Dendrodium 自然治癒力

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粗食の進め 

家族みんなが病気にならない食べ方事典(現代書林 杏林予防医学研究所所長 山田豊文著)を読みました。
この本は細胞から元気になる食事を主張しておられます。
どんな食事を取るべきかは、この本を読んでいただくのが一番なのですが、
飽食の現代人の食事習慣は、細胞にとって害になるものが多いようです。

細胞が元気になる食事の基本的ポイントとして5つ上げておられます。
①良質な炭水化物(註1)を知る。(炭水化物を正しく取る)
②マゴワヤサシイ(註2)をまんべんなく。(生命の鎖をつなぐ必須栄養素をバランスよく取る)
③良い油(註3)をとり、悪い油を避ける。(油の正しい取り方を身に付ける)
④調理法に注意する。(有害物質の発生や有用成分の損失を防ぐ)
⑤牛乳や乳製品は取らない。(食性に反するものは口にしない)

註1 良質な炭水化物というのは、精製されていない穀物の事。
    お米も白米は避け、玄米を、
    真っ白な小麦粉で作ったパンや麺類、お菓子などは良くないそうです。
 
註2 マゴワヤサシイ
    マ 豆類
    ゴ ゴマ
    ワ 海藻類
    ヤ 野菜
    サ 魚介類
    シ 茸類
    イ イモ類

註3 良い油と悪い油
  トランス脂肪は毒物ですから論外なのですが、
  その油そのものに毒はなくても、その摂取の割合が極端に偏る事によって、
  体に害をなす事があるのだそうです。
  細胞を機能させる為には、絶対に油は必要で、
  オメガ3と呼ばれる油と、
  オメガ6と呼ばれる油は、体内で創る事が出来ないので、
  食事からとらねばなりません。

  オメガ6の油は、コーン油 サラダ油 ごま油 紅花油 大豆油等で、
  必要以上に大量に摂取している人が大部分なのに反して、
  オメガ3は亜麻仁油(フラックスオイル) エゴマ油 シソ油 青背の魚等で、
  一般にとる量が足りない人が多いそうです。

  オメガ3とオメガ6の量が不均衡になると、
  人体に何かあったとき、細胞膜の修復が上手く行かなくなるのだそうです。
  だから、オメガ6の油は摂りすぎる位摂っているので、
  オメガ3の油を摂るよう気をつける必要があるようです。

牛乳に付いては「スポック博士の育児書」でスポック博士は、
牛乳は体に必要な成分が殆ど含まれており、カルシウムを豊富に含む唯一の食品として、
嘗ては牛乳を推奨しておられたのですが、
老齢になって脳梗塞で倒れられた時、
牛乳が人間にとっては、よくないと言うより、有害であると気付かれ、
「スポック博士の育児書」の7版(2004年版)で、
牛乳は摂るべきでないと、潔く修正をされたそうです。

所が日本では第7版以降の翻訳をせず、
第6班を最新版として、10年以上改訂版を出していないそうです。
やはり乳業メーカーの為に、牛乳神話を覆したくないもののようです。
牛乳がどうして有害であるかに付いて、この本には詳しく説明して有るのですが、
複雑に入り組んだ理由があるので、この本を読んでいただきたいと思います。

ほんの一部分を紹介しましたが、
本当に内容の充実した本でした。(すぐ忘れてしまう私には勿体無い本でした。)

この本や、食品添加物の本等を読んで、
今の私達にとって危険なのは、放射能だけではないのだと痛感させられました。

今の日本人に放射能は避けようがないのだとしたら、
他の避けられる食品や、食品添加物を避けることで、
健康被害を最小限に止めるのも良いのではないかと思います。

こんな本を私が急に読む様になったのは、
長年不養生の限りを尽くし、メタボになっていた娘が。最近心機一転して、ダイエットを目指した事に始まります。
ダイエットをするに当たって4~5冊の本を読んだそうで、10キロ余りダイエット出来た様です。

又、この記事でご紹介しまた「この本」に従って断食したり、食生活を改善したら、
小さい頃から続いていたアトピーが、すっかり治ってしまっているのです。
食生活を正しくしたら、薬等飲まなくても治るという事も実証出来た様です。

薬は対症療法だから、一旦押さえ込む事が出来ても再び出て来るけれど、
食生活の改善をしたら、薬のように副作用もないし、色んな病気が奇麗に直る場合が多いようです。
何か、慢性病を持っておられる方は、この本のご一読をお勧めします。

追記
科学的な探求にフラクタル性がある限り、真が偽となり、偽が真となる場合もあるのかもしれませんが・・・・・(こちら

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真実の医療の戦い 

これからの日本、程度の差はあるかもしれませんが、
ほとんど総ての人に健康問題は避けられないかと思われます。
それで、出来るだけ元気に過ごす為に、
In Deepのこの記事は、(放射能の事は一切書いてありませんが、)
可也参考になるのではないかと思い、
長いものですが全文をコピーさせていただきました。
尚、色々の画像も見れるので、In Deepの当該記事をご覧になった方が分かりやすいかとは思いますが・・・・・

    (以下引用)
パッチ・アダムス医師の「楽しく人を死なせる」ための真実の医療の戦いの中に見えた「悪から善が生まれる」概念の具体性

自殺未遂を繰り返していたひとりの青年が導いた来世のヘブン
昨日、ものすごく感動する映画を見ました。
震えるほど感動した、といっても構わないです。

この感動は、最近、私が興味を持ついくつかのことのうち、

・真実の医療とは何なのだろう

ということと、輪廻転生という観念から見た際の、

・死ぬ時点で獲得すべき人間の意識や感覚

というふたつのことと、映画の内容が一致していたためということもあるのかもしれないですが、深夜にひとりお酒を飲みながら泣きながらその映画を見続けていたのでした。

そして、この映画は、とにかく、何がなんでも「医師や医療関係者、あるいは、これから医学を目指す人たちすべてに見てもらいたい」と思います。

映画は、昨年亡くなったロビン・ウィリアムズさん主演の『パッチ・アダムス』という 1998年の映画で、アメリカの実在の医師であるパッチ・アダムスの伝記映画です。

このパッチ・アダムスという人は、私はこの映画を見るまで知りませんでした。 パッチ・アダムス - Wikipedia という項目もありますが、この伝記映画の内容を箇条書きにした方がわかりやすそうです。

『パッチ・アダムス』

・若い時に何度も自殺未遂を繰り返し、任意で精神病院の閉鎖病棟に入院する

・精神病院で患者が薬漬けにされ、医者や看護師たちに威圧的に扱われる現実を患者として味わう

・精神病院の入院患者たちを笑わせている時に、彼らの心が開き、状態がよくなることに気づく

・精神病院の中で「人を笑わせて治癒する医者になる」ことを決意

・米国ヴァージニア医科大学に入学。映画は、実質的には、この医学部での最初の1年間(2年かも)を描いたもの。

・大学付属の病院を研修中に、病棟の人たちに笑顔がないことを知り、(本当は1年生は病棟に勝手に訪問してはいけないのに)病室を回り、日々、患者たちを笑わせる

・医学部での成績は常にトップだったが、アダムスの行為を快く思わない医学部の医学部長から病棟訪問の禁止の勧告を受けながらも、それでも、患者たちを笑わせる行動をやめない。

・実際に「笑う」ことにより、病棟の患者たちへの薬の投与量はどんどんと減り、症状が改善する人たちも増えていくうちに、最初は怪訝だった病棟のナースや、一部の医者たちもアダムスの支持者となっていく

・自分の目指す「笑わせる医療」」ができて、さらに完全無料の医療サービスを提供する病院「ゲズントハイト・インスティテュート」を設立(この時点では学生なので、無免許医)

・学部長はついにアダムスに大学の退学の命令を出すが、アダムスは、ヴァージニア州医師会に判断を要請し、公聴会での判断に委ね、退学命令は却下される。

文字では、その感動がうまく伝えられないですが、医療関係の方でなくとも、たとえば、「真実の医療とは何だろう」というようなことを考えていらっしゃる方には、ぜひとも観ていただきたいです。

レンタル店にあるかもしれないですし、なくても、ヤフオクや楽天などでいくらでも売られていると思います。私は、ヤフオクで 700円くらいで買いました。

何だか、「笑いで患者の元気を出す」というような話のイメージからは「愛と優しさの物語の映画」というような感じでとらえられそうですが、本人が映画の通りなら、この人は極めて過激な人です。

行うことのすべてが過激で極端です。

末期のガンで、ナースたちに怒鳴りまくり手に負えない男性患者の病室に、アダムスは「天使」の格好で訪問し、その男性に「死ぬ」ということを意味する単語を何度も繰り返すシーンがあります。

正確に台詞を書きますと、「将来の予告編を見せよう」と言い、「死」「死ぬ」「息が絶える」「果てる」「くたばる」・・・など、他にもいくつもね「死ぬことを意味する単語」を延々とその男性に対して語り続けます。

最初は怒りを示していたその患者は、しかし、次第に何事かを考えだし、自分でも「死むこと」に関連する言葉をつぶやき、それから、アダムスと「死を意味する言葉の掛け合い」を始めて、ついに患者は笑いだします。

「なるほど、自分はもうすぐ確実に死ぬ」ということを自分で始めて受け入れ、患者は、そこではじめて治療者に心を許したのでした。

この患者は、最期の時もアダムスに立ち会ってもらい、死の瞬間まで、アダムスはその男性患者にキツい冗談を言い続け、男性は「冗談を言われている中」で安らかに息を引き取ります。

これがなければ、彼は「人に怒鳴り散らしたまま」死んでいったはずです。
次の世に「怒り」を運んでいっていたわけです。

最高の終末医療とは

医学生アダムスの行うことは基本的に常軌を逸していて、それは(自身が精神病院に入っていた時の記憶も含めて)大学医学部と医療システムという「権威の場所」との「戦争」であるかのようにも見えました。

当然、医学部の学部長はアダムスのことを快く思わないのですが、学部長らが最も許せなかったのは、アダムスが「患者と同等の目線で接するから」でした。

学部長や多くの医師たちは、

「医師は患者より上の立場でいるべきで、同じ目線でいてはいけない」

という考えに立脚していたのです(これは日本も同じ部分があるかもしれません)。

その点、パッチ・アダムスは「医者と患者は同等」として、徹底的に患者の心に入り込もうとします。これが、医学部の立場からは許せなかったもののようです。この部分については、アダムスは絶対に意見を曲げませんでした。

しかし、実際のパッチ・アダムスは、映画以上に過激な人であるのかもしれないと思う面もあります。

冒頭の写真は、本物のアダムス医師で、治療中には、いつもこのような格好をしているということなんですが、ふだんの格好も「どこでそんなシャツ売ってんだ?」というような派手なのをいつも着られているようで、そんな写真ばかりです。

ところで、どうも、私は映画から、このパッチ・アダムスは「無意味な延命治療をするべきではない」と考えているのではないかと思う部分がありました。

下は映画での公聴会のシーンですが、かなりはっきりと「医者は死を遠ざけることが努めではない」と言っています。

パッチ・アダムス

・映画『パッチ・アダムス』

「パッチ・アダムスの本はないのかな」と探してみると、『パッチ・アダムスと夢の病院』という本があったのです。さっそく注文はしまして、まだ内容はわからないですが、 Amazon のレビューに、以下のようなものがありました。

現実のパッチは、映画の中よりも厳しいかもしれない。ユーモアが人の心や病気を癒す、と言う一方で、「すべての人に楽しい死を」と高らかに謳うのだ。

人は生まれ落ちた瞬間から死へと突き進む。100年先か、50年先かは分からない。

だから生きていける。限りある命だから今を精一杯生きよう。楽しみを見つけよう。痛みや苦しみを抱えていても、没頭できる何かに夢中の間、忘れることはできなくても、痛みが和らぐかもしれない。そんな瞬間をつないでいけば人生は楽しい。

でも、身近な者の死期を医者に宣告されたら? 残された時間はわずか。不安になるといつもこの本を読み返していた。

明日をも知れぬ身と言われた父は、それから2カ月を生きた。会えば少しでも笑って欲しかった。安心した顔が見たかった。赤い付け鼻は無かったけれど、「それでいい。がんばれ」とパッチに励まされているような気がした。

「ああ、やっぱり」と思いました。

アダムス医師は、治療と共に「最高の終末医療」を目指しているのだと思います。自身が精神病院の中で確信した「笑いは人を治して癒やす」ということの信念を、現在に至るまで曲げずにいるということのようです。

現代の医療は、

「とにかく少しでも長く生きていればいい」

という観点からのものが多く、その「状態」がどうであるとかには、あまり気をかけない面があることは否定できません。

しかし、アダムス医師は、同じ死を迎えるにしても、

「死ぬ人すべてに短くても楽しい生を」

と考えている。

これですよ、これ。

これが現実世界の話だけではなく、シュタイナーなどの輪廻転生の概念などと合わせてみても、「楽しい気持ちで迎える最期」が次の世にどれだけ素晴らしいものをもたらすかということも思います。

極端にいえば、「楽しい死を迎えることができた人が増えれば増えるほど、来世に控える無数の地球は少しずつ良くなっていく」ともいえるのではないでしょうか。

また、亡くなる方ではなく、見送る方にしても、亡くなった方が「最期まで笑顔でいられた」というのと、そうでないのとでは、残った方に与える影響も違いそうです。

ちなみに、映画の予告編に字幕をつけてアップされていた方がいました。
貼っておきます。

ちなみに、このパッチ・アダムスという人は、想像を絶するほど、いわゆる頭のいい人だったようです。映画にも出てきますが、医学部で「まったく勉強しないのに、常に成績はトップ」であったことが描かれます。医学部なんてのは学業的に優秀な人の集まりなわけで、その中でまったく勉強せずにトップというのは、何か「異常な頭脳」を感じます。

悪から善が生まれる
それにしても、こんな人がいたんだなあ、と改めて思います。

イエスとかお釈迦様とか、この世には、たまに本当にすごい人間が生まれ出てくるわけですけれど、多くの人たちは「何らかのキッカケ」で、人生の力強い変転を迎えるわけで、例えば、日本最初のヨガ行者、中村天風なら、そのキッカケは「重い結核」にかかったことですし、パッチ・アダムスなら、「自殺未遂を繰り返して精神病院に入ったこと」です。

天風の悪性結核、アダムス医師の精神病院入院、と、これらは、どれもネガティブなことばかりです。しかし、

そのネガティブな出来事がなければ、彼らは後世に何かを残すような考えに辿りつかなかったし、そのような人間にもなれなかった。



ということがわかります。

すなわち、それらはネガティブなことでありながら、まったくネガティブな要因ではなく、それどころか、彼らの人生に絶対必要だったことでことで、つまり、これらのことは「良い出来事よりはるかに重要なことだった」ことがわかります。

ここに、

この世の中に否定的な出来事は存在しない。



という真理を見ます。

あるいは、私自身の人生もそうです。

私も、病気を中心として、いろいろとネガティブなことを体験してきていますが、それこそが、その後の私のいろいろなことにつながっている。そういう意味では、それらはネガティブなことではあっても、必要なことでもあったと。

それに、私は何度か死にかけたことがありますけれど、気づいたのは、天風さんの

「死んでないだろ」
という言葉です。

死ぬ時は人間は死ぬのです。
しかし、私は過去の「死にかけた出来事」のどれでも死んでいない。

これは説明が難しいですが、とにかく死ぬ時は死ぬのです。
怖れるとは怖れないとかではなく、その時は来るのです。

この「死んでないだろ」を真に理解することが「悟る」ということなのだと思います。
私はもちろん理解していないですけれど。

そういう意味では、パッチ・アダムスは、精神病院の中で悟りを得たように見えます。

結局、人間は、様々な「悪い経験」で、少しずつ目を覚まさせられるという部分がありそうで、あまり悪いことが何もないまま過ぎていく人生は、その人を成長させないかもしれません。

そういう意味では、

悪こそ善


という、エクソシストのメリン神父の言葉も理解できるような気もします。

これは、
・ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係
 2014年07月26日

という記事に、長編小説『エクソシスト』の中の登場人物、メリン神父の言葉を載せました。

少女リーガンに取り憑いた悪魔について、

このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな。

と語っています。

> 悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな

という意味が、今は少しわかります。

それにしても、パッチ・アダムスのような人の映画が作られてよかったなあ、と心から思います。これがなければ、私はこのような人の存在を知り得なかったです。

どんな人の存在も活動も、何らかの形で記録に残らないと私たちは知ることができません。

イエス・キリストの活動が 2000年も残り続けているのは記録があるからですし、あるいは、さまざまな宗教家や思想家の考えを私たちが知ることができるのも、記録があるからです。

このアダムス医師のことも、映画があったからこそ知ることができました。

ちなみに、この映画のことを知ったのは、天風に師事していた松本光正医師の『高血圧はほっとくのが一番』の中で、「笑いの重要性」について書かれていたセクションに記されていたものでした。

ちなみに、「笑い」はかなりストレートに体に作用することが、日本の医学実験で確かめられていることが書かれています。

笑いの現実的な治癒効果は実はかなり高い

最初に、笑いが医療に応用されるキッカケとなったのは、1970年代のアメリカだったようです。松本医師の本から抜粋します。

笑いが医療に取り入れられるようになったのは、1976年、ある医学雑誌に掲載された一人の患者の手記に端を発する。強直性脊髄炎という難病におかされた、アメリカの雑誌編集者、ノーマン・カズンズ氏が、笑いを取り入れた治療で病を克服するまでの記録である。

カズンズ氏は、ユーモア小説を読んだり喜劇を観たりして大笑いすると、痛みが和らいでぐっすり眠れるようになったという。難病を克服したカズンズ氏は、その後、カリフォルニア大学医学部教授に転じ、笑いの治癒力を説いた。



さらに、実験について記載されていますので、抜粋します。

松本光正『高血圧はほっとくのが一番』より

日本でも笑いの効用を科学的に解き明かそうとする研究が始まった。

中でも有名なのは、1991年に、大阪ミナミの演芸場で行われた実験だろう。

ガン患者 19人に吉本新喜劇を3時間見て大笑いしてもらい、その前後でガン細胞を直接攻撃するナチュラルキラー細胞(NK細胞)の活性度を調べたものだ。

その結果、最初から低かった人、基準内だった人のいずれもが、活性度が上昇した。つまり、笑いはガンに対する抵抗力を高めることが判明したのだ。

その後の研究により、NK細胞はたった5分笑うことで活性化することが分かった。NK細胞は、注射で活性化させようとすると3日はかかる。

それだけ、笑いは体に大きな影響を与えるのだ。

その実験のグラフがネット上にありました。

お笑いを見る前と後のNK細胞の変化
・サワイ健康推進課

全員が上がっているわけではないですが、程度の差はあれ、笑っている間は、ナチュラルキラー細胞が活性化され続けるので、ガンの人は「とにかく笑っているのがいい」ということになりそうで、極論で言えば、「笑い続けることで、ガンが抑えられたり、ガンが治癒される可能性もあるかもしれない」ということも言えそうです。

ガンだけではなく、他に、笑うことにより、

・血糖値をとても下げる(2003年の国際科学振興財団の実験)
・脳の働きが活性化(笑うと脳の海馬の容量が増えるため)
・血行の促進や血圧の安定(笑うことが深呼吸と同じ状態のため)
・自律神経のバランスが整う(笑うと副交感神経が優位になるため)
・幸福感と鎮痛作用(脳内にエンドルフィンが分泌されるため)

などの作用があることがわかっているそうです。

しかし、これだけ効果があることはわかってはいても、たとえば、実際に、ガンや糖尿病の患者さんが、病院で医師から、

「今日から笑うようにして下さい」

と言われることがほとんどないというのが現実です。

それに、上に書きました「笑いが免疫を高める医学実験」も、その後は継続的におこなわれている感じがしないというのも・・・。

理由はいろいろでしょうけれど「医療の現場で笑いは不謹慎」という部分もあるのかもしれないですね。

たとえば、末期ガンの患者と共に「ウヒャヒャヒャヒャ」と笑うのは、現代の意識での図式では不謹慎に見えるということかもしれません。

私は以前、一度入院したことがあります。

東京新宿にある国際医療センターという大きな病院で、1週間ほど入院していましたが、入院病棟という場所は本当に「笑いのない場所」でした。

私の向かいのベッドの男性は、クローン病、隣のベッドのご老人は末期の膵臓ガンで、見舞いに来た人ごとに「もうダメらしい」と話していました。部屋の隅にいたご老人は、私がいた1週間の間ずっと寝たままで、体中にいろいろな器具やチューブがつけられていました。何の病気かはわかりません。

そんな雰囲気で笑いが出ないのは当然かもしれないとも思いますけれど、しかし、今だからこそ思うと、むしろ、「あれではダメ」なのです。

笑いがあれば、自己免疫力も上がるし、何より、もう治らない患者さんでも、パッチ・アダムスの意志である「すべての人に楽しい死を」という観点からは、末期の膵臓ガンの人にいかに笑ってもらえるかを考えることが、本当は重要なのだと今は思います。

いつか笑いと治癒の関係が科学的に証明されたり、あるいは、病院に「笑い指導員」とかが常駐するような時代になればいいな、とか。

笑い指導員といえば、2011年の記事ですが、

・1918年の「死のインフルエンザ」へのケロッグ博士の対処法
 2011年11月22日

で、「ケロッグ博士」(原題: The Road to Wellville)という、20世紀のはじめに、アメリカで富裕層向けの診療所(バトルクリーク診療所)を開設していたケロッグ博士という実在の人物を描いた映画の話を書いたことがありましたが、その診療所に「笑い治療」が出てきます。

このバトルクリーク診療所では、1918年に世界中で流行した、非常に致死率が高かったスペインかぜ(鳥インフルエンザのパンデミック)で死者を出さなかったのですが、この際、ケロッグ博士は「医薬品を一切使わない治療法」で、患者の死亡ゼロという奇跡的な成果をあげています。

そのケロッグ博士の診療所では、「笑う治療」というものがおこなわれていて、リズムに合わせて「集団で無理矢理笑う」という治療法なのですが、この治療法の良いところは、無理矢理笑っているうちに、「馬鹿馬鹿しくなって本当に笑い出す」という集団心理につながるところです。

これは映画でも描かれていて、わりと有名なシーンとなっています。
下の30秒ほどのシーンです。

ケロッグ博士(1996年)
(このヴィデオはコピーできないので、In Deepでご覧ください)

ケロッグ博士は、古い時代の医療者ですが、笑いの効能を見抜いていたのかもしれません。

そういえば、最近、「薬が喜びの感情を抑える」というニュースがありました。「笑いの効能」という意味では、これも薬による別の弊害なのかもしれないなあと思います。

米オハイオ州立大学の研究チームは16日までに、市販の多くの鎮痛剤に含まれるアセトアミノフェンに、痛みだけでなく喜びの感情を抑える効果があることがわかったと発表した。

論文によると、アセトアミノフェンに心理的な苦痛を和らげる効果があることは以前から知られていたが、今回の研究で、喜びの感情を弱めるなど、感情の幅を狭める効果があることがわかったという。



シュタイナーが解熱鎮痛剤の出現に絶望したとき

上のニューにある「アセトアミノフェン」というものは、市販されている多くの風邪薬や解熱鎮痛剤に入っているものですが、人間の感情を抑えるという「副作用」を持っていたようです。

この解熱鎮痛剤というものについては、その出現の時に、シュタイナーは以下のように述べていました。

1908年のシュタイナーの講演「人体リズム」より医学において私たちは、今日まだ手探りをしています。病理学と治療の堅固な度台は、太古に遡るものです。解熱鎮痛剤フェナセチンの試験がなされたとき、私は知性と感情の殉教を体験しました。
道しるべもなく実験するのは、科学が精神とともに真面目さも失ったことを示しています。



と嘆いていましたが、このフェナセチンは、日本でも 1999年まで使われていて、非常に多く処方されていた解熱鎮痛剤です。

また、解熱鎮痛剤は、痛みを弱めると共に熱を下げる薬ですが、シュタイナーは「熱を下げてはいけない」として、以下のように述べています。

生体はその損傷に反抗し、防御力を用います。この反抗が通常、熱なのです。熱は、人間のなかの治癒力の呼び声なのです。熱は病気ではありません。損傷を直すために、人間が自分の生体全体から力を呼び集めているのです。損傷に対する生体全体の反抗は、一般的に熱として表現されます。

病気において、熱は最も慈善的で、最も治療的です。損傷を受けた個々の部分は、みずから治癒できず、他の側から力を得なくてはなりません。それが熱として表現されるのです。



として、「熱はすぐれた治療者だ」としているのです。
「熱」という存在がなければ、身体は回復できないとしています。

続けて、

「熱が抑えられるとき、生命は危険な状態になります」

とまで言っています。

松本医師の言う「人体の働きに無駄なものは一切ない」という言葉を思い出します。

この「熱」もまた人体の重要な作用であることになりそうで、その重要な作用を強制的に抑えてしまう解熱鎮痛剤の登場に、シュタイナーは「知性と感情の殉教を体験しました」というほどの絶望を受けたようです。

私も数年に一度、「不明熱」に襲われることがあります。
昨年もありました。
その時は 40度を越えたと思います。

そこまで熱が上がると、病院に行くわけですが、昨年も熱の原因はわかりませんでした。しかし、原因はわからなくとも、当然のように解熱鎮痛剤を投与されて、飲んで熱を下げる、ということになるわけですが、良くなかったのかもしれません。

私の中で、「体温を 40度以上にしなければならない何かが起きていた」と考えるのが妥当なようです。とはいえ、大人で 40度を越えてくると、さすがに不安感はありますが。

医療サイドも少しずつ変化してきている

それにしても、ほんの少し前に、
・基本的に「すべての薬」は人間に良くないという理由の理論的なメカニズムがわかったのです
 2015年04月02日

という記事で、薬、つまり現代医療の根幹をなすものへの疑念、あるいは、現代の医療そのものへの疑念を持ち始めてから、怒濤のように次々と自分の前にあらわれる様々な人物や書籍や情報。

それらの「質」に圧倒されます。
いかに自分が何も知らなかったかを自覚せざるを得ません。

それでも、今、西洋医学の治療への概念も少しずつではありますれけど、変わりつつあるとも思っています。

相変わらず多くのお医者さんが「薬を出して終わり」という現状はあるでしょうけれど、そうではない方々も増えていると思います。

たとえば、自律神経免疫治療という、薬から離れるための西洋医学の療法をおこなっている病院の一覧を見ますと、鍼灸治療、温熱療法といった知られたものから、

・カラー(色彩科学)セラピー
・交流磁気療法
・無血刺絡療法
・波動療法
・水素温熱免疫療法
・オゾン療法

など、聞いたことのない治療法が並びます。
おそらくは、どれも薬を使わないものだと思います。

いろいろありますが、「波動療法」って何だ? と思って、それが書かれてある東京都の病院のサイトを見ますと、下のような図が載っていました。

波動療法

・永野病院 エネルギー医学

これを見た途端、

「何となく、シュタイナーの言う、肉体と生命体(エーテル体)の関係と似ているなあ」

と思いました。

シュタイナーが説明する「人間」とは、4つから構成されていて、この

・肉体
・生命体


の上に、

感受体(アストラル体)があり、それと「自我」があるとされています。

今までの西洋医学はこのうちの「肉体」を治療していたわけですが、そこから少し「上の階層」への治療もおこない始めているということですかね。

そして、これらも、現代の西洋医学のお医者さんたちがやっているわけですから、医学も少しずつ変化してきているのだと思います。あとは、私たちが「どの治療法を選ぶか」ということだけのような気がします。

今日は「笑いと治癒」の話でしたけれど、あるいは、私はあまりテレビは見ませんけれど、テレビにお笑いが蔓延しているのも、一種の社会の自己治癒作用的な部分もあるのかもしれないですね。「病気を治癒するために熱が出る」ように、「今の人々を治癒するために笑いがある」というような。

何か夢中で書き続けていたら、エライ長くなっている気がします。
どうもすみません。

生まれ持った力に気づく時 

WHO「耐性菌感染 世界で広がっている」
5月1日 5時24分
WHO=世界保健機関は、主要な抗生物質が効かず治療が困難な耐性菌の感染について報告書を発表し、世界のすべての地域で感染が広がっているとして、国際社会が一致して対策を取ることが必要だと強調しました。

WHOは耐性菌の世界的な感染状況を調べるため、114の加盟国から提供されたデータを基に、黄色ブドウ球菌など7つの細菌について、従来は効果が見られた特定の抗生物質が効かなかった例を報告書としてまとめ、30日、発表しました。
それによりますと、黄色ブドウ球菌の場合、アフリカや南北アメリカの一部の国で、抗生物質のメチシリンを投与しても80%から90%の患者に効かなかったということです。
また、肺炎などを引き起こす肺炎かん菌でも、アフリカを中心に多くの国で50%以上の患者に抗生物質を投与しても効かなかったと報告されるなど、世界中で耐性菌の感染が広がっているとしています。
報告書は、このままでは将来、抗生物質が役に立たなくなる可能性があると警告したうえで、感染情報の調査方法を統一して世界全体で情報を共有することや、新たな治療方法の開発に力を入れることなど、国際社会による一致した対応の必要性を提言しています。
ジュネーブのWHO本部で記者会見したフクダ事務局長補は、「耐性菌の感染は、一部の地域や途上国の問題ではなく世界全体の問題だ」と強調しました。


近代文明の発展と共に、人類は自分自身の免疫力を使うことなく、安易に薬に頼る生活を続けてきました。
その為薬漬けになった黴菌が、抗生物質に対する耐性を獲得してしまいました。
経済面でも人類は物質(富)に頼りすぎて、個々人の心を軽視し続けてきた結果、
強欲資本主義を育ててしまい、今人類は行き詰まろうとしています。

経済面ばかりでなく、医学の方でも行き詰まりが来て、
人類は今、次のステップへの移行が必要な時代となっているという事なのでしょうね。

近代医学が発展する以前には、人は自分自身の免疫力を発揮する事でしか、
黴菌等を退治する方法が有りませんでした。
古来より人類はこの免疫力を充分意発揮できるように、
漢方薬等の薬の他に針や灸等を考え出しました。
そしてそれ以外に、心の持ち方、心の励まし方等も、色々と研究されて来ていたのでした。

しかし近年人類は西洋医学の薬の効き目に目が眩み、
生物はどんな毒に対しても、耐性を作り出す能力を持っているという事を、すっかり忘れてしまってきて、
自分自身の免疫力を発揮する為の努力をすっかり等閑にして来ていました。

自分自身の生まれながらの能力(免疫力)を発揮する為の努力を、放棄してしまった人間は今、
総ての抗生物質が耐性を持ってしまった、耐性菌の時代の出現に困惑しています

しかし、これは振り出しに戻っただけなのです。
人は本来生まれながらに、免疫力や色々の能力を持って、生まれてきているのですから、
そのことを思い出して、
又それらの能力を存分に使って、生きていくようになれば良いのだと思います。

今の日本では、軽い風邪にかかったくらいでも、一々病院に行く人が大勢あるという事ですが、
これでは人間としての自信が育ちにくいのではないでしょうか?

文明の恩恵を受けすぎて近現代の文明人は、
人は何があっても持って生まれた力によって、力強く生きて行けるのだと、
人間本来の力を信じることが出来なくなって来ていました。
生まれながらの能力を忘れていた分、文明人は損をしていたといえると思います。

今私達近代文明にどっぷりつかって生きてきた日本人も、
昔の人の逞しさを取り返すべき時に来ているのではないでしょうか?
今色々な面で西洋文明が行き詰ってきていますが、
これも、方向転換するためのターニングポイントの一つなのではないでしょうか?

子宮頸がんワクチンの副作用続出 



子宮頸がん:予防ワクチン副作用 被害者連絡会が発足
毎日新聞 2013年03月25日 19時46分


 子宮頸(けい)がん予防ワクチンを接種した後、歩行困難などの重い副反応が出る例が相次ぎ、被害を訴える母親らが25日「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」を発足させた。子宮頸がんワクチンの予防接種は、関連法の成立を経て国の定期接種に組み込まれる見通しとなっており、連絡会は国に対し、副反応症状の実態の公表や、被害者の救済制度の充実などを訴えていく考えだ。

 2年前にワクチンの一種「サーバリックス」を接種した東京都杉並区の女子中学生(14)は、接種後に歩行困難など重い副反応で登校できなくなり、無料接種を行った区は、医療費などを保障する方針を決めた。また、この日の発足会に参加した被害者5人のうち、東京都内の男性(41)の娘も、高校1年生だった11年10月と12月に2度接種した後、全身に痛みが広がり、歩行困難な状態が続いているという。

 同会の池田利恵事務局長(東京都日野市議)は記者会見で「子宮頸がんワクチンが本当にがんを減らす効果があるのか疑問。救済制度も不十分だ」と指摘した。同連絡会事務局は042・594・1337。【小島正美】


子宮頸がん予防のためと称して、まだ中学生になったばかりの子供にまでワクチン接種する目的と、自治体が出すというワクチンの値段を聞いて、
そんな事の為に大切な税金を使うなんて、大切な血税をどぶに捨てるようなものではないかと思ったものだったが、子宮頸がんワクチンを摂取させる弊害は、税金の無駄遣いだけではなかった様である。

合計で何人の女生徒が子宮頸がんワクチンを摂取させられたのかは知らないが、
まだ一部の自治体だけだから、そんなに大勢ではない筈である。
それでもこのニュースによると、副作用で歩行困難になった女生徒が少なくとも2人も出ているらしい。

子宮頸癌は性交渉をして初めて、罹る可能性の出る病気だと言う。
(子宮頸ガンは性行為によるヒトパピローマウイルス(HPV)感染が原因であり、因子として初交年齢の低さ,生涯のセックスパートナーの多さがあげられている)(こちら
そんな種類の病気の為のワクチンをまだ中学生の子供に、
自治体が1人分約5万円(こちら)合計したら莫大な金額になる代金を税金で出してまで、子供(11歳から14歳)に摂取させる必要が何処にあるというのだろう。
これではまるで、中学生になったら性行為をするのが普通だ、と教えているようなものではないか。

学校が教育機関であるなら、「子宮頸がんと言う恐ろしい病気があるから、結婚前に変な事をしないように」と注意し、強く乱淫を窘めるべきだろう。
その方が余程子宮頸癌の予防効果があるし、中学生に起こったら大変なその他の諸問題をも防ぐ効果があるだろう。

しかも子宮頸がんワクチンは総てのHPVウイルスに効くわけではなく、
偶々ワクチンが効くHPVウイルスに感染した時にだけ効果が出るのだそうである。
又、免疫効果は長年月あるという事ではあるが、段々薄れてくるだろう事を考えると、
10代前半に打ったワクチンが、40歳代になっても当初の効果が残っているか疑問である。

大抵の女性はこのヒトパピローマウイルス(HPV)に罹っても、自然治癒力で殆どは自然に治るものだそうである。
だから子宮頸がんワクチンを打たなかったら、子宮頸癌に罹るかもしれない女生徒の数は、
子宮頸がんワクチンの副作用に見舞われるかもしれない女生徒の数よりも、少ないのではないだろうか?

という訳で、子宮頸がんワクチンは、何処から見ても自治体が税金を使って摂取料を無料にしてまで、
女子中学生に摂取を強制する必要のあるワクチンではないと私は思う。

追記
「正しい情報を探すブログ」の下記記事で、子宮頸がんワクチンの被害状況を詳しく調べておられますので、ご参考までにURLを書いておきます。
子宮頸がんワクチンによる副反応被害者数は全世界で2万8千661人!更に10倍以上の被害者!?
http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11489780833.html



自然治癒力を生かせる人になろう 

コロンブスの卵を産むの「医師と薬と自然治癒力」に
血液サラサラの薬「ワーファリン」の重大な副作用を医者は知らなかったに載っていたコメントを紹介しておられた。

此れは或る国立大学の医学部で基礎医学研究をやっておられる人の夫人の投稿である。
このコメントを読むと、現代医学の先端を行っている方は、既に現代医学の限界を知り、
自然治癒力を生かすことをご家族に推奨しておられる事が分かる。

私は先年肩の骨を複雑骨折した事があった。
この怪我は現代医学の手術を受けることが出来なかったら、絶対に元通りの機能を回復することは出来なかっただろうと、私は現代医学の手術を受けることが出来たことを、深く感謝している。
しかし、現代医学に対する疑問を禁じえないことがしばしばである。

何から何まで現代医学に頼りきっていて、
現代医学で治らないものは、即ち不治の病であるという位に、現代医学を信奉すると、これはもう迷信のレベルになるのではないかと感じさせられる。
迷信に陥ったものは、何彼と本来毒物である薬品を、奨められるままに体に取り入れ続け、副作用に悩まされ続けながら、ますます薬に頼り続ける事になってしまうだろう。

下記コメントは医学の先端を担っておられる方が、自然治癒力を最大限生かすことをご家族に奨めておられるという事で、貴重な投稿であると思った。


20. 2012年1月25日 15:43:36 : jHtLSCKQKA

うちの亭主は国立大学医学部卒。
投薬と検査でしか金が稼げないのが嫌で基礎医学研究者になった。

我が家には常備薬はない。
風邪かな、とか体調が悪いと思ったら、暖かくして寝るだけ。

食欲がないときは、病気を治すために血液がそちらにいってて消化を休んでるから、
無理に食べたりしない、水分補給だけ。

クスリは毒、と言っている。
野生動物も薬草を食べたり、じっとしてるだけで病気を治してる。

冷房も暖房もほとんど使わない。
環境に適応できる体をつくることのほうが大
もちろん、添加物一杯のジャンクフードやファミレスの食事は一切しない。

生活習慣病なんてのは自分の不摂生の結果、
クスリや医者に頼って治そうという気があるから、医者や製薬会社が儲かるのだ。

そして、税金の無駄遣いにもなっている。
野生動物の勘を取り戻せ。

クスリやの接待を当然のように受け、外車を乗り回している医者をこれ以上儲けさせてもいいのか?

もっとも、技術料より投薬、検査の料金の高額設定をつくった故・武見太郎医師会長、
グルの製薬会社、厚生省のせい、国民が声をあげて改善させるべきだろう。

般若心経 

偶然こんなものを見つけました。
般若心経の意訳が画面に書かれています。
これを見て楽になったと言われる方が大勢有るそうです。

般若心経 

今日は般若心経を写してみました。
般若心経は仏教のどの宗派であっても大事にしている経典だそうです。
この経典を写経するだけで、病が直ったと言う人もあると聞いた事があります。
科学万能の時代、そんなのは迷信と決め付けられるかもしれませんが、
医学と言うものも、日進月歩で変わっている模様ですね。
先週土曜日の「世界一受けたい授業」(読売テレビ)と次の日曜の「ネプサイエンス」(毎日放送)と続けて2つの番組で、同じような内容、今医学の常識が変っていると言う事を教えてくれていました。

その主なものは、これまで怪我をしたときには水洗いのあと消毒するのが常識だったけれど、
今はよく水洗いしたら、特別黴菌うようよの場所での怪我でなかったら、消毒薬は黴菌を傷つける前に皮膚組織を傷つけることになるから、消毒はしないほうが、返って治りが早くなるということが常識になっている。とか
プールで泳いだ後でも眼を水洗いするのは、眼の中にある3層の保護幕が破られるので、返って黴菌に汚染されやすくなる。
風邪で熱が出た場合、暖めるよりもすずしくしていた方が良い。とか
色々とこれまで医療の常識と思われていた事が否定されて、反対にこれまで悪いと思われていた事が推奨されるようになったことがたくさんあるそうです。

これまでの私達は医学の説を、絶対のものであると思い違いしていた所はないでしょうか?
今まで、二言目には「そんな非科学的な!」と言う言葉が断言を伴って、他者の言葉を封じ込める力を持っていたのではないでしょうか?

でも科学もまだ発展途上にあるというのは、専門家には常識であるらしいですね。
だから現代の科学では説明できない事でも、科学の常識に反するからと言ってそれを全否定するとしたら、
その人は科学的な人であるかどうか疑わしい事になるかもしれません。

こういうあやふやな事を言ってたら、それが迷信をはびこらせる原因であると言うのも又、
残念ながら事実であると思います。
本当の信仰心の無い人に摩訶不思議な事を言って脅して、信者にしてしまうというやり方をしている宗教も少なくないらしいですし・・・・・

私達は何事であっても、真実かどうかよく吟味しないで、丸信じしたらいけないという事は全ての事に当てはまると思います。
仏教で言うところの因果応報、原因結果の法則は常に忘れてはならないと思います。

常に原因と結果と言うものを比べ合わせて、相手の言っている事が事実であるか、嘘っぱちであるかを判断すると言う習慣は、絶対に捨ててはならないのではないかと思います。
そしてその論に少しでも疑問の余地が残っているときには、
疑問の余地があるということをちゃんと認識しておくべきなのではないでしょうか。

もともと生き物は、どうしてここまで精巧なものになる事が出来たのか?
進化論というものを信じさせられていたけれど、偶然の積み重ねだけで、
本当にここまで精巧な生命が形作られる事が有り得るのでしょうか?

般若心経では、観自在菩薩が深く思惟なさったところ、
この世の中の事は全て空であり、無である。
そして無明(迷い)も又無である。
だから無明(迷い)もなければ、無明(迷い)が無くなることもないと言う事を
「不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。」という様なことをさまざまな言葉で、繰り返し説いてあります。
迷いを無明と言うのは、「迷いとは真実の光が当たっていない状態」と言う事から、無明と言う字を当ててあるのだそうです。
仏教で「尽十方無碍光如来」と言う御名がありますが、智慧は光に例えられるもののようですね。
無明(迷い)とは光の下にさらされたら、無くなってしまうものという事のようです。

そしてこの世にあると信じていた様々なものが全て、顛倒夢想である事が分かったら、心が軽くなるから、
「能除一切苦、」で、全ての苦しみから解き放たれる。だから本来無いのにあると思い違いして苦しんでいた心因性の病気などは、軽く直ってもおかしくないと言うことなのでしょう。
心が無罣礙(心に引っ掛かりが無く)なると、生命が本来持っている、免疫力などの様々な防護作用が縦横に働くし、
又不必要に恐怖したために起きていたトラブルなどからも、真理を知る事でこころが開放されたお陰で、症状が無くなるということも、それ程おかしな理論ではないと思えます。

般若の知恵を授かったら、波羅つまりキリシタンの言うところのハライソ、仏教では極楽浄土と呼ばれているところに、行く事が出来ると言うのが、般若心経の趣旨であると、私は聞いています。
そして常にそういう意識で居られるようになりたいと、渇望しています。
(と言う事は、私はまだその心境には達する事が出来ていないと言う事なのですが・・・・・)

それでは「般若心経」を、ここにコピーさせて頂きます。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

サイア人 

昔、娘と見たテレビ・アニメにドラゴンボウルというのが有った。
主人公のゴクウはめっぽう強いのだけれど、手ごわい強敵がいた。地球人ではなくて、サイア人ということだった。
サイア人の特徴は、どんなに強い相手と戦っても,生きてさえいたら、その戦った相手をしのぐ強さを持って復活できるというものであった。
『そんな馬鹿な』と思って見ていたけれど、よく考えてみると、地上の生命体の基本的性質にも、それは有るような気がする。
戦った相手に殺されさえしなかったら、次に復活する時それをしのぐ強さを持つことができるというのが,進化の必要条件でもある。
人体においてだったら、黴菌にやられて病気になっても、自身の免疫の力で治った時には、次に同じ黴菌に襲われてもその黴菌に対して、抵抗力が付いているから、同じ黴菌にはもう犯される心配は無い、というのは良く知られている話である。
又新薬も、その薬によって死なないで生き残った菌は、もうその薬によって押える事はできなくなる、というのも良く知られた話である。 
他の星のことは知らないが地上の生命体は、適者生存と呼ばれるシステムで、今日の複雑な組織を持つ生命体にまで発展してきた者である。
放射能を持つような物質は太古の昔より最近までは、生物の手の届かないところに有った為に、現在の生物の殆どが共存できないでいる(ごく少数ながら放射性物質にも適応して生きている生物が有ると聞いた事があるが)。
 現在生きている生物は皆これまで地上に普通にあった物質とは共存共栄で、お互い利用しあって、生きてきていた生物の末であるはずである。
生物は皆、来るを拒まず、でやって来たから,ここまで繁栄出来たのではないだろうか。
黴菌と動物も本来敵同士というわけではなく、初対面の時こそトラブルになるけれど、後はお互い仲良くやっていけるように出来ていると思える。
その関係が崩れてきたのは、知識によってもたらされた、恐怖心の所為ではないかと思う。
生物というものは皆どんなものでとも仲良くやっていけるものだから、心配せずに、体の機能を充分に働かせるが良い。
若し負ける事があったとしても、生きてさえいれば、次の機会にはもう適応できる体になっているのだから、自分の体が一つグレードアップするためと思って耐えればよい。そう思って生きていたならば、
本来持って生まれた能力をフルに使うことが出来て、健康な生活が出来るのではないかと思う。
現代人はどうしてこんなに弱くなったのだろうと,しばしばテレビ等で言っているのを耳にするけれど、その言葉が又現代人を弱くしているのではないかと思う
人は自分の思っている通りの人になるという事である。希望する通りと言うのではない、
自分はこういう人間だと思っている通りの人間になるということである。
だから、望ましくないと思う人間に、自分を設定するのはやめにしようではないか。
尤も習慣で、ついついそれまでの自分から脱却できないでいる場合も多いから、あせらず、新しい設定の発現を待つ必要があるかもしれない。(私自身もその例にもれずではあるのですが・・・)

  

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