言います。その行為にこめられた力、はたらき、性質、そういったものを指して使うのです。

カルマは、いずれ自分の身に必ず結果を生み出します。

結局自分に起こることは、過去の自分がした行為の結果ということです。これを因果応報と言います。

因果に影響を与える条件や要素のことを縁といい、因と縁がそろったときに初めて結果が生じることを縁起といいます。

しくみのありようは複雑でも、因果やカルマの原理原則は変わりません。

一度してしまった行為は、決して取り消すことはできません。同じように一度背負ってしまったカルマが、勝手に消えることはありません。その人に深く根付き、積み重なっていきます。そして来るべきときに同じ性質の結果を生み出す力となるのです。要素や状況が整いさえすれば、必ず結果が生じます。

因果の法則やカルマの影響は、死後も変わることがありません。輪廻はこれを反映した考え方なのです。

私たちは日々生きていく中で、多かれ少なかれ悪い行いをしてしまうものです。そうやってたまった悪いカルマは、一体どうすればいいのでしょうか。その答えは、少しでもよい行いをしてよいカルマの力を増やすようにするしかありません。よいカルマが増えれば、それによってよい出来事が引き起こされ、悪い出来事が起こる条件を遠ざけるようになります。

(震災・津波・原発事故など)強大でめったに発生しない出来事は、個人のカルマで引き起こされるレベルではなく、社会全体としてのカルマ、世界共通のカルマのレベルの出来事です。

はるか何世代も前から積み重なっていたものでもあります。そう考えれば人類全体の因果応報といえます。たとえば、自然を破壊し、コントロールしようとしたことが影響しているのかもしれないし、物質的に豊かな生活を求めすぎたことが影響しているのかもしれない。

(先の戦争から)こうして復活を遂げた日本の皆さんですから、今回も同じように復興を遂げ、さらによい国づくりをなさる力がある、そう私は信じています。日本人は大変勤勉な国民性と強い精神力を持っているのです。

この事実に悲しんだり、怒ったりし続けるのではなく、この苦難を必ず乗り越えようという意志に変えていって下さい。』


人生の目的は自分のドラマを生きる事 

チャップリンが語る愛の世界
私の人生観宗教観に書いたのだけれど、
人間がこの世に生まれてきたのは、あらかじめ自分で想定した人物として、人生ドラマを演じるのが目的だったのではないかと思うようになったのは、
私の淡い初恋の相手、彼とのかかわり方に元を発している。
二人共老齢に達し、若い方々の参考の為ここにそのあらましを書いても良い時期に来ているのかもしれないと思い、恥さらしだけど書かせてもらうことにした。

私が初めて彼の名前を知ったのは、私が2年生で転入学した福岡の高校で、
新しい高校にやっと慣れかけてきた5月のことであった。
この高校の毎年春に行われる文化祭で、クラスメートに勧められて文芸部の文集を買った。
その文芸部発行の文集に彼の創作「遺言」という短編小説が載せられていた。
創作「遺言」を読んだ後、何故か私の目には、
作者の名前に後光がさしているように見え始めた。
後光というと神がかりのようであるが、
名前の周りに燐光のようなものが、見えるようになったのだった。
2年生の3学期、初めて彼と出会う頃まで、
その燐光の様なものはずっと感じられていたのだった。
友人にページを開いて、名前の部分が光って見えないか尋ねたら、
その友人に「変な事を言う」というような目で見られたものだったが・・・・・

「遺言」の舞台は戦国時代の宗像大宮司家。
かの有名な下克上の人陶氏におびやかされる戦国大名の家の物語。
主君を殺害した陶氏の血を引く亡君の落とし胤に後を継がせて、
主家の存続を図ることにした家老の悲劇の物語。

小説の主人公で宗像家家老の久秀は主君を陶氏に暗殺され、跡目を誰にすべきか迷いに迷っていた。
今は亡き主君の未亡人菊姫に婿をとるべきだと言う意見が大勢を占めていたからだった。
それでは主家は陶氏に滅ぼされてしまうだろうと思うと久秀は其れにも賛成できないが、
菊姫の父は久秀にとって恩人であった。
迷いに迷った挙句に久秀は主家存続の為遂に決心して、恩人の娘・まだうら若く美しい女性菊姫を、自分の手にかけたのだった。
菊姫が生きている限りお家騒動が続くと見たからだった。
久秀はその後すぐ、主君の未亡人を殺した責任を取って切腹する。
死を前に久秀は自分の息子に遺言を残した。
その遺言には「武士をやめて僧侶となって静かに暮らせ」とあったという。

作者の名前に燐光を見ることとなったのは、その戦国の世の悲劇が私をうっとりとさせたからなのだろうか?

秋の文集にも彼の創作作品が載っていた。
宇治拾遺物語から題材をとった、のどかな話が数編描かれていた。
その時私は、どういう意味かはわからないが、「この中にあの人は居ない」という気がしたものだった。
そして秋の文集に載った彼の名前も、私の目には春の文集の時と同じように、燐光に包まれているように見えたのだった。

私は彼に会えるかもしれないという希望もあって、誘われるままに文芸部に入部していた。
2年生の3学期、大学の入試が済んだ頃始めて彼は私の前(文芸部の部室)に現れた。
彼が部室に入ってきたのは、
私が部室の入り口近くで、後輩の男子とはさみ将棋をしていた時だった。

「ここを行ったら良い」と笑いながら、彼は私の相方(後輩の男子)の駒を進めていた。
それが私にとって彼との始めての出会いであった。
その時私は思わず立ち上がっていた。

その時彼を前にして、私は幻影を見ていた。
最初は静かだったのが、だんだんと人が増えていく感じがした。
そして遂に大勢の人々の気配が感じられるようになってきた。
大勢の人々が、彼の事を讃えている様だった。
そのざわめきの中で私は、
「とうとうあの人は私の手の届かない所に行ってしまわれた」と寂しく感じていたのだった。

その幻影は、私にはずいぶん長い物語のような気がしていたけれど、
それは、もしかしたら、ほんの一瞬のことだったのかもしれない。
はさみ将棋の相方の後輩の男子が、
「早く行って」とせかす声で、われに返ったとき、
将棋の駒を進めながら笑っていた彼の笑い声が、まだ続いていたような気がする。
後輩の男子との挟み将棋を、早々に終わらせたとき、
彼は部室を出て行くところであった。
彼が部室を出て行った後、興奮した私は文芸部員のだれかれかまわずに
「あの人が○○さん?」と聞いていたのだった。

その後大学が始まるまで、彼はしばしば文芸部の部室を訪れるようになっていた。
文芸部では「随筆日誌」というノートがあって、部員の誰でもそのノートに書きたい事を書き込めるようになっていた。
彼との出合いの後、私の書いた文に対して彼は感想とか返事とかと思えることを、いつも書いて下さるようになっていた。

高校を卒業して大学生になっても、彼は時々文芸部を訪れてくれていた。
しかし、二人の関係は文芸部員と、先輩の文芸部員の域を出ることはなかった。
その頃の私にとって彼は、自分と同等に考えることなどできない、雲の上の人のように崇拝する憧れの先輩だったのだから・・・・・

ある日学校から帰ろうとしている私を、彼が追いかけてきてくれて、校門の近くで一緒になったことがあった。
高校の前の大通りを始めて並んで歩いた時、
これから彼とこの大通りを何時までも歩いていけるのかと思うと、
その大通りが光輝いて見え、私の心は希望に満ちる思いであった。

それなのにいつもの曲がり角に来た時私は、
「私はこちらですから」と言って、彼に別れを告げていた。
私は彼に引き止められるのを期待していたのに,引き止めて貰えなかった事にがっかりしていたのだが・・・・・
その曲がり角を行ったすぐの所にあった、おうどん屋さんの屋号がそのときの私の胸には堪えた。
いつもは気にしたことのなかったその屋号
黒田節の歌詞から取った、その屋号は「想夫恋」であった。

その小路を過ぎると、国鉄の線路沿いの道に出る。
線路を右に見ると道の左手には、高く長い塀が続いていて中ほどに通用口があった。
そこに小さく社名が書いてあったが、その会社名は「大日本窒素」、今思うと此れも私の運命を暗示していたものだったのだろう。
何となく暗い雰囲気の塀であったが・・・・・

翌年私は高校を卒業して信託銀行に就職していた。
仕事にも幾らか慣れてきたある夏の夕方、仕事帰りの私は市電を降りて家への道、大日本窒素と鉄道にはさまれた高校時の通学路と交差している道を通って、踏み切りを渡ろうとしている時、
反対方向からやはり踏み切りを渡ろうとしていた彼と偶然出会った事がある。
二人は只会釈するのみで、お互いに踏み切りを反対方向に進み、言葉を交わす事もなかったのだった。

それから間もなくの10月、私の家は大阪に転居した。
幸いにして信託銀行が大阪支店への転勤をさせてくれたので、私は引き続き銀行勤務を続ける事が出来た。
その年の暮れ、住まいが遠くなったという気楽さもあって、私は思い切って彼に手紙を出したのだった。
すぐに返事が来て、二人の間に文通が始まった。
しかし話題が政治の話になると、二人の意見はどうしても真反対のものになってしまい、
私は短気にも、彼に絶交を申し入れてしまったのだった。

その後何年かして彼は、弁護士として今水俣病訴訟に取り組んでいる
「勝訴の日まで頑張るつもりです」と、
私に葉書を寄越してくださった。
「私も水俣に行ってお手伝いしたい」と書きたかったのだけれど、
私にはどうしても決心がつかなかった。
水俣病にかかった人が訴訟などしたら,
闘争的な精神から心が更に乱れて、
病状は更に悪化するのではないかという、
精神絶対主義的な思想に当時の私は、かなり偏っていたからだった。

今の私は、肉体は精神の影響を多分に受けるけれど、
肉体の材料が物質である以上、自然の状態と著しく違う環境におかれたら、
精神だけでは補いきれない場合もあるという考え方になっているのだが・・・・・

水俣病訴訟の裁判が、枚方地方裁判所で出張裁判をした事があった。
当時大阪府下に住んでいたので、何年か前からその日を楽しみに待っていたので、私はその裁判を傍聴に出かけた。
裁判所の小部屋で、私は彼と何年ぶりかで再会したのだった。
言葉は余り交わす事は出来なかったのだけれど、
又しても夢か現か分からない様な、不思議な気分になる出会いであった。

午後からの裁判に備えて、昼食を外で取って裁判所に向かっている時、
「怨」という字を書いた幟旗を掲げた一団が、私を追い越して裁判所の方に向かっていた。
私はその「怨」の字を見たとき、心が暗くなっていた。
その私を偶々道の向こうから見ておられた彼の目と、私の翳った目が会った。
彼は何も言わずに裁判所の方に行ってしまわれた。
心なしか、彼の目も暗く沈んでいるように思われた。

法廷は地方裁判所で小さな部屋なのに、
傍聴人が大勢でとても傍聴は出来ないかとガッカリしていたら、
奇跡的なと言いたいような事が起きた。
裁判所の職員が大勢の傍聴希望者に向かって、
「後2人・・・・」と言って、ある女性と私を指名してくれたのだった。

後で知ったのだけれど、その女性は水俣病を追いかけている有名な写真家であった。
その写真家を傍聴させてあげるために、
偶々傍にいた私はカムフラージュとして利用されたのではないかと思う。
そういう事情で、私は最後の2人の中のもう一人に選んでもらって、
物凄い競争率を突破して裁判の傍聴を許されたのだった。

法廷の中はほぼ満員で、皆が私達を振り返っていた。
最後の一人として私が法廷に入った時、心配そうに振り返っていたる彼と目が合って、私もほっとして笑みが出て、図らずも二人は微笑み交わしているという構図が出来ていた。
その時法廷内にざわめきの様なものが起きたような気がした。
裁判長もほんの一瞬、目をぱちくりさせられたのが印象に残っている。
流石にほんの一瞬であったが・・・・・

枚方の出張裁判は2日掛りで、翌日は朝からの法廷であった。
朝から行くには自分の家(豊中)からはちょっと遠いので、
私は高槻にある兄の家に一泊させてもらった。
その時兄嫁に「お隣の奥さんのお兄さんが、今隣に来ておられるのだけれど、会って見ない?」と、
私はお見合いを勧められた。

私はそれ処ではない気持ちだったので、
あっさりと断ってしまったが、
後で聞くとそのお隣の奥さんのお兄さんも、同じように断られたという話であった。

翌日出張裁判が終わってから、弁護団の人たちが帰えられるとき、
傍聴者達も一緒に、長い行列を作って帰途に着いていた。
暫く一緒に進んでいたら、踏み切りに差し掛かった。

私の帰り道はその踏切を渡らずに、横に行かねばならなかったので、
そこで彼とは碌に別れの言葉も交わせないまま、私は一行と別れた。
又踏み切りで分かれる事になったな~と、私は不思議な感じがしたのだったが・・・・・

それから数年後、急に思い立って水俣の事務所を尋ねたとき、
彼はちょうど熊本に行くところだった言われて、
熊本まで車で送ってあげようと申し出て下さった。

彼の車で私は最初で最後のデイトをした事になる。
熊本に行く途中立ち寄った海岸で車を降りて海を見せてもらった。
水俣病の事を色々と教えてもらった。
彼は海の向こうに見える島をさして、「恋路島」と島の名も教えてくれた。

「難波より はるばる来ぬる恋路島 水俣の海は厳しかりけり」

熊本までのドライブは楽しかったけれど、
山肌を切り開いた崖の道を走っている時
「ここでハンドルを切ったら崖から、落ちて一緒に死ねるかもしれない」と心に悪魔が囁いていたのを覚えている。

私は悪魔の言う事を無視する事が出来て、無事熊本についた。
レストランで夕食をご馳走になったり、夜の熊本城に案内してもらっているうちに夜はふけて、
熊本駅に着いたときにはもう10時近くになっていた。
切符売り場の窓口で彼が尋ねてくれたとき売り子さんが、
大阪行きの切符は最後の一枚になっていると言われた。
「このまま帰りますか?」との彼の問いに、
帰るのが当然のことと思っていた私は、
ちょっといぶかりながら、大阪行きの切符を買ったのだった。

一旦は大阪の家に帰ってきたのだけれど、
「このまま帰りますか?」と彼に聞かれた事が気にかかり、
私は家に帰り着いたその日、再び水俣を指して汽車に乗ってしまっていたのだった。

水俣の彼の事務所には、灯りがともっていなかったので、留守である事はすぐ分かった。
その上私にはそこがもう、もぬけの殻になっているような気がした。
それでも私はそのまま、そこを立ち去りがたく、
事務所の前にある公園のベンチで一人夜を明かす事にした。

3月の末だったと思うが、その夜はちっとも寒くはなかった。
満開の桜が美しく咲き乱れており、空には朧月がかかる美しい夜であった。
太田垣蓮月尼の「宿貸さぬ 人の辛さを情けにて 朧月夜の 花の下臥し」そのままの夜であった。

翌朝駅のそばを通った時、水俣病訴訟勝訴記念式典がその日熊本の会館であるというポスターに始めて気がついた。
彼が「このまま帰りますか?」と聞かれたのは、私がこの式典に出るために、遠路はるばる熊本県までやって来たと思っておられたからなのだという事が、やっと分かった。

私は熊本の会場に行って、途中からではあったが式典に参加する事ができた。
式典が終わって彼に近づく機会があった時、そっと彼の背広の裾に触れた私の手を、
彼は反射的に振り払っていた。
がっかりしなかったわけではないけれど、来るべきものが来たという気もしていた。

その時私は久秀に殺された菊姫になって、”「遺言」の巻き”が成就したような気がしていた。
でも表の心はつれれない彼のしぐさに、打ちひしがれていたのだったが・・・・・

その3年後の8月、偶々読んだ芥川龍之介の短編集の、「芋粥」と「六の宮の姫君」に、
私は人生を感じた様である。
「芋粥」からは、長年私が憧れていたものは、
芋粥の中の主人公にとっての、芋粥と同じようなものなのかも知れないという思いであった。
「六の宮の姫君」では、「こんな事をしていたら私もこの六の宮の姫君のようになってしまう」という思いであった。

その年の9月になって私は、出雲大社にお参りに行きたくなった。
両親には「出雲大社に行きたい」というのが気恥ずかしくて、
秋吉台に行きたいと言って旅行に出た。

往路瀬戸内海の島に住む伯母の家に一泊させてもらった。
伯母の家の二階6畳の部屋には、
従兄の奥さんがやっているブランド店で売るために買い集めたものだったのだが、
ウエディングドレスが部屋一杯にハンガーにかけてあった。

山口県では東萩駅前で宿をとる事にした。
東萩駅前で「駅に近い民宿に泊まりたい」と言う私の希望を受けて、
案内所の人が「どうせ駄目だと思うけれど・・・・」と言いながら、
その民宿に電話をしてくれた時、
「え!あるんですか?」と、吃驚したように、その案内係の人が言っておられた事が印象に残っている。

台風7号襲来予報がなかったら、とても予約なしで泊まれる宿ではなかったらしい人気の民宿「雀のお宿」に、
幸運にも私は泊まる事が出来たのだった。
私の泊めて貰った部屋は増築したばかりの部屋で、電灯も私が部屋に入ってから取り付けに来られた位で、
新築ほやほやの部屋であった。

この旅行で秋吉台や秋芳洞、萩の松下村塾後、高杉晋作の実家後等を見て、
私は予定通り出雲大社にお参りした。
出雲大社で拝殿に立ち参拝しようと手を合わせたとき、
宮の奥から突然太鼓の音が響いてきたのには、ちょっと驚いた。
そして、驚くと共にこれは何かの啓示なのかも知れないという期待感を持たせられたのだった。

予定ではその日のうちに帰り着くはずであったが、
台風7号の為に電車は徐行運転になり、岡山駅に着いたときには終電もなくなる時間になっていたらしく、
私達乗客は臨時の新幹線で大阪まで運んでもらった。

大阪駅から阪急電車の梅田駅に着いたとき、
最終電車を告げる「蛍の光」の曲が流れていた。
私が家に帰りついたときには、もう日付が変わっていた。

翌朝と言っても日付としたら、私が出雲大社から帰りついたその日に、
高槻市に住む兄の所からお見合いを勧める電話が掛かって来た。

何から何まで私の縁談を寿いでいるような事続きの後、
私は9月半ば過ぎに現在の夫と見合いをしたのだった。
それは枚方の水俣病訴訟出張裁判の時に、
兄嫁から会って見ないかと言われていた、
お隣の奥さんのお兄さんである。

今度は何故か二人共、素直に見合いに応じて、高槻の駅前で見合いをした。
見合いをして2ヵ月半後には、二人は結婚式を挙げていた。
枚方の出張裁判の時に、二人が共に見合いを断っていなかったら、
この縁は成立しなかっただろうと思うと、不思議な気がする。

結婚後最初の住まいは滋賀県甲賀郡水口町(現在の甲賀市)であった。
水俣に嫁けなかったから、水口の住人となら結婚しようと思って、結婚を承知したというわけではなかった。
見合いのときには滋賀県の人とは聞いていても、詳しい住所を知ったのは婚約が成立してからであった。

結婚して間もない頃の話に、夫がまだ二十代の頃、何かの占いをしたら「40過ぎるまで結婚できないだろう」という卦た事が出た事があったのだそうである。
嫌な卦だと思ったが、結局40を過ぎるまで結婚出来ないで来たという。

その話を聞いたとき、私たち夫婦は初めから結婚する運命にあったのかもしれないと思った。
夫は私の人生ドラマに付き合った分けではなかろうが、
丁度私のドラマが完結するのと期を一にして、
夫のドラマも次のステージにシフトしていたのだろう。
だから二人揃って最初の見合いを断っていたのだろう。

件の高校の先輩の彼と結婚する予定は、私の人生ドラマの中には全然なかったから、
二人の仲が近づきそうになると、
私は自分から変な事をして、
彼から離れて行ってしまっていたのだろうと思われる。
今思うと、彼にとって私は理解に苦しむ様な事をしばしばやらかしている、
変な女だった事だろう。
色々と分けの分からない思いで、彼の心を悩ませたりしたのかもしれない。
彼を苦しめる意図など全然無かったとは言え、申し訳ないことであった。

私たち夫婦は三十代半近くと四十代半近くになって結婚したのだけれど、
何とか子供にも恵まれ、遅ればせながら、私も世間並みの幸せな人生を送る事ができてきた。
そして夫の定年を期に、私達は大津市内に転居することになった。

この家に移ってきて後、私は図らずも自分が宇治周囲物語の世界に入っている事を知った。
今の私の家のあるところは大津市とは言っても、京都府との県境に位置する辺鄙極まりない土地である。
しかし私はここが宇治市と接する土地であるという事は、移り住んでしばらくするまで、全然気がつかないでいたのだった。
私達がここに新しい住まいを決めたのは偶々であって、
宇治の周囲に位置するところを選んで移り住んだわけではなかった。

今の家に移り住んで数年後、水俣病訴訟が勝訴20年を迎えたというマスコミの報道があった。
昔、文通をしていた頃、彼の手紙に或俳句が書いてあった。
大学の俳句部で選ばれたのだそうであった。
その時私は名前だけで住所は書かないまま、
彼にその俳句を主題にした葉書を書いた。
何故住所を伏せたのか?
やっぱり夫に対して疚しい思いがあったからかもしれないが・・・・・

その葉書は私にしては全然滞りなくすらすらと書けた。
文字数や文字の大きさも過不足なく、文面がぴったりと葉書に嵌った。
まるで前世からこの文面を書くことが決まっていたかのように・・・・・

その葉書の文面は今でも諳んずる事が出来る。

夏草の波やわらかに碑文字読む(貴句拝借)
新聞で水俣病訴訟が勝訴から20年になると知りました。
長い間ご苦労様でございました。
私は今宇治周囲物語の世界にいます。
文字が違いますって?
私は今滋賀県で、山ひとつ向こうは宇治というところに、
定年後の夫とまだ中学生の娘と三人 長閑に暮らしています。
あの二つの作品は私にとって青春の記念碑となっています。


此の葉書を書く事を私(私の魂)はドラマの完結と、当初から計画していたのではないかという気がしている。

これで私の人生ドラマの前半は終わったが、
宇治周囲物語の中で幸せに暮らす私のドラマの、残りの部分は現在進行中である。
この幸せな現在を作ってくださった夫に、私は深く感謝している。
そして、私の人生ドラマのもう一方の役を担ってくださった彼にも、
とても感謝している。

これらは総て、私の人生ドラマであって、
夫にも彼にも、それぞれの人生ドラマがあったことだろう。
それらの中では私も、その素材の一部であっただけであったことだろうが・・・・・

私の人生ドラマは、多分生まれ出る時の私が
”恋の至極は忍ぶ恋に御座候”という葉隠れの恋物語をやってみたかったからのものではないかと思う。
その相手役にと心積もりしていた彼であったから、
彼の名前を知った時、私の目に彼の名前が輝いて見えていたのではないかと思われる。
それにしても、私はなんと見映えのする相手役を、得ることが出来たことだろう!
彼の人生は「遺言」の久秀のように、悲惨な人生ではなかったけれど、
弱い者の味方として彼は一生初志を貫徹しておられる。

あらゆる意味で彼には只感謝あるのみである。

人生は行き詰ったからと言って、捨てては勿体ないというのが、私がこの記事を書いた理由であり、言いたかった事である。。
行き詰った時、次のステップは始まりかけているのかもしれないではないか。
総ての人が所謂「幸せな人生」になるとは限らないと思う。
人生の目的は人それぞれだから、その人なりの目的を遂げたとき、最悪の場合例え苦しみながら死ぬ事になったとしても、その人は生き抜いたという達成感に満たされるのではないだろうか?
死ぬべきときが来たら必ず死はやってくる。
慌てて自分から死を選ばないほうがよい。
苦しいからと言ってこの世から逃げ出したりしたら、もう少しで達成できたかもしれない人生の目的を果たせない事になってしまうかもしれない。
失恋した寂しさから自殺などしていたら、迷いは晴れないままで、心の平安を得る事はできなかったと思う。
自殺したら輪廻転生を繰り返す事になると教えられているが、
それは途中止めになったドラマのやり直しを、自分自身がもう一度次の世で遣りたくなるからではないだろうか?

それぞれの好みによって、人生ドラマに悲劇を選んだり喜劇を選んだりと色々だろう。
そのドラマは現在の自分の想像を超えた展開になっているはずである。
そして、その展開をこなす能力は自分に備わっているはずである。
自信喪失になったり絶望しそうになる事もあるかもしれないが、
過ぎてみたら、それらはそのドラマに彩を添えるものとなるだろう。

神仏の分身同士である兄弟姉妹(人類)への愛を忘れず、誠実に生きてさえいたら、
人生ドラマはきっと最良の展開をしてくれるだろうと、私は信じている。
神仏を信じる事と自分を信じることは同じ事である。
それが私の信仰であると言えるのかもしれない。

私の人生観・宗教観 

日本人の宗教観について批判しておられる記事を読んだので、
日本人らしいと思われる私の宗教観・人生観を書いてみたくなった。
人間が死んだら極楽へ行くということは、極楽(阿弥陀様のおわす所)がこの世の生物の生まれ故郷だからだと思う。(これは私なりの考え方かも知れないけれど・・・・・)、
阿弥陀様(世界中ではそれぞれ別の呼び名を奉っているが、要するに世界の始まる前から存在する唯一絶対者)は全知全能で何でも出来るけれど、
唯一絶対という事はたった一人であるという事で、幾ら極楽であっても、無性にさびしいと思われたのではないだろうか?
それで阿弥陀様はその全知全能を傾けられて、霊妙な調和の下、生成化育するこの世を創られたのだと思う。

そこで阿弥陀様は人生ゲームのようなものを自らの分身で始められた。
取り組むべき課題を設定し、それをクリアしていく人生を生きるシステムを作られた。
困難を克服する為には、この世に困難が必要となるので、
克服せねばならない困難を設定したり、
愛し合うために男女に分け、家族を形作ったり・・・・・

阿弥陀様の分身は、この世に生まれる時人生ゲームを迫力あるものとするために、
自分が全知全能の絶対者の分身であることを、総て忘れてしまう設定の下、この世に生まれ出てこられる。
分身と言うことは、阿弥陀様ご自身と同じ性質能力を持っているという事なのだけれど、
初めからそれがわかっていては、どんな困難を克服しても達成感は沸かないだろうし、
他人と見えても自分自身であると分かっていたのでは、愛し合うと言う感覚とはちょっと違ったものになってしまうだろう。
という訳で人は自分の前世を、完全に忘れるように設定されている。

だからこの世でどんな困難にあっても、私達は逃げ出(自殺)したりしたらいけない。
それではせっかくこの世に生まれてきたのに、得られたはずの達成感を得ずじまいになってしまう。
私達は絶対者の分身だから、真に心を静めることが出来たら、
うっすらと全知全能の絶対者を思い出す事が出来き、能力も使うことが出来る。
もちろんこの世を円滑に運用するために創られた、物質の原理を守った上でのことだから、
その能力には如何しても限りがあるけれど、
その制限があるということが、この世を切実なものとして面白くする醍醐味のひとつなのだから、
絶対者は物質の法則等この世における制限を、はずすことは殆どされない。

この世で予定していたゲームをクリアしたら、人は自然とこの世から去る運命に見舞われる。
どんな去り方をしたとしても、行き着く先は故郷・阿弥陀様の浄土である。
この世で修行したからと言って、人間が偉くなったり、悪いことをしたからと言って、地獄に生まれることなどない。
人はこの世で極楽では味わえない体験をするために生まれてきた、絶対者の分身なのだから、
始めから全知全能であり、菩薩様の慈悲心を持っている。
只この世の人生ゲームのために、総てを忘れているだけである。
そしてゲームに勝ちたいが為に、愛を忘れ人に迷惑をかけることを厭わないという間違いを犯すものも出てくる。
そのものたちは故郷(極楽)に帰ったとき、「私とした事が・・・・・」と苦笑することになるだろうが・・・・・

輪廻転生については、
もう一度人生ゲームをしたい者は、もう一度この世に生まれてくるだろうし、
少々きついゲームをしたので、暫らく休んでいたいと思う者は、暫らくはこの世に生まれることはないだろう。
人は自分の侵した罪にさいなまれて、どうせ自分は地獄に落ちるしかないのだから等と、自棄になってはならない。
自棄になると、ますます間違いを犯してしまうことになるから。

この世の中を充分堪能して、出来れば周りの人と愛し合う関係を築くという楽しみ方をして生きて行きたいものである。
しかしそんなのだけでは退屈と言う向きには、命がけの挑戦をするという生き方もある。
この世の人間の性質は総て、絶対者の一部分をあらわしているのだから、
絶対に悪いという性質もなければ、絶対に正しいと言う性質もない。
それぞれ対象によって、良く現れることもあれば、悪く現れる場合もある。
だから、場合によって自分の性質(特徴)のあらわし方を、加減するように気をつけたら良いと思う。

人はこの世に生まれるときに、人生の課題をだいたい決めて生まれてきていると思われる。
その課題の種類に、貴賎上下などはない。
人間はみんな平等であると言うのはそのことである。

舞台で殿様になっている役者より、女中になっている役者の方が、老練である場合もあるように、
この世の地位などは、役者の役どころに過ぎない。

財産と言うものも、一定量あればそれ以上あっても余り意味はない。
本当は必要なときに必要なだけ手元に持ってこれたら、それが身軽で一番のはずである。
だから人間は無一物で生まれるけれど、如意宝珠の玉を内に秘めているのである。

という訳でせっかくこの人生ゲームをしに生まれてきたのだから、
ここで只のゲームに現を抜かしているなど勿体無い限りであると思う。
全知全能の唯一絶対者の創りたもうたこの人生ゲームを、存分にクリアしていきたいものである。

どんな地位であっても、本来的な意味では貴賎上下は一切ない。
あるのは役どころである。
役どころであるから、役どころを演じねばならないけれど、
卑下する事なく、存分に役どころをこなしていけばよいのだと思う。

というようなことが、現在の私の人生観・宗教観である。

追記
チャップリンが語る愛の世界
http://dendrodium.blog15.fc2.com/blog-entry-1119.html
も、合わせてご覧ください。

チャップリンが語る愛の世界 

ネットにこんな動画が提供されている。
ヒットラーに扮したチャップリンが、人類の幸福について演説している。


「神の國は汝らの中に在あるなり」とルカ伝17章にある、と言う。
人々の憎しみを煽り、人々を奴隷化しようとしている者たちに騙されてはならない。
人々は愛し合い、助け合うために生まれてきたのだ。

人は愛し合うために生まれてきたのだと、私は最近特にそう思うようになって来た。
愛し合うと言っても、男女の愛だけの事ではなく、
袖摺り合う総ての人々と、愛し合うと言うことである。

これからは私の想像物語

神の分身である人は、只安楽な生活をしていたいだけなのだったら、この苦娑婆に生まれてくる必要など無かったのだ。
生まれる前にいたのは、神の御許・極楽浄土だったのだから。
極楽浄土で何不自由なく暮らしていても、たった一人では何か寂しい。
誰かと助け合い、労わり合う生活がしてみたいと願うようになった。
それで神はこの苦娑婆を作りたもうたのだった。
そして神から神の子が、光の粒の如く生まれでて、地上に生まれる事になった。

神は助け合う楽しみを得るために、、
神の子をこの世の法則に縛られる不自由な生き物として、誕生させる事にされたのだった。
この世の中が動乱の時代と、安穏の時代が交互に来るのは、動乱ばかりではしんど過ぎるし、安穏ばかりでは退屈すぎるから、交互に来るように仕組まれているのかもしれない。

安穏を欲する神の子が集う時代と、動乱の時代に英雄的な活躍をしたがる神の子が集う時代があるのかもしれない。
私達が今おかれている時代は、私達がそれを求めて選んできた時代なのである。
この時代において私達は、何をしたかったのだろうか?
所謂勝ち組になって安穏を得たかったはずはない。
安穏だけが望みだったら、態々この苦娑婆にうまれてくる必要など無かったのだから。

ある者は難しい動乱の時代をものともせず、人々が愛し合う社会を再生させる為に、
思いやり深い優しい人として、善意を尽くす喜びを満喫し、
ある者は悪役として自己嫌悪に陥りながら、この世の物欲に振り回されて、生まれてきた意義を見失ってしまったり、
ある者は傍観者として、なんとなく生きて行く。

時に若い命を燃え尽きさせる、英雄的な生涯を選ぶ者もあれば、
本来無い物・物欲に身を任せ、生まれてきた目的・愛し合うのとは程遠いものになっている権力行使と言う形でしか、他の者と関わりあう事しかできなくなっている者も出てくる。

どうしてこういう事が起きるかと言うと、この世に生まれるときに生まれる前の事どもを総て忘れるよう
に計画されているからである。
天上の国の事が分かっていたら、どんな危険な事に挑戦しても、本当に悲愴な気持ちになどなりはしない。
難しい問題を解決しても、それ程達成感を得ることは出来ない。
結婚する事に決まっている人と出会ったときも、そのプログラムが初めから分かっていたら、
全然どきどきする事もなく、愛を受け入れてもらった時の喜びを、味うことも出来はしないだろう。
どきどきも、わくわくもない人生だったら、それだけで人生は色あせたものになってしまう。

私達は不確定要素を克服して、力を振り絞って生き抜くからこそ、
期待に胸を膨らませる事もできれば、達成感を得ることも出来る。

しかし、この世が余りに厳しすぎるとき、
人は絶望して自暴自棄になって、生まれてきたときの目的・愛を忘れてしまうことがある。
行き過ぎた生存競争主義を是正させる為に、神(仏)は神の国を思い出させ、目的を見誤らないように教えを説く者を、派遣されるのではないだろうか?

今朝の新聞小説「親鸞」(五木寛之著)にあった話だが、
親鸞聖人が言っておられたそうである。
南無阿弥陀仏と唱えて弥陀の本願を信じることができたら、その人はこの世に於いて極楽浄土に生まれることが出来る。
悪を好み人を害する事を趣味とするような悪人で、絶対に弥陀の本願を信じることのできない者であっても、死んだら極楽に往生できる(死んでからでないと極楽往生は難しい)と親鸞聖人が言われたという話であった。
それは人は皆神(仏)の分身だから、死んだら生まれ故郷(天国・極楽浄土)に戻る、という意味だったのではないかと思う。

この世で悪を行う者は哀れな者であるというのは、
この世に生まれてきた「互いに愛し合いたい」との目的を忘れて、
本来存在しない物に囚われて、物欲や権力欲に人生を費消してしまった哀れな者と言う意味だったのではないだろうか?

「ルカ伝17章」でイエスが言われたと言う、神の国は汝らの中に在るなり」と言う言葉と、
浄土真宗の教えとが一致するような気がした。
仏教にもキリスト教にも、「人は如意宝珠を持って生まれている」と言う話があると聞く。
キリスト教では放蕩息子の例えで、
旅に疲れてぼろぼろの服を着て帰ってきた息子に、神が「お前の服の中には無限の価値がある宝珠を縫い付けておいたのに、どうしてそれを使わなかったのだ?」と問われるシーンがあるが、
人は神(仏)の分身として、神(仏)の持ちたもう総ての力を、持って生まれてきているのだから、
物質界の法則に縛られて、何もかも物質に支配されると勘違いしていなかったら、そんなにまで苦しまなくても済むんだよと、
神は苦しむ人に手を差し伸べたくて仕方ないのかもしれない。
人体は物質にある程度は縛られるが、意外と体は体の主(自分自身)の意思に、従ってくれるものであるのも事実であると思う。

いずれにしても人間は死んだら、神(仏)の御許に帰れるのだから、
厳しいにせよ甘いにせよ、この世を思いっきり堪能すればよいのかもしれない。
だが間違っても愛に反する行動は、取らない方がよいと思う。

お釈迦様の最後のお言葉は「この世は良いものじゃ」であったと聞く。
今の世の中も、私達の取り組むべき問題提起のために、しつらえられた環境なのかもしれない。

希望の功徳 

五木寛之が新聞に連載している小説「親鸞」に先日あった話は、素晴らしいものだと思ったので、ここにご紹介したい。


関東で布教活動を始められた頃の親鸞聖人に、
聴衆が信心をしたらどんなご利益があるのかと迫った。
信心したら病気が治るのか、運が開けるのか、金持ちになれるのか等と。
親鸞聖人は、信心したからと言って、特別のご利益が有るというわけではない。
ご利益で、病気が治るわけでもなければ、運が良くなるわけでもないし、金持ちになるわけでもないと言われ、次の様なエピソードを話されたのだった。

親鸞聖人がまだ9歳の時の話である。
早くに両親をなくされた親鸞上人は、白河あたりのお寺に預けられておられた。
ある日の夕方、そのお寺のえらいお坊様から、比叡山の横川の宿坊に荷物を届けるように言い付かった。
夕方白河のその寺を出発したのでは、横川の宿坊に着く頃には真っ暗やみになっているはずであった。
寺にいる先輩の小僧達が皆断ったので、まだ9歳の親鸞聖人にお鉢が回って来たらしい。
親鸞聖人は比叡山に憧れておられた事もあって、その役目を引き受けられたのだった。

以下、五木寛之の名文を写させていただく。
「やがて途中で夜になった。最初は月の光を頼りに山道をたどっていた。比叡は十六谷と言うが、都から眺めているとは全くことなる険しい山なのだ。杉の木立は黒い巨人のように頭上にそびえ、一歩踏み外せば谷底に転落しそうながけの道が続く。途中から雲が出て月の光が消えると、あたりは真っ暗闇だ。
そして何処まで行っても目指す横川にはたどり着かない。
背中の荷物が骨身にこたえた。草鞋の緒が切れ、何時しか裸足になっていた。
岩にぶつけた指から血が噴出し、荷物が肩に食い込んで、体が思うように動かない。
そのうち遥か下の方から水の音が聞こえてきた。どうやら滝つぼの上の小さな細い道にさしかかったらしい。これほど深い闇というものを、初めて感じた。
這うように進んで行ったが、手足がすくんで、一歩も前へ出られなくなってしまった。足もとの小石が崩れ、音を立てて闇の底に落ちて行く。体が震え息が苦しくなる。
私はその時、生まれて初めて真の恐ろしさを感じたのだった。
身動きも出来ず、叫び声も出ない。今にも深い断崖から真っ逆さまに落ちていくのではないかと思った。思わず泣き出してしまった。

そのとき、空から青白い光がさしてきて、あたりをくっきり照らし出したのだ。
雲間から月が現れたのだった。
月光は信じられないくらいの明るさで、私の周りを照らしていた。そのとき私は漸く分かったのだ。
自分が山肌に沿った細い道の途中にいることが。そしてその道をずっとたどって行けば、まちがいなく横川にたどりつくことが。
片手で山肌を探りながら、私は歩き出した。すると木立のかなたに、かすかな灯火が見えた。

あれが横川の燈だ。あそこまで行けばいいのだ。そう思うと嘘のように体が動いた。そして私は無事横川の宿坊までたどり着くことが出来たのだった。」

そして親鸞上人は言われた。
月の光があたりを照らしているからといって、背負っている荷が軽くなるわけではない。遠くに横川の燈が見えたからといって、そこまでの道のりが近くなったわけではない。
荷の重さも変わらない。歩く道も近くはならない。
だが私は立ち上がり、歩き出す事ができた。

私はこれが信心の功徳と言うものなのではないかと思った。

神仏を信じたからといって、周りの状況が変わるわけではない。
しかしそこに希望(燈)を見つけることが出来た時、勇気百倍となり、動かなかった足も動き出す・・・・・

もうどうにもならない、生きていても無駄だと思って鬱屈している時、
必ず何とかなると信じる事ができたら、同じ条件下であっても、人は元気に生きていく事ができる。

国民が希望を棄てなかったら、日本は必ず再生できる。
だから私は同胞に、希望を棄てない事を希望する。

生きる目的 信心の目的 

「人は何の為に生きるのか」というのは永遠のテーマだと思います。
それを親鸞聖人が説かれたという、有名な話なのだそうです。
私はここで初めて知らしていただいたのですが・・・・・
「歴史は人生の教師」の親鸞聖人の日野左衛門の済度
http://blog.goo.ne.jp/basyauma21/e/8f50f00bd1c20abd705039dabfd3285d
を、コピーさせていただきます。

人間の実相を語る歴史人(親鸞聖人の日野左衛門の済度)

親鸞聖人が日野左衛門を
済度される場面は有名だ。

囲炉裏に薪がくべられ、
部屋には暖かい空気が満ちてくる。
火を囲んで、聖人は
日野左衛門に尋ねられた。

「日野左衛門殿。
 こんなことを尋ねては失礼だが、
 夕べ、『坊主は大嫌いだ』と
 言われていたようだが……」

「いや、つまり……、あれはだな。
 葬式や法事で、
 訳の分からんお経を読んだり、
 たまに説教すりゃ、
 地獄だの極楽だのと、
 死んでからのことばっかり言って、
 金を持っていく。
 そんな者、おれは、大嫌いでなぁ。
 だって、そうじゃねえか。
 やつらのやってることは、
 墓番と、葬式だ。
 死んだ人間の、後始末ばかりだ。
 どうして生きてる人間に、
 どう生きるかを教えねえんだ。
 それが、坊主の役目だろう。
 おれたちゃあ、毎日どう生きるかで、
 朝から晩まで一生懸命なんだ。
 その、どう生きるかを、
 少しも教えねえで、
 汗水流して稼いだ物を、
 持っていきやがる」
 
親鸞聖人も、さも、もっともだと、
うなずいて聞いておられる。

「ところで、日野左衛門殿。
 どう生きるかも大切だが、
 なぜ生きるか、は、
 もっと大事だとは、
 思われませんか。
 どう歩くか、よりも、
 なぜ歩くか、が、
 もっと大事ではありますまいか」
 
日野左衛門は、ハッとして、
親鸞聖人の方を向く。

「なぜ生きる……」

「さよう。皆、
 どう生きるかには一生懸命だが、
 なぜ生きるか、を知りませぬ。
 のお、日野左衛門殿。
 それだけ皆、一生懸命、
 生きるのはなぜか。
 それこそ、最も大事ではなかろうか」

「うーん……。なぜ歩くか、
 が分からねば、歩く苦労は、
 無駄か……。
 なぜ生きるか、が分からねば、
 生きる苦労も、また無駄か……。
 そう言われれば、そうだ。
 おれは、一生懸命生きることが、
 一番いいことだと思っていたが……、
 なぜ生きるかの一大事を、
 おれは忘れていたのか……」

「それをハッキリ、教えられたのが、
 仏法を説かれた釈尊なんですよ」

「エエッ!そんな教えが仏法?」

「そうです。お釈迦さまは仰せです。
 大宇宙には、数多くの仏さまがおられる。
 それらの仏が本師本仏と仰がれるのが、
 阿弥陀如来です。
 絶対の幸福になることこそが、
 なぜ生きるかの答えなのです」

「絶対の幸福、
 それはいつなれるのだ」

「この身、今生、ただいまのことです」

「ただいま、この世で助かる?」

「そうです。今、救われずして、
 救われる時はありません」

「しかしなぁ。殺生ばかりしている
 おれなんか、どうせ縁なき衆生さ」
 
首を左右に振って、
自嘲する日野左衛門。

「日野左衛門殿。
 あなたが殺生されるのは、
 肉を好んで食べる人が
 いるからでござろう」

「そうだが……」

「たとえ、自分が殺さずとも、
 肉を食べれば、
 同じ殺生罪と教えられているのが、
 仏法です」

「えっ?それじゃ、みんな、
 殺生していることになるじゃないか」

「いかにも。殺生せずしては、
 生きていけない。
 私たちの、どうにもならぬ
 恐ろしい業なのです」
 
さらに前に身を乗り出す日野左衛門。

「そのとおりだ」

「すべての人が、どうにもならぬ
 極悪人だからこそ、
 阿弥陀如来は、我を信じよ、
 必ず、救い摂ると
 誓っておられるのです」

「そ、それは、本当か」

「この親鸞が、生き証人でござる。
 欲や怒り、愚痴の塊の、
 助かる縁の尽きた親鸞が、
 もったいなくも、
 阿弥陀如来のお目当てじゃった」
 
合掌、瞑目されて、
静かに称名念仏される聖人。

「あなたは、違う、どっか違う。
 親鸞さま。もっと詳しく
 聞かせてくだせえ」

「お聞きください。
 詳しくお話ししましょう」
 
それから、親鸞聖人は、
熱心に話し込まれるのであった。

大慈大悲の阿弥陀仏のご本願を
知らされた日野左衛門は、
聖人のお弟子となり、
入西房と名を改めた。

寺伝には、

「たちどころに他力摂生の
 信心を獲得しけり」

と記されている。

ご恩をしのぶ日野左衛門

入西房は、自宅を聞法道場とし
枕石寺と名づけた。
寺の名前がそのまま聖人の
ご苦労を表している。
 
この寺には
「雪中枕石之御真影」
といわれる聖人像がある。
入西房の作である。

ちょうど1年後の11月27日も
吹雪であった。入西房は、

「罪業深く、地獄行きの私が、
 弥陀の浄土間違いない身に
 救われたのは、親鸞聖人が、
 わが家の門前で
 ご苦労してくだされたからであった。
 計り知れないご恩を受けながら、
 ややもすると忘れがちになるとは、
 なんとあさましいことか」

と、懺悔せずにおれなかった。

そこで、末代の人々が、
阿弥陀仏に救われる縁と
なるようにと、
石を枕、雪を褥のお姿をご彫刻し、
ご恩をしのんだのであった。

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